「何様のつもりか」世界的美術家が高市首相を痛烈批判…細川元首相の“昭和100年式典”発言に反応

世界的美術家・奈良美智氏が、高市早苗首相を「大日本帝国の戦陣訓そのまま」と痛烈に批判している。
元首相・細川護熙氏のインタビュー
発端は『文春オンライン』による、五摂家筆頭・近衛家の血を引く元首相・細川護熙氏のインタビューだった。細川氏が高市首相の皇室への態度について自身の見解を明かし、それがネット上で話題に。
「細川氏が語ったのは、4月29日におこなわれた政府主催の昭和100年記念式典から見えた、高市首相の危うさでした。細川氏は式典での天皇皇后両陛下のご入場にあたり、先導役を努めたのが木原稔官房長官であったことを指摘。
式典での天皇皇后両陛下の先導役は、過去の式典の情報を伝えられたうえで総理が判断すると、過去の経験から語りました。ちなみに、明治100年記念で先導役を務めたのは、当時総理大臣を務めていた佐藤栄作氏だったといいます」(政治部記者)
皇室を重んじる細川氏の目には、高市首相の判断は不敬極まりないものとして映ったのだろう。《高市氏の皇室に対する態度は信じがたい》と、強い口調で批判している。指摘は、先導役だけに留まらない。
「さらに細川氏は、《式典で陛下がおことばを述べられる機会もなかった》と指摘。また式典中、高市首相がガッツポーズや合いの手を入れてノリノリだった様子にも言及しています。その振る舞いから細川氏は、高市首相がこの場の最高権力者は自分だと思っているのではないかと語り、それがいかに危険であるか説明していました」(前出・政治部記者)
奈良氏は、細川氏の発言を取り上げた一般ユーザーのX投稿を引用リポストし、高市首相を以下のように批判した。
《自分は今上天皇と同学年世代であり、陛下が受けたであろう平和教育の考えを共有していると思っています。で、高市は平和に関する教育を受けてはいないと確信している。ゴキブリは殺さないくせに「戦闘員には最後まで戦ってもらいます」と何様につもりで言うのか。まさに「生きて虜囚の辱を受けず」という大日本帝国の戦陣訓そのまま》
日本の政治・社会状況に対して懸念
奈良氏はこれまでも、日本の政治・社会状況に対して批判的な意見や懸念をたびたび表明。ネットでは「左翼」と評されることもあるが、これに対して奈良氏は自らを「アナーキスト(無政府主義者)」であると説明した。
権力を盲信するのではなく、国家や政府に縛られない「個人の自由や自発的な協力」を重視するパンクロック的な精神(反体制・反権力)が自身の根底にあるとしている。
奈良氏も反応した細川氏のインタビューを受けて、ネット上では
《内閣総理大臣が日本国民統合の象徴の前で、はしたない、恥ずかしい事は厳に慎むべき》
《高市氏の皇室に対する姿勢もそうだが、軽いし政治利用の道具として使えるものは何でも使うという下心が見え見え》
《政治家としての品位と節度を取り戻し、丁寧で誠実な国会運営を行ってほしい》
《明らかに、天皇より格上の存在であるかを演出していたように思われた》
といった批判的な意見が。
今後も高市首相の動向には、厳しい視線が注がれるだろう。
週刊女性PRIME

