北九州市の「文書ない」は「信用しがたい」 情報公開審査会が批判

「国史跡級」と評価された明治期の初代門司港駅(当時の名称は門司駅)関連遺構を北九州市が解体した問題を巡り、有識者でつくる市情報公開審査会(会長・阿野寛之弁護士、当時)が、解体決定に至る経緯を示す文書を「不存在」とした市に対して、行政文書の適切な作成を求める答申をした。答申は情報公開に対する市の姿勢を厳しく批判しており、専門家は文書管理規則を見直すなど対応を改めるべきだと訴える。
遺構は2023年秋、同市門司区での複合公共施設の建設に伴う調査で見つかった。多くの学術団体が遺構を国史跡級と評価し、現地保存を求めたが、市は施設建設を優先。24年1~11月に3度にわたって遺構解体に向けた方針を示し、同年11月末から解体した。
この間、毎日新聞などは解体方針を決定するに至った経緯が分かる議事録や、職員間のやり取りが分かるメールなどを複数回、開示請求したが、市はいずれも「関係者が一堂に会して議論し意思統一を図って進めており、文書は作成も取得もしていない」と回答した。
毎日新聞は24年5月、市情報公開審査会に不服審査を請求。これを受け審査会は、市が方針を決める際に協議メモすら作成していないのは「社会通念上信用しがたい」として、市の担当部局のメール画面やハードディスクを調べるなど11回にわたって審議し、25年10月28日付で答申を出した。
答申書は、文書を作成していないとした市側の説明について「公文書管理制度や民主主義の観点からは非常に問題が大きい」と指摘。審議の結果、関連するメールや文書ファイルの存在を確認するまでには至らず、市の主張を「妥当と判断せざるを得ない」とした一方、「一点の曇りもなくその通りであると認めるまでには至らない」とくぎを刺した。
その上で付帯意見として「各職員が(行政を監視する)情報公開制度の趣旨を適切に理解して職務に当たっていたと評価することは到底できない」と厳しく批判。市民への説明責任を全うするよう求め、「行政文書の作成について適切な対応を行うよう強く願う」とした。
答申に法的拘束力はないが、担当の市都市戦略局は取材に「適切に公文書を作成管理していく」と釈明。ただ、審査会が文書の不存在に疑念を示したことについては答えなかった。
行政の情報公開を巡っては、新型コロナウイルス禍対策で国が全国に配った布マスク「アベノマスク」の契約過程文書について、上脇博之・神戸学院大教授が開示請求したものの「不存在」として不開示決定とされたため、決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴。今年6月に地裁が大半の不開示決定の取り消しを命じた事案がある。
上脇教授は「アベノマスクの裁判では、業者とは口頭で交渉したとの国の主張を裁判所は認めなかった。今回の審査会の疑念は当然で、答申が文書の不作成を厳しく指摘したことは評価できる」と話す。
情報公開に詳しいNPO法人「情報公開クリアリングハウス」(東京)の三木由希子理事長は「文書が残されているかどうかを調査するために、審査会のメンバーが行政に出向くのは珍しい。市が不存在の理由を合理的に説明できなかったことの証しだ」と強調。「文書がないのは市が遺構保存の可否の具体的な議論を市役所内部で積み上げず、トップダウンで解体を決めたことを意味しているのではないか」と推測する。
公文書管理法は、法令制定などの意思決定の過程を国民が検証できるための文書作成を国の機関に義務づけている。同法に準じた内容の条例を設けている自治体もあるが、北九州市の文書管理規則にはその規定がない。
三木理事長は「北九州市は今後の対応を精神論でうたうのではなく、意思決定過程の文書作成を管理規則で義務づけるなど、具体的な見直しを図るべきだ」と指摘する。【伊藤和人】
初代門司港駅関連遺構とは
北九州市門司区の区役所や図書館などを集約する複合公共施設建設を前に実施された埋蔵文化財発掘調査で、2023年10月に見つかった。1891(明治24)年に建てられた初代駅の機関車庫跡や駅外郭の石垣などが確認され、国内外16の学術団体が「国史跡級の重要な遺構」として市に現地保存を要請。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」も24年9月、危機にひんした文化財保護を求める緊急声明「ヘリテージアラート」を出したが、市は施設建設を最優先し、一部を除いてほぼ解体された。
北九州市情報公開審査会の答申のポイント
・文書を作成していないという北九州市の主張は、公文書管理制度や民主主義の観点から非常に問題が大きい。協議内容を共有するメモすら作成されていないことになり、社会通念上にわかに信用しがたい。
・審査会は市担当課のメール画面やハードディスクを調査したが、文書は確認できなかった。審査会による調査は、強制力の行使を伴って実施できるとの規定はなく、一定の限界があったといわざるを得ず、市の主張が一点の曇りもなくその通りであると認めるまでには至らないとの見解で一致した。とはいえ「決済文書などが存在しない」とする市の主張は、結論において妥当と判断せざるを得ない。
・(一方で)各職員が公文書管理制度や情報公開制度の趣旨を適切に理解した上で職務に当たっていたと評価することは到底できない。市長はじめ全職員は答申を踏まえ、市民への説明責任を全うすべく行政文書の作成について適切な対応を行うよう強く願う。

