史上最大クラスの竜巻、静岡県で1466棟に被害・1人死亡…被災者「生活再建の費用が足りない」

台風15号に伴う「観測史上最大クラス」(気象庁)の竜巻に襲われた静岡県では9日までに、全半壊と一部損壊を含め計1466棟の住宅被害が確認された。住民らは復旧作業に追われる一方、避難生活の長期化や生活再建への不安を募らせている。
「寝食できる場所が見つからないことには避難所生活を続けるしかない」。同県牧之原市の南條秀雄さん(64)はそうこぼす。
5日の竜巻で2階建ての自宅は屋根の大部分が飛んで天井がはがれ、窓ガラスは全て割れた。倉庫も吹き飛ばされた。市内の避難所に身を寄せ、夜には薄いマットレスの上で横になるが、今後の生活を考えると眠れないという。
自宅の修復を業者に頼んだが、見積もりはこれから。JBN・全国工務店協会の関連団体によると、被害のあった牧之原市や吉田町に加え、近隣市の工務店にも修理依頼が殺到しているという。
県のまとめによると、竜巻や突風による住宅被害は全半壊が163棟、一部損壊が1303棟に上った。被害の大きかった牧之原市細江地区は茶畑が点在する住宅街で、多くの家の屋根が飛ばされたり電柱が住宅に倒れたりした。同市では8世帯20人が避難所に避難している。
気象庁は今回の竜巻について、6段階(5~0)で強さを示す「日本版改良藤田スケール」で上から3番目の「JEF3」にあたると判定。自宅2階の部屋にいたという同市の会社員山田智之さん(40)は、「窓ガラスが突然割れ、風で飛ばされてきたがれきや瓦が部屋中に飛び散った。本棚もなぎ倒された」と当時の恐怖を語った。
自宅が被害にあった住民にとって、生活再建は大きな課題だ。
2階建て住宅の屋根が吹き飛ばされた同市の会社員松下和馬さん(47)は千数百万円の住宅ローンがまだ残っているといい、「これからも同じ場所で生活を送りたいが、損壊度合いの判定によっては保険や補償が少なくなる。生活再建の費用が足りない」と不安を打ち明けた。
県は住宅の応急修理と借り上げの仮設住宅の確保などを急ぐ考えだ。

静岡県吉田町は9日、台風15号の影響で5日に発生した竜巻により、町内の商業施設駐車場で車が横転し、乗っていた男性1人が死亡したと発表した。町によると、亡くなったのは同県藤枝市の50歳代男性。男性は病院に搬送されたが、5日夜に死亡が確認された。
県のまとめ(9日午後2時現在)によると、死者は1人、重傷者8人、軽傷者75人となった。
過去にも甚大な被害、夏から秋に発生しやすく

竜巻被害は過去にも全国各地で確認されている。2006年11月には北海道佐呂間町で死者9人、負傷者31人を、12年5月には茨城県常総市で死者1人、負傷者37人をそれぞれ出すなど甚大な被害につながった。静岡県牧之原市では21年5月と22年9月にも竜巻など突風の被害があった。
竜巻は台風や寒冷前線、低気圧に伴う発達した積乱雲が原因で、夏から秋にかけて発生件数が多い。元気象庁予報官の饒村(にょうむら)曜さんは「海からの暖気が流れやすい太平洋に面した平野部で発生しやすい」と語る。
発生の確率が高まった際、気象庁は「竜巻注意情報」を地域ごとに発表する。対策として〈1〉屋外では頑丈な建物の物陰に入って身を小さくする〈2〉屋内では窓やカーテンを閉め、窓から離れて机やテーブルの下で頭を守る――などの行動をとるよう呼びかけている。
ただ、防衛大の小林文明教授(気象学)は静岡県で起きた今回の竜巻の強さについて「頑丈な鉄筋の家でも壊されるレベル」と指摘。逃げ場がない場合、浴槽の中で毛布などをかぶってくるまることが被害を減らすために有効だという。小林教授は「生死にかかわる竜巻に直面する恐れがあるということを、誰もが肝に銘じておく必要がある」と警鐘を鳴らしている。

