2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で甚大な被害が出た福島県いわき市平豊間地区で、若い世代を中心に移住者が増えている。市中心部に比べ住宅価格が手頃なことに加え、地域ぐるみの子育て支援策が好評だ。かつて豊間海岸はサーファーの聖地と呼ばれ、海と共存する町の風景がよみがえってきた。
市などによると、震災前の10年4月の同地区には663世帯、2212人が居住。震度6弱の地震に続き、市内で最大となる8.57メートルの津波が押し寄せ、家屋430戸が全壊、85人が犠牲になった。被災後に人口流出が続き、18年4月には1084人まで減った。
県と市は防潮堤のかさ上げや防災緑地の整備、住宅地の高台移転といった多重防護の町づくりを18年度までに完了した。23年10月には震災前の世帯数を上回り、人口も24年に1700人を超え回復傾向にある。学区に含まれる豊間小の児童数は24年度に震災前の数を上回った。
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2025年、石破総理に立ちはだかる3つのハードル 「来年度予算案」「都議選」「参院選」
今年は12年に一度、参議院選挙と東京都議会議員選挙がともに行われる年です。今年の政治の展望について、官邸キャップの解説です。
去年、衆議院選挙で敗北し、30年ぶりに少数与党となった自民党ですが、石破総理は政権を「維持」できるのか、それとも「退陣」に追い込まれるのか、今年、乗り越えなければならない3つのハードルに直面することになります。
まず、最初に直面するハードルが来年度予算案を成立させられるかです。先の臨時国会では、補正予算案を成立させるため、日本維新の会や国民民主党の要望を受け入れたほか、立憲民主党の求めに応じ、28年ぶりに予算案を修正しました。
ただ、国民民主党はいわゆる年収103万円の壁の見直しをめぐり、123万円からのさらなる引き上げがなければ、今年の通常国会では来年度予算案への反対や内閣不信任案の提出も辞さない構えを見せています。
仮に野党が結束して内閣不信任案を提出すれば、少数与党では否決できず、石破総理は「内閣総辞職」か「衆議院解散」を迫られることになります。
いかに野党の協力を得て、来年度予算案を成立させられるかが政権維持の最初のハードルとなります。
そして、次のハードルが夏に行われる東京都議会議員選挙です。最大会派の都議会自民党でも政治資金収支報告書への不記載問題が明らかとなるなど、自民党への逆風が予想されます。
さらに、都知事選で2位となった石丸伸二氏が都議選に向け、地域政党を立ち上げる予定で、都議選では石丸旋風が再び起こるのではないかと警戒する声が自民党内からも聞こえます。
ある自民党関係者は「都議選で負けて参院選で勝ったケースは皆無だ」と話していて、都議選で敗北すれば、石破総理の退陣論も出かねません。
ただ、状況を一変させられるような「ポスト石破」候補がいるわけでもなく、自民党では「参院選までは石破総理で乗り切るしかない」との声が大勢です。
その意味でも、石破総理にとって最大のハードルとなるのが今年7月に控える参院選となる見通しです。
石破総理 「信頼回復が果たされたかどうかは、私どもが判断をしてはなりません。それは国民の皆様方がご判断になることであります」
もし、参院選で大敗すれば、衆参両院で少数与党となり、石破総理の政権運営はさらに厳しいものとなります。そうなれば、党内でも「石破おろし」が始まり、「ポスト石破」の動きが活発化することが予想されます。
今月24日から始まる予定の通常国会で、野党は先の臨時国会で先送りとなった企業・団体献金の禁止を初めとした「政治とカネ」の問題や「年収の壁」、さらには「選択的夫婦別姓」などを争点に自民党を追及する構えで、今年の政局は石破政権だけでなく、日本の行方を占う波乱含みの展開となりそうです。
青森市で積雪120センチ 除雪追いつかず、市に相談6000件超
冬型の気圧配置の影響で青森県内は津軽地方を中心に大雪となり、青森市では3日、120センチの積雪を記録した。昨年末からの大雪で除雪が追いつかない地域もあり、市の窓口には除雪や排雪などの要望が殺到。12月1日以降、既に昨冬の3倍近い計6000件以上の相談が寄せられている。
青森市では12月29日に積雪が1メートルを超え、その後も断続的に雪が降り続いている。道路脇に寄せた雪で道幅が狭くなっているところでは、車がすれ違うのがやっとだ。雪道にタイヤの跡がついてでこぼこになり、ハンドルを取られる車もあった。
市民は連日、朝から雪かきに追われている。70代の男性は「昨冬は雪が少なく楽だった。この冬はかつてないほど降り方のペースが速く、取り除いてもすぐにまた積もってしまう」とうんざりした様子だった。
大雪は3日のUターンラッシュを直撃した。JR奥羽線は弘前―大館(秋田県)間で、雪によって多数の倒木や設備被害が確認され、終日運転を取りやめた。青森空港では除雪した雪を置くために駐車スペースが狭くなり午前9時に満車となったため、公共交通機関の利用を呼び掛けた。【足立旬子】
闇バイトに週刊文春記者が潜入した!「死体運搬も」「500万の案件」取材班が目撃した衝撃の実態《勧誘DM&交渉記録を公開》
凶悪な緊縛強盗の温床となっている「闇バイト」。いかにして若者を“リクルート”し、非道に走らせるのか。匿名アプリで金額が提示され、身分証の提示を求められて――。潜入取材した取材班が目撃した衝撃の実態とは。
◆ ◆ ◆
週刊文春記者が“闇バイト”に応募
「今日だったら新宿で200万の運び案件ありますよ」
え、そんなのあるんですか。気になります。
「あります、あります」
“運び”っていうのはクスリとか……?
