来週予定されている総理大臣指名選挙をめぐり、与野党の多数派工作が本格化しています。
15日は立憲民主、日本維新の会、国民民主の野党3党の党首会談があり、これと別に、自民党の高市総裁が立憲、国民、そして維新の3党トップと個別で会談を行いました。
自民党の高市早苗総裁と、日本維新の会の吉村洋文代表、藤田文武共同代表の会談は午後6時ごろから行われ、6時50分すぎに終わりました。
取材に応じた自民・高市総裁は、「私からは、首班指名にご協力お願いしたいと率直に申し上げた」と述べ、「あす両党の政調会長同士で政策協議を行うことになる」と話しました。
いっぽう、維新・吉村代表は、「高市新総裁から連立含む打診、首班指名協力への打診がありました」と話しました。そして、「それに向けた政策協議を開始をするということを我々の方から申し上げた」とし、あす、両党のトップと政調会長とで政策協議を行うことになると話しました。
そのうえで、高市総裁に対して「非常に強い覚悟を持って話をされているな、と。強い熱量とともに、なんとか日本を前に動かしていきたいという熱い思いがあると理解しました。」と印象を述べ、「高市新総裁の熱量と本気度も含めて判断いたしました。私どもも本気でぶつかっていく」と、話しました。
立維国の3党首、野党候補一本化で結論持ち越し 玉木氏「依然隔たり」
Yoshifumi Takemoto Tamiyuki Kihara Kentaro Sugiyama
[東京 15日 ロイター] – 首相指名選挙を巡って野党候補一本化を模索する立憲民主党、日本維新の会、国民民主党は15日午後に党首会談を開き、結論を持ち越した。国民民主の玉木雄一郎代表は記者団に対し「歩み寄りがあったとは思うが依然として隔たりが大きい」とした上で、「幹事長・国対委員長レベルで整うなら、来週月曜にもう一度党首会談をやってもいい」と語った。
維新の藤田文武共同代表によると、16日以降に幹事長・国対委員長レベルの会合を調整する。野党統一候補について具体的な話はほとんどなかったという。立民の野田佳彦代表は、安全保障やエネルギーなどについて引き続き協議するとし「必要に応じて党首会談を開く」と述べた。
野田氏は玉木氏への一本化も視野に入れる。ただ、国民民主は安全保障政策、原子力発電所を含むエネルギー政策、憲法改正の3点について立民の歩み寄りを求めている。
玉木氏によると、野田氏はこの日の会談で、安全保障法制の違憲部分の改正という従来の主張について「違憲部分はこれまで見つかっていない」と説明した。安全基準を満たした原発の稼働は賛成する一方、新増設は認めず「原発ゼロ社会を一日も早く実現」とうたう党綱領を改めない考えを表明。憲法改正には「賛成できない」と語ったという。
野田氏の回答を受け、玉木氏は記者団に「少し歩み寄りがあったのかなと思うが依然として隔たりがある部分が大きい」と述べた。「政権の枠組みを決める大切な話なのでもう少し丁寧にやってほしい」と野田氏に伝えたとも説明。16日以降3党の幹事長・国対委員長レベルで協議を続け、整えば20日にも再び党首会談を開くという。
<高市総裁から指名選挙で記名依頼>
この日は与党・自民党の高市早苗総裁も立民、維新、国民民主と個別に党首会談を開いた。玉木氏によると、高市氏は国民民主の連立入りを打診したほか、首相指名選挙で自身の名前を書いてほしいと要請した。玉木氏はその場で回答せず、改めてガソリン暫定税率廃止や所得税非課税枠の拡大を実行するよう要請したという。
玉木氏は記者団に「基本政策では自民党とかなり重なるところがある」と話す一方、「信頼関係が醸成できれば様々な協力の形が見えてくる」と述べ、所得税について両党政調会長による協議体を設けて実現に向けた議論を進めることで合意したことを明らかにした。
高市氏は維新の吉村洋文代表(大阪府知事)とも午後6時から会談した。これに先立ち、維新の藤田氏は立民、国民民主との党首会談の中で、高市氏との会談では首相指名で高市氏の名前を書くか否かは決まらないと述べたという。
入居女性2人血まみれ、死亡=高齢者施設、元職員の男逮捕―埼玉県警