何度も被災する「多重災害」への支援 熊本大雨で求める声上がる

熊本県などを襲った8月の記録的大雨について、国は復旧事業の国庫補助率が上がる「激甚災害」に指定する方針だ。被災地のなかには、2016年の熊本地震や20年の九州豪雨で被災した地域もあり、被災して復興の最中に再び災害に遭う「多重災害」への支援拡充を求める声も上がる。
激甚災害には、ある災害で被害が基準を超えた際に地域を問わず支援が受けられる「激甚災害(本激)」と、市町村を限定して指定する「局地激甚災害(局激)」の2種類ある。
激甚災害制度が1962年に始まった際は本激しかなかったが、基準に達せずに本激から漏れるケースが出たため、68年に局激が導入された。今回の大雨では公共土木施設の被害や農業被害などが本激の基準を上回る見通しで、中小企業が被災した熊本県玉東町は局激への指定が見込まれる。
ただ、異常気象などで同じ場所が何度も被災するケースが増えるなか、支援の枠組みは不十分との声は根強い。熊本県の木村敬知事は「財政負担が蓄積し、財政基盤が脆弱(ぜいじゃく)な自治体にとっては危機的な状況に陥りかねない」と国に新たな制度構築を求める。
関西大の山崎栄一教授(災害法制)は「激甚災害制度は当該災害の被害額が基準になっているが、近年は同じ地域が繰り返し災害に見舞われている現状がある」と指摘。「災害が続けば自治体のレジリエンス(回復力)が落ちる。過去にどのような災害があったかも国庫補助制度の基準に含める時期が来ているのではないか」と語った。【中里顕】

小泉農相「説得したわけではなく首相の気持ちに向き合った」、退陣表明前夜の面会振り返る

小泉農相は9日の記者会見で、石破首相(自民党総裁)が退陣表明する前日の6日夜、菅義偉・元首相とともに首相公邸で首相と面会した場面について、「説得したわけではなく、首相の気持ちに向き合った約2時間だった」と振り返った。
続投を明言していた首相に対し、「まるで考えを変えさせる圧力をかけるみたいな報道もあるが、政界の大先輩である首相にそんな姿勢で向き合うわけはない」と強調。「党が割れてはならず、一致結束の環境を作らなければならない。それができるのは総裁以外ないとの思いで向き合い続けた」と述べた。
首相側近には、党内の退陣要求に衆院解散で対抗すべきだとの主戦論も根強かったが、「様々な声を届けることも支える側の務めだ」と語った。次期総裁に関しては、「組織の中の傷を癒やす、包摂する努力は間違いなく必要」と指摘した。

障害者施設で38歳女性が全身やけどで死亡…50度前後で入浴か、母「どれほどつらい思いを」

宮城県石巻市門脇の障害者施設「ひたかみ園」で2022年12月、入浴介助を受けていた入所者の阿部加奈さん(当時38歳)が全身にやけどを負い、死亡する事故があったことが分かった。施設がまとめた事故報告書では、湯温が50度前後だった可能性があったとした。遺族は関係職員を業務上過失致死容疑で刑事告訴しており、同市内の母親(76)は7日に取材に応じ、「真実を明らかにしたい」と無念さをにじませた。
加奈さんは生まれつき心身に重い障害があり、言葉などによる意思表示ができず、普段は車椅子で生活していた。介護をする母親が病気で入院するため、22年11月30日から、同施設に短期入所をしていた。
事故報告書によると、浴室の蛇口は熱湯と水が別々だった。同年12月30日午前9時10分から湯張りを行い、職員2人が素手で湯温を複数回確認、温度計が40度を示していたことも目視したという。

同10時3分、リフト付きの浴槽に加奈さんを入れたが5分後に風呂から上げると、右太ももの皮膚が剥がれたような痕を見つけ、症状が胸部や腹部などに進行。やけどと判断し、同26分に119番した。
加奈さんは、市内の病院からドクターヘリで仙台市内の病院に搬送され、3日後の1月2日、全身熱傷による呼吸不全で亡くなった。やけどは全身の60%に及んでいたという。報告書では事故原因について、湯をかき混ぜなかったことや、温度測定が統一されていなかったことなどを挙げている。
遺族などによると、事故直後、駆け付けた親族に、施設側は「40度のお湯に5分入れた」と説明し、43度を示した温度計の画像を見せたという。だが、その後の施設の検証で、湯温は50度前後だった可能性があることが判明。見せた画像も加奈さんを病院に搬送した後の午前10時42分に撮影したものだった。
遺族は昨年2月、石巻署に刑事告訴した。母親は「お湯の温度の説明など到底納得できるものではなく、不信感が募っている」と主張。「加奈はいつも笑顔で穏やかな性格だった。言葉も発することができず、どれほどつらい思いをしたのだろう。悔しくてならない」と訴える。
この事故を巡って、施設は23年1月に県の特別監査を受け、事故報告書や改善報告書を提出。マニュアルを見直して湯のかき混ぜや温度確認に関して追記することや施設改修を行うとしている。
同施設の斎藤康隆園長は、取材に対し「事故の責任は施設にあり、組織としての体制の不備が大きな原因と考えている。一人の命を奪ってしまったことは、ご遺族に深く謝罪するしかない」とした上で、「警察の調べが行われており、誠意をもって事実をそのままに伝えたい」としている。

