中国人観光客が7月末、大阪市西成区で襲われた強盗傷害事件を巡り、在日本中国大使館が自国民の保護などを日本の外務省に申し立てる事態となっている。同大使館は中国人への襲撃事件が「多発している」とし、訪日客に注意を呼び掛ける声明も公表した。ただ、逮捕された容疑者が中国人を標的にしたとの供述などはみられず、同様の事件が国内で相次ぐような情報もない。捜査関係者は「見当違いでは」と戸惑いを見せる。
事件は7月30日午後10時40分ごろ、大阪市西成区萩之茶屋の路上で発生。観光で訪れた中国人の男子大学生(19)が背後から首を絞められ、現金約5千円が入った財布などを奪われ、右ひじを負傷した。大阪府警西成署は今月1日、近くに住む無職の男(32)を強盗傷害の疑いで逮捕。「何も言うことはない」と供述したという。
事件を受け、中国大使館は1日、ホームページで訪日客らに対し「最近、中国人に対する襲撃事件が多発している」とし、警戒の強化とともに「標的を絞った差別や紛争が起きた場合は物理的な衝突を避け、証拠を保全する」よう求める声明を公表。日本の外務省に対しても、中国人の安全確保を申し入れたとしている。
一連の問題は、中国国営新華社通信も報じる事態となっている。果たして日本国内で最近、中国人観光客が狙われる事件が相次いでいるのか。
事件が起きた現場付近は、簡易宿泊所などが並ぶ「ドヤ街」があり、けんかが絶えないなど負のイメージを持たれるエリア。だが近年は中国人を含む訪日外国人客の増加を受け、高級旅館などを手がける「星野リゾート」がホテルを開業するなどし、イメージは変わりつつある。
今回の事件について、捜査関係者は「現金欲しさに不特定多数を狙い、被害者がたまたま中国人観光客だったと判断している。中国人を標的にした類いのものではない」と指摘。界隈(かいわい)では在日中国人らが強盗事件の被害者になるケースもあるとしつつ、「訪日中国人客を標的にしたという事件は他に聞いたこともない」と断言した。
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「申し訳ない」 “いないもの”と避けた亡き父へ 転機は慰霊訪問
「父のイメージは全くないんです」
「私を抱っこしている写真はあるんですけど。全く知らない人っていうか」
太平洋戦争末期の1945年、硫黄島(東京都小笠原村)で戦死した佐々木巍さん(享年31)の長女寛子さん(京都府宇治市、3日に81歳で死去)は毎日新聞の取材にそう話していた。
寛子さんが生まれた11日後の44年6月20日に出征した巍さんは、青山学院大神学部卒で日本キリスト教団の牧師だった。母愛さん(2010年に99歳で逝去)らに送った17通の「硫黄島からの手紙」では、妻子をはじめ家族や同僚らへのこまやかな気遣いを綴(つづ)るなど、温厚で誠実な人柄がうかがえる。
だが、寛子さんに直接の記憶はなかった。生後数カ月の時、横浜市から愛さんの実家があった愛媛県に疎開し、母子2人で暮らした。横浜時代から幼稚園教諭の資格があった愛さんは愛媛でも働き、保母を養成する専門学校の教員も務めて寛子さんを養った。「父がいない寂しさを感じさせないようにと思ったのか、母は私に父の話をあまりしなかった」と寛子さんは振り返った。
友達にも同様の境遇の人が少なくなかった。「お父さんが戦地から帰ってきても、その兄弟と母親が結婚していて、おじさんを父として育ったとかいう人は結構多かった」「そういう人の話を聞いても、私は母親を独占していたいというか、父が帰ってきたら嫌だと、どこかで思っていた。父を『いなかったもの』として生きてきた気がします」
寛子さんは松山市の高校を卒業後、同志社大神学部に進んだ。大学院に進学したが、学生運動の影響で中退し、結婚して出産。夫の留学を機に保母になった。子ども一人一人を尊重する新たな保育のやり方と出合って、当時の画一的な保育手法を変える経験をし、全国の保育園に伝える活動を引退後も続けた。
子育てと仕事を両立した寛子さん。1980年代に愛さんも松山から京都に呼び寄せ、一緒に暮らした。だが、家族で巍さんのことを話すことも、愛さんが大切に保管していた「硫黄島からの手紙」を読むこともほとんどなかった。戦死した父は「思い出すのもつらい存在」のまま、距離感は変わらなかった。