15日午前4時55分ごろ、埼玉県鶴ケ島市若葉の高齢者施設「若葉ナーシングホーム」から、「入居女性2人が血を流して倒れている」と110番があった。県警や消防によると、2人は血まみれで意識がない状態で搬送され、死亡が確認された。県警は殺人事件とみて捜査。元施設職員の男の身柄を確保し、1人に対する殺人容疑で逮捕した。
逮捕されたのは、同県熊谷市箱田、無職木村斗哉容疑者(22)。「被害者を刃物で刺して殺したことは間違いない」と容疑を認めている。
逮捕容疑は15日午前2時ごろ、同ホーム内で入居者の小林登志子さん(89)を刃物のような物で切り付けるなどし、殺害した疑い。
県警によると、同容疑者とみられる人物が立ち去る様子が、施設内の防犯カメラに映っており行方を追っていたところ、施設から約250メートル離れた路上で午前9時前に確保した。
同容疑者は昨年7月に施設を退職したという。
夜間巡回の施設職員が午前3時半すぎ、自室で血を流している2人を相次いで発見。小林さんは5階、もう1人の上井アキ子さん(89)は4階の個室に入居しており、いずれも上半身を切り付けられたとみられる。
現場は東武東上線若葉駅から南に約300メートルの住宅が立ち並ぶ地域。
施設のはす向かいに住む女性(78)は「午前5時半ごろ、救急車が通る音で目を覚ました。心臓マッサージしているのが見えた」と語った。6~7年前に施設を利用していたという女性(78)は「(職員は)みんな優しくて良い人だった。ニュースを見てびっくり」と話した。 [時事通信社]
埼玉・鶴ヶ島の女性殺害、上半身に刃物とみられる複数の傷…路上のバッグに血の付いたナイフ
15日午前4時55分頃、埼玉県鶴ヶ島市若葉の介護付き有料老人ホーム「若葉ナーシングホーム」から、「入所する女性2人が血を流している」と110番があった。高齢女性2人が意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。県警は同日午後、施設の元職員で無職の木村斗哉(とうや)容疑者(22)(埼玉県熊谷市箱田)を女性1人に対する殺人容疑で緊急逮捕した。(さいたま支局 斎藤秀、徳原真人)
発表によると、木村容疑者は15日午前1時50分頃~同2時5分頃、施設5階の居室で、入所者の小林登志子さん(89)を刃物で切りつけるなどし、殺害した疑い。容疑を認めているという。
もう1人の女性は、4階の居室で暮らしていた上井アキ子さん(89)。木村容疑者は2人の名前を挙げ、「刃物で刺して殺した」などと話しているという。2人の上半身には、刃物によるとみられる傷が複数あったという。
木村容疑者は昨年7月まで施設で働いていたといい、県警は2人との関係などを調べている。
施設内の防犯カメラには事件の前後、フードをかぶってマスクをつけた不審な人物が映り、現場から立ち去っていた。同日午前8時40分過ぎ、施設から約250メートル離れた路上で、警察官が防犯カメラの人物と似たズボンをはいた木村容疑者を発見し、身柄を確保した。
捜査関係者によると、木村容疑者の供述に基づき、県警が施設の周辺を捜索。施設から南東に約600メートル離れた路上でバッグが見つかり、中から血の付いたナイフや、事件当時に身に着けていたとみられる上着やマスクも発見された。近くでは自転車も見つかり、県警は逃走に使ったとみている。
県警幹部によると、施設内を巡回していた男性職員が午前3時半過ぎ、5階居室のベッドで両耳から血を流して倒れている小林さんを見つけた。その後、4階居室で出血している上井さんも見つかった。
県警によると、施設は1階に複数の出入り口があり、施設関係者は施錠していたと説明している。破損はなかったという。小林さんと上井さんの部屋も鍵はあったが、県警は施錠されていなかったとみている。
施設は東武東上線の若葉駅から南に約300メートルの住宅街にあり、埼玉県川越市の医療法人「恵雄(けいゆう)会」が運営している。定員は64人。読売新聞の取材に対し、法人は「現時点で答えられることはない」としている。
集合住宅の14階で女性死亡 頭部に傷、殺人事件で捜査 広島