「2・9・6・0」 娘が残した最後のメッセージ 命がけで守った口座には“母娘の夢” 死刑求め続けた母 19年目の告白【名古屋 闇サイト殺人事件 前編】

「2・9・6・0」 娘が残した最後のメッセージ
2007年8月24日に起きた「名古屋闇サイト殺人事件」。
最愛の1人娘・利恵さんを突然奪われた母・磯谷富美子さんは、事件後 加害者への死刑を求めて署名活動を続けました。
求め続けてきた死刑が執行されても、そこにあったのは嬉しさではなかったといいます。
事件から19年。娘を奪われた悲しみ、死刑を求め続けた理由、そして死刑執行を知った時に感じたこと。 全国で広がりを見せる「闇バイト」事件に思うこと。磯谷さんが今、率直な思いを語ります。
この記事は前編です。中編と後編は以下のリンクから読むことができます。
聞き手:大石邦彦(CBCテレビ論説室長)
【中編】「全員を死刑にしたかった」 仕事に行った娘は帰らぬ人に 母親が感じた“司法の壁”
【後編】3人の男に突然奪われた娘の命 「私がやってあげられることはこれくらいしか…」
娘が生きていたら50歳 「今ごろ孫でもいるのかな…」
大石:名古屋で起きた闇サイト殺人事件。事件の被害者 磯谷利恵さんの母・磯谷富美子さん(75)にお越しいただきました。あの事件から19年です。今どんなお気持ちですか。
磯谷さん:長かったような短かったような…
大石:今生きていたら50歳ですね。
磯谷さん:もういつもそれを考えるんです。今生きてたらどうなっていただろうとか、今頃孫でもいるのかなとか、もう結婚しているだろうし、というのはやっぱり考えますね。だからね、全部そういう楽しみが奪われてしまったんで…何とも言えないですね。事件のことはできるだけ消そうとしていますけど、これは生きている限りは消えないと思います。
「2・9・6・0」娘が残したメッセージ
2007年8月24日。仕事から帰る途中だった磯谷利恵さん(当時31歳)が自宅近くの路上で3人の男に車で連れ去られ、現金6万円余りを奪われたうえ殺害されました。
男たちは利恵さんを殺害する前に包丁で執拗に脅して、キャッシュカードの4桁の暗証番号を明かすよう迫りました。
利恵さんは必死に抵抗しましたが、最終的には「2・9・6・0」と男たちに伝えました。
これは、ウソの番号でした。
磯谷さん:語呂合わせをよくやっていましたので、語呂合わせからいくと「ニクムワ(憎むわ)」ともとれるなという感じですね。何かに自分の気持ちをメッセージとして託したのかなって。
「かたきは取ってやる」
大石:殺害されるかもしれないっていうその恐怖の中で、最後、抵抗したということなんですかね。
磯谷さん:そうですね。本当の番号じゃない番号を選択した時に、それがバレたら殺されるかもしれないという恐怖があったと思うんですけど、その時の娘の気持ちを考えるともう本当にたまらなくなりますね。
大石:「2・9・6・0(ニクムワ)」のメッセージをお母さんは、どう受け取ったんですか。
磯谷さん:これはあの子が絶対に許さないという気持ちのあらわれだと思って。あの子の気持ちを受け取って、「かたきは取ってやる」という感じでしたね。
口座には約800万円が… 娘の交際相手から聞いた“使い道”
利恵さんが命をかけて守った口座には、約800万円が入っていました。幼い頃に父親を亡くし、1人で育ててくれた母・富美子さんに、マイホームをプレゼントするための資金でした。
磯谷さん:その使い道は知らなかったんです。だから、最初の事件後に聞かれた時に、自分の将来のための蓄えじゃないですかとか、老後の生活のためって、私は言っていたんですけども。それも娘のお付き合いしてた方から、実は、私には夢があるって言ったから聞いたら『お母さんに家を建ててあげたい』って言ったらしいんです。だから、そのときに初めて娘の気持ちを知りました。
2人でよくチラシがあると、「ここ私の部屋」とか。住宅のチラシはすごく好んで2人で遊びながらやっていましたし。そういう面では、2人とも家に興味がありましたので。
娘がいる時に、売り出しがあったマンションを2人で見に行って申し込んだんです。まだ娘が存命している時。でも、抽選は補欠の補欠にも入らないくらい。
今は“娘が買ってくれたマンション”に 存在を感じることも
大石:お住まいはどうされました?
磯谷さん:今は娘の蓄えを娘の希望通りに使ってあげるのが一番いいかなと思って、一応マンションなんですけど、買って引っ越しました。
大石:ある意味、娘さんからのプレゼントになるわけですけれども、住み心地はどうですか。
磯谷さん:娘が一回も足を踏み入れていないのがすごく残念だけど、これは娘が私に託した娘のものだから、私が管理するんだという気持ちで住んでおります。
大石:家に住んでいて、娘さんを感じる時はありますか。
磯谷さん:もうしょっちゅう感じるというか、影が動いたように見えて。特に事件早々の頃っていうのはよくありましたね。何か足音がなったのか、何か気配を感じて、パッと見ると何もないっていうことがよくありました。
娘との会話は今も…「でも1人で言って、1人で『そうだね』って」
大石:娘さんとどんなお話をします?
磯谷さん:娘が生きていた時と同じように「ただいま」とか「おかえり」とか「暑いね」とか「利恵ちゃん何食べる?」とか、本当に変わらない会話ですね。
大石:今は2人暮らしってことですね。
磯谷さん:そうですね。だけど本当に残念なことに、返事は私がやるしかない。1人で言って、1人で「そうだね」とか言いながら。
〈名古屋の闇サイト殺人事件〉※この記事は前編です。
【前編】「2・9・6・0」 娘が残した最後のメッセージ 命がけで守った口座には… 母親への“プレゼント”が
【中編】「全員を死刑にしたかった」 仕事に行った娘は帰らぬ人に 母親が感じた“司法の壁”
【後編】3人の男に突然奪われた娘の命 「私がやってあげられることはこれくらいしか…」
YouTube「NextTV ネクストテレビ」2026年08月24日配信より