転機は2023年3月。3人の子に勧められ、寛子さんも一緒に硫黄島を慰霊訪問した。「死を直前にしても家族や同僚を思いやっていた父の手紙を子どもたちが読み、『すごい人だったと思う』と言ってくれた。ああ、そうなんだと、私も初めて父に申し訳なかったと思うようになった」「お父さんって呼んでみたかったし、甘えてみたかったという気持ちになりました」
自分だけではないと寛子さんは話していた。「私の世代は多くがそういう目に遭ったというか、幸せな幼児期を送った人は少ないと思う」
戦争で奪われた父の存在を身近に感じるまで、80年近い年月を要していた。
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7月27日にニュースサイトで報じた佐々木巍さんの「硫黄島からの手紙」は、孫の女性が先祖の生涯を調べる中で整理され、戦後80年の節目の記事につながった。両親や祖父母の歩み、その歴史に向き合った家族の姿を紹介する。
元関脇・琴富士の小林孝也さん死去 60歳 91年名古屋で平成初の平幕優勝果たす
大相撲の元関脇で、1991年名古屋場所で平成初の平幕優勝を果たした元琴富士の小林孝也さんが8日に死去したことが関係者の話で分かった。60歳。数年前から脳梗塞を患い、最近は闘病生活を送っていた。葬儀・告別式は近親者で執り行ったという。
千葉市出身。佐渡ケ嶽部屋に入門し、80年春場所で初土俵を踏んだ。得意は1メートル90超の長身を生かしたスケールの大きな取り口。左四つからの投げや突っ張りなどで活躍した。88年秋場所で新入幕。90年名古屋場所では新関脇に昇進した。東前頭13枚目で迎えた1991年名古屋場所。初日から13連勝と快進撃を続け、14日目に貴花田に敗れたものの14勝1敗で初優勝を果たした。
幕内は37場所務め、95年秋場所限りで引退。年寄「粂川」を襲名して佐渡ケ嶽部屋付きとなったが、99年7月に日本相撲協会を退職した。
その後は飲食店経営、タレント活動などで活躍。最近は自身のYouTube「琴富士チャンネル」を解説し、闘病生活などを紹介していた。
当時20代30代の自衛官「我ら危険を顧みず、事に臨んだ」生存者救出期した日航墜落事故
昭和60年の日航123便墜落事故の発生から12日で40年となる。生存者捜索に当たった自衛隊OBらでつくる「JAL123便事故究明の会」が7月28日に開いた院内シンポジウム。事故を巡っては、相模湾(神奈川県沖)で試運転中の海上自衛隊護衛艦「まつゆき」が誤射したという言説が流布される中、まつゆきは当時東京湾で係留中だったと証言され、「陰謀説」の根幹が崩れつつある。520人が犠牲になった事故に対し、当時20、30代の自衛官らは危険を顧みず、任務遂行に務めた実態が改めて浮かび上がった。
「職業、間違えたな」
「凄惨(せいさん)かつ大量のご遺体に接触した。シートベルトで、上半身と下半身が別々になっている遺体が非常に多い。下半身だけの真っ赤なペディキュアの足の爪が見えたが、上半身がない。モミジのような子供の手がビニール袋に入って…。つらかった」
岡部俊哉元陸上幕僚長は時折顔をゆがめ、遺体収容時を振り返った。当時26歳。陸上自衛隊第1空挺団の小隊長として、事故翌日から3日間、生存者の救助、ヘリポート造成などの指揮に当たった。
損壊した遺体に比べ、ディズニーランドのお土産とみられる人形などは傷も汚れもない状態で地面に転がっていた。
岡部氏は「職業、間違えたな。自衛官、務まらないな。戦場は、こういう様相だろうな」と心境を振り返ったが、不思議と凄惨な現場に慣れていったともいう。
現場上空にはマスコミなど数多くのヘリコプターが飛んでいた。陸自のヘリポートは岩場に設営しており、岡部氏は「当たるとクラッシュする状況の中、見事、プロとしてやってくれた」と無事故で活動を終えた陸自ヘリの操縦士をねぎらった。
雷雲の下にオレンジの炎
陰謀説を巡っては、墜落する直前の123便をF4戦闘機が追尾し、搭載したバルカン砲で123便のエンジンを撃った可能性が言及されている。
