東京都豊島区の池袋駅西口の繁華街には、あちこちに中国料理店の看板が掲げられている。メニューをのぞくと、「町中華」では見られない料理がずらり。こうした店は中国本場の味を提供する「ガチ中華」と呼ばれ、池袋はその聖地らしい。なぜ池袋でガチ中華が発展したのだろうか。(藤井有紗)
駅西口に近い雑居ビル4階にある中国料理のフードコート。「故郷の味が恋しくなったら池袋に来るんだよ」。シイタケとチンゲン菜入りの肉まん「香菇青菜包子」をほおぼっていた豊島区の会社経営劉秋佳さん(63)が満足げに話した。
スーパーの一角にあるこのフードコートには、東北、上海、西安など六つの中国の地方料理の屋台が並ぶ。店に貼られたメニューには現地語と日本語が混在し、中国人だけでなく、持ち込み自由のビールを片手にローカルフードをつつく日本人客の姿もある。
中国から2000年に日本に移住したという劉さんは「横浜中華街は日本人観光客向けの味付けで物足りない。昔は本格的な中華を食べられるところが少なかったが、ここは本場の味を楽しめる」と目を細める。
池袋に中国人が増え始めたのは、1990年代。30年近く池袋の中国人コミュニティーを研究してきた筑波大名誉教授の山下清海さん(74)は、〈1〉日本語学校が多い〈2〉駅近くに老朽化した家賃の安いアパートが多かった〈3〉繁華街が近く、皿洗いやビル清掃などのアルバイト先が豊富――の3点をその理由に挙げる。
戦後、池袋は駅東側の再開発が急速に進んだ一方、西側は高度経済成長期の初めまで、戦後の闇市の名残があった。こうした地域事情も相まって、昼は日本語学校に通い、夜は繁華街で働いて故郷に仕送りをする中国人が集住するようになったのだという。山下さんは「中国人の増加に伴い、故郷の味を求める需要が高まったのでしょう」とガチ中華が増えた背景を分析している。
ただ、今年1月時点の都の人口統計では、23区で中国人が最も多いのは江東区で、豊島区は6番目の約1万6000人にとどまる。多くのガチ中華が根づいた理由は、どうやら中国人の多さだけではないのかもしれない。
ウェブメディア「東京ディープチャイナ」編集長の中村正人さん(62)が注目するのは、91年に池袋にオープンした中国食品スーパーの存在だ。それまで上海、北京、福建など中国の各地方の商品を集めた店は都内にはほぼなかったが、スーパーの開店により、自然と首都圏に住む中国人が池袋に買い物に集まるようになった。
中国人経営者の間では「池袋に店を出せば客が集まる」との評判が拡大。2010年代に飲食店の数が急増し、中国最大の火鍋チェーン1号店が15年に進出すると、「池袋駅西口」はガチ中華の街としての知名度を一気に押し上げた。
新型コロナ禍の影響も大きい。海外渡航が制限される中、SNS上では「池袋では中国旅行気分が味わえる」と日本人の間でも話題に。「#ガチ中華」で検索すると、無数の店舗や料理情報が並び、22年には「ガチ中華」という言葉が流行語にもなった。コロナ禍で多くの日本の飲食店が撤退する一方、ガチ中華の店舗数は伸び続け、中村さんの調べでは、池袋駅西口周辺だけで約130店に上る。
ここ数年、池袋ではガチ中華を案内するツアーや食事会も定期的に開かれるようになった。
中村さんが主催するツアーにはこれまで300人以上が参加。今月4日には、東北地方の港湾都市・大連の海鮮料理を提供する店で食事会が開かれ、約30人が石鍋でエビやホタテなどを蒸す大連名物「蒸気海鮮」を堪能した。店を営む牟明輝さん(48)は「お客さんの3~4割が日本人で年齢層も20~50代と幅広い。故郷の味に親しんでもらえてうれしいですね」と話した。
ガチ中華と多文化共生をテーマに卒業論文を執筆中という筑波大4年生(21)は「SNSで韓国アイドルやインフルエンサーがガチ中華を食べている投稿をきっかけに、興味を持つ若者も多い」とした上で、「広大な中国は味付けも地域によって様々。今までイメージしていた『中華料理』とは異なる新鮮な発見があります」とその魅力を語る。
ガチ中華は今や在日中国人だけのものではなく、日本人や若者に親しまれながら、池袋の新たな文化として根付いている。