「全員を死刑にしたかった」 仕事に行った娘は帰らぬ人に 母親が感じた“司法の壁” 19年目の告白【名古屋 闇サイト殺人事件 中編】

「全員を死刑にしたかった」 仕事に行った娘は帰らぬ人に
2007年8月24日に起きた「名古屋闇サイト殺人事件」。
最愛の1人娘・利恵さんを突然奪われた母・磯谷富美子さんは、事件後 加害者への死刑を求めて署名活動を続けました。
求め続けてきた死刑が執行されても、そこにあったのは嬉しさではなかったといいます。
事件から19年。娘を奪われた悲しみ、死刑を求め続けた理由、そして死刑執行を知った時に感じたこと。全国で広がりを見せる「闇バイト」事件に思うこと。磯谷さんが今、率直な思いを語ります。
聞き手:大石邦彦(CBCテレビ論説室長)
この記事は中編です。前編と後編は以下のリンクから読むことができます。
【前編】「2・9・6・0」 娘が残した最後のメッセージ 命がけで守った口座には… 母親への“プレゼント”が
【後編】3人の男に突然奪われた娘の命 「私がやってあげられることはこれくらいしか…」
2007年8月24日、仕事から帰る途中だった磯谷利恵さん(当時31歳)は、自宅近くの路上で3人の男に車で連れ去られ、現金6万円余りを奪われたうえ殺害されました。
「全員を死刑にしたかった」立ちはだかる司法の壁
事件後、男3人全員の死刑を求めて署名活動を始めた富美子さん。利恵さんの5年目の命日まで活動を続け、33万人余りの署名を集めました。
大石:署名活動をするにあたって、いろんな壁も感じたと思います。それはどんな壁なんですか。司法の壁なのか、世論なのか。
磯谷さん:一番大きかったのはやっぱり「司法の壁」ですね。だから私は被害者1人でも凶悪な事件になると死刑判決が出るよと残してあげたかったんです。そしたらその判決とともに、娘が生きてるのを感じることができるかなって思ったんですけど、やっぱりとっても難しくって。今の司法制度自体に疑問はすごくあります。
大石:当時、永山基準というのがあって、殺害された人が2人の場合に死刑というような、厳格な基準ではないんですがそういった基準があって、その中で被害者が1人なので、これは死刑に値しないのではないかというような流れは司法にありましたよね。
磯谷さん:そうですね。それを破りたかったんですよね、本当は。全員を死刑にしたかったんで。
「娘の命が奪われている」判決に憤り
この事件で3人の男たちに下された最終的な判決は、神田は死刑、川岸・堀は無期懲役でした。 しかし堀は判決の確定から約1か月後、別の事件でも夫婦を殺害して金を奪っていたことが発覚し、逮捕されました。その後、死刑判決が確定しました。
大石:判決の部分で納得がいかなかったのは、どのあたりですか。
磯谷さん:一審のときに死刑を受けた堀が二審で無期になった時に、「犯罪傾向性は進んでない」とか犯罪心理鑑定人も裁判官も同じようなことを言って、更生の可能性の方を選択したんですよね。
どうして彼らの命は守ろうとする判決になるのかというのが、もう全く理解できなくて。無期が確定してからひと月もしない時に別の事件が発覚して、それで死刑だったんですけども、やっぱり娘の事件で最初に死刑にしたかったっていうのはあります。
磯谷さん:川岸が人を募ってるのに、川岸が自首したっていうことで「それが減刑されるの?」って。「命が奪われてるのよ」ってすごく言いたくて、加害者目線の判決が出るということにとっても憤りを感じましたね。
