「大きな声で言え!」高圧的な支援員に「号泣する女児」の動画拡散、志布志市「学童保育で行き過ぎあった」

鹿児島県志布志(しぶし)市の学童保育施設で、支援員が高圧的な言葉で指導して、子どもが号泣している様子を映した動画がネット上で拡散している。学童保育の運営を委託している市は、弁護士ドットコムニュースの取材に「行き過ぎた指導があった」と認めた。
市によると、拡散している動画は4月1日に撮影されたもの。一人の女の子が泣いているところが映っている。そんな彼女に対して、支援員から「名前は?」「大きな声で言え」「秒数がすすんでいくよ」と厳しい声が浴びせられている。
保護者とみられる投稿によると、女の子は新小学1年生で、この日が初めての学童だった。緊張のあまり、女の子は、うまく自己紹介できなかったようだが、ほかの子どもがいる前で吊し上げられたうえ、そのあと1時間も立たされたそうだ。
この動画をめぐっては「ひどすぎる」という批判の声があがっている。市福祉課によると、市民から「市がちゃんと関与して、原因究明するように」「今後こういうことが起きないように指導をしてください」という電話がかかってきているという。
問題となっているのは、社会福祉法人が設置した「太陽の子児童クラブ」で、市が運営を委託している学童保育施設だ。保護者が仕事などで家にいない子どもを預かっている。現在、小学1年生から6年生まで約90人が通っている。
市福祉課は4月3日、動画の拡散を把握して、太陽の子児童クラブに直接ヒアリングをしたところ、施設側も(支援員の)口調が強く、行き過ぎがあったことを認めて、「児童・保護者に大変申し訳ないことをした」と反省しているという。
市は、施設に対して、今後このようなことが起きないように指導したうえで、当時の詳しい状況や、どうしてこんな指導になったのか、どういう取り組みをしていくかなどについて、早急にとりまとめて報告するようにもとめている。
市の担当者は「今も利用されている児童・保護者がほかにも多くいるので、その人たちが安心して利用できる施設にすることが(市としての)責務だ。(施設から)状況把握や改善策などを出してもらい、その内容を精査しながら、二度と起きないように一緒にやっていきたい」とコメントした。
なお、施設にも取材を試みたが、電話はつながらなかった。

羽田雄一郎さんの遺骨、2度の延期で3か月経て地元に

新型コロナウイルスに感染し、昨年12月27日に急逝した立憲民主党の羽田雄一郎・元国土交通相(当時53歳)の遺骨が3日、長野県上田市の自宅に戻った。東京都への緊急事態宣言発令の影響で死後約3か月後の無言の帰郷となり、支援者らは涙ながらに出迎えた。
遺骨は午前11時頃、妻の七栄さん(46)や3人の子どもに付き添われ、同市材木町の自宅に車で到着した。参列者を限定し、屋外で行われた「帰骨式」で七栄さんは「皆様の期待を裏切る形となり、妻として大変申し訳なく思う」とあいさつ。約100人の支援者らは遺影が掲げられた祭壇に献花し、早すぎる死を悼んだ。
感染拡大を受け、遺骨の地元入りは2度延期を余儀なくされた。お別れ会は感染収束後に開く予定という。
羽田さんの死去に伴う参院長野選挙区補欠選挙は8日に告示される。

【記者コラム】日本を襲った大津波災害を振り返る

【AFP=時事】2011年3月11日。世界観測史上最大級の地震が日本の東北地方の近海で発生し、それによって引き起こされた大津波が原子力発電所を襲い、メルトダウン(炉心溶融)を誘発した。

AFP東京支局は素早く取材態勢を整え、現地に向かった。以後何年にもわたり、記者とカメラマン、ビデオジャーナリストたちは、被災した東北地方から報道を続けてきた。約1万8500人の死者・行方不明者を出したあの大災害から10年の節目に、AFPは再び現地に足を運んだ。

今回の取材チームのうち4人は、災害発生直後の現場からのAFPの報道にも携わっていた。ペン記者の伊藤真悟(Shingo Ito)と檜山浩(Hiroshi Hiyama)、カメラマンの野木一弘(Kazuhiro Nogi)、そしてビデオジャーナリストの小澤治美(Harumi Ozawa)だ。2011年当時、小澤はペン記者だった。この4人が、震災当時の取材と、10年後に東北を再訪した際の体験を振り返った。