後任候補・小泉進次郎農相は“最終兵器”としての可能性「解党的出直しを求めるなら彼なのかな」…有馬晴海氏

石破茂首相(68)=自民党総裁=は7日、首相官邸で記者会見し、退陣する意向を表明した。
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政治評論家の有馬晴海氏は、石破氏の後任となる総理総裁候補について、高市早苗・前経済安全保障担当相(64)を本命に挙げた。「石破氏で大型選挙に連敗した自民党は、参政党や国民民主党に流れた右派の票を取り戻したい。普通に考えたら、前回の総裁選で石破氏と小差だった高市氏に一日の長がある」とした。
ただし、同じ保守層に支持を持つ小林鷹之氏(50)が総裁選に出馬すれば、票を食い合う可能性も指摘。「派閥があった時代なら前回惜しかった人はだいたい次は勝てたが、それもなくなった。そもそも派閥に入っていなかった高市氏は後押しがない」とした。思想信条の近い旧安倍派の勢力が減退したことも不安材料に挙げた。
さらに、女性であることを押し出さない高市氏には「女性初の総理を、というような声がほとんどない」とも指摘。「本当はもっと盛り上がってもいいんだけど…」と決して大本命とはいえない現状があるとした。
対抗馬に挙げるのは、林芳正官房長官(64)。要職を歴任してきた実績を評価し「政権運営が難しい少数与党の状態では、高市氏よりも野党との調整ができる林氏の方がうまくいく気がする」との見方を示した。
備蓄米の放出で注目された小泉進次郎農相については、まだ安定感が足りず「大穴」とした上で「若さや人気の面で再評価する声が党内にある。解党的出直しを求めるなら彼なのかな」と“最終兵器”としての可能性を見いだした。

【スクープ】“石破首相の側近”宮路拓馬・外務副大臣が3年間で「地球24周分のガソリン代」を政治資金から支出 事務所は「政治活動にかかる経費」と主張

就任以来半年あまりで欧州やアフリカ、アジア、北米など8か国を訪問した自民党の宮路拓馬・外務副大臣。鹿児島1区選出の2世議員で森山裕・幹事長の腹心として知られる。「外交が苦手」といわれる石破首相を森山氏とともに支えてきた“石破側近”だが、外務副大臣として海外を忙しく飛びまわる前、毎年政治資金で莫大なガソリン代を支払っていた──。
宮路氏は外務副大臣に就任する前、わずか3年間で政治資金から900万円近いガソリン代を支出していた。走行距離を推計すると実に3年間で地球24周分にのぼる。
宮地氏が住む二世帯住宅の駐車場には「燃費が良い車種」
政治家の高額ガソリン代と言えば、かつて山尾志桜里・元代議士が1年で“地球5周分”のガソリン代を使っていたことが問題化したが、この時の金額は230万円。
それに対して宮路氏が代表を務める政党支部(自民党鹿児島県第一選挙区支部)の政治資金収支報告書によると、2021年に約310万円、2022年は約301万円、2023年が約273万円と3年間でガソリン代を合計約884万円も支払っていた。
地元の政界関係者はその金額を聞いて驚いた。
「鹿児島1区は狭いから小型車ならガソリン代は知れている。選挙カーを回らせていれば燃費は良くないが、宮路さんが通年で選挙カーを走らせているなんて見たことも聞いたこともない」
宮路氏の選挙区は鹿児島市とその周辺で、同県の総面積のざっと20分の1。県内4選挙区のなかで最も小さい。最も広い森山氏の鹿児島4区の7分の1しかない。
どんな政治活動をすればそれほど高額のガソリン代がかかるのか。
記者が現地・鹿児島を取材すると事務所の駐車場には車がなく、宮路氏が父の和明・元代議士と住む鹿児島市内の二世帯住宅の駐車場には、「ミヤジ」と読める同じナンバーの車が3台駐車されていた。トヨタ2台、スズキ1台で、いずれも燃費の良い車種だ。
「そのうち2台は政治団体『みやじ拓馬後援会』の所有で、もう1台は母親の所有と聞いています」(別の政界関係者)
近隣住民の話も聞いた。
「3台の車はそれぞれ拓馬さん、父親の和明さん、母親が使っていますが、拓馬さんはほとんど東京にいて見かけないし、和明さんもあまり外出しないようで、後援会活動に熱心なのは母親くらいです。駐車場には大体1台か2台は駐まっていて、3台とも出払っていることはあまりない」
高額ガソリン代と矛盾する証言が出てくるのだ。