闇サイト事件から8年後の2015年、神田の死刑が執行されました。
死刑執行を知った時… 「嬉しいという気持ちは全然なくて」
大石:死刑が執行されました。犯罪被害者としては、どんなお気持ちなんですか。
磯谷さん:死刑執行された時に、何かほっとするというか、微妙な感じでした。今まで生きていた人がいなくなったんだって、複雑な心境ですね、本当のこと言うと。その人がもうなくなっちゃったっていうことが、何か変な。嬉しいという気持ちは全然なくて、普通の人間ですから、何か変な感情はありましたけど、これでもう神田のことは考えなくて、一つ一つ事件のことを消していきたいと思っていたので、考えなくて済むなと思うと本当にほっとしたところもありました。
大石:今までは憎くて憎くてしょうがなくて、そして死刑を求めてきたわけですよね。そこでようやく何か恨みを晴らすことができたっていう心境にはならない?
磯谷さん:ならなかったですね。なんかね、不思議な…ある新聞で「苦虫を噛み潰したような後味の悪さを感じた」というようなご遺族の方の言葉が載っていたけど、あぁよく似ている感じかなって。なんか好きじゃないですね、やっぱり。人の命がなくなるっていうことは、普通の人間だったらやっぱりこのような感情になるんだろうなとは思いました。
「利恵の命を奪った直後だったら何とも思わなかった」
大石:自分の尊い大好きな娘の命を奪った人間だとしても、その人の命が奪われてしまうことへの…何て言うんですかね、複雑な心境ということなんですかね。
磯谷さん:でも、もしそれが利恵の命を奪った直後だったら何とも思わないでしょうね。やっぱりある程度時間が経って、一応死刑判決が出たということで一安心して、そういう面もあるのかもしれません。ささっと執行されたらそういう感情が湧いたかどうかはわかりません。
大石:つまり、ある程度時が経ってご自身の中で、ある意味消化できた部分があったということですか?
磯谷さん:多分そうじゃないかなと思います。だからと言って許せるという感情ではないですけどね。なんかやっぱり事件当初のあのカーッとした感情ではなくて、少し落ち着いた状態での死刑執行だったので、それも突然それが執行されたので、なんか複雑な感じですよね。
「死刑の方がマシだと思うくらいの刑務所生活を」
大石:3人のうち2人が死刑になりました。まだやはり足りないという部分はありますか、ご自身の中で。
磯谷さん:そうですね。堀は執行されてないんで、早く執行して欲しいですし、川岸は多分世の中にはもう戻ってこれないと思いますので、ずっと刑務所の中で本当は死刑の方がマシだと思うくらいの刑務所生活であってほしいっていうのが私の本音ですけども。
とにかく被告3人のことは全部忘れてしまいたい、考えたくもないというのが本音です。
〈名古屋の闇サイト殺人事件〉※この記事は中編です。
【前編】「2・9・6・0」 娘が残した最後のメッセージ 命がけで守った口座には… 母親への“プレゼント”が
【中編】「全員を死刑にしたかった」 仕事に行った娘は帰らぬ人に 母親が感じた“司法の壁”
【後編】3人の男に突然奪われた娘の命 「私がやってあげられることはこれくらいしか…」
YouTube「NextTV ネクストテレビ」2026年08月24日配信より