■「まるで線が引かれて」
午後2時46分、マグニチュード(M)9.0の地震発生。その時、野木カメラマンは東京都内で電車に乗っていた。「今まで感じたことのない激しい揺れ」だったと言う。

「電車から降りて逃げたが、地震が強過ぎてまっすぐ歩けなかった」。外に出ると、揺れが続く中、高層ビルが一斉にゆらゆら揺れているのが見えた。野木は取材チームに加わり、被災地に直行した。福島県南相馬市に到着したのは翌日だった。

「辺り一面が海水に沈んで、荒涼とした風景だった」と野木は思い起こす。一緒に行動していた檜山記者は、ピンストライプのスーツに革靴といういでたち。出発する時、着替える暇がなかったのだ。
取材チームが南相馬の市役所に着いた時、大きな被害はなさそうに見えた。しかしその先、海岸に向けて車を走らせると、「町が突然途切れた」と檜山は語る。「まるで線が引かれて、そこから東はすべて水で破壊し尽くされていた」

「線」が示すのは、山のような津波が到達した地点で、東北で取材していた他の人々も圧倒されていた。そこを境に、普段の生活から別世界へ入り込むような感覚を伊藤記者は覚えている。「すべて泥で覆われていた。道路は水没し、橋は倒れ、防波堤も崩れ落ち。海からの強い風がほこりを舞い上げて……地域の姿は、もはや地図と一致しなかった」

「あの『線』が、天国と地獄の境目だと思った」

小澤記者は、東日本大震災の1年前にも東北を訪れている。2010年2月、チリ地震による津波が太平洋を渡って日本沿岸に迫っていた。

宮城県南三陸町。避難所となっていた志津川中学校(Shizugawa Junior High School)の体育館で、小澤は1人の高齢の女性と出会った。女性は50年前、同じくチリ沖で起きた地震による津波で、幼い息子を亡くしていた。「背中にしっかりくくり付けたはずなのに、赤ちゃんは母親の着物からずり落ちたのだろう。やっと水のない場所にたどり着いた時には背中には何もおぶっていなかったと話してくれた」と小澤は語った。
2011年の震災後、再び南三陸を訪れると、町は津波に襲われていた。その時、1年前に出会った女性のことが頭に浮かんだ。「学校があった丘のてっぺんまで水が押し寄せたと聞いた。体育館は辛うじて助かったけれど」

■放射能の恐怖
3月12日、道路脇にいた檜山記者と野木カメラマンのところに消防団員が駆け寄って来た。「原発が……」とだけ告げ、手のしぐさで爆発を表現した。2人は車に飛び乗り、福島第1原子力発電所から約20キロ離れた道の駅のような場所に向かった。そこに置かれていたテレビが伝えていたのは、未曽有の危機だった。

「南相馬でテレビを見ていると、東京にいるキャスターが原発事故について伝えていた。そのキャスターによると、私たちは原発事故の真っただ中にいるらしかった。その状況をすぐに理解することはできなかった」と檜山は言う。「何度も地図をチェックして、自分が(原発から)半径20キロの避難地域の外にいることを確かめた。妊娠中の妻と、2歳になる息子のことを思い浮かべた」

伊藤記者が、放射能災害の重大性をようやく理解し始めたのは、立ち入り禁止区域の農家を訪れてからだった。そこで目にしたのは、病気や飢えで死んでいく牛たちだ。「見えない恐怖を初めて感じた。見ることも、臭いを嗅ぐこともできないけれど、線量計のアラーム音だけが危険を知らせていた」
■耐え難い喪失

岩手県宮古市姉吉地区。小澤記者は2011年4月、大津波で陸に打ち上げられた岩に座り、ぼんやりと海を眺めている高齢の男性に出会った。近づいて声を掛けたが、「私の声が聞こえず、私の存在にも気付いていないようだった」と振り返る。親戚だと名乗る近くにいた女性が、この男性は息子の妻と3人の孫を津波で亡くしたばかりだと教えてくれた。

「話を聞きたいと思い、声を掛け続けたけれど、会話をすることもできなかった。今でも覚えているのは、その時に見た真っ青な空と海、そして心が震えてどうしようもないような自分の気持ち」と小澤は語る。大きなものを失った人々に接し、記者たちは葛藤や罪悪感を抱いていた。

ある日、伊藤記者が見掛けた女性は、毛布に覆われた家族の遺体を前にしてひざまずき、泣き続けていた。「声を掛けるべきだったが、ずっと女性の脇で立ち尽くした。震える手でテープレコーダーを持ったまま」と伊藤は言った。「これが、この仕事の一番つらいところ」

