嵐の前の静けさから…不審船自爆で広報室騒然 元報道係長

鹿児島県・奄美大島沖で、北朝鮮の工作船が海上保安庁の巡視船と銃撃戦の末に沈没した2001年の事件から22日で20年。連載の第2回では本庁広報室で女性初の報道係長として、マスコミ対応にあたった中林久子・海洋情報部水路通報室長に本庁の状況や、工作船事件が海保に与えた影響について聞いた。(第2回/全3回)【米田堅持】
家族に仕事を語れるようになった
中林さんは「工作船事件以降、自分の家族はこんな仕事をしているんだと理解されるようになり、誇りを持って話せるようになった」と現場の海上保安官が話すことが増えたという。
事件が報じられたことで、今まで海の上で陸からは見えないがゆえに理解されなかった海上保安官の仕事が、知らない人にもその一端を理解してもらえるようになり、報道されることの意義や影響の大きさを知ることになったという。それまでは、巡視船艇の老朽化について話すときも「古い船のことをどこまで話していいのか」と現場の窮状を訴えることをちゅうちょすることも少なくなかったが、今は実情をきちんと説明して必要な資機材を手当てしてもらおうという意識に変わったという。
また、その後に公開された海保の潜水士を描いてヒットした映画「海猿」の企画なども、メディアを通して知ってもらうという意識が海保内に醸成されたことで、比較的理解されやすくなっていたという。
「ブリッジって何ですか」
事件当時、「男の職場」として知られた海保において、中林さんは女性初の報道係長として広報室でマスコミ対応をしていた。事件が発生した01年は、海保内の不祥事に関する広報対応もあったが、海の緊急通報番号である118番運用開始の周知活動や米同時多発テロに伴う警備など、海保にとっても転換期に入っていた。
事件があった12月22日未明、寝ようとしていた中林さんは、不審船情報への対応のため、呼び出しを受け登庁した。広報文が出る前の午前中は、特に問い合わせなどもなく嵐の前の静けさだった。関係者以外に気づかれないよう、別室でコピーをして広報資料を作った。広報文を出すと、不審船事件ということもあって多くの報道機関が広報室にやってきて、追加で資料を作ることになった。
「事件発生で、それまでほとんど接点がなかった報道機関も来た。しかし、事件後の広報も含めて、やりとりが続くきっかけになった」と語る。
巡視船から不審船への威嚇射撃、船体射撃と事態はめまぐるしく動いていた。午後10時ごろ、不審船が巡視船に挟まれ動きが止まった。記者たちからも「明朝、テロ対応などを専門とする特殊警備隊員が来るまで状況は動かないだろう」と声も上がり始めていた。だが、その直後に不審船は自爆とみられる爆発とともに沈み、広報室は騒然となった。
報道機関からは海のことに詳しくない応援の記者も集まった。「ブリッジ(船橋)って何ですか」。中林さんは、そうした記者たちに船の構造や、海上からの救助について解説して、少しでも理解してもらえるように努めた。
中林さんは海上保安大学校卒の女性としては最年長ということもあり、女性初の署長や海上保安部長なども務めたことから取材も多く受けてきた。海保を知ってもらうきっかけとなればという思いのルーツは、工作船事件の広報を担当したことにあると話す。
現在は、水路通報室長として航行警報など船舶に対して重要な情報を伝える部署を担当している。「北朝鮮がミサイルなどを撃ってきたら、速やかに航行している船舶に情報を伝える必要がある。正確で遅滞なく情報を伝えていきたい」と、20年を経てもなお、北朝鮮との関わりが消えない中で、意気込みを語った。