備前市の国道で大型トラックが信号待ちの乗用車に追突 乗用車に乗っていた親子が死傷 岡山

9月3日午後2時ごろ、岡山県備前市伊部の国道で信号待ちをしていた乗用車に大型トラックが追突しました。

乗用車は弾みで信号柱に衝突し、運転していた岡山市の会社役員の女性(57)と一緒に乗っていた渡邊黎子さん(78)が救急搬送されました。警察によると、当初2人は意識があり会話ができていたということですが、搬送後に渡邊さんの容態が急変し、午後4時半ごろ死亡しました。死因は胸などを強く打ったことによる両側血胸でした。会社役員の女性(57)は重傷です。
重傷の女性と渡邊さんは親子で、警察は、大型トラックを運転していた男性(36)が前をよく見ていなかったとみて詳しく調べています。

福原ソープ殺人事件の一部始終…無理心中男は会計事務所のパート兼「夜職」向け不動産屋の33歳

一方的な恋愛感情が満たされず、無理心中を図った男は、「夜職」(ナイトワーク)向けの不動産業を営むかたわら、パート勤務をして高級ソープに通い詰めていた。
今年6月、神戸市兵庫区「福原」のソープランドで従業員の女性(当時33)が刃物で刺され、殺害された事件。兵庫県警兵庫署は1日、殺人の疑いで大阪市生野区の不動産業、壺坂諒容疑者(同33)を被疑者死亡のまま書類送検した。
事件が起きたのは6月28日。午後10時ごろ、利用時間を過ぎても2人が部屋から出てこず、内線をかけても応答がなかったため、男性従業員が「プレイルーム」の鍵を開けて室内を確認すると、2人は血を流して倒れていた。女性はソファに横たわった状態で首と胸に刃物で刺された傷が複数あり、壺坂容疑者はベッドの上であお向けになり、左胸には牛刀が刺さっていた。2人とも服を着ていた。
■計6時間トリプル枠予約
現場は福原のメイン通りの桜筋と柳筋の間にあり、界隈でも有数の高級店と知られ、「120分コース」が6万2000円だった。
壺坂容疑者は事件当日の午後0時30分から同2時30分までの1枠と、午後5時10分から同9時10分まで2枠分となる計6時間の予約を入れ、数日前から神戸市内のホテルに宿泊。事件当日、店に行く直前に市内で刃渡り18センチの牛刀を購入した。壺坂容疑者はソファにいた女性をメッタ刺しにした後、ベッドの上で自身の胸に牛刀を突き刺し、自ら命を絶ったとみられる。
壺坂容疑者は3年前から店を利用し始め、自宅のある大阪から神戸まで足しげく通っていた。
2年ほど前から殺害した女性を指名するようになり。1回の利用で十数万円を使うことも珍しくなかった。
壺坂容疑者はもともと不動産会社で営業の仕事をしていて、その後、独立。今年5月に「夜職専門」の不動産会社を立ち上げたばかりだった。収入が不安定で賃貸物件を借りることが難しいホステスやキャバ嬢らを顧客にしていた。
「商売はあまりうまくいっていなかったみたいで、1週間に3回、会計事務所で終日、パートとして働いていた。不動産よりパートが主な仕事だった。独身で事務所を兼ねた自宅マンションの家賃は月8万円ほど。それでも殺害した女性に入れ揚げ、高価なブランド品のプレゼントを贈ったり、彼女を喜ばすため、『トリプル』で予約することもあった」(捜査事情通)
身勝手な“ガチ恋”客に道連れにされた女性が不憫でならない。

名門の開成「鉄道研究部」名義Xで謝罪文「サンライズ瀬戸・出雲でのマナー違反」東大進学者数1位

東大進学者数1位の名門私立校、開成中学・高校(東京)を運営する開成学園の「鉄道研究部」名義のXアカウントが3日、更新され、「【お詫び】本校鉄道研究部におけるサンライズ瀬戸・出雲でのマナー違反について」と題した文面が公開された。
文面では「8月30日夜、東京行きの『サンライズ』車内において、本校鉄道研究部の合宿参加者が、他の乗客の皆様にご迷惑をおかけすることがありました」と、出雲市・高松と東京を結ぶJRの寝台特急の名をあげて説明。「不快な思いをされた乗客の皆様、ならびにJR関係者の皆様に、深くお詫びします」と謝罪した。
続けて「合宿参加者への聞き取りを行った結果、個室での大声、通路を塞ぐ行為、ラウンジの占拠やゲーム等の迷惑行為があったこと、また乗務員や乗客の皆様からご注意を受けていた事実を確認しました」と記載。「大人数での団体行動として配慮を欠き、顧問・執行部として指導が行き届いていなかったこと、とても反省しています」とした。
その上で「現在、さらに詳細な聞き取り調査を進めています。二度とこのような事態を起こさないよう再発防止策と指導方針を策定するまで、鉄道研究部の旅行等の活動は停止します」と報告。「皆様からのご意見を重く受け止め、指導の徹底に努めていきます」として、最後は、部の顧問・執行部の名義がつづられた。
開成学園は日刊スポーツの取材に「現在は聞き取り調査中」であることは認めた上で、当該アカウントの発信について「これ以上はお答えできません」とコメントした。
当該アカウントでは、8月30日の投稿で、「合宿の全行程を終え岡山駅に到着した部員一同は、先ほど寝台特急サンライズ号に乗車しました。これから東京へ帰ります!」と報告していた。
同部の公式サイトによると、1959年に鉄道研究会として創設。部員は約60人で、模型製作や年2回の合宿などの活動を行っている。