15日午後6時半ごろ、広島市西区中広町に住む30代男性が、近くの交番に「妻が頭から血を流して倒れている」と届け出た。駆け付けた警察官が、集合住宅14階の室内で倒れている30代女性を発見し、その場で死亡が確認された。
広島県警広島西署によると、女性は頭に傷があって出血しており、現場には血のついた足跡が残されていた。県警は殺人事件とみて捜査を始めた。
2人はベトナム国籍の夫婦で2人暮らしという。現場はJR横川駅から南西約1・3キロの住宅街。【安徳祐、井村陸】
仲間4人で飲酒 口論の仲裁に入った女性を自称ユーチューバーの男(37)が暴行か 札幌市
北海道札幌・厚別署は2025年10月13日、知人の女性に暴力を振るった暴行の疑いで札幌市豊平区の自称ユーチューバーの男(37)を逮捕しました。男は「女性に手を出していません」と容疑を否認しています。
男は10月13日午後5時半ごろ、札幌市厚別区大谷地東5丁目の女性(46)の自宅で、女性の腕を引っ張り床に叩きつけた疑いがもたれています。
警察によりますと、女性の自宅では、男と女性を含む男女それぞれ2人ずつの合わせて4人が飲酒していました。男がもう一人の男性と口論になって揉めたため、女性が仲裁に入ったところ、犯行に及んだということです。
女性が午後5時40分ごろ、「友人の男同士が揉めている」と警察に通報し、駆け付けた警察官が現行犯逮捕しました。
警察が詳しい動機や当時の状況を調べています。
《連立離脱を表明》「高市氏の玉木密会」「萩生田起用」「麻生太郎の公明嫌い」新聞各紙は公明党をどう論評したか
「そうはいかんざき!」。2001年の公明党CMでの決め台詞である。悪代官がカネを受け取っている場に神崎武法(かんざき・たけのり)代表があらわれて「そうはいかんざき!」と叫ぶ。ダジャレである。政治とカネが昔から問題だったこともわかる。
しかし公明党は当時も自民党と連立を組んでいた。なので本当に自民党に物申すことができるのか?とCMを見て思ったことを覚えている。実際に公明党は自民党に何があってもついていった。踏まれてもついてくる「げたの雪」と揶揄された。そんなことを言われて屈辱だろうに権力にいるのはやはり旨味があるのか、連立は続いた。しかし今回遂に公明党は連立離脱を表明した。要因は政治とカネ。あのCMから24年ぶり、初の「そうはいかんざき!」発動である。
朝日新聞、産経新聞はどう報じたか
新聞各紙はどう論評したか。朝日新聞政治部長は公明党という「ブレーキ役」が去り、高市自民党の保守化加速は確実と書いた。産経新聞政治部長は自民は公明に遠慮がいらなくなったとし、保守回帰にはまたとない追い風ともなると書いている。具体的には「高市氏は公明が嫌った靖国神社の参拝を堂々と行えばいい」「憲法への自衛隊明記に後ろ向きな公明への配慮もいらない」と。朝日と産経は正反対に見えて「自民の保守化」という点では同じ予想をしていた。
ただ、朝日新聞は公明党を「ブレーキ役」と書いたが、毎日新聞は安全保障関連法の成立時を例に挙げて次のように書いた。
《公明は法案の一部を修正させ「歯止めを掛けた」と主張するが、自民に押し切られて憲法9条の解釈改憲を容認したのが実態だった。》
そのあとに出てくるフレーズは、
《自民にどこまでもついて行く「ゲタの雪」と皮肉られた。》
ああ、ここでもゲタの雪。
では今回の件について最も気になる新聞にいこう。公明党機関紙である公明新聞である。連立離脱についてどう書いているのだろう? 読者(支持者)に何と伝えているのか? 知りたくなったので調べてみた。
公明新聞の印象的だった見出し
連立離脱を表明した翌日(10月11日)の一面は『公明、連立政権に区切り』。次の見出しが印象的だった。
『「清潔政治」の党是貫く』
『公明党らしさ不断に追求』
翌日(12日)は斉藤代表のインタビューを載せていた。ここでも「清潔政治の党是貫く」と「公明らしさ発揮を追求」とある。よほどこの2点を強調したいのだろう。それにしても「公明らしさ」に既視感があると思ったら、そうだ、「石破らしさ」だ。
どこがクリーンな政治で、どこが平和の党なのか?