北日本と日本海側で雪や雨 雷を伴い強まることも 関東は次第に晴れてカラカラ空気続く

【北日本は湿った雪や雨】 きょう(木)は北海道と東北北部は長い時間、雨や雪が降るでしょう。日中は雨のところが多く、雷を伴って強まって降りそうです。夜は広い範囲で雪になり、吹雪くところがある見通しです。
【北陸や山陰は夕方から雷雨】 北陸や山陰などは晴れ間もありますが、夕方からは雷雨になりそうです。夜は北陸の山沿いで雪になり、吹雪くでしょう。寒冷前線が近づき、大気の状態は非常に不安定になる見通しです。落雷や突風、ひょうにもお気をつけください。
【太平洋側は晴れて空気乾燥】 東北南部から九州の太平洋側は晴れ間の出るところが多いでしょう。しかし、局地的ににわか雨の可能性があるので、おりたたみの傘があると安心です。関東は午前は雲が多めでも、午後は晴れるでしょう。関東で天気の崩れはなく、カラカラ空気が続きそうです。
【南風のち北風へ】 全国的に日中は南風が強まり、日中はこの時季としては気温の高いところも多いでしょう。
今日の各地の予想最高気温は、
札幌 :1℃ 釧路 :6℃ 青森 :7℃ 盛岡 :7℃ 仙台 :14℃ 新潟 :14℃ 長野 :13℃ 金沢 :15℃ 名古屋:13℃ 東京 :15℃ 大阪 :17℃ 岡山 :16℃ 広島 :16℃ 松江 :16℃ 高知 :18℃ 福岡 :19℃ 鹿児島:21℃ 那覇 :26℃
しかし、夜は北風へと変わり、ぐっと冷え込みが強まりそうです。

中学校で授業中に30代男性教員を突き飛ばし追いかけて蹴るなどの暴行か 2年生の14歳少年を逮捕 容疑を否認

三重県四日市市の中学校で、授業中に中学2年の少年が男性教員に暴行を加えたとして逮捕されました。 逮捕されたのは、四日市市の中学2年の少年(14)です。 警察によりますと、少年は10日午後2時すぎ、四日市市内の中学校の教室で授業中に男性教員(30代)の右胸を突き飛ばした上、追いかけていき後ろから足を蹴った疑いです。 少年は、騒ぎを聞いて駆け付けた別の教員らに取り押さえられました。 男性教員は、昼休みに少年が同級生とケンカをしていたところ、仲裁に入っていたということです。 調べに対して少年は「先生の胸を押したり足を蹴ったりしていない」などと容疑を否認しているということで、警察は当時の状況を詳しく調べています。