熊本地震後、宿泊キャンセル7万件 被害10億円超に 長崎

7月の熊本地震後、長崎県内の旅館やホテルなど宿泊施設のキャンセルが約7万件に上ったと県が明らかにした。県旅館ホテル生活衛生同業組合などに聞き取り、県が推計した。被害額は10億円を超えるとみている。揺れの強かった島原半島の観光地でキャンセルが目立つという。
「小浜温泉」として知られる雲仙市小浜町。老舗の「伊勢屋旅館」は、地震による被害はなく、通常通り営業を続けたが、8月に約350件(約1800万円)の予約がキャンセルされた。女将(おかみ)の草野春奈さんは「夏休みシーズンにもかかわらず、8月上旬は静かだった」と吐露する。
小浜温泉の別の旅館では、8月に約70件(約400万円)の予約がキャンセルに。担当者は「ここまで大きなキャンセルが発生したことはなかった」。熊本地震の発生直後から小浜温泉の被害や余震の影響を問い合わせる電話が相次ぎ、「小浜温泉では大きな被害はない」と伝えているという。
県の推計は8月7日時点。県は国に対し、風評被害や観光需要を促す対策を要望していた。平田研知事は8月31日の定例記者会見で「県内の観光の早期回復につながるよう速やかに取り組みを始め、正確な情報を広く発信し、観光客に安心して訪れていただけるよう努める」と述べた。
国は10月から九州7県を対象に、旅行や宿泊料金を割り引く「九州ふっこう応援割」を実施する。長崎県の割引率は5割で、1人当たりの割り引く上限額は1泊2万円、同一県内に2泊以上なら3万円、2県以上で宿泊する場合は3万5000円。
伊勢屋旅館では、熊本県在住の人を対象に日帰り入浴を無料にしている。当初は8月末までとしていたが、9月23日まで延長する。草野さんは「余震は落ち着き、8月下旬から客足が少しずつ戻ってきている。お客様には『応援割』などを使って観光してもらいたい」と話した。【百田梨花】

「文春砲」食らった小野田紀美大臣はやっぱり“政界お騒がせ学年”だった! 同学年に石丸伸二氏、小川晶市長、塩入清香氏

小野田紀美・経済安保相(43)に公職選挙法違反の疑いがあると、「文春オンライン」が9月1日に報じた。同誌が伝えているのは、参院議員である小野田大臣が、自身の選挙区である岡山県内に、同法が定める1候補者あたり1事務所を超える2軒目の選挙事務所を開設していたとするもの。小野田大臣は同誌に対して疑惑を否定したというが、「“法則”が発動してしまったのかもしれませんね」と苦笑しながら指摘するのは全国紙記者だ。
「小野田大臣が“所属”する“政界お騒がせ学年”ですよ。本人が生まれた1982年度生まれの政治家はクセのある人物が多いというジンクスで、他に代表例とされているのは参院議員の塩入清香氏(44)と元安芸高田市長の石丸伸二氏(44)、さらに、前橋市の小川晶市長(43)。小野田大臣については昨年10月の高市内閣入閣の際に、『もしや?』との思いが一部有権者の間に広がったようですが、その悪い予感が的中した形ですね」
これら、4人の生年月日を公式プロフィルや参議院の公式サイトで調べてみると、小野田大臣の生年月日は82年12月7日。「さや」の名前で2024年の参院選挙に参政党から立候補して当選した塩入氏は82年7月7日。石丸氏は82年08月12日。小川氏にいたっては82年12月21日と、小野田大臣と同年同月生まれとなっている。
確かに、塩入氏は25年の参院選の最後の訴えで「私を皆さんのお母さんにしてください」との謎発言で一躍注目を浴びたほか、石丸氏は東京都知事選で2位を獲得して話題になるも、「石丸構文」で化けの皮がはがれたのは記憶に新しい。そして、小川氏は前橋市役所の既婚男性職員と“ラブホテル密会”を繰り返していたことが大きな話題になった。
「小野田大臣の今回の件はまだ疑惑ですが、世間を騒がせてしまった以上、『お騒がせ』なのは確定しています。もちろん、疑惑そのものの推移が気になるのは言うまでもありませんが」(前出の全国紙記者)
さしずめ、1学年に“問題児”が4人いるという状況か。
◇ ◇ ◇
究極のハレンチ行為をものともせず、小川晶氏は前橋市長に再選された。関連記事【もっと読む】小川晶市長の“ラブホ密会”はなぜ許されたのか? 《前橋の有権者の感覚疑うわ》との批判も…では、本人の「許されぶり」について伝えている。