実際、航空自衛隊が123便の墜落位置を確認するため、F4戦闘機2機を派遣したのは墜落直後だ。F4は複座型の2人乗り。それぞれ後席に乗り込んだ元空自操縦士の渡辺修三、南尚志両氏も登壇し、「バルカン砲は撃っていない」と否定した。
当時、日は没し、雷雲の中を飛行したというが、現場は確認できない。尾根と接触する危険もある中、徐々に降下していくとオレンジ色の明かりを確認。暗闇の中、辺り一面、炎が上がっていた。現場の位置を測定し、2機は帰投した。
南氏が乗った機体には異変が生じていた。窓ガラスに雷雲が近づくと生じやすい「セントエルモの火」と呼ばれる放電現象が発生。南氏は「ガラスが放電で白く飛んでいる。前席は非常に気持ちが悪い、と。『南さん、操縦してくれ』と。私が操縦して帰った」と振り返った。空自機の墜落事故の原因に多い、機体の姿勢を錯覚し「空間識失調」に陥りかねない状況だった。
獣道なき山中を切り開く
事故直後、事故派遣隊員だった小川清史元西部方面総監は陸路で墜落現場に向かった。獣道もない山中、40度ほどの急斜面を手で草を持ちながらよじ登るなどして、現場までの経路を開拓した。岩場ではケガした者も複数いたという。
陰謀説では自衛隊員が隠密行動し、墜落現場に先回りし証拠隠滅のため火炎放射器で機体の残骸などを焼き払ったとする。
小川氏は「火炎放射器を持てと言われたら(到着は)翌日になると思う。そういう命令をもらっても『なぜ現場に必要なのか。バカ言うな』とはねつけたと思う」と語った。
自衛隊犯人、耐えられない仕打ち
事故現場への登山道には現在、犠牲者の名前とともに「自衛隊が意図的に殺害した乗客・犠牲者」と記された「慰霊碑」が設置されている。関係者によれば、遺族によって令和5年8月に建立されたものだという。
岡部氏は昨年、事故現場に入った報道カメラマンと現地を訪れ、慰霊碑を前に2人で立ち尽くしたという。
岡部氏は「これがいわゆる陰謀説の浸透している姿だ。慰霊の思いで登っている人に対し、自衛隊が犯人だよ、と刷り込む。遺族が出したと思うが…自衛隊で活動した人間として耐えられない仕打ちだ」と語った。(奥原慎平)
「悲しい事故二度と…」 母親が娘の母校で訴え 高3給食死亡事故
2016年に別府市の大分県立南石垣支援学校で給食を喉に詰まらせて死亡した高等部3年の林郁香さん(当時17歳)の母香織さん(55)が同校で講演し、教職員や保護者約100人に向けて娘を失った悲しみや再発防止を訴えた。
郁香さんは16年9月15日、校内のランチルームで給食を喉に詰まらせて意識を失い、17日後に死亡した。重度の知的障害があり、給食時は教師が見守ることになっていたが、担当教師はその場を離れていた。
香織さんは、この事故を多くの人に知ってもらい、再発防止につなげるため、18年から県内外で20回以上の講演を重ねてきた。1日の講演では郁香さんの生い立ちや思い出、事故当時の詳しい状況について説明した。
事故は来月で発生から9年となる。香織さんは声を震わせながら「郁香を思い出さない日は一日もありません。もう二度と悲しい事故が起こらないよう、誰もが最期まで自分らしく幸せに生きられるような社会になることを願っています」と訴えた。
県教育委員会によると、同校は26年4月に別府市野田の旧県立別府羽室台高校に移転し、「県立別府やまなみ支援学校」と改称する予定。香織さんは「ここに来ることは本当につらいが、ここに来れば、郁香がいたことを思い出せる場所だった。(移転しても)安心安全な学校になることを願っています」と語った。
県立南石垣支援学校の堂脇真理子校長は「学校として守るべき命を守りきれなかったことに責任の重さを痛感している。再発防止に向けた取り組みを決して怠らず、みんなに信頼される学校を目指していく」と話した。【山口泰輝】
住宅倒壊現場で1人発見=不明の30代長女か、心肺停止―鹿児島県警
大雨の影響で土砂崩れが起きた鹿児島県姶良市蒲生町で10日午前7時前、住宅の倒壊現場から成人女性1人が心肺停止状態で発見された。家族によると行方不明だった30代長女とみられ、県警姶良署が確認を急いでいる。
同署や消防によると、蒲生町白男では8日、住宅の裏山が崩れて1棟が全壊。暮らしていた4人家族のうち、母親と次女が病院に搬送され、長女と連絡が取れなくなっていた。父親は無事だった。 [時事通信社]