「お父さん何言ってんの?」横田めぐみさんの実名公表めぐる父・滋さんと家族の衝突 めぐみさんの命の危険も…「そんなことは覚悟の上だ」決断の裏側【北朝鮮人権侵害問題啓発週間・全4回連載②】

政府は、拉致問題など北朝鮮による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、毎年12月10日からの1週間を「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」と定めている。
この「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を前に、福岡県直方市で「北朝鮮よ、姉横田めぐみを帰せ!」と題した講演会が開かれた。
登壇したのは拉致被害者・横田めぐみさんの弟・横田拓也さん(57)。
横田めぐみさん(当時13)は中学1年だった1977年11月15日夕方、部活動を終えて中学校から帰宅する途中、海岸から数百メートル離れた地点で友人と別れた後、北朝鮮の工作員に拉致された。

当時、拓也さんは9歳だった。
姉が拉致されてから48年。
父・滋さんを含め、多くの親世代が他界してしまう中、拓也さんは「北朝鮮による拉致被害者家族会」の代表として、多くの人が拉致問題を自分の問題と捉えてもらうため声を上げ続けている。
※【北朝鮮人権侵害問題啓発週間】全4回連載②
「めぐみちゃんどこにいるの」と言えなかった日々
めぐみさんが拉致されたその日、大規模な新潟県警による捜索が行われた。

逆探知装置がつけられ、警察官が制服、私服で家に出入りした。

無言電話、いたずら電話、脅迫電話。
拓也さんと双子の弟・哲也さんは当時9歳。

両親から「あなた達はもう寝なさい」と言われて寝て、朝起きてもめぐみさんはいない。

「あなた達は小学校に行きなさい」と言われて帰ってきてもめぐみさんはいない。

また寝て、朝起きてもめぐみさんはいない。
横田拓也さん

「私は今48年間めぐみを助けるために戦い続けてますけども、その1週間10日ぐらいが本当に今でも1番苦しかった時です」
当時はまだ拉致ということが分からなかった。

単純にめぐみさんがいないということしか分からなかった。
横田家に1匹の犬 父の日課となった散歩で…
父・滋さんは、残された双子の弟が心を病んだり道を逸れたりしないようにと、1匹の犬を飼い、家庭の雰囲気を明るくしようとした。

毎朝、毎夜、散歩を日課にしていた。
拓也さんは1度だけ、父と一緒に海沿いの松林を散歩している時に「もしかしためぐみさんが事件に巻き込まれて、制服のボタンや靴の片方が松林の中に転がっているのではないかと思っている」と父に言ったことがある。
横田拓也さん

「『自分もそうやっていつも散歩してるんだ』ということその瞬間父が答えてくれました。普段の生活の時間帯の中ではそんなことは私たちには一言も言いませんでしたけれども、その短い会話の中でいかに苦しい思いで毎日散歩をかってでていたというのはこういうことだったのかという風なことを知った時に、決して大人や目上の方に使う言葉ではありませんが本当にかわいそうでならなかったです。子供から見て」
母・早紀江さんは、新聞や雑誌、テレビでめぐみさんに似た女の子が出れば必ず連絡して、どこで撮った写真かを聞き、週末に家族で当てもなくその街を歩いた。
ある時、新潟県警から若い女性の遺体が上がったので確認してくださいという連絡があった。

両親は警察に向かい、数時間して帰ってきて、めぐみさんではなかったと言った。
横田拓也さん

「今、私は子を持つ親の立場ですけども警察からかかってきた電話に対して自宅から警察に向かう時のその足の重さっていうのはどんなものだったかなと思います。どれだけ辛かっただろうかと思います」
ほっとしても、また何も分からない時間が繰り返しやってくる。
遅すぎた初動 黙殺した報道 29年後の対策本部設置
当時、北朝鮮という国がどんな国かは、横田家全員を含めて分かっていなかった。