石破茂首相は「『石破らしさ』というものを失ってしまった」(9月2日・党両院議員総会)と後悔していた。なるほど石破政権とはらしさを失ったもの同士の連立だったのか。いま反省会が始まっている。
確かにここ最近だけでも公明党はどこがクリーンな政治で、どこが平和の党なのか?と思ってしまう対応が続いていた。たとえば自民党の西田昌司氏を参議院選で推薦したことだ。西田氏は太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった学徒隊の生徒や教員らを慰霊する「ひめゆりの塔」の説明書きについて「歴史の書き換え」などと主張して批判された。裏金議員でもあった。公明党はこういう人物を推薦していた。さらに昨秋の衆院選では自民の裏金議員の大半を推薦し、自民を非公認となった候補者にも推薦を出していた。
さすがに耐えられなくなった党の中から批判が出たのだろう。代表インタビュー(12日)では昨年の衆院選、今年の都議選と参院選での厳しい結果を受け、その総括に当たり党幹部が全国を回ったとある。すると裏金議員を推薦したことに「公明党の清廉なイメージを損ねたのではないかとの指摘を受けました」という。清廉なイメージがまだあると思っているのはご愛敬だが、地方の声を聞いてさすがにマズいと感じた様子がひしひしと伝わってくる。
さて、見出しのインパクトに目が行ってしまったのは次の記事だ。公明党が連立解消を発表する日の朝刊である。
「そもそも公明党は『「高市嫌い』が本音なのではないか」と…
『連立か離脱か 公明衝突 玉木氏密会や萩生田氏起用「平手打ち」』(朝日新聞・10月10日)
ひ、平手打ち? どういうことかと思って読むと、次の2点が公明党の態度硬化を招いたという。
・高市氏は総裁に選出された直後、公明との連立維持を確認する前にもかかわらず野党の国民民主党の玉木雄一郎代表と密会。
・裏金問題の中心だった旧安倍派の元幹部、萩生田光一氏を幹事長代行に登用。
これが「連立パートナーを平手打ちするような対応」(公明関係者)に感じたというのだ。そうか、もう萩生田氏は一種の暴力装置に思えるのか。裏金問題にも旧統一教会にも関係した“スキャンダルの二刀流“の破壊力にしみじみしてしまった。
ちなみに麻生氏の存在もやはり大きい模様だ。
《高市体制で影響力を持つ麻生太郎副総裁は「公明嫌い」で知られ、岸田文雄前政権下で国民民主を連立に加えようと模索した経緯がある。こうした動きも「公明外し」と映った。》(毎日新聞)
「玉木密会」に「萩生田起用」、「麻生太郎の公明嫌い」。産経新聞は、そもそも公明党は「『高市嫌い』が本音なのではないか」と訝しむ。
では公明党はすべての面で被害者なのだろうか? 前述したように何があっても自民についていき、権力の匂いに敏感という実績がある。忘れられないのは2017年の東京都議選のときだ。あのとき小池百合子都知事の地域政党「都民ファーストの会」の人気が圧倒的と見るや、公明両党は自民党との長年の協力関係を断って「都民ファースト」との選挙協力を進めた。結果、公明党は全員当選した。その変わり身の早さには驚いた。
そう考えると今回も公明党は理念うんぬんだけでなく、単に高市自民党の可能性を見限ったからという部分もないか。政治の混乱期にはそうした各々の野心も頭に入れた上で見ておいたほうがよい。
そんな野心を大義に変えて混乱期を抜け出すのはどの政党、政治家なのだろうか。結果は当然私たちの生活にも跳ね返ってくる。誰がどういう振る舞いをするのかきちんと見ておきたい。
(プチ鹿島)
高齢夫婦襲ったクマは逃走中、不要不急の外出控え戸締り呼びかけ…住民「人が襲われるのは何十年ぶり」
群馬県みなかみ町下津で13日早朝、高齢夫婦がクマに襲われ、軽傷を負った。現場にいた親子とみられるクマ2頭は捕獲されておらず、沼田署や町が周辺住民に注意を呼びかけている。