「そうっすね。たまに死体とかもありますけど」
週刊文春記者が“闇バイト”に応募したところ、電話口の男はあっけらかんとした口調でこう応えた。
さらに詳細を知るためやり取りを重ねていくと、衝撃の事実が明らかになったのである。
◇
今年8月以降、首都圏で凶悪な緊縛強盗事件が次々と発生している。
「その数は18件にも上り、逮捕者は40名を超えています。警視庁と埼玉、千葉、神奈川の各県警は合同捜査本部を江東区青海のテレコムセンター内に設置し、全容解明に向けて捜査を進めています」(社会部記者)
「反省している様子は全くない」
10月17日に千葉県市川市の強盗事件で逮捕されるなど、計3件の事件に関与した藤井柊(しゆう)容疑者(26)。取材班は、彼の陰惨極まる手口を知る人物に接触することができた。逮捕後、千葉地検による取調べの待機中に同部屋になったA氏が語る。
「あいつは反省している様子なんて全くなくて、表沙汰になっている3件の事件以外にも『何件かやった』と淡々と話していました」
A氏によれば、藤井が強盗を始めたのは10月初旬。1週間に一度、自宅のある愛知県から関東に乗り込み、無軌道な犯行を繰り返していたという。A氏が続ける。
「それぞれの報酬額は1件につき最低20万円。そこから奪った金額によって歩合が乗ると言っていた。犯行の際は指示役の男とテレビ電話を繋ぎ、指示を仰ぎながらやるんだと」
まだ表面化していない事件では、4000万円が金庫に保管されていたという。
「その金を別の人間に渡し、資金を洗浄した後、120万円を受け取ったとも豪語していました」(同前)
捜査当局には黙秘を貫きながらも、藤井はA氏に対してこんな自慢も口にした。
「キャッシュカードの暗証番号を吐かせるためには手の指を折るんだよ。それで番号を聞き出したら、もう一回同じ指を折る。それでも同じ番号を口にすれば、その番号で間違いない」
さらに、不敵な笑みを浮かべながら、過去の“武勇伝”も得意げに披露したという。
能天気に犯行を“自供”
「ある現場では、攫った女に対して、大人のオモチャを使って性的凌辱を繰り返したんだよね。それを指示役の男にテレビ電話で見せたらめちゃくちゃ喜んでいた」
自身が犯した罪の重さに向き合うことなく、ひたすら能天気に犯行を“自供”していたというのだ。
再びA氏が語る。
「いずれの現場でも指示役の男は同一人物だったようですが、『何者なのか全く分からない』と話していたのが印象的でした」
こうした指示を実行役に下す男たちとは、いったい何者なのか。さる暴力団関係者が解説する。
指示役は詐欺から強盗に“鞍替え”した面々
「指示役の連中は、かつてオレオレ詐欺やフィッシング詐欺をしていた面々です。日本で暮らしている人間もいるが、基本的には警察の目が届きにくいカンボジアやタイなどの東南アジアに拠点を構えて実行役に指示を送っているんです」
なぜ彼らは詐欺から強盗に“鞍替え”したのか。その背景には「シグナル」や「テレグラム」といった匿名性の高い通信アプリの発達がある。
「連中には、これまで培ってきた犯罪のノウハウや詐欺のために集めた名簿がある。その上でこうしたアプリの匿名性に目をつけ、自らが手を汚さず犯罪収益を得られる方法を考え出したわけです」(同前)
これが昨今続発する緊縛強盗事件に繋がっているというのだ。
暴力団関係者が続ける。
「指示役の下につくリクルーターは多種多様。闇バイトで頭角を現して抜擢される者もいれば、もともと指示役の知り合いというパターンもある。彼らは実行役をリクルートするだけでなく、指示役からの命令を聞いて現場に指示を出すこともある。ただ、指示役と直接顔を合わせることはほとんどありません」
リクルーターたちが実行役を集めるのは主にSNSだ。「即日即金」「高額報酬」「資金調達」といった文言を並べ立て、甘い言葉で“闇”の世界に引きずり込んでいくのである。
では、実際彼らはどのような手口で若者たちを闇バイトに引き入れていくのか。
〈即金8000円です!〉
取材班は、その闇の深淵を覗くため、身元を隠した上で、複数のバイト募集アカウントにDMを送信し、返信を待った。すると――。
〈シグナルのアカウントはお持ちですか?〉
〈テレグラムはやっていますか?〉
5分も経たない内にメッセージが次々と届き、匿名性の高い通信アプリでのやりとりに移行させられる。その上で今度は次のようなメッセージが届いたのだ。
〈三菱UFJ銀行の口座を新規開設できますか?〉