「朝鮮民主主義人民共和国」と丁寧に丁寧に扱っていた時代だった。
横田拓也さん

「この事件が起きた直後に報道機関、政治、外交、警察、私たちの国民世論がもっと強く向き合ってくれていれば48年、50年という重くて苦しい荷物は、背負わなくて良かったんじゃないかなと思います」
首相直轄の拉致問題対策本部が設置されたのは、めぐみさんが拉致された29年後の2006年9月だった。
横田拓也さん

「もう遅すぎるんですよ。何をやるにしても事件は初動が大事だね。もうどの事件のケースとも言われてると思うんですよね。29年後に設置しても加害者の人間や情報や物的なものも、何もかもあるかないかも分からないぐらい時間が経過しているんです。これが日本政府の実態ですよ」
さらに、1988年3月26日、めぐみさんが拉致された10年後、当時の国家公安委員長・梶山静六さんが国会の参議院予算委員会で北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であると発言したにもかかわらず、その報道を取り上げたのは日経新聞と産経新聞の2社だけだった。

他の報道機関は黙殺した。
横田拓也さん

「報道しないってこと。私たち国民が知る権利がなかった。知る権利がなければ怒るにも怒れなかった。この報道機関の黙殺した現実っていうのは消せません。私はここの話では報道機関の方が何十人何百人でも同じことを毎回言ってますけどもこの責任はものすごく大きいと思います」
「お父さん何言ってんの」「お前こそ何言ってんだ!」実名公開めぐる衝突
めぐみさんが拉致されて20年後の1997年、家族会が結成された。

当時はまだ「拉致疑惑」という扱いで、テレビに出る有識者や大学教授は「拉致事件なんて存在しない」と堂々と言っていた。
街頭で署名活動をしても、多くの人が通り過ぎて振り向くこともなかった。

署名をお願いする画板を叩き落として通り去る女性もいた。
同じ97年、政府機関や報道機関から「横田めぐみ」という実名を挙げてよいかどうか打診があった。

拓也さんと哲也さん、母・早紀江さんは実名公開に反対だった。

もし実名を挙げると、北朝鮮が「そんな女はいない。殺せ」と言ってめぐみさんが殺害されるのではないかという恐れからだった。
父・滋さんは違った。
横田拓也さん

「『そんなことは覚悟の上だ』『めぐみが拉致されてから20年間何か前進したのか』と。『実名をあげないと世論を振り向いてくれない。国民に賭けなきゃダメなんじゃないか』『新潟県のYさん、Mさんでは誰も振り向いてくれない。寄居中学校の下校途中の13歳の横田めぐみが拉致されたんじゃないかってことを言わないと認識してくれない』」
家族の会議というか喧嘩になった。「お父さん何言ってんの?」「お前こそ何言ってんだ!」
母がどれだけ心の底から納得したかは分からないが、最終的には父の判断を優先した。

97年にめぐみさんの名前が上がった。

世論が初めて拉致事件を知った瞬間だった。
横田拓也さん

「今となってはこの拉致事件のシンボル的な、特に13歳っていう女の子ってこともあって、シンボル的な存在になって日本国内はもちろん国際社会でこの問題が重大な人権問題だっていうことが取り上げられたのは父の英断だと思います」
だが、当時はもしかしたら違う判断があったかもしれない。

本当にギリギリの判断の中で生活している。
横田拓也さんの講演は全4回の連載です。「お父さん何言ってんの?」横田めぐみさんの実名公表めぐる父・滋さんと家族の衝突 めぐみさんの命の危険も…「そんなことは覚悟の上だ」決断の裏側【北朝鮮人権侵害問題啓発週間・全4回連載②】

《初出馬では“ミニスカ禁止”》高市早苗首相、「女を武器にしている」「体を売っても選挙に出たいか」批判を受けてもこだわった“自分流の華やかファッション”