同署の発表によると、夫婦は林道を散歩中に突然現れたクマに襲われた。男性(76)は左手に、女性(69)は左腕と左脚に軽傷を負い、近くの民家に駆け込んだ。
現場はJR上越線後閑駅から南西に約1キロ離れた田畑に住宅が点在する地域で、北に約1キロ離れた場所には町立みなかみ中学校がある。
同署は不要不急の外出を控え、戸締まりをするなど注意喚起し、町は現場近くに捕獲用の檻(おり)二つを設置した。
現場周辺では住民がクマに襲われる被害が相次ぐ。
7日には南東約3キロの沼田市のスーパー「フレッセイ沼田恩田店」にクマ1頭が侵入し、買い物客の男性2人が軽傷を負った。先月22日には、東に約1・5キロのみなかみ町の休耕地で男性が背後からクマに尻をひっかかれて軽傷を負った。
現場近くに住む70歳代男性は「年に1、2回はクマを見かけるが、人が襲われるのは何十年ぶりだ。最近はあちこちで出没しているので日課の散歩をやめている」と不安そうに話した。
表舞台に出なかった「空自の秘密部隊」メチャ隠していたのに… 急にSNSで存在アピールなぜ?
従来、存在はするものの撮影が厳しく制限され表舞台にほとんど出てくることのなかった部隊が、このたび航空自衛隊の公式SNSで複数の画像とともに紹介されました。一転して公開されるようになった理由を推察します。
空自のいわゆるスパイ機
航空自衛隊の航空戦術教導団が公式Xに、電子測定機YS-11EBと電波情報収集機RC-2の機体写真を2025年10月6日、投稿しました。YS-11EBは戦後初の国産旅客機YS-11を、RC-2は国産輸送機C-2をそれぞれベースに誕生した派生型で、両機とも胴体にコブのような膨らみが追加されているのが特徴です。
両機は、埼玉県にある航空自衛隊入間基地で運用されている機体ですが、かつてはその存在を航空自衛隊も公にすることはなく、外部のメディア関係者ですらも取材時に撮影を厳しく制限された「秘密の存在」でした。
YS-11 EBとRC-2の任務は基本的に同じもので、SIGINT(シギント)と呼ばれる電波情報収集を行う機体です。
コブのような膨らみはアンテナ・フェアリングと呼ばれ、内部には電波を探知するためのアンテナが収納されています。他国の軍隊が活動している空域に接近すると、このアンテナはそこで活動している兵器の電波情報を収集・傍受します。この情報は兵器の性能を判別するだけでなく、その電波のパターンから、その兵器の使われ方や相手国の行動動向までも類推することができます。
つまり、レーダーなどの電子機器が主流となった現代の航空戦において、YS-11 EBやRC-2は相手の軍事レベルや電子戦能力を知る貴重な偵察機(航空自衛隊の公式サイトでは「電波の収集」と表現)だといえるでしょう。
偵察機といえば、1956年にソ連(現ロシア)領空で撃墜されたアメリカのU-2偵察機が有名です。この機体の偵察手段はカメラによる写真撮影だったため、偵察対象の上空を飛行する必要があり、そのためにソ連空域の領空侵犯を繰り返した結果、撃墜されました。
電波は遠方まで届くため、YS-11 EBやRC-2がU-2偵察機のように相手国の領空侵犯をする必要はありません。しかし、軍事活動が行われているエリアにある程度接近する必要はあります。
過去にYS-11 ELが中国軍の戦闘機に異常接近された事例も、そうした電子偵察任務の緊迫した内容の一端を示す事例だといえるでしょう。
かつての秘密の存在もいまではSNSアピール
航空戦術教導団が公式Xに投稿し文言どおり、電子飛行測定隊は1991(平成3)年11月11日に発足し、同時に電波収集任務を行うYS-11ELの運用がスタートしています。その後、運用機がエンジンをGEP-64に換装したYS-11EBとなり、2020年には新型機としてRC-2も一員に加わりました。
