松戸市にあるパン屋で、なぜお客は1800円も使うのか

「パン好きの聖地」と呼ばれている店が、千葉県の松戸市にあるのをご存じだろうか。「Zopf(ツオップ)」である。「パンは毎日食べているけれど、食べたことがないなあ」「知らない、知らない。店の名前すら聞いたことがないよ」といった人もいるかもしれないので、店のことを簡単に説明しよう。

ツオップは2000年にオープン。松戸市の駅からクルマを10分ほど走らせると、閑静な住宅地の中に店がある。「いくら『聖地』と呼ばれていても、そんなところにたくさんの客は来ないでしょ」と思われたかもしれないが、違う。店内には300種類ほどのパンが並んでいて、アンパン、カレーパン、クロワッサンなどが飛ぶように売れているのだ。一番人気はアンパンで、1日に1000個以上売れているとか。ちなみに、遠方から来店する人が多く、駐車場は42台分を確保している。

さて、前置きがちょっと長くなってしまったが、これまで郊外でしか買えなかったパンが都市のど真ん中で買えることに。7月10日、東京駅の構内に「Zopfカレーパン専門店」をオープンしたところ、どうなったのか。カレーパンは1個324円(税込)もするのに、売れに売れているのだ。

駅構内のショッピングゾーンは平日午後10時までオープンしているが、カレーパン専門店は「午後5~6時ころに閉店することが多い」(店の担当者)という。なぜか。1日に2400個以上も売れて、用意していた商品が底をつく。つまり、“閉店ガラガラ”せざるを得ないのである。

東京駅の構内には、たくさんの店が並んでいる。誰もが知る有名なショップも珍しくない中で、なぜカレーパン専門店に人は並ぶのか。また、パン屋はたくさんあるのに、なぜ松戸市にある店は「聖地」と呼ばれるほど、ファンから支持されているのか。その謎を解くために、ツオップの伊原靖友シェフに話を聞いた。聞き手は、ITmedia ビジネスオンラインの土肥義則。

「スナック」になったのね
土肥: ワタシの知り合いから「パン好きの間で『聖地』と呼ばれている店があるんだよ。一度、取材してみたら?」といったことを聞いて、やって来ました。常磐線のJR北小金駅からクルマを10分ほど走らせると、店が見えてきました。ですが、「ベーカリー」とか「パン」といった文言がないので、初めて来た人は「ここってパン屋なの?」と思われる人も多いのではないでしょうか?(失礼)

伊原: もともと父がパン屋を経営していて、僕は2代目なんですよね。2000年に引き継いだときに店名を「Zopf」に変えて、外観も変えました。以前の店舗はガラス張りになっていたので、外を歩いている人から商品を見ることができました。「メロンパンが並んでいるな」「アンパンが売っているな」と分かったのですが、「外から見えないデザインはどうかなあ」と考えたんですよね。

当時、このようなデザインの店はあまりなかったので、設計担当の人から「商品が見えない店をつくっても、うまくいかないですよ」と言われました。

土肥: なんと、それはひどい。

伊原: ただ、その担当者も悪気があって言ったわけではありません。ガラス張りではないパン屋はほとんどなかったので、「このままではうまくいかない。お客さんに分かりやすいデザインのほうがいいですよ」といったアドバイスでした。後日、店の遠くを歩いている人でも、パッと見てパン屋であることが分かるデザインを提案してくれました。ガラス張りになっていて、パンがズラリと並んでいることが分かるといった外観ですね。

土肥: それでも、外から商品が見えないデザインにしました。なぜ、そこまでこだわったのでしょうか?

伊原: この店は西側を向いていて、西日が強いから。ただ、それだけ(笑)。日が当たり続けていると、パンにとってあまりよくないんですよね。西日が強いときにはカーテンを下ろすなどして対応することもできますが、それだと外を歩く人からパンを見ることができません。であれば、いっそのことパンを隠したデザインにしてしまえと思ったんです。

で、店は完成。当時、お客さんからどのような反応があったのか。「あれ? パン屋さん、つぶれたの?」「スナックになったのね」といった声がたくさんありました(涙)。

「焼きたて」のパンをどんどんつくる
土肥: 先代の店を引き継ぐ形で、店は2000年にオープンしました。当時の売り上げは、どのような感じでしたか?

伊原: 売り上げは、いまの10分の1ほど。ただ、すぐにお客さんが増えて、売り上げも伸びていきました。多くの人から「なぜですか?」「その要因は?」と聞かれるのですが、よく分からないんですよね。つくっているパンを変えたわけではありませんし、レシピも大きく変えたわけではありません。30年前から同じレシピでつくっている商品も、たくさんあるんですよね。当時、パンブームが起きていたので、その流れにうまく乗れたからかな。

土肥: そうなると、他の店も売り上げを大きく伸ばしていることになりますよね。ただ、個人経営のパン屋がものすごく増えているといったデータはありません。

伊原: ウチがやってきたことは何か。ひとつあげるとすると、「焼きたて」にはこだわってきました。「焼きたて」をウリにしているパン屋はたくさんありますが、そうした店とどのような違いがあるのか。「焼きたて」というのは、一定の数を出し続けなければいけません。つくっても売れなかったら、「焼きたて」を出すのは難しいので。

店をオープンした当初はいまほど売れていなかったので、「焼きたて」をなかなか出すことができませんでした。ただ、しばらくすると、「焼きたてをつくる→売れる→焼きたてをつくる→売れる」といった感じで、いいサイクルが生まれるようになりました。

土肥: 例えば、カレーパンの場合、どのようなサイクルでつくっていたのですか?