高市早苗首相(64)が日本初の女性総理となって早2か月が経とうとしている。「台湾有事は存立危機事態になりうる」との発言をきっかけに、日中関係に緊張が走っている真っ最中だが、国民からの期待は依然高いようだ。報道各社による11月の世論調査では6~7割と、発足直後とおおむね変わらない支持率をキープしている。
SNSを中心に、高市首相のことを親しみを込めて”サナ”と呼び、同じバッグなどを求める”サナ活”も盛り上がっている。高市首相も12月9日の衆院予算委員会で、「いわゆるサナ活の話は聞いています」として、「もし若い方々が政治に興味を持つきっかけになれば、とても嬉しいと思います」と述べた。
もともと高市首相はバブル末期、『こだわりTV PRE★STAGE』(テレビ朝日系)という深夜番組のキャスターとして世に出た。1992年に参議院議員選挙に無所属で初出馬するも落選。翌1993年に初当選を果たし、現在に至る。
若い頃からファッションにはこだわりがあったようだ。元全国紙政治部記者が回想する。
「初出馬のとき、選挙事務所の会議で、”華やかなタレントとしてのイメージがあるぶん、女性有権者の反感を買うのではないか”と心配され、事実上の”ミニスカ禁止令”が出たそうです。高市氏自身は、自分らしいスタイルを貫きたかったようですが、多くのスタッフの意見ということで従わざるをえなかった。
自分を曲げて、ひざ丈以上の長さのスカートかスラックスを履き、ハイヒールを封印して選挙活動を行ったものの、地味な服装が良い方向に働いた手応えもなく、2回目の選挙からは好きな服を着るようになりました。
大きめのイヤリングという、若手政治家としては攻めたアクセサリーも身につけていましたね」
自分流のファッションを身にまとったことで、”女を武器にしている”と心ない声をぶつけられたこともあった。
「新人時代、地元・奈良で”大物政治家の愛人をしている”と怪文書がまかれたこともあった。”体を売ってまで選挙に出たいか”と中傷されたこともあったと聞いています。
しかし、高市氏は自分のスタイルを貫いた。『ミニスカートは大股で歩くのに便利なんだ』と明るく話していたのが印象的ですね。『選挙でよく歩くせいで、足が太くなってしまった』と嘆いてもいましたが……」(同前)
時に誹謗中傷に晒されながらも、意思を貫いた高市氏。”サナ活”として憧れの対象になる一方、強硬な姿勢で臨む日中外交には批判的な見方も多い。高市氏の”自分流”への強いこだわりは、日本にとって吉と出るか凶と出るか──。

【青森県東方沖でM7.5の地震】運用開始以来初の“後発地震注意情報”発表「1週間以内にM7を超える地震の発生確率」が平常時0.1%から1%に 冬の大地震に備えるためにすべきこと

「ただちに命を守る行動をとってください」「東日本大震災を思い出してください」津波警報が発令されたことを受け、各局のアナウンサーは緊迫感のある強い口調で避難を呼びかけ続けた。青森県東方沖を震源とした最大震度6強の巨大地震だが、本当の恐怖はこれからなのかもしれない──。
12月8日夜11時15分頃、青森県東方沖を震源とする地震が発生した。M7.5で、八戸市(青森県)では震度6強を記録。県内では走行中の車が道路の陥没に巻き込まれて運転手がけがをしたり、停電が発生した。広範囲に津波警報も発令され、北海道から福島県まで最大約11万4000人に避難指示が出された。
その翌日、本誌『女性セブン』しめきり直前の12月9日夕方6時過ぎ、北海道、青森県を揺れが襲った。マグニチュード(以下、M)は5を超え、最大震度は3。以前の大地震を追うように、揺れは繰り返し押し寄せている。
余震が続く今回の地震は、海側のプレートが陸側のプレートの下へ沈み込むのに伴う、典型的な「海溝型地震」との見方が強い。震源となったエリアは、これまでも度々大地震のリスクが指摘されていた。東海大学・静岡県立大学客員教授で、日本地震予知学会会長の長尾年恭氏が解説する。
「本州沖の日本海溝と北海道沖の千島海溝が折れ曲がって接する場所を会合点と呼びます。今回の地震はそのエリアが震源域でした。ここは1994年と2003年に発生した震度6の地震と同じ震源域で、そのときにプレートが破壊されなかった”割れ残り”があることがわかっている場所です。”割れ残り”とは、地震発生時に動かずひずみをため込んだまま残ったプレートのことで、将来的に大地震を引き起こすと考えられています」(長尾氏・以下同)
さらに日本海溝と千島海溝沿いでは、大地震の後に同等またはそれ以上の地震が繰り返し発生している。2011年の東日本大震災では、M7.3の地震の約2日後にM9の巨大地震が発生。1963年の択捉島南東沖地震でも、M7の約18時間後にM8.1を観測した。
政府は巨大地震の想定震源域やその周辺でM7以上の大地震が発生した際に、「続けて巨大地震が起きる可能性が高まる」として、『後発地震注意情報』の運用を2022年12月に開始。今回初めて発表され、北海道から千葉県にかけて東日本にまたがる182の市町村に、強い揺れや津波に警戒するように呼びかけた。