孤独死男性宅で見つかった現金や免許証、保管の警察署内で紛失…盗難の可能性含め調査

宮崎県警は5日、男性の死体調査の際に見つかった現金11万6000円、財布、携帯電話、運転免許証、鍵を都城署で保管中に紛失したと発表した。
発表によると、男性は8月14日、都城市内の自宅で見つかり、死亡が確認された。一人暮らしだった。現金などは男性宅で見つかり、同署で貴重品として保管。同25日午後5時頃、同署の刑事1課執務室で課長が貴重品の現物確認をした際に紛失がわかった。
県警は署員や外部による盗難の可能性も含め、聞き取りの対象者を増やすなどし、調査を続ける。男性の遺族には謝罪したという。
県警刑事企画課の柳田憲一課長は「ご遺族に大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ない。紛失した現金などの発見に努めるとともに、貴重品の管理を徹底するよう指導する」とコメントした。

夜空に赤黒く、皆既月食 3年ぶり、地球の影に

月が地球の影にすっぽり隠れて暗くなる「皆既月食」が8日未明、日本各地で観測された。およそ3年ぶり。午前1時半ごろに一部が欠ける部分食が始まった後、2時半~4時ごろには皆既食となり、赤黒く染まった満月が夜空に浮かんだ。
皆既月食は太陽と地球、月が一直線に並ぶ条件がそろった満月の日に起こる。地球の大気を通り抜けたわずかな赤い光が、影に入った月を照らすため赤黒くなる。月食は南の空から西に沈む間に起こり、西日本ではより高い位置で観測できた。
国立天文台によると、次に日本で観測できるのは来年3月3日。

「父親に暴力を振るわれた」同居する高校生の娘の髪をつかむなどの暴行 会社役員の43歳の男逮捕 娘自ら通報 札幌市豊平区

7日、札幌市豊平区で、同居する18歳の娘の髪をつかむなどの暴行を加えたとして、43歳の男が逮捕されました。
男は「大切な娘に暴力を振るったことを後悔しています」などと容疑を認めています。
暴行の疑いで逮捕されたのは、札幌市豊平区に住む会社役員の43歳の男です。
男は7日午後7時40分ごろ、自宅で同居する高校生の18歳の娘の髪をつかむなどの暴行を加えた疑いが持たれています。
娘が自ら「父親に暴力を振るわれた」と110番通報し、駆けつけた警察官が男をその場で逮捕しました。
娘にけがはありませんでした。
警察によりますと、会社役員の43歳の男は、娘の態度に腹を立てて暴行したということで、「大切な娘に暴力を振るったことを後悔しています」と容疑を認めています。
警察が詳しい状況を調べています。

「本当は前川君を見ていなかった」福井中3殺害で再審無罪、男性はなぜうその証言をしたのか 事件から39年の告白と、元裁判官が感じた疑問、後悔、そして失望

「本当は前川君を見ていなかったのに、見たと言った」。裁判で有罪につながる証言をした男性はこう語り、審理に携わった元裁判官は事件を「砂上の楼閣」と評した。1986年に福井市で女子中学生が殺害された事件で逮捕された前川彰司さん(60)は、有力な物証がない中「事件後、服に血を付けた前川さんを見た」などという男性らの証言で有罪となり、服役した。この春、やり直しの裁判(再審)が開かれ、事件から39年を経て、8月1日にようやく無罪が確定した。ただ、再審無罪となっても福井県警や検察は謝罪や検証をする意向を示さないまま。証言をした男性や元裁判官の話から、事件をひもといた。(共同通信=中野湧大、片山歩)
※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽「あのときは俺といた」警察で聞いた驚きのストーリー