■トラウマ

東北での取材中、野木カメラマンは罪悪感と闘っていた。「結局のところ、自分は被災した人たちの写真を撮って稼いでいた」と話す。「でもそうしながら、他人への思いやりや客観性について学んだ。それに、自分の感情のスイッチをつけたり消したりする方法も。それらを、その後の自然災害で応用できたのは事実だ」
野木は、ある病院従事者に強い印象を受けていた。津波の砂を肺に詰まらせた患者の治療の難しさを説明していたその男性は、自分自身の家族と連絡がまだ取れず、安否を確かめられずにいた。

「あの人は仕事を優先せざるを得なかった。心配や不安でいっぱいだったのに」と野木は言う。「自分ならどうするか考えた。家族を守ることを二の次にして、働けるだろうか」
伊藤記者は、陸地に流された船が建物の屋根に乗り上げるなどの現実とは思えない光景にはすぐに慣れたが、「人の死は別問題」と言う。「今でも忘れられないのは、あの臭いと、潮風になびく赤い旗。遺体が見つかった場所を示していた」

「ある晩、ホテルへ戻る車の中でみんなは黙っていた。一つの理由は疲れ切っていたこと。他には、トラウマ(心的外傷)を感じていたからだろう。少なくとも、自分がそうだった」と伊藤は続けた。「大声で叫びたい気持ちだった。夜、恐ろしい場面がフラッシュバックして、ホテルのベッドの上で汗びっしょりで目が覚めた」

■共有する悲しみ
AFPの取材者は震災以降、定期的に東北地方を訪れている。しかし大震災から10年の節目を迎えた今年、福島を訪れた小澤記者は「自分の仕事で初めて、涙をこらえることができなかった」と明かした。福島県浪江町で地区の理事長だという男性にインタビューをしていた時だ。

83歳のその男性は、10年前の津波の際に「どんなにきつく腕の中で抱き締めても、奥さんの体はすり抜けて、激しい波の中で離れ離れになってしまった」。

妻の遺体が橋の下のがれきに埋まっていることは分かっていた。しかし、放射線量が高く、立ち入りが禁じられているため、男性は妻の体が腐敗していくのをただ見ていることしかできなかった。2か月後、ついに遺体が収容され、警察官が遺体の写真を男性に届けてくれたが、写っているものに妻の面影はどこにもなかった。衝撃を受けた男性はその場で写真を焼き捨てるよう懇願し、警察官はそれに応じた。
「これまでもたくさんの悲しい話を聞いてきたけれど、冷静であるべき取材者として今までは涙をこらえることができていた」と小澤は打ち明ける。「でも今回はだめだった。小さな救いは、涙がすべてマスクの内側に流れ落ちたこと」

今年再訪した檜山記者は、東北の物理的な復興と、人々の「心の復興」の進み方に違いを感じた。

「日々の生活は続いていく。地域によっては、いまだに巨大な建設現場の中で生活をしているような雰囲気だ」と檜山は言う。「新しい建造物が造られていく。しかし、そこは2万に近い人たちが命を落としたり行方不明になったりしている土地だ。きれいに造成されていく新しい東北の下に、地元の住民の皆さんが共有する悲しみや苦しみが深く隠されていくように感じた」

■喜びの土地

AFPは、これからも東北からの報道を続けていく。なかでも伊藤記者が目指しているのが、福島県に住む佐藤彰(Akira Sato)牧師の今後を伝えることだ。佐藤牧師が原発事故の影響を受けた地域にある教会からの避難を余儀なくされて以来、伊藤は何年もかけてインタビューを行ってきた。避難中、同牧師は新たに教会を建てようと考え、完成した教会は、同じく避難してきた多くの教会員たちの礼拝の場になっている。

佐藤牧師は今、避難命令が解除されたら、以前いた教会に戻りたいと考えている。場合によっては来年だ。

「福島からは悲しい話が多いが、佐藤牧師の話は心の励みになる」と伊藤記者は言う。「佐藤牧師の人生の新しい一章を見てみたい」。一方、檜山記者は、東北を語るなら2011年の大災害からだけではなく、美しい自然や名産物を忘れてはならないと言う。