〈仮想通貨取引所開設案件 即金8000円です!〉
一体これはどういうことなのか。「ヤクザライフ」などの著書もあり、裏社会に詳しいライターの上野友行氏が解説する。
「銀行口座は詐欺業者が一番欲しがるもの。口座1つにつき3万円程で買い取り、詐欺で得た金の振込先として利用します。仮想通貨取引所の開設依頼も同様で、手配するのは主に“道具屋”と呼ばれる人物です」
当然、銀行口座を他人に譲渡することは犯罪だが、
「口座を作るだけなので罪悪感が薄く手を出しやすい。その上“お前、口座作ったよな”と弱みを握られてしまうことで、更なる犯罪へ手を染めていくケースがよくあります」(同前)
ベランダに生ゴミで6万円
他にはこんな案件も持ち掛けられた。
〈保証金や身分証明書などは一切必要ございません。匿名でできます〉
どんな仕事かを尋ねると、
「マンションに住むある人のポストに釣り餌のオキアミを入れて3万円。ベランダに生ゴミを5個投げ入れて6万円です。1階なのでやりやすいと思います」
これは、嫌がらせを受けた住民がマンションから退去するよう仕向ける“地上げ”に他ならない。
次に依頼があったのは、こんな案件だ。
〈都内の違法経営をしているマンションに行って現金回収をお願いします。捕まることもまずないです〉
一見すると簡単な仕事にも思えるが、実はそこに“罠”があるという。前出の上野氏が解説する。
「この案件こそ“タタキ(強盗)”の可能性が非常に高い。本来、金を回収するだけなら自分で行けばいい。それなのに他人に行かせるのは、後ろ暗いことがあるからでしょう」
さらに「違法経営をしている」と書かれていることもポイントだという。
「かつてタタキと言えば裏カジノや違法風俗店といった場所が多かった。『違法な店や人間から金を取る』のであれば罪悪感も生まれないし、被害にあった店も警察に通報できませんからね」(同前)
いとも簡単に紹介される闇バイトの数々。こうした勧誘を受けながら、小誌記者はリクルーターと電話で話すことにも成功した。それが冒頭のやり取りである。
“運び”では本人と親の身分証提示が必要
電話口の男は体育会系で培ったような歯切れのいい敬語を使い、こんな提案をしてきた。
「“運び”だったら40万と200万の新宿発の案件があるんですけど、本人の身分証と親の身分証の提示が必要なんすよね」
親の身分証は厳しい。
「なるほど。それなら報酬の半分を手付金として預けてもらうのはどうですか。まず40万の案件なら20万を払ってもらう。仕事が終わったら合計60万円を渡しますよ」
新宿発で目的地は?
「本当にやるならお伝えします。リスクあるので」
いったい何を運ばせるつもりだったのか……。さらに小誌は別のリクルーターとも接触。こちらは淀みのない澄んだ声色で、保険のセールスマンのごとく丁寧な話し方をする人物だった。
偽物のロレックスを売却するバイトも
記者が1週間以内に100万円が必要だと言うと、こう返してきた。
「それならロレックスを売却しに行くことは出来ますか? 例えば質屋の『A』だったり『B』だったり。行ってもらって私どもの人員にお金を渡してもらえば任務終了です」
それだけで100万円?
「1本あたり大体20万から30万の報酬額になるので、100万となると5本か6本回して頂きたい感じになりますね」
リスクはゼロ?
「ちょっとそこ説明してなかったんですが、ロレックス自体が偽物なんですよ。でも、買取店での鑑定は確実に通るし、これまで動いて頂いた方で、誰ひとり捕まっていませんから。なんならこれ、僕が自分で行ってもいいような案件です」
逮捕リスクありのUD案件
ここで記者が「他の案件はないのか」と尋ねると、
「あまりおすすめは出来ないんですが、いわゆるUD案件もあります。逮捕リスクありますけど」
UDとは「受け子・出し子」のこと。オレオレ詐欺など訪問型の特殊詐欺で、被害者から現金やキャッシュカードを受け取るのが「受け子」で、被害者を騙して口座に振り込ませた現金をATMから引き出す役割が「出し子」である。
いくらぐらい儲かる?
「その家からいくら取れるかにもよりますが、回収分の10パーセント。うちは基本、500万円からフォーカスしているので、ミニマム50万ですね」
さらに記者が「すぐに金になる仕事はないか」と尋ねたところ、驚愕の案件が飛び出したのだ。
「サイバー犯罪対策課の……」
「明日ならめちゃくちゃ良い案件があるんですが、めちゃくちゃ難しいですよ」
難しい? 運びとか?