事件は1986年3月19日の夜、福井市の市営団地の一室で起きた。この部屋に住み、中学校の卒業式を終えたばかりだった15歳の女子生徒が、顔や首を多数刺されるなどして殺害された。福井県警はむごたらしい現場の様子から、薬物中毒者や非行少年グループの関与を疑った。しかし、有力な物証はなく、捜査は難航した。
約7カ月後、事態は大きく動き出す。覚醒剤事件で捕まり、留置場にいた暴力団組員(当時)が「犯人は前川じゃないか。服に血を付けた前川を見た」と打ち明けたのだ。組員は、前川さんの中学の先輩で、シンナー遊び仲間だった。そして、事件前後に前川さんと関わったという複数の男女の名前を挙げた。 事情を聴きたいと言われたものの、何のことか分からないまま警察署に赴き、捜査員に聞かれる通り事件当日のことを話したA氏。「3月19日の夜は、うどん屋でけんかを見た。その後、警察の検問にあった」。これがその日の出来事、のはずだった。 ところが取り調べが進むと、警察に捕まっているはずの組員が捜査員と一緒に現れ、話に同調するように迫ってきた。「あのときは俺といたんや」「前川を迎えに行ったやろ」「洗濯機で血の付いた服を洗ったやろ」―。 自身の記憶とは違ったが、傍らの捜査員も「あの日おまえは組員といたんやで」と繰り返し、仕方なく調書にサインした。
裁判記録などによると、組員に「関与している」と名指しされた他の男女も、同様の経緯で組員の話に沿った供述をした。これらの証言などをもとに、事件から約1年後、前川さんは殺人容疑で逮捕された。
▽「記憶と違う」二転三転、揺らぐ証言
1990年9月、支援者と無罪判決を喜ぶ前川彰司さん
逮捕された前川さんは「被害者を見たこともない」と一貫して容疑を否認。裁判では組員やA氏らの話が信用できるかどうかが争点になった。しかし、記憶とは違う調書にサインをしたA氏の証言は揺れ動いた。
一審の福井地裁で、A氏はまず検察側の証人として法廷に立ち「前川さんを迎えに行き、服に血が付いているのを見た」と証言した。しかし、審理の終盤、今度は弁護側の証人として「その日前川さんとは会っていない」と語った。 「前川さん犯人説」を言い出した組員の証言もあいまいだった。血の付いた服の処理について「川に捨てた」「市内に埋めた」と二転三転し、県警がそのたびに捜したが、結局見つからなかった。
福井地裁は1990年、組員や男性らの証言は信用できないとして、無罪判決を言い渡した。当時の記事によると、前川さんは法廷でガッツポーズ。逮捕から約3年半ぶりに釈放された。
1990年9月、一審無罪で釈放され、支援者に迎えられる前川彰司さん=福井市
しかし、検察が控訴し、二審名古屋高裁金沢支部に審理が移った。A氏は再び検察側の証人となり、「前川さんを見た」と証言し直した。高裁金沢支部は1995年、一審とは逆に、A氏らの証言は信頼できるとして、懲役7年の逆転有罪とする判決を言い渡した。最高裁も書面のみの審理で支持。判決は確定し、前川さんは刑務所に入った。
▽自身の弱み、浅はかな気持ちで…
前川彰司さんの再審無罪判決後に取材に応じる、有罪の根拠となった証言をした男性=7月27日
A氏はなぜ、うその証言をしたのか―。記者はたびたびA氏に取材を申し込んだが「判決が出てから」と断られてきた。再審無罪判決後、初めて取材に応じたA氏は、事件の内幕を次のように明かした。
元々組員と知り合いで、組員を通じて前川さんを知ったA氏。事件とは別の日、前川さんを迎えに行ったが、結局前川さんは現れなかったという出来事が実際にあった。警察署の取り調べで、組員に「前川を迎えに行っただろう」と言われ、このことが浮かんだが、事件の日ではないと記憶しており、当初は否定した。それでも捜査員に「こうだったやろ」とたたみかけられ「そうですね」と応じてしまったという。 A氏は当時覚醒剤を使っていた。一審判決後に警察の取り調べを受けたとき、捜査員から「薬物のことは許してやる。警察の調書に間違いはない、この通りに話してくれ」と言われた。保身に加え「もしかしたら自分の記憶違いだったかもしれない、それならば…」という浅はかな気持ちから誘導に乗り、二審で再び県警に有利な証言をしたと打ち明けた。