「この地方の海岸線には、圧倒的な美しさを誇る場所がある」

「この地方は、人間に回復力があることの証しでもある。東北の記憶は悲しみだけではない。ここは、心が弾む喜びの土地でもある」

このコラムはAFP東京支局のサラ・フセイン(Sara Hussein)記者が執筆したものを、仏パリのミカエラ・キャンセラ・キーファー(Michaela Cancela-Kieffer)が編集し、2021年3月13日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

【翻訳編集】AFPBB News

蓮舫氏、菅首相会見の少なさをピシャリ「リーダーとして残念すぎます」

立憲民主党の蓮舫参院議員(53)が5日、自身のツイッターを更新。菅義偉首相(72)の首相会見回数の少なさと新聞各社によって質問できる回数に差があることを厳しく批判した。
この日、菅首相がこれまでに官邸で行った9回の会見で各社が何回質問できたかを一部社が集計したところ、6回からゼロと大きな差があることが分かったという記事を貼り付けた蓮舫氏。
「コロナ禍におけるリーダーの発信はとても重要です。国会における質疑を通じた発信はもちろん、国民に伝える言葉、行動変容をお願いする言葉を届ける会見はとても大事です」とつづると、「首相就任以来の会見の少なさ、そして指名社の偏りはリーダーとして残念すぎます」と厳しく続けていた。

障害者施設で虐待3件、大分 19年度、平手打ちやキスも

2019年度に大分県内の障害者施設で3件の虐待があったことが5日、県への取材で分かった。被害者は男女計3人で、職員による平手打ちの他、キスをするといった性的な行為もあった。各施設は職員の配置換えや監視カメラの導入などの再発防止策を講じたという。
県によると、複数の障害者が共同生活を送るグループホームで19年6月、60代男性職員が30代女性利用者の口にキスをした。また同年10月には、障害のある児童を療育するデイサービスで、女性指導員が男児(6)の腕を強くつかんであざができ、別の障害者支援施設の40代女性職員は60代男性利用者と口論になり、頬を平手打ちした。

どっちが新知事? 森田健作前知事が熊谷知事へ引継ぎ ハイテンションでガッツポーズ

千葉県知事選で過去最多の140万票余りを獲得して初当選した熊谷俊人知事(43)が5日、千葉県庁に初登庁し、森田健作前知事(71)との引継ぎを行った。両者の色が濃く出た対面だった。
熊谷氏は県職員や県民など約100人に迎えられ、初登庁。花束を受け取ると「頼りにしています」などと職員ひとりひとりに丁寧に声をかけた。初めて知事室の椅子に座ると、「これまでは来客側では来ていましたけど、これからは執務をする側ということで。改めて630万県民の皆様方に答えていける、そうした県庁をここから始めていかなければいけない」と決意を表明した。
一方、森田氏は引継書の受け渡しのため応接室に入り、熊谷氏を見つけたとたん「おおー! おいっす! おめでとう! ハハハハハ」とハイテンションで肘タッチ。席に座ると、「どうだい、元気かい? ちょっと太った?」とさっそく会話の主導権を握った。熊谷氏は「あんまり変わらないのですが、ちょっとホッとしたのかもしれません」と答えたが、森田氏は続けざまに「俺は選挙の時はいつもやせてたけどな!」とかぶせ、豪快に笑った。「ほんじゃ、サインしようよ!」と引継書にサインし「お世話になりました」とあいさつをした。
サインが終わり、ツーショットの撮影になると、森田氏は肘タッチポーズを要求。「それ(引継書)持たなくていいんですか?」と熊谷氏が笑いながら指摘した。すっかり証書の存在を忘れていた森田氏に報道陣からも笑いが漏れた。撮影中も”森健劇場“は終わらず。引継書を手に直立する熊谷氏と「よし、がんばろう! がんばろう 千葉県!」とガッツポーズをする森田氏。どちらが新知事なのか分からなくなるような状況になり「俺がやっちゃおかしいか!」と自らツッコミ。熊谷氏も「最後まで森田さんらしいですね」と笑うしかなかった。
最後は熊谷氏が「12年間お疲れ様です」とねぎらった。「ありがとう、何とかアクアラインの800円を維持してくれよ」という森田氏に「もちろんです」。森田氏は手をポンとたたいて「がんばって! よっ! じゃあな!」と意気揚々と去って行った。部屋には笑い声が残った。