「明日、警視庁に行ってもらって、サイバー犯罪対策課に入る10名の顔写真を盗撮してきて欲しいんですよ」
ハードルが高い……。
「C署かD署なんですが、何階でセレモニーやるのか分からないんですよね。だから署の中まで入ってもらって、無事撮影できたら50万円を払います」
なんと闇バイト側は、大胆不敵にも警察までターゲットに据えていたのである。
もっとも現在の警察の捜査では、指示役や首謀者の逮捕には未だ至っておらず、事件解決には程遠い状況にあるのが実情だ。何故なのか。
「『シグナル』や『テレグラム』の解析にてこずっているのに加え、警察組織特有の縦割り意識も弊害になっている。合同捜査本部には数百人規模の捜査員が詰めていますが、各県警の縄張り意識が強く、重要情報が全体で共有されていない」(捜査関係者)
複数の犯行現場であるリフォーム会社の関係車両が度々目撃
こうした“縄張り争い”が起きる中、小誌は犯人グループに繋がる新情報を入手。複数の犯行現場で、あるリフォーム会社の関係車両が度々目撃されているというのだ。
「ただ、この会社には強盗とは別件の容疑がかかっており、迂闊に手出しができない」(某県警関係者)
取材班はリフォーム会社の代表を直撃した。
御社の車両が一連の広域強盗の現場で何度も目撃されている。
「ウチは普通に建設関係の会社。首都圏エリアは営業で回るので、その付近を通ることはあると思うんですけど、当然強盗には関与していませんよ。うちも逆に被害を受けているというか。こういうご時世で、通報されることが多いのですが、警察がきちんと調べればわかると思うので」
警察も指をくわえているばかりではない。今月2日、初めて強盗事件のリクルーター役を逮捕したのだ。
「金に困ってSNSで闇バイトに応募し、人を集める仕事を始めた」
逮捕後、そう供述しているのは愛知県知多市の会社員・名倉優也容疑者(31)。名倉は先月1日、実行役3人に対し、所沢市の住宅に押し入らせて現金16万円などを奪わせた上、住人の男性に怪我をさせた疑いが持たれている。
名倉は果たして指示役とどう繋がったのか。実家を訪ねると、インターホン越しに母親がか細い声でこう答えた。
「まだ何も分からないんです。そんなことをするなんて想像がつかない……」
名倉を知る近所の住人はこう言って肩を落とす。
「優也くんは本当に優しい子だったのよ。おじいちゃんが亡くなって、1人になったおばあちゃんをよくお世話してあげていてね。車でお買い物に連れて行ってあげたりしていたの。そんな子が一体どうして……」
それまで普通に暮らしていた若者が、突然、闇へ転落する。その深淵への入り口は、日常生活のすぐそばに潜んでいる。
◆ ◆ ◆
「 週刊文春 電子版 」では、《連続緊縛強盗潜入取材》の続報を配信している(今なら99円ですべての記事を読むことができます。99円キャンペーンは2025年1月6日まで)。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年11月21日号)
昭和と同世代の商業ビル 空襲・震災耐え抜き、今なお存在感 熊本
忙しく行き交う熊本市電を見守るように、くすんだ灰色の壁の建物がたたずむ。市電と同じ1924(大正13)年に完成した熊本で初の商業ビル「早野ビル」(熊本市中央区)は、2年後の改元で始まった「昭和」と同世代だ。高さ16メートルの「背丈」で、新しい高層の建物に周囲を囲まれているが、今も確かな存在感を示している。
市電の線路に面した出入り口から見える段差の大きい石造りの階段、薄暗い廊下、花びらを散らしたような装飾窓はほとんど当初のまま。大正、昭和初期の雰囲気を伝える。
市文化財課によると、設計は県立工業学校(現・熊本工高)出身の矢上信次。東京で関東大震災(23年)に遭ったといい、その経験を踏まえた耐震性と防火性能を、屋上に塔屋を付けた鉄筋コンクリート造り4階のビルに詰め込んだ。
昭和の前半は、黎明(れいめい)期だった放送局の準備事務所や金融機関の支店が入り、「新時代のビルディング」として知られた。窓が少なく鉄製のシャッターを各所に設けた延焼防止の対策で、戦時中は空襲を耐え抜いた。
建築主、早野半平の孫俊一さん(79)は、20代までビル1階で生活。俊一さんのいとこ、森下自(より)子さん(79)=熊本県八代市=は高校時代、通学のためビルに下宿し、伯母でもある俊一さんの母親が「空襲の焼け野原で(ビルだけが)ぽつんと立っていた」と話していた様子を覚えている。
時を経て2016年の熊本地震でも大きな被害を免れ、耐久性、耐震性を示した。
18区画あるテナントは現在、大方埋まっている。3階で自らデザイン、彫金したジュエリーの店「FU(フー)」を経営する坂口涼子さん(47)は、3年前に立ち寄った際、「入り口でビルの空気に引き込まれた」といい、出店を決めた。店内は壁や天井を白く塗った以外、もとの風合いを生かしている。