〈埼玉栄高・車横転死亡〉「息子が身を乗り出していたとは思えない」犠牲者の遺族が学校や運転生徒を提訴…事故1か月前にも同じ車で横転、無断乗車も常態化

私立埼玉栄高校(さいたま市西区)のグラウンドで2024年、生徒が深夜に軽乗用車を運転して横転させ、同乗していた別の男子生徒(当時17歳)が死亡した事故で、遺族が学校を運営する学校法人佐藤栄(さとえ)学園や理事長、運転していた生徒らに損害賠償を求める訴訟を起こした。
【画像】事故直前に車内で撮られた動画、無免許なのにフードを被り運転する生徒

亡くなった生徒は「車から身を乗り出していた」と報じられ、ネット上には非難する書き込みが相次いだ。だが、遺族側は、事故直前の車内映像から「Aさんは助手席に着席しており、窓から身を乗り出してはいなかった」と主張。事故直後に捜査関係者への取材をもとに報じられ、学校の調査委員会の報告書にも同乗生徒の供述として記された「窓から顔を出していた」という事故当時の状況に疑問を呈し、「真実が知りたい」と訴えている。
事故1か月前にも横転…2年間続いた無断乗車を学校は把握せず
事故は2024年11月16日夜、校舎から約2.2キロ離れたグラウンドで起きた。助手席の高校2年生の陸上部員Aさん(17)(当時、以下同)が頭部を負傷し死亡した。
運転していたのは、空手部2年生の生徒Bさん(16)で、後部座席には野球部2年の生徒Cさん(17)と同部1年の生徒Dさん(16)が同乗。車はのり面(盛土などで人工的につくられた斜面)に激突し、助手席を下にして横転した。
「車は、サッカー部がグラウンド整備用に6万6000円で買ったもので、ナンバーもなく公道を走れません。学校が設置した調査委員会の報告書では、無施錠の車の中に鍵が置かれ誰でも動かせる状態でした。
事故の約2年前から野球部部員が車をグラウンドで乗り回し始め、ほかの生徒にも拡大したと報告書は指摘しています」(地元記者)
報告書では、2022年11月ごろから事故前までに、夜間などの無断運転は21回あり、AさんやBさん、Cさんを含め、のべ73人が乗っていた。
このうちCさんは報告書で「2024年度前半に男子野球部内で無断乗車行為を主導した」と指摘される人物だ。当日はCさんが呼びかけ、同じ寮で暮らすAさん、Bさん、Dさんが誘いに乗った。
午後9時5分に寮の点呼が終わった後、午後11時ごろに集合して抜け出した4人は自転車でグラウンドへ向かい、最初にCさんが運転し、Bさんに代わったところで事故が起きた。
サッカー部の指導者や寮の舎監を含む教員は、約2年間常態化していた無断乗車を事故が起きるまで「把握していなかった」と調査委に供述。
地元紙、埼玉新聞によれば、佐藤栄学園幹部は事故直後、「鍵の管理に落ち度があったのが事故の最大の原因」と言いながら、「事故車両はサッカー部所有で、管理を一任していた」として、車の管理はサッカー部がしていたと説明している。
埼玉県警はBさんを昨年11月に自動車運転処罰法違反(過失致死傷)疑いで書類送検したほか、今年3月には男子サッカー部監督の男性教諭(43)とコーチの男性教諭(38)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検している。
事故直前の車内映像を公開…遺族側が「窓から身を乗り出していた」に疑問
その一方、1日に提訴した両親の代理人である牧野裕貴弁護士は2日、記者会見で「コーチ(と監督)だけを処罰して直る問題ではない。組織自体を変えないといけない問題」だと指摘した。
牧野弁護士は、佐藤栄学園の理事長や校長、教頭、サッカー部幹部に加え、「無断外出が横行していた」とする寮の管理責任も問うため、寮の舎監やAさんの生活指導を担った陸上部顧問も被告にしたと説明。
その上で、「リスク・アプローチ、すなわちリスクを洗い出して管理体制を設計して、それをもとに点検や監査をするという通常の組織なら当然やっているであろう仕組みが、埼玉栄高校には全く存在していなかった」と批判した。
同時に牧野弁護士はBさんとCさんの行為についても厳しく批判した。実は調査委報告書によれば、事故前の2024年10月末にもAさん、Bさん、Cさんを含む4人が問題の車に乗っている時にも同じような横転事故が起きていた。
