「鶴丸城」の愛称で知られる鹿児島城(鹿児島市城山町)の御楼門(ごろうもん)の復元工事が完了した。1873(明治6)年に火事で消失したが「鹿児島の新たな観光スポットに」と官民挙げた復元プロジェクトが進み、堂々とした姿が147年ぶりにお目見えした。
県などによると、御楼門は島津家久(1547~87年)が建設に着手し、1612年に完成した。関ケ原の戦いから年月がたっておらず、戦闘に備えて門扉を完全に閉めることができる「武家門」だったが、1873年に本丸と共に焼失した。
その後、歴史的な景観づくりや観光資源として復元の機運が持ち上がり、県や県内の経済団体による「鶴丸城御楼門建設協議会」が2018年から復元工事を始めた。総工費10億9000万円のうち6億2000万円を寄付で集めた。
完成した御楼門は高さ、幅とも約20メートル。最寄りの国道10号から現在の県歴史・美術センター黎明(れいめい)館に入る部分に建設された。2階建てで、鍬(くわ)に似た伝統的な工具を使い「釿(ちょうな)仕上げ」と呼ばれるデザインを取り込み、門の上部には鯱(しゃちほこ)があしらわれている。4月11日にあった完成式で、三反園訓(みたぞのさとし)知事は「規模、風格ともに日本一だ。観光業の復活のシンボルになってほしい」と期待を込めた。
新型コロナウイルス感染防止で黎明館の閉館中は内部を見たり通ったりすることはできないが、国道10号側から壮大な外観を見ることができる。黎明館の開館中は自由に通行できる。【白川徹】