電子飛行測定隊の発足以来、航空自衛隊は約30年間に渡ってこのような任務を続けていますが、周辺国の軍隊を対象とした活動は軍事的にも政治的にも非常にセンシティブなものであるため、航空自衛隊ではその部隊と運用機材について積極的に公表してきませんでした。これは航空自衛隊の訓練において電子戦の敵役を演じるEC-1とYS-11EAも同様です。
だからこそ、メディア関係者も機体が所属する入間基地で取材をする場合は、他部隊の撮影であっても、電子戦任務に関わる前出の機体が画角に入り込まないよう厳しく制限を受けるなど、統制されてきました。
しかし、近年はその状況も変化しています。2014年に電子情報測定隊は戦術教導団隷下の電子作戦群に改編されます。戦術教導団は今年(2025年)の7月7日に公式ホームページと「X」「Instagram」の公式SNSアカウントを開設しており、そこで電子作戦群の任務や運用機材の情報発信を積極的に行うようになりました。
その流れで、冒頭で紹介した投稿も、その一環で行ったものです。かつての「取材では機体外観すら撮影できない」という状況を経験した筆者(布留川 司:ルポライター・カメラマン)からすれば、これは大きな変化だといえます。
従来、なかば公然の秘密とされていた存在が、一転してアピールするようになった理由は何でしょうか。
それは現代戦における電子戦の役割の増大と、自衛隊としてその能力をアピールする狙いがあると推察されます。レーダーやデータリンク能力の発達によって、現代の戦闘機はより遠方の目標を探知・攻撃できるようになり、電子戦に対応した能力を持つことは、現代の軍隊における必須の能力だといえます。
これまで航空自衛隊では電子戦に関連した情報発信を制限していましたが、その一端を見せることは航空自衛隊としての電子戦対応能力をアピールすることに繋がり、日本の防衛力安全保障における抑止力にもなります。
今回のXへの投稿は、現代戦と航空自衛隊の変化の表われともいえるのかもしれません。
「北方四島」は永遠に返ってこないのか…極秘文書が明かす日本政府からソ連に手渡された「妥協案」
※本稿は、藤田直央『極秘文書が明かす戦後日本外交 歴代首相の政治決断に迫る』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
第二次大戦が終わって80年、日本とロシアの間にまだ平和条約はない。北方領土問題が解決していないからだ。2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、これを批判する日本とロシアの外交は凍結状態だが、もし再起動しても北方領土問題が最大の懸案として立ちはだかることに変わりはない。
1945年8月に日本が降伏すると表明した直後、ソ連軍は択捉、国後、歯舞、色丹の「北方四島」を占領。日本人の住民らは島を追われた。その後に始まった冷戦のもとで米国が主導した52年発効の対日講和条約にソ連は加わらなかった。
日本は首相が対米関係を重視した吉田茂から1954年に鳩山一郎に代わると、対ソ外交に乗り出す。56年に鳩山がモスクワを訪れ、共産党第1書記フルシチョフらと国交回復で合意。しかしソ連が実効支配を続ける北方領土の問題が残った。
この時に交わされた条約である日ソ共同宣言(56年宣言)に、こうある。
日本とソ連は平和条約の締結へさらに交渉を続け、締結後にソ連から日本に歯舞、色丹を引き渡すという内容だ。戦後日本の対ソ連、対ロシア外交は、この「二島」に加え、残りの国後、択捉の扱いを少しでも日本に有利な形で決着させた上で、平和条約を結ぼうとする模索だった。
ただ、2012年に首相に復帰した安倍晋三は、中国の台頭に対応するため日ロ関係を進展させようと北方領土問題で妥協へ動く。18年の大統領プーチンとの首脳会談で「56年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」と合意。歯舞、色丹の「二島」での決着を急いでいた。