大型トレーラーのタイヤ脱落 会社の外壁損壊 運転手は気付かず走行続ける 北海道長万部町

【画像を見る】大型トレーラーのタイヤ脱落 会社の外壁損壊 運転手は気付かず走行続ける 北海道長万部町
北海道・八雲警察署は2025年12月10日、走行中に大型トレーラーのタイヤが外れる事故が発生したと発表しました。
事故があったのは、長万部町旭浜の国道37号です。
10日午前6時50分ごろ、事故の目撃者から「3台前を走るトレーラー付近からタイヤ1本が国道を横断して会社にぶつかった」と110番通報がありました。
この事故によるけが人はいません。
警察によりますと、大型トレーラーは国道37号を豊浦町方面に進行中、けん引していた荷台左側最後輪のダブルタイヤの外側1本が外れたとみられるということです。
外れたタイヤは進行方向の右側に転がり、会社の外壁にぶつかって外壁材を壊しました。
大型トレーラーの運転手はタイヤ脱落に気づかず走行していましたが、異変に気づいて停車した際には荷台左側最後輪のダブルタイヤが2本ともなかったということです。
大型トレーラーは11月にタイヤ交換していました。
警察は、タイヤ交換後は50キロ~100キロ走行後にナットの増し締めを行うなど、整備・点検を呼びかけています。

青森沖地震でSNSデマ拡散に注意…偽AI動画・メール、安易に「いいね」しないで

青森県東方沖を震源とする8日の地震を受け、デマや真偽不明の情報がSNSで広まっている。「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が初めて発表されたことを巡り、巨大地震が確実に起きるなどと不安をあおる投稿もある。専門家は情報の内容を確かめた上で、安易な拡散をしないよう呼びかけている。
X(旧ツイッター)では、注意情報について報じられた9日未明、「地震予知」の書き込みを繰り返すアカウントから、巨大地震の発生が確定的とする根拠不明の主張が投稿された。この投稿は10日夜までに10万回以上閲覧された。
インターネット情報の真偽や正確性を検証・公表している民間団体「日本ファクトチェックセンター」(JFC)によると、ユーチューブやティックトックでも、生成AI(人工知能)で作られたとみられる実在しない被害の動画が確認されたという。JFCの古田大輔編集長は「SNSで目を引く情報に触れた時は、公的機関や報道機関などの情報も見比べて真偽を判断し、正しいと確信が持てない場合は共有や『いいね』をしないでほしい」と話す。
虚偽のメールも出回っている。総務省消防庁によると、地震後、実在しない同庁の部署をかたり、女川原子力発電所(宮城県)が地震で損傷し、炉心溶融(メルトダウン)の危機が迫っているとする虚偽のメールが自治体などに送られているという。同庁は「メールを送信した事実はない」とし、ホームページで注意を呼びかけている。