俊一さんは現役の医師で今も毎朝、出勤前にビルに立ち寄る。「100年も生きていたら人間と一緒で維持管理が大変。頑張って長生きしたのだから、これからもいたわりたい」【津島史人】
日本橋の青空を取り戻せ 首都高で進む「ほぼ前例ない」地下移設計画
日本の道路の起点とされる「日本橋」(東京都中央区)。周囲には老舗の商店やオフィスビルが建ち並ぶが、橋の上を通る首都高速の高架に視界が遮られる。青空を望む風情ある景色を取り戻そうと、高速道を地下に移設する計画が動き出している。
事業区間は、首都高の神田橋ジャンクション(JCT)と江戸橋JCTの間の約1・8キロで、このうち約1・1キロを地下に移設する。両端は既存の高速道と結ばれる。地下区間の開通は2035年度、高架の撤去は40年度を目指しているが、今後の地下工事は難航が予想される。
移設予定地にある通信網や上下水道、ガス管などの設備は事前に移動させる必要がある。地下鉄3路線が近くを走行しているため、その間を縫うように掘り進めなければならない。日本橋川の水が漏れ出ないような処置も必要だ。首都高の担当者は「ほぼ前例のない工事」と語る。
東京五輪に向け「川の上に高架」
日本橋の起源は江戸初期にさかのぼる。徳川家康が江戸幕府を開いた1603年、江戸城を中心に町を整備し、日本橋川に木造の橋を架けたと伝わる。木造の橋は浮世絵に描かれ、何度か造り替えられた。現在の石造の橋は1911年に完成し、国の重要文化財に指定されている。
日本橋周辺は人や物産が集まってにぎわったが、1923年の関東大震災で川沿いの魚市場は全壊し、現在の築地へ移転した。戦後は64年の東京五輪に向けて高速道建設が急がれ、用地買収などの手間が省ける川の上を通ることになった。
地元の熱意が実を結ぶ
「当時は高速道の建設を期待しながら見ていたんだけどね。いざ完成すると、圧迫感があって橋が暗くなった」。こう振り返るのは、日本橋のたもとに本店を構える三越の元社長の中村胤夫(たねお)さん(88)だ。中村さんが三越に入社した2年後に高速道は開通した。
中村さんは現在、地元の住民や企業で組織する名橋「日本橋」保存会の会長を務める。この保存会は高速道開通の5年後に発足し、将来の高架の移設を望んできた。
2000年代には政府が地下化を検討して機運は高まったが、工事の難しさや膨大な事業費が障壁となって実現しなかった。転機は16年、政府が進める「国家戦略特区」に日本橋川沿いの地区が選ばれたことだ。
首都高全体の修繕や更新の時期と重なったことも追い風となり、周辺の街づくりと地下化の検討が具体化した。課題だった事業費は圧縮して都や中央区、周辺での再開発を担う事業者も負担することで財源のめどがついた。中村さんは「長年の地元の強い熱意が実を結んだ」と喜ぶ。
日本一の高いビル工事も進む
日本橋川に沿った地区では再開発が進み、景色が変わりつつある。21年にはオフィスビル「常盤橋タワー」が完成した。事業主の三菱地所は西隣に大規模な広場を整備し、災害時には防災拠点として活用する。
この広場の西側では28年の完成を目指し、高さ385メートルの超高層ビル「トーチタワー」(地上62階)の建設工事が進んでいる。完成すれば、ビルとしては麻布台ヒルズ(港区)の森JPタワーの約330メートルを抜いて日本一の高さになる。
三菱地所によると、トーチタワーにはオフィスやホテル、ホールに加えて住居部分も設ける。大手町や日本橋はオフィス街のイメージが強いが、同社の担当者は「東京駅から近くアクセスが良いので、ビジネス客だけでなく観光や買い物で訪れる人を増やしたい」と意気込んでいる。【長屋美乃里】
札幌・ススキノ ホストクラブの女性客の首をつかみ、引き倒した暴行の疑い 自称・ホストの27歳男を逮捕
3日未明、札幌のススキノで、自称・ホストの27歳の男が、24歳の女性客の首をつかみ、引き倒すなどした疑いで、逮捕されました。
暴行の疑いで逮捕されたのは、札幌市中央区に住む、自称・ホストの27歳の男です。
警察によりますと、男は3日午前0時半すぎに札幌市中央区南7条西4丁目の路上で、24歳の女性の首をつかみ、引き倒すなどした暴行の疑いがもたれています。
「女の人が男の人から殴る蹴るなどの暴行を受けている」と目撃した女性から警察に通報があり、警察官が駆け付け、男をその場で逮捕しました。
女性は、男が勤務するホストクラブの客で、2人で酒を飲んでいる間に口論になったということです。
取り調べに対し、男は「やったんでしょうね」と話し、容疑を認める一方、「僕はよくわかりません」と話し、容疑を一部否認しているということです。
警察は、ホストの男と女性客の口論がトラブルに発展したとみて捜査しています。
初詣に向かっていた71歳女性、車にはねられ死亡…容疑で逮捕の男「ぶつかるまで気づかなかった」
12月31日午後11時45分頃、愛知県常滑市の市道を歩いていた同市の女性(71)が、後ろから来た乗用車にはねられ、1時間10分後に搬送先の病院で死亡が確認された。