線状降水帯発生で冠水相次ぐ 11日朝にかけて再び発生のおそれ 交通機関に大きな乱れは無し 福岡県
9日深夜から10日未明にかけて福岡県で線状降水帯が発生し道路の冠水などの被害が相次ぎました。
11日朝にかけて再び線状降水帯が発生するおそれがあり、警戒が必要です。
9日深夜から10日未明にかけて、福岡地方と北九州地方で線状降水帯が発生し、新宮町と福津市付近で1時間に100ミリを超える猛烈な雨が降りました。
松村かれん記者「宗像市のJR赤間駅近くの道路です。田んぼの水が増水した影響でしょうか、道路が冠水し車が傾いて水に浸かってしまっています」
9日未明から降った雨の量は、福岡市西区や宗像市で200ミリを超え、建物の浸水などの被害が相次ぎました。
浸水した会社の従業員「(会社に)来たら全部床が水浸しになっていて」「私が入社して初めてですこういうの」
11日正午までの24時間に降る雨の量は、いずれも多いところで福岡県で250ミリ、佐賀県で200ミリと予想されています。
福岡や佐賀などでは11日朝にかけて線状降水帯が発生するおそれがあり、土砂災害などに厳重な警戒が必要です。
【交通への影響】大きな乱れ無し
JR日田彦山線の田川後藤寺と添田の間で、運休が出ましたが、九州新幹線と山陽新幹線、福岡市地下鉄は通常通りの運行、西鉄の天神大牟田線や路線バスなども通常運行となっています。
また福岡空港を発着する便にも影響は出ていないということです。
釜本邦茂さん 肺炎で死去 81歳 68年メキシコ五輪得点王 日本史上最高のストライカー Jリーグ発表
1968年メキシコ五輪銅メダリストで、日本サッカー界を代表するストライカーとして活躍した釜本邦茂さんが10日に大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。同日にJリーグが発表した。京都府出身。2023年9月ごろから誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。昨年の秋に手術を受け、一時、回復したものの療養を続け、6月中旬に容体が悪化した。
Jリーグは「日本サッカー協会の元副会長の釜本邦茂氏はかねてから病気療養中でしたが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去されました」と訃報を伝えた。
そして「釜本氏は、元日本代表(1964~1977年)としてプレーされ、メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝きました。2005年、日本サッカー殿堂に掲額。81歳でした」と故人の功績を伝え、「ここに謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします」としのんだ。
なお、通夜、告別式は近親者のみで執り行う意向で、お別れの会の実施については後日案内するとしている。
京都生まれの釜本さんはスポーツ万能で、小学校では野球もサッカーもやっていた。蜂ケ丘中入学時にプロ野球選手を夢見て野球部に入るつもりだったが、サッカー部の顧問から「野球は日本と米国だけだが、サッカーは五輪もあるし、世界中に行ける」と言われたことでサッカー部に入部。すぐに頭角を現し、「点取りガマ」のニックネームをもらった。山城高時代から大型ストライカーとして注目され、1年でユース代表にも選ばれたが、経済的な事情で辞退。2、3年の時はアジアユースに出場し、活躍した。
早大に進学し、1年の時に日本代表入り。東京五輪の日本代表に選ばれ、ベスト8入りに貢献した。ただ、ゴールはこぼれ球を押し込んでの1得点のみでみじめな思いをひきずったという。「たとえ試合に勝っても自分が無得点だったら不満だし、負けてもゴールを挙げていれば満足。独善的といわれようが、ゴールという唯一の目的を果たすには、こうするしかなかった」。東京五輪での屈辱が、ストライカーとしての強烈な自負を芽生えさせた。