《バリ島での集団窃盗》高校生による悪質な万引きが発覚「現地と連絡」学校に聞いた“今後の対応”

温暖な気候で日本人からも観光名所として人気なインドネシアのバリ島。そんなバリ島の土産物屋で日本の高校生らが“万引き”に及んだ防犯カメラの映像がネット上で拡散され、波紋を呼んでいる。
“集団窃盗”の悪質犯罪
「映像は12月3日に撮影されたもので、高校生らは複数名で犯行に及び、合計で11点の衣類が万引きされたといいます。この悪質な“集団窃盗”の被害を受けたお店の店主はすでに警察に被害届を提出済みとのこと。
犯行に及んだ高校生はネット上で特定され、京都市にある大谷高校の生徒だとされました。本事件はインドネシアでも報じられており、当然のことながら、日本でも該当生徒らに“日本の恥”などと批判の声が相次いでいる状況です」(全国紙社会部記者、以下同)
名前が挙がった大谷高校は、12月8日に公式サイトで《研修旅行中の本校生徒による窃盗行為について》という題名で文書を公開。
「文書の中で、《本校の研修旅行に参加していた複数の生徒が、訪問先において窃盗行為に及んだことが確認されました》と説明。
さらに、《被害者の皆さまへの配慮はもとより、海外における邦人の皆さまにも影響を及ぼしかねない重大な行為》であるとしてうえで、《学校として生徒指導のあり方を真摯に見直す必要があると認識》と綴られていました」
現在は事実関係を確認中で、今後の対応については明記されていないが、ネット上では、学校の“ある対応”が波紋を呼んでいるという。
「SNS上で、“大谷高校”の名前が挙がり、騒動になるや否や同校のSNSが削除され、さらにホームページに掲載されていたバリ島修学旅行の写真も消されたといいます。
学校側は、生徒の特定や誹謗中傷を避けるために行ったのだと思いますが、一部からは“火消し”という指摘も寄せられています」
大谷高校に、SNSを削除した理由や該当生徒への処罰について、問い合わせてみると、「現段階では、ホームページに掲載している文書のこと以上は申し上げられない」としたうえで、「事象については調査中であり、現地と連絡を取れるよう動いている」とのこと。
大谷高校は今後、進展があった場合は学校のホームページで発表する予定だという。高校側には厳格な対応をしてもらいたい。

「真の高齢化社会」はこれから訪れる、日本はアジア諸国と知見の共有を

私事で恐縮だが、筆者は今年70歳になった。いわゆる古希である。中国唐代の詩人・杜甫の「人生七十古来稀(まれ)なり」に由来する言葉だが、当時と違って70歳はまったくまれではなく、学生時代の同級生はほとんどがピンピンしている。街を歩くと私と同年配か年上の人が目立ち、「日本は高齢化社会になったのだなあ」と実感する。しかし、データを踏まえれば、ようやく高齢化社会の入り口に立ったに過ぎない。真の高齢化社会はこれから訪れるのだ。

2060年、80代後半が最多に

グラフをご覧いただきたい。これは、2020年から2100年までの間、日本の人口の最大勢力が5歳刻みのどの年齢層になるかの推移を表したものだ。〇は男性、は女性。それによると、今年2025年は50~54歳の男性が最も多い。2030年以降は予測値になるが、人口は比較的正確な将来予測が可能なので、よほどの予期せぬ事態(大戦争、疫病、大災害など)が発生しない限り、このグラフ通りになると考えられる。

第二次世界大戦後、日本の人口で最も多かったのは、長く団塊世代(1947~49年生まれ)を中心とする1940年代後半生まれの人たちだった。しかし、2020年にその子供にあたる団塊ジュニア世代(1970年代前半生まれ)の男性に首位の座を譲った。グラフによると、団塊ジュニアは今後も首位の座を守り(2035年以降は女性の方が多くなるが)、2060年まで最大勢力であり続ける。その時の年齢は85~89歳(!)である。80歳代後半の女性が最も人数の多い社会とはどういうものなのか、想像もつかない。