常滑署は、車を運転していた同市、自称会社員の男(43)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)容疑で現行犯逮捕した。調べに対し容疑を認め、「ぶつかるまで気づかなかった」と供述している。同署は釈放し、容疑を過失運転致死に切り替えて任意で調べている。
現場は片側1車線の直線道路。同署によると、2人とも初詣に向かう途中だったという。
急増する訪日外国人 警察の民間委託通訳、10年前の1.7倍に
全国の警察が、外国籍の容疑者や被害者らから事情を聴くために通訳を民間委託した件数は2023年度に約6万6100件に上り、10年前の1・7倍に増えたことが警察庁への取材で判明した。警察は語学に秀でた人材の採用や育成に力を入れているが、それを上回る勢いで日本で暮らす外国人らが増えており、識者は「通訳に必要な人材やコストが不足している」と指摘する。
警察庁によると、全国の都道府県警は警察内に通訳人を確保しており、24年4月時点で約4200人に上る。ただ、在留外国人の増加で需要が伸びている他、カバーしきれていない少数言語への対応もあり、民間の通訳人に委託するケースは増えている。
民間通訳の委託件数は13年度の約3万8600件から毎年増加し、20年度は約6万3000件に達した。新型コロナウイルスの流行を受けて21年度は減少に転じたが、コロナ禍が収束すると増加傾向に戻り、22年度に再び6万件を突破。23年度の約6万6100件は過去10年間で最多だった。
背景にあるのは、日本で暮らす外国人やインバウンド(訪日外国人観光客)の増加だ。政府がまとめた「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」によると、国内に長期滞在する在留外国人は約341万人(23年末時点)で、30年前の約132万人から倍以上に増えた。中でもアジア出身者の増加が目立ち、国籍も多様化。インバウンドも13年の1036万人から23年は2506万人となり、2・4倍超に伸びている。
その結果、国内で外国人が容疑者となったり、被害者や目撃者として巻き込まれたりする事件や事故も急増。日本語が堪能ではない外国人から警察官が事情を聴く場面は多岐にわたっており、通訳業務の重要性は増している。
警察も手をこまねいているわけではない。各都道府県警は警察大学校国際警察センターの語学研修に若手を派遣し、育成に力を入れる。警察庁によると、これまでに埼玉県警や愛知県警など全国約20の警察が語学に秀でた人材の専用採用枠を設け、約370人を採用した。
アジアの玄関口となる福岡空港などを管轄する福岡県警は1995年度に、語学に秀でた人材を「専門捜査官」として募集する全国初の取り組みを開始。これまで英語23人▽北京語64人▽韓国・朝鮮語23人▽フランス語、スペイン語各2人--を採用した。ただ、それでも人手不足は補えず、民間通訳人に捜査協力を求めるケースは増え続け、23年度の民間通訳委託費用は過去最高の4200万円に及んだ。県警は若手職員を7カ月から1年間、ネパールに語学研修で派遣する制度なども創設して対策に力を入れるが、需要に追いついていないのが現状だ。
通訳の質の確保も課題だ。津地裁は24年3月、誤訳を前提に起訴されたと認定し、覚醒剤取締法違反に問われたフィリピン国籍の女性に無罪を言い渡した。女性は2年以上勾留され、接見が制限された。弁護人を務めた本庄美和子弁護士は「通訳の内容に初歩的なミスがあったのに、捜査機関は十分に確認せず、女性が違法薬物を譲渡したことを前提に起訴した」と批判した。
外国にルーツを持つ人に対する警察官の対応を調査してきた大阪公立大の明戸隆浩准教授(社会学)は「日本社会は外国人労働者なしで成り立たなくなっている。外国人を受け入れる以上、警察も相応に対応できるだけの仕組みや予算を確保する必要がある」と指摘する。【佐藤緑平】
「今でも会いたい…元気な息子返して」23年前『集団登校』狙いワゴン車が列に突っ込んだ うずくまる児童の傍に散らばるランドセル 7歳息子を亡くした父親20年以上経っても変わらない悲しみ
「裕介を亡くして22年がたちますが、無性に会いたくなることが今でもあります。どこかで待っているんじゃないか…ふと、そう思う時があります」時折、目を潤ませながら丁寧に話すのは、湯浅惠介さん(60)。2002年、最愛の息子・裕介さん(当時7)を事件で亡くしました。今も、忘れることのできない悲しみや苦しみなどを語りました。湯浅さんは去年8月、京都府警の警察官ら40人を前に講演の中で「話していると、事件の日の朝に引き戻されてしまうような…」などと話しました。それでもなお、湯浅さんが事件について語り続ける“思い”とは・・・。
集団登校中の小学生の列に車突っ込む…児童ら12人が死傷
2002年1月21日午前7時40分頃、京都府綾部市の市道でワゴン車が集団登校の列に時速30~40kmで突っ込み、児童らを次々に跳ね飛ばし、11人が重軽傷を負い、当時小学校2年生だった湯浅裕介さん(7)が全身を強く打ち、死亡しました。