現役時代のハイライトは7得点で得点王にも輝いた1968年メキシコ五輪。1次リーグ初戦のナイジェリア戦でいきなりのハットトリックを決めた。そのうち2点は杉山隆一とのホットラインにより生まれたもの。毎日100本近くセンタリングを受けてシュート練習をしていたという、名コンビは世界の脅威となった。開催国メキシコとの3位決定戦で2得点をマークし、日本に初のメダルをもたらした。「3番目のポールに揚がった日の丸がまぶしく見えた」。普段はトロフィーなどは友人らにあげていたが、メキシコ五輪銅メダルだけは金庫で大事に保管したという。
五輪をきっかけに世界からも高く評価されたが、W杯とは縁がなかった。1970年メキシコ大会のアジア予選では、ウイルス性肝炎で出場すらできず。1974年西ドイツ大会、1978年アルゼンチン大会の予選はいずれもケガに泣いた。
W杯出場という悲願を達成できないまま、1977年に日本代表から引退。1978年からはヤンマーの選手兼監督として日本リーグ202得点という不滅の記録を樹立して、1984年に現役を引退した。
引退後は、テレビ番組のキャスターや参議院議員など、多岐にわたって活躍。日本サッカー協会副会長などの要職を歴任、最近はサッカー解説や講演活動などを行っていた。
◇釜本 邦茂(かまもと・くにしげ)1944年(昭19)4月15日、京都市右京区生まれ。京都・山城高1年でユース代表に選ばれるなど頭角を現し、早大1年時に日本代表入り。20歳で出場した1964年東京五輪では1得点をマーク。1968年メキシコ五輪では3位決定戦でメキシコ相手に2得点を奪うなどし、7得点で得点王。銅メダル獲得に貢献した。1978年からは所属するヤンマーの選手兼監督となり、1984年2月に現役引退。日本リーグ通算202得点。日本代表76試合で75得点。引退後はテレビ番組のキャスターや、G大阪の監督にも就任。1995年から参議院議員を1期務めた。
福岡県と山口県に線状降水帯が発生 命に危険が及ぶ災害発生の危険度が急激に高まる 10日午後1時半
10日午後1時37分、福岡管区気象台は顕著な大雨に関する九州北部地方(山口県を含む)気象情報を発表しました。
山口県、福岡県では、線状降水帯による非常に激しい雨が同じ場所で降り続いています。命に危険が及ぶ土砂災害や洪水による災害発生の危険度が急激に高まっています。
顕著な大雨に関する気象情報は、大雨による災害発生の危険度が急激に高まっている中で、線状の降水帯により非常に激しい雨が同じ場所で実際に降り続いている状況を「線状降水帯」というキーワードを使って解説する情報です。この情報は警戒レベル相当情報を補足する情報です。警戒レベル4相当以上の状況で発表されます。
崖や川の近くなど危険な場所にいる方(土砂災害警戒区域や浸水想定区域など、災害が想定される区域にいる方)は、地元市町村から発令されている避難情報に従い、直ちに適切な避難行動をとってください。
周りの状況を確認し、避難場所への避難がかえって危険な場合は、少しでも崖や沢から離れた建物や、少しでも浸水しにくい高い場所に移動するなど、身の安全を確保してください。
市町村から避難情報が発令されていなくても、今後、急激に状況が悪化する恐れもあります。気象庁のホームページのキキクル(危険度分布)や水位情報等の情報を確認し、少しでも危険を感じた場合には、自ら安全な場所へ移動する判断をしてください。
特殊詐欺で1100万円被害 孫を名乗る者が「会社の人を妊娠させた」とうそ レターパックで送金させる
8月上旬、長泉町に住む80代の女性宅に、孫を名乗る者から電話があり、「会社の人を妊娠させてしまった。」「レターパックを送ったから、その中に500万入れて」などと依頼されました。
女性は、郵送されてきたレターパックに、依頼に従い、現金500万円を入れてポストに投函しました。
すると、9日に再度孫を名乗る者から電話があり、裁判所に500万円、弁護士費用100万円、「あわせて600万円送ってほしい」と依頼され、郵送されてきたレターパックに現金600万円を入れて郵送。あわせて、1100万円をだまし取られたものです。
警察では、トラブルを装って現金を送らせたり、レターパックや宅配便で現金を送るよう指示するものは、すべて詐欺です、と注意を呼び掛けています。