その安倍の判断を評価する上で、そもそも56年宣言をまとめた鳩山の訪ソでどのような交渉があったのかを知ることは欠かせない。だが実は、政府はいまだに関連の外交文書をほとんど明かさない。30年ルールによる公開時期をとっくに過ぎているが、「継続中の交渉に関する過去の記録は非公開」という理由からだ。
鳩山訪ソの記録が「公的な私文書」として政府の外にもあるのを知ったのは、2019年9月のことだ。日米関係史に詳しい日本大学名誉教授の信夫隆司を別件で取材の折に、「三木文書を知っていますか」と聞かれた。
戦前から国政で活躍し、首相まで務めた三木武夫は実に丁寧に文書を残す人で、没後に膨大な量を母校の明治大学が長年かけて整理したのだという。この企画に関わった信夫は、すでに1960年代後半の三木外相当時の小笠原・沖縄返還交渉関連文書に注目して読み込んでいた。
三木文書の編集にあたったのは明治大学史資料センター。東京・神田に担当者を訪ねて話を聞き、興味は一層深まった。
徳島出身の三木は1937年の衆院選で30歳で当選。敗戦後は小政党を率いながら55年の保守合同で自民党に合流し、翌年に幹事長になった。自民党政権では小派閥の領袖として閣僚や党三役を歴任し、金権政治批判で退陣した田中角栄の後の首相に登り詰めた。
その三木の永田町(政界)での動きや、霞が関(中央省庁)からの報告などの史料、約6万5千点が2004年に妻の睦子から明大に寄贈されていた。このセンターで整理を続けており、電子データ化をふまえた目録を作成中との話だった。
2019年11月に公開されたPDFの目録を開くと、それだけで616ページと圧倒された。だが、「おや?」と思うタイトルが1ページ目にいきなりあった。
「昭和三十一年」、つまり1956年の10月といえば、1年5カ月にわたる日ソ交渉が鳩山訪ソで決着し56年宣言が調印された時だ。そこに至る大詰めの会談録を、翌年に外務省のソ連担当課がまとめたものらしい。詳細な会談録であれば一級史料だ。
この会談録が作られた頃の三木は岸政権のキーパーソンだ。内閣改造に伴い自民党の幹事長から政調会長に横滑りしていた。56年宣言が12月までに日ソ双方の議会で承認されて一段落した頃、外務省がこの会談録をまとめ、鳩山訪ソの最終報告として三木に届けていたことは十分ありうる。
筆者は2019年12月、九州大学准教授で著書『沖縄返還と日米安保体制』(2012年)がある中島琢磨を別件で福岡に訪ねた際に、この件を相談した。電子データ化された三木文書を大学で購入しており、中島は研究や授業で1950年代前半の保守合同前夜の政界の動きを伝える記録などを生かしていた。
「日ソ交渉会談録」はまだ見ていなかったというので、中島のパソコンで一緒に文書の画像をのぞいた。劣化して黄ばんだ紙に、タイプの文章で計236ページ。
「日ソ交渉会談録」の表紙に続く目次には、1956年9月から10月にかけての日付が連なり、当時の両政府のキーパーソンの名が連なる計25の「会談録」「議事録」といったタイトルが並ぶ。文字がかなりかすれているが、「鳩山、ブルガーニン」「河野、フルシチョフ」などと読める。
鳩山とフルシチョフの首脳同士の会談や、健康に不安のある鳩山に同行し、フルシチョフと実質的な交渉をした農相河野一郎らが重ねた会談の記録だ。その1年以上前から鳩山内閣を代表しソ連と交渉してきた政府全権の元外務次官・松本俊一が、鳩山訪ソを前にソ連の外務次官らとやり取りした記録もある。
計236ページにわたり延々と記された会談の記録には、56年宣言の書きぶりで会談ごとに双方が提案した内容まで付属資料として含まれていた。「すごいですね」と中島。外交文書の読み込みで中島に遠く及ばない筆者にも、鳩山訪ソの際のハイレベル会談を網羅した完成度の高い記録に思えた。