車を運転していた男は好意を寄せていた女性から交際を断られた腹いせに、女性の子どもがいる集団登校の列を狙い犯行に及んだということです。
男は傷害致死などの罪に問われ、2004年に京都地裁舞鶴支部は男に懲役18年を言い渡しました。男は控訴していましたが、大阪高裁から棄却され、2006年に判決が確定しました。
事件があった当日の朝、湯浅さんはいつもと変わらず登校前に裕介さんを抱き上げ、元気に出ていく様子を見送ったと話します。
(湯浅さん)「月曜日、小雨が降って本当に冷えこむ朝でした。我が家の朝は、裕介のほうが先に学校に出るので、私はいつも裕介を抱え上げて『今日も元気いっぱい行っておいで』と言って、ぎゅっとして送り出していました。その日も彼は『行ってきます!』と元気よく長靴を履くか履かんかぐらいで慌てて走って出ていきました。いつもと本当に変わらない朝でした」
裕介さんが家を出てしばらくした後、友達のお母さんが慌てて家に飛び込んできました。
「『ゆうちゃんが大変や、はよ行って!』と友達のお母さんが家に駆け込んできました。元気な子でしたから、飛び出しかなんかして、車にはねられたのか何かに当たったのかと、慌てて現場の方へいきました」
「痛い、痛い」うずくまる子どもたちと散らばるランドセル
湯浅さんが、現場に駆けつけると、道幅4~5メートルの坂道に、複数の子どもたちがワゴン車にはねられ、何人もの子どもたちが泣き叫んでいました。
(湯浅さん)「大きなバンが横側に向いているのがわかりました。そのワゴン車は12人の子の登校の列に突っ込んで止まっていました。私が現場に着いた時は、子どもが被っていた黄色い帽子とか長靴、ランドセルがあちこちに飛び散っていました。冷たい雨が降る中で、ずぶ濡れになって子どもたちが泣きながら『痛い、痛い』と道路脇でうずくまっていました」
子どもたちが苦しんでいる中、車を運転していた男はまだ車の中にいたといいます。
(湯浅さん)「目を疑いましたが、そのワゴン車には運転手が乗っていました。乗ったままタオルを頭にかけて、運転席に頭を突っ伏して身動きをしていませんでした。ドアはロックして開けないようにして、周りで大人たちから『出てこい!何してんねや!』と怒号があがっていましたが、子供を助けようとせず、ずっと突っ伏したままでした」
湯浅さんが目にしたのは、家を出るまで元気だった裕介さんの変わり果てた姿でした…。救急車で運ばれている裕介さんに何度も何度も声をかけたといいます。
(湯浅さん)「全然意識もなく、身動き一つしない。手を握っても何をしても返事をしてくれません。身体も冷たくなってきて一心不乱に妻と一緒に身体をさすって、呼びかけましたけど、一言も返事はありませんでした。病院に着いても冷たくなった手をさすりながら名前を呼び続けて。何時間も何時間もそうしましたが、とうとう裕介は一言も返事をしてくれることなく、天国へ逝ってしまいました・・・。わずか7歳です」「頭の前頭部には10センチほどのぱっくり割れた傷がありました。裕介の小さなかわいい顔や身体には、たくさんの青いあざや、傷がありました。背負っていたランドセルの肩ひもはちぎれて、黄色い傘はぐちゃぐちゃになっていました」
どうしてあの時・・・「何度も自分を責める」
湯浅さんは何度も涙をぬぐいながら、事件前に裕介さんと十分に遊ぶことができなかったことへの悔しさを語りました。
(湯浅さん)「(事件前日は)休みだったので、午前中、私とキャッチボールをして、昼は妻にホットケーキを作ってもらって、おいしい、おいしいって食べていました。昼からも『お父さんキャッチボールしよう』と言われたんですが、ちょうどそのころ資格の試験があって『試験勉強あるから遊んでられへんわ、一人で遊んでおいで』と、そういって冷たく、断りました。なんで無理してでも遊んでやらんかったんだ、なんでそれができなかったんだ、自分を責めることしかできません、いまでも遊んでやれなかったことを悔やまれます」
実は事件の少し前から、付近では不審者情報があり、保護者が登下校に付き添う対応がとられていました。しかし直接的な被害がなかったことから付き添いを中断していたといいます。
(湯浅さん)「あの時、登校の付き添いをやめなかったら、もし集合場所に遅れてもいいんやで、と言ってやっていたら、あの事件に遭わずに裕介は死ぬことはなかったんじゃないか・・・、そう思って自分を何度も何度も責めました。22年経った今でも裕介があのままの姿で、真っ赤なほっぺをして『ただいま!』と帰ってきてくれるような気がして」
この事件では児童ら12人が巻き込まれ、そのうち4人が重傷、7人が軽傷でした。しかし、亡くなったのは、裕介さん一人。お参りに来てくれた人の、何気ない一言にも傷ついてしまう…苦しい日々もありました。例えば『よう我慢しとるな、俺やったら許されへんわ、復讐しに行ってるわ』という言葉を聞くと…。