伊原: オープン当初、1日30個ほどしか売れていなかったので、朝・昼・夕の3回にわけてつくっていました。朝の9時に商品を出したところ、揚げたてのカレーパンを食べたいお客さんがたくさん来る。10時ころに来たお客さんから「カレーパンはないですか?」と聞かれる。しかし、完売していて、棚に商品が並んでいない。

じゃあ、10時に「揚げたて」をつくれば、もっと売れるのではないかと考え、10時につくることに。このように1日に何度も揚げたてを出すことによって、「いつ行ってもあそこのパン屋で、揚げたてのカレーパンを買えることができる」と感じてもらえるようになりますよね。

土肥: カレーパンだけでなく、他のパンも同じように「焼きたて」をせっせと提供していたわけですね。

伊原: はい。

生産性が落ちても、お客さんのことを考える
伊原: オープン当初、店内にフライヤーがなくて、調理用のボールを使ってカレーパンをつくっていました。だんだん売れるようになって、フライヤーを導入しました。そのフライヤーは一度に12個つくることができるのですが、店で10個しか売れなければどうするのか。店のスタッフは怠ける気がなくても、ついつい12個つくろうとしますよね。目の前で12個つくれるんだから。そうなると、どうしても余ってしまうので、揚げたてのカレーパンを提供できなくなるケースが出てきました。

このままではいけないということで、フライヤーを捨てたんですよ。再び、店内にボールを持ち込んで、それでつくることに。フライヤーは一度に12個つくれるけれども、ボールは6個だけ。半分しかつくることができないので、揚げる回数は倍になる。生産性は落ちてしまいましたが、それでもお客さんのことを考えて、ボールで揚げることにしました。

土肥: 揚げたてか、揚げたてでないか、どちらがおいしいか。間違いなく、揚げたてですよね。天ぷら屋さんで、冷めたエビフライが出てきたら、クレームを言いたくなるほど、揚げたては大事。

伊原: 生産性は落ちたものの、その後、お客さんが増えていき、フライヤーを再び導入することに。結果、いまでは1日に700個ほど売れるにようになりました。

でも、考えてみると、マーケティングのセオリーとは真逆のことをやっているんですよね。コンサルタントは「商品は絞りましょう」「お客さんのピークタイムをつくりましょう」などと言いますが、ウチがやっていることは違う。商品はどんどん増やして、いまは300種類ほど。お客さんのピークタイムは1日中に。

土肥: 店内はそれほど広くないのに、パンがたくさん並んでいる。入店できるのは8人までなのに、なぜ300種類も販売しているのでしょうか?

伊原: 「300種類もつくっている」と聞くと、頻繁に新商品を出しているのかなあと思われたかもしれませんが、そうではありません。年に1~2品なんですよね。たったそれだけですが、一度つくったモノは基本的に販売し続けています。なぜか。「もう一度、あの商品を食べたいなあ」と思って、来店したときに「終売しました」と言われたら残念ですよね。そうなると、「このお店には、もう行かない」と思われるかもしれません。そうした気持ちにさせてはいけないので、原材料が調達できなくなったなど何らかの事情がない限り、一度つくった商品は出し続けています。

土肥: とはいえ、なかなか売れない商品もありますよね。そうした場合はどうしているのですか?

客単価は、平均の3倍
伊原: 売れるまで、がんばるんですよ(笑)。自分がつくって「おいしいなあ」と感じたモノを販売しているので、売れない場合、なぜ売れないのかを考え続けなければいけません。そして、改良できるところは、改良しなければいけません。

売れないといっても、店頭に並べると、1個は売れる。そうなると、そのお客さんのために、新商品のパンはつくり続けなければいけません。その結果かどうか分かりませんが、全国のパン屋の購買金額をみると、平均600円前後に対し、ウチは1800円ほど。「このパンを買いたい」という目的買いの人が多いので、単価が3倍ほど高いのかもしれません。

土肥: 最後に、7月にオープンした「カレーパン専門店」の話も聞かせてください。松戸の店以外に出店したのは、初めてですか?

伊原: はい。たくさんのところからお声がけをいただいているのですが、すべて断ってきました。なぜ、断ってきたのか。その場でつくることができなければ、意味がないと思っているからなんですよね。「どこかの工場で焼いて、それを運んで販売すれば?」といった声もあるのですが、その方法ではどうしても味が落ちてしまう。

このように考えているので、東京駅での出店に対しても、最初はお断りをしました。しかし、その担当者は「どういった形であれば、できますか?」といった話ばかり。「やっぱり、無理ですかね」といった感じで、できない理由を口にすることはありませんでした。

とはいえ、こちらとしては品質を下げた商品を提供するわけにはいきません。安定供給ができて、同時に品質を確保することができるパンは何か。スペースやオペレーションなどのことを考えると、パンを焼くことはできない。そうなると、揚げたてのカレーパンであれば、商品化できるのではないかと考えました。

店でパンを焼いて、提供するだけ
土肥: ツオップが東京駅に出店したぞ。その店でまた行列ができているぞ。となれば、「ウチにも来てよ」「こっちにも出店してよ」といった声があるのでは?

伊原: ありがたいことに、そのような声をたくさんいただくのですが、「やりません」とお答えしています。繰り返しになりますが、やはりパンの品質を確保するのが難しいので、出店することはできません。

パンをつくることって、本当に難しいんですよね。毎日のようにつくっていますが、「これだ!」と思えるモノって、なかなかできません。それほど難しいことなのに、自分の目が届かないところで、高い品質を確保することは、かなり難しいと考えています。

もし他のやり方で品質を保てる方法があれば、それを採用してみたいですね。でも、僕はその方法を知りません。というわけで、これからも店でパンを焼いて、それを提供する――。これを続けるだけです。

(終わり)