前川さんへの逆転有罪判決後、特段親しい間柄でもなかった捜査員が突然自宅に訪ねてきた。「結婚おめでとう」と5千円の入った祝儀袋を渡され「警察に有利な証言をした見返りだと直感的に思った」と振り返る。
▽自宅にあった祝儀袋を提供、再審判決は「誘導を推認」
再審無罪判決を受けた前川彰司さん(中央)=7月18日、名古屋高裁金沢支部前
前川さんは出所後、裁判やり直しを求め、再審請求を申し立てた。A氏は前川さんの弁護士から連絡を受け、自責の念から改めて「証言はうそだった」と伝え、協力を申し出た。自宅のたんすに残っていた祝儀袋も弁護団に提供した。 今年7月の再審判決は、組員やA氏の証言は信用できず、組員が保釈など自身の利益のため虚偽の発言をし、捜査に行き詰まっていた県警が弱みを持つ男性らを誘導した疑いがあると認定。捜査員が渡した「結婚祝い」からは、県警側の誘導が推認できるとも指摘し、前川さんは無罪と結論づけた。
記者が前川さんが犯人だと思ったことがあるかと聞くと、A氏は「思っていなかった」と即答。昨年春、検察官や裁判官らの前で、事件の日には前川さんを見ていないと話したタイミングで、事件後初めて前川さんと電話で話した。「もう気にしていない」と伝えられたと言い「心のしこりが取れた」とほっとした表情を浮かべた。
取材の最後には「前川君にはただただ申し訳なかった。苦しんできたと思う」と贖罪の言葉を並べ、ようやく取り戻した「自分の人生」を歩んでほしいと語った。
▽「シロ」の結論を出した元裁判官
2013年3月、再審開始取り消し後の記者会見で、疲れた表情を見せる前川彰司さん
A氏と同じように、前川さんへ複雑な思いを抱く元裁判官がいる。前川さんが申し立てた1回目の再審請求で2011年に「無罪を言い渡すべき明らかな証拠がある」と認め、裁判やり直しを認める決定に関わった人物だ。検察はこの決定に不服を申し立て、その後取り消された。前川さんの裁判やり直しが昨年秋にようやく決まり、この夏に無罪になったのは、2回目の再審請求による結果だ。本来ならもっと早く前川さんは無罪になっていたのではないか―。元裁判官が、匿名を条件に報道機関の取材に初めて応じ、心境を明かした。
2004年、前川さんが再審請求を申し立て、名古屋高裁金沢支部に所属していた元裁判官は、一審からの記録に目を通した。ある人が供述したら他の人もそれに従って供述が変わっていた。「供述だけで支えられていて、ぐらぐらしている事件。非常に危ない。『砂上の楼閣』だ」という印象を抱いた。
もう一つ気になったのが、犯行現場の様子と有罪判決で認定された犯行に至った動機のずれだ。突発的な犯行と認定されていたが、遺体の頭部には灰皿で殴られたような跡があり、首は電気カーペットのコードで絞められ、顔や首、胸は包丁でめった刺しにされるなど、犯人が強い殺意をもって執ように殺害行為に及んだ痕跡が残っていた。
▽覆された決定、じくじたる思い
2013年3月、再審開始取り消し後の記者会見でうなだれる前川彰司さん=名古屋市中区
「犯人像が合わない」と感じた元裁判官。渋る検察に、知人の供述調書など証拠30点を開示させた。非公開の審理を続け、服役後も闘い続ける前川さんの姿勢を通じて「裁判所として十分に検討する必要がある」「救済されるべきだ」との考えに至った。凶器とされた包丁を使い、有罪判決通りの傷ができたか疑わしく「前川さんと犯人とを結び付ける客観的事実は一切存在しない」と踏み込み、裁判やり直しを認める決定にまとめた。
検察側は不服を申し立て、上級審の名古屋高裁(本庁)は2013年、検察の主張を認めて決定を取り消し、最高裁も支持した。 元裁判官は「制度上(裁判所の判断で決定が覆ることは)あり得ないことはないが、あの事件の場合はどうだろうか。相当おかしくて、最初から疑問だった。じくじたる思いはある…」。言葉少なに当時を思い返した。
▽「まさか」の証拠隠し、深い失望
街頭に立ち、再審法改正などを訴える前川彰司さん=6月20日、福井市