(湯浅さん)「そんなん当然そう思っています、我慢・・・しないと仕方がないじゃないですか。子どもを守れなかったとすごく自分を責めているのに、その上『俺やったらするけどお前はようせーへんのか、大切な子どもをそういうふうにされて…』そういうふうに聞こえました。『笑えるんや、よかった』この何気ない言葉ですが、心の底から笑うことはできませんし、元気なわけがありません」
2年にわたる裁判 傍聴席に座り続けるも・・・「ずっと蚊帳の外」
事件から約10か月後。児童ら12人を死傷させた傷害致死の罪に問われた男の初公判が開かれました。男は裁判の冒頭、「弁護人の退任をお願いしたい」などと興奮して申し立て、一時休廷する事態になりました。
その後も男は「わざと轢いたのではない」などと一貫して起訴内容を否認し続け、遺族や被害者家族らを愚弄するような言動や裁判所の制止も聞かずに法廷で大声を上げるなどの言動を繰り返しました。好き勝手な言動をする男を前に、湯浅さんは感情を押し殺すしかなかったといいます。
(湯浅さん)「私が事件にあったときは、本当にもう蚊帳の外だったんですね、ずっと。今は意見を法廷内で色々と言わせてもらったり、参加型みたいな形になっていると聞きますけど、被害者の親というのは第三者という見方しかその時はなかったので、傍聴席で何も言うことができません」
裁判開始から約2年間。湯浅さんは傍聴席に座り続けましたが、加害者からは罪に対する反省を一切聞くことなく、判決の日を迎えました。
京都地方裁判所舞鶴支部が下したのは、懲役18年の実刑判決。最愛の息子の命を思うと、あまりに軽すぎる判決でした。
(湯浅さん)「殺人罪で僕はやっぱり起訴してほしかったです。ただ、(事件当時乗っていたのが)車なので、車は本当に殺そうと思ってやりましたって言わないと認められない。(懲役)18年でしたかね…。短い…。裕介が亡くなったことに比べたらやっぱり短いと思うんですよ」
突然知らされた男の「獄中死」 怒りのやり場を失う
裁判の結果や加害者が刑務所でどう過ごしているか、出所時期など、被害者や遺族が検察庁から情報提供を受けられる「被害者等通知制度」。制度導入から間もない事件当時、知らされたのは“獄中で死亡”という、あまりにも突然で信じ難い事実でした。
(湯浅さん)「弁護士を通じて、どういう経緯でなぜ亡くなったのかとか、どういう生活をしていたのか、反省していたのかとかいうことを聞いてもらったんですが、一切それは(伝えられず)。死亡の事実しか伝えられません、怒りを全部犯人の方に向けていましたので、それが急になくなって、じゃあこの怒りをどこへ、という・・・すごい消化するのに気持ちの整理がつかないような状況でした。こういう風にして亡くなりましたということを教えてもらったりできたら、ちょっと明るくなるんじゃないかなと思ったりしたんですが、それも叶わずだった」
苦しむ遺族を救った”愛情” 「裕介、成人式行くで」
悲しみや憎しみ、そして怒り。月日を経るごとに込み上げてくる様々な感情に、悩み苦しんだ湯浅さん。そんな中、周囲の人の想いに救われる出来事があったといいます。その1つが、裕介さんが20歳を迎える年の「成人の日」でした。
(湯浅さん)「(みんな)仲良しで。この子が20歳になるときに『裕介、成人式行くで』って。みんな友達連れてきてくれて。そのあとの二次会にも連れていくって。(裕介の写真を)持って行ってもらって、それがその写真かな」
同い年のいとこや同級生らと成人式、その後二次会まで一緒に過ごした裕介さん。小学校卒業を迎える年には、担任の先生から裕介さんの名前が入った卒業証書をもらいました。当時も今も変わらず、裕介さんへ愛情を注いでくれる周りの人たちに、湯浅さんは助けられ、支えられたと話します。
誰もが犯罪被害者となりえる社会 20年以上経ても“願う”「会いたい、元気な裕介を返して・・・」
「物にも人にもすべてに恵まれるように、豊かに暮らせるように」そんな思いで名づけられた裕介さん。小学校の授業では「将来、大工さんになってお父さん、お母さんに家を建てる」と話していたといいます。生きていたら、30歳。
湯浅さんは、『講演すると、事件の朝に引きずり戻された気がする』といい、講演中、時に涙し、言葉を詰まらせながら必死で思いを伝えているように見えました。それでも講演するのは、亡くなった裕介さんのためにも犯罪を起こさないような社会を作っていく必要がある、という強い思いからでした。
(湯浅さん)「この事件が起こるまで私たち家族は犯罪被害に全く無縁でした、つゆほども自分の身に起こるなんて思ったことがありませんでした。社会に生きる誰もが犯罪被害者となりえる社会です。もし不幸にして皆様の周りに犯罪被害者がでるようなことがあれば、傍にそっと寄り添って、末永く心の支えとなっていただければありがたいと思います」
記者からの質問に、そう話し続けた湯浅さん。
それでもやっぱり・・・湯浅さんが今、一番願うのは。
(湯浅さん)「裕介に会いたい、元気な裕介を返して欲しい・・・」
事件から23年が経とうとしていますが、今もこの願いは変わりません。