東京に戻ると、明治大学史資料センターの担当者に連絡し、「日ソ交渉会談録」の電子データの提供を受けた。気合を入れて資料を読み始めたのは、2019年の暮れだった。
こうした「公的な私文書」を記事にする時に難しいのは、何が「ニュース」なのかだ。外務省が30年ルールで公開した「公文書」であれば、当時の記事にない話を見つけて「実はこうだった」と書ける。ところが今回のように「継続中の交渉」だからと外務省が出していない分野だと、かなり厄介だ。
それが三木文書という形で見つかったのだから、そのまま「ニュース」になるのではと思われるかもしれない。だが、「継続中の交渉」だとして政府が長年公文書を伏せてきたからこそ、56年宣言の裏でどんな交渉があったかについて当時から関心は高いままであり、それに応えようと様々な文献がすでに世に出ているのだ。
松本の回顧録『モスクワにかける虹』(1966年)が有名だが、他にも二つある。一つは「野口メモ」。56年宣言交渉大詰めの一連の会談で通訳を務めた外務省の野口芳雄による手書きの会談録が、政府全権の一人だった農相河野一郎のもとにあり、河野の元秘書が2005年に公開していた。
もう一つは、日ソ国交回復40年にあたる1996年、ソ連から北方領土交渉を継いだロシア政府が「大統領文書館公報」に載せたソ連側議事録だ。
いずれも朝日新聞論説委員の駒木明義から教わった。モスクワ支局長を経験し、北方領土問題に関する著書もある先達で、協力して「日ソ交渉会談録」を読み込んでいた。筆者がざっと目を通し、とりあえず領土問題のやり取りを中心にメモを作った頃、駒木はすでに56年宣言交渉をめぐる定説を覆す大きな「ニュース」を見つけていた。
国交回復と、平和条約締結後の歯舞・色丹引き渡しが明記された56年宣言に至る交渉について、従来の見方はこうだった。
日本側は択捉・国後の残り二島の話をソ連側に棚上げされないよう、「領土問題を含む平和条約締結交渉を継続する」と記すことにぎりぎりまでこだわったが、ソ連側に押しきられた――。
ところが三木文書には、交渉の途中で日本側から降りる譲歩案を示していたことが記されていたのだ。
補足する。前述したように、56年宣言交渉に関しては日本政府が文書を公開していない一方で、「松本回顧録」「野口メモ」「ソ連側議事録」が世に出ており、それらですでに語られていることをふまえないと、三木文書の「日ソ交渉会談録」がどれだけの「ニュース」なのかはわからない。
56年宣言交渉の大詰めは、鳩山率いる政府全権団が1956年10月にモスクワを訪れて始まった。
上記4点の記録に通じる流れは、領土問題について河野とフルシチョフが四回の会談を重ね、第三回でフルシチョフが「領土問題を含む」を削ると急に言い出して押しきったため、56年宣言には「国交回復後に平和条約締結交渉を継続し、締結後にソ連は日本に歯舞・色丹を引き渡す」とだけ記されたというものだ。
そして「松本回顧録」では、日本側は第三回の河野・フルシチョフ会談まで「領土問題を含む」ことを共同宣言に記すよう主張し続けたことになっている。鳩山の『鳩山一郎回顧録』(1957年)にも「最も心を砕いた」こととして、「こちらは終始『残る領土問題を含めて、平和条約のための交渉を継続する』ということにしようと主張し続けた」とある。
ところが三木文書には、河野が第二回の会談で「領土問題を含む」という文言を含まない妥協案をフルシチョフに渡す様子が記され、その全文も添付されているのだ。
世を去って3年になるスターリンの独裁を公然と批判し世界を驚かせたフルシチョフと、戦前の衆院議員の頃から鳩山を支え自民党総裁に押し上げた党人派の河野。会談の場所は四回とも、ソ連共産党中央委員会のフルシチョフの部屋と記されている。クレムリン宮殿のある赤の広場から車で5分ほどの建物だ。
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(朝日新聞編集委員 藤田 直央)