学校は車体の破損には気づいたものの、生徒たちの無断乗車には気づかなかったとしている。牧野弁護士によると、10月末の横転事故の際も運転していたのはBさんだったという。
「実際に横転させて危険性を身をもって知ったはずだが、今回も同じように横転をさせた。(問題の事故でBさんは)衝突のちょっと前に、横を見て余裕をかますみたいな行動を取った上で、あえてのり面にハンドルを右に切って当てに行ったみたいな、わざとやったとしか思えない行為をしている」(牧野弁護士)
さらに牧野弁護士は、事故直後、県警や捜査関係者への取材をもとに、Aさんが「窓から身を乗り出していた」と報じられたことにも大きな疑問があると話した。
会見では、後部座席から撮影された事故の瞬間の動画が公開された。そこでは、事故直前に助手席のAさんの右肩が、運転席との間の空間に出ているように見える場面がある。
「動画を見ても被害生徒は着席している状態で、とてもじゃないけど椅子(助手席)から出て(窓から)身を乗り出た状態ではない」と牧野弁護士。
後部座席のDさんは調査委に、走行中のAさんについて「助手席の窓から顔を出していた」と説明しているものの、蛇行運転が行われた際の自身の状況については「怖くて顔を上げられない状態だった」と供述したとされる。報告書からは、この二つが同じ時点の状況を指すかは明らかではない。
「『怖いから』が『もういく』に…」遺族が抱く県警への疑問
また動画では、Aさんが「怖いから」と言っているように聞こえる部分があるが、牧野弁護士によると、埼玉県警が動画内の言葉を書き起こした資料では、この部分が「もういく」と記されているという。
「『もういく』と表現したら(Aさんが)乗り気になっていると見られてしまう。なぜ警察がこういう反訳をしたのかを含め、今回あえて被害生徒が悪かったんじゃないかみたいな印象操作をしていると思われても仕方ない」と牧野弁護士は不信感を口にする。
「窓から身を乗り出していた」との情報は、Aさんを非難するネットの書き込みを生み、遺族を苦しめた。「見ないようにしていた」という50代の母親は、「息子は怖がりだから、身を乗り出すってありえないなと思っています。車に乗ったのは、あの子が寮の同じ部屋の運転していた子(Bさん)に対してすごく我慢していたと思える節があり、合わせるしかなかったんじゃないかと思います」と涙ながらに語った。
また50代の父親は、「学校は何の説明もないが、学校と寮、車の管理体制(の問題に)なぜもっと早く気づいてくれなかったのか。その真実を知りたい」と語った。
学園側は事故後の2024年11月の記者会見で遺族に対して謝罪の言葉を述べている。一方、両親によると、事故後に学校の責任者が遺族のもとを訪れて直接謝罪したことはないという。
今年3月、在校生の保護者有志が安全対策などの説明を求める要望書を学園側に提出しようとしたが、その場では受け取られなかった。
提訴後、集英社オンラインが同校に受け止めについて尋ねると、「訴状が届いておらず、内容がわかりません」と回答した。
遺族側と学校側などの主張をめぐっては、今後、裁判の中で双方から証拠が提出され、事故当時の状況や学校側の管理責任などが争われることになる。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

車を放置し逃げたあと現場に戻る…対向車線にはみ出して車と衝突し2人にケガさせ逃走か 48歳塗装業の男を逮捕

三重県松阪市の県道で3日午後、対向車線にはみ出して事故を起こし、男女2人にケガをさせてそのまま逃げたとして、男が逮捕されました。 警察によりますと、塗装業の千葉厚弥容疑者(48)は3日午後1時10分ごろ、松阪市内五曲町の県道で軽ワゴン車で対向車線にはみ出し、停車中の乗用車に衝突するなどして男女2人にケガをさせてそのまま逃げた疑いが持たれています。 女性(63)は顔に、男性(39)は腰にそれぞれ軽いケガをしました。 千葉容疑者は現場に車を放置して逃げていましたが、その後現場に戻ってきていて、「事故を起こしたことは間違いないが、ひき逃げと言われることは納得できない」と容疑を一部否認しているということです。