このグラフを作ったのは、以前当欄でも紹介した元日本銀行理事の山本謙三オフィス金融経済イニシアティブ代表。山本氏は、「真の高齢化社会はこれから始まる。強烈な人手不足、経済成長率の低下、財政悪化圧力の高まり、地方から大都市部へのこれまで以上の人口移動などが予測される」と警鐘を鳴らす。

現在、日本人の平均寿命は男女とも世界トップクラスだが、これは国民皆保険制度のたまものと言える。公的な健康保険制度が未整備な米国の平均寿命が先進国の最低レベルにあるのとは対照的だ。しかし、少子化と高齢化により、1人の働き手が支えなければならない非労働力人口(高齢者と年少者)は確実に増加する。そうした中で、皆保険制度は維持できるのだろうか。皆保険制度が崩壊したとき、高齢者の健康は守られるのだろか。

長寿になったのに労働期間は短縮

山本氏はまた、高齢化が進む日本社会の意外な一面をあぶりだす。「長寿化にもかかわらず、日本人は働かなくなった」というのだ。

同氏が各種資料に基づき試算したところ、生涯の平均労働期間(社会に出てから、完全に仕事を終えるまでの期間)は、1970年時点では52年間だった。それが、2024年には47年間と、5年短くなっているという。高学歴化により社会に出る平均年齢が20歳を超えるようになったこと、定年のあるサラリーマン・公務員が増えた一方で、定年制度のない農林水産業や自営業の従事者が減ったことなどのためとみられる。

それに伴い、リタイアしてから亡くなるまでの平均期間は、平均寿命の伸びもあって1970年の11年から、2024年には19年と2倍近くになった。この期間に何をするかが重要だが、山本氏は「長寿になった恩恵を、働いて社会に返す」よう提言している。確かに元気な高齢者が長く働けば、多少なりとも人手不足は緩和され、税収や社会保障制度の維持にもプラスに働く。政府や自治体、民間企業には、意欲のある高齢者が働きやすい環境を整えることが望まれる。

高齢化対応で雁行モデル?

10月に就任した高市早苗首相が、台湾有事をめぐりこれまでより踏み込んだ国会答弁を行ったことで、外交・安全保障問題に関心が集まっている。また、高市政権は外国人受け入れの厳格化を打ち出しており、それについて検討する有識者会合も動き出した。もちろんこれらの問題も重要だ。しかし、必ず訪れる「真の高齢化社会」への対応は、それらに劣らず重要な問題だ。外国人政策は人手不足にも関係するだけに、単独で議論するのではなく、高齢化対策の中で検討する方が生産的ではないか。

少子高齢化は日本だけの問題ではない。ニッセイ基礎研究所によると、2024年のアジア諸国の出生率は、韓国0.734人、台湾0.863人、中国1.013人と、日本(1.217人)よりさらに低くなっている。タイなど東南アジア諸国でも出生率の低下に直面している国がある。これら各国では、人口の年齢構成はまだ日本より若いが、今後急速に高齢化が進むと予想される。

バブルのころ、一部の日本の経済学者が「雁行モデル」によるアジアの経済発展を唱えたことがある。当時、アジアで傑出した経済力を誇った日本が、リーダーとして韓国、台湾、シンガポールなどに投資と技術移転を行い、それが中国や他のアジア諸国にも波及し、アジア経済全体の底上げを図るという構想だ。雁(がん)がリーダーを先頭に斜めに列をなして飛ぶことからこの名がついたが、中国が世界2位の経済大国となり、1人当たりGDPでシンガポールや韓国が日本を抜いた現在、もはやそれを主張する者はいない。

しかし少子高齢化という面では、いい悪いは別にして、日本が先頭を走っているのは事実だ。雁行モデルのように、日本が自らの経験や政策を各国と共有し、協力して問題の解決に取り組むことがあっていい。それはアジアにおける日本の存在感の回復にも寄与するだろう。