1回目の再審請求が失敗した後、前川さんは2回目の再審請求を申し立てた。担当裁判官の強い促しがあり、検察側は大量の証拠を開示した。その一つから、組員や県警の筋書き通り話していたA氏の証言に、決定的な誤りがあることを示す捜査報告書が見つかった。この事実は元裁判官の心を大きくかき乱した。
A氏は取り調べで、事件の夜、前川さんと合流する前「テレビの歌番組で、吉川晃司とアンルイスが歌いながらいやらしい動きをするシーンを見ていた」と語り、有罪判決でもそう認定されていた。 第2次再審請求中、弁護団のメンバーが偶然、事件の日と問題のシーンの放送日が違う可能性に気づいた。テレビ局に問い合わせたところ、このシーンは事件前年の1985年10月に初めて放送され、事件1週間後に再放送されたことが確認された。 さらに、検察が開示した証拠から、福井県警が一審福井地裁の審理中、テレビ局に同様の問い合わせをして、放送日の違いを把握していたことを示す捜査報告書も出てきた。
検察が開示した捜査報告書。供述の裏付けとなる歌番組の放送日の違いを、捜査機関が把握していたことを示している
弁護団は組員やA氏らの証言が信用できないことを示す事実と主張。今年7月の再審判決は警察による供述誘導の指摘とともに、検察についても放送日に関する捜査報告書を隠し「事実と反することをぬけぬけと主張し続けた。誤りを明らかにしていれば二審で無罪が確定した可能性も十分あった」「不誠実で、罪深い不正の所為と言わざるを得ず、到底容認できない」と異例の厳しさで断じた。
元裁判官は自身が見た訴訟記録に、放送日を巡る問題をうかがわせる記述は一切なかったと明かし「まさかと感じた。かつては検察への信頼みたいなものがあったが…」と深い失望を口にした。無実の前川さんにとって刑務所生活は「地獄のような日々だったろう」と語り、一連の経緯を振り返り「裁判所全体として、長い時間がかかり本当に申し訳ない」とうなだれた。
近年、再審無罪が相次ぎ、証拠開示のルールがなく、裁判やり直しを認める決定が出ても検察が不服を申し立て、審理が長引くといった再審制度の問題があらわになっている。 「人間の判断には誤りがあり得る。少なくとも現在、一般の裁判で認められている程度の証拠開示はルール化しても良いのではないか」とも指摘した。
再審判決に先立つ6月下旬、元裁判官は匿名を条件に取材に応じた。相次ぐ冤罪事件で警察や検察の捜査に疑問があり、話せる範囲でなら話すのが務めと考えたためだという。記者が記事に実名を出せないかと依頼したが「私の力では、前川さんを救済できなかった。恥ずかしくて申し訳なくて、名前を出すのは控えたい」とかたくなだった。
▽「一度やり玉にあげられたら…」終わらない冤罪
再審無罪が確定し、笑顔で記者会見する前川彰司さん=8月1日、福井市
検察が再審無罪判決への上告を断念し、無罪が確定した8月1日。記者団の取材に応じた名古屋高検の浜克彦・次席検事は「無罪になったことは厳粛に受け止めている」、福井県警の増田美希子・本部長は「判決を重く受け止め、疑念が抱かれることのないよう緻密かつ適正な捜査に努める」と語ったが、ともに前川さんへの謝罪や捜査の経緯を検証するかどうかは明言しなかった。 この日、記者会見した前川さんはほっとした表情を浮かべ「開かずの扉を皆さんの力で突破できた」と家族や支援者に感謝を口にする一方、警察や検察に対して「今後、同じような失態を起こさないよう、当局には重く受け止めてほしい」「謝罪をするのが常識だ」と怒りをにじませた。
事件から39年、ようやく無罪が確定し、前川さんの名誉は回復したかに見える。あるときの取材の際、前川さんは記者にぽろりと「一度やり玉にあげられたら終わりはない。無罪が証明された後でも、『前川がやったんじゃないか』と疑う人がいても仕方がない」と漏らした。一度着せられた汚名が一生ついて回る残酷さを思い知らされた。 捜査が振り出しに戻り、犯人も分からなくなった今、若くして無残に命を奪われた被害者遺族の無念は計り知れない。誘導に乗ったA氏、無罪を確信していた元裁判官ら、事件に何らかの形で関わり、自責の念にかられてきた人も少なくない。警察や検察による経緯の詳細な検証は不可欠、そう強く感じた。