台車押して踏切横断の男性、電車にはねられ死亡…車輪が溝に挟まる

5日午前7時50分頃、東京都豊島区目白の西武池袋線池袋―椎名町駅間の踏切で、70歳代くらいの男性が、池袋発保谷行き下り普通電車(8両編成)にはねられて死亡した。警視庁目白署が男性の身元や詳しい状況を調べている。
発表によると、男性は空き缶などを積んだ台車を押して横断中で、台車の車輪が線路の溝に挟まり、踏切内に取り残されていた。近くにいた人が非常停止ボタンを押したが、間に合わなかったという。
西武鉄道によると、この事故で西武池袋線は池袋―飯能駅間の上下線が約1時間運転を見合わせた。

新型コロナワクチン、85歳以上の予約受け付け開始 初日分1時間で満員に 滋賀・大津市

大津市は5日、新型コロナウイルスワクチンの集団接種を行う85歳以上の市民からの予約の受け付けを始めた。滋賀県内の自治体で最初の接種日となる12日の定員枠(60人)は、開始から約1時間で埋まった。
市は12日から5月下旬までの予定で、85歳以上の約1万7300人に順次、接種を進める。対象者には3月に接種券を送付しており、先着順で、電話とインターネットで予約を受け付ける。
市内の専用コールセンターでは、午前9時の受け付け開始とともに電話が鳴り響いた。14人のオペレーターが「(接種券の)番号を教えてください」「どの日をご希望ですか」などと対応し、パソコンの予約システムの画面に接種日や会場などを入力していった。
市の接種は、12~17日は皇子が丘公園体育館で1日当たり最大60人、19日からは瀬田公園体育館を加えた2会場で同240人、26日からは琵琶湖グランドホテルも加えた3会場で同360人に実施する予定。

まん延防止初日の通勤「いつも通り」「コロナ慣れ」 大阪、仙台

新型コロナウイルスの感染が再び広がる中、「まん延防止等重点措置」の適用が5日、大阪、兵庫、宮城の3府県の計6市で始まった。飲食店での感染防止策の強化と違反した店舗への行政罰(過料)が柱で、期間は大型連休を含む5月5日までの1カ月間。まん延防止措置が適用されたのは初めてで、「コロナ疲れ」も広がる中、感染拡大を抑え込めるのかが試される。
JR大阪駅(大阪市)では5日朝、大勢の利用客が行き交う普段と変わらない通勤風景が見られた。
大阪府吹田市のアルバイト従業員、中村彩香さん(34)は「電車や駅の人の多さを見る限り(2020年4月に始まった)1回目の緊急事態宣言から1年たち、コロナ慣れが進んでいると思う」と受け止める。大阪市内では、府内全体に出されていた2回目の緊急事態宣言が2月末をもって解除され、1カ月あまりで再び厳しい対策を求められる事態となった。中村さんは「今回の措置は緊急事態宣言よりも一段階低い呼びかけなのかなという印象。感染者は減ってほしいけれど、緊急事態に比べて効果は薄そうだ」と話す。
大阪府では4日、593人の新規感染者が確認され、6日連続で東京都を超えている。バス停で並んでいた大阪市東淀川区の会社員、井上徹さん(57)は「感染者が増えると感染リスクが高まるので措置は理解できる。これまで以上に不要不急の外出を控え、気を付けたい」と気を引き締める。
重点措置の対象となった仙台市のJR仙台駅周辺でも早朝からマスク姿の通勤客らの姿が見られた。同市内の職場に出勤途中の宮城県大崎市の会社員、佐々木萌郁(もか)さん(18)は「いつも通り電車も混んでいて緊急事態宣言時のような危機感はない。友人の間でもコロナは東京の話で、すでに過去の話題という雰囲気だ」と語る。
仙台市内では5日から飲食店の営業が午後8時までに短縮される。大崎市の男性会社員(69)は「マスクをしないで飲食する一部の人から感染が広がるリスクは低くなるのでは」と重点措置の効果に期待を寄せた。【園部仁史、藤田花】

無症状患者受け入れのホテルから無断帰宅…40代男性、職員の声かけにも無言で

神奈川県内では4日、新たに142人の新型コロナウイルス感染が発表された。先月の緊急事態宣言解除以降では最多となった。死者は確認されなかった。
居住地別では、横浜市69人、川崎市20人、相模原市17人、厚木市7人、小田原、藤沢市が各6人、鎌倉、横須賀市が各3人、秦野、平塚市が各2人、綾瀬、伊勢原、海老名、座間、南足柄市が各1人、その他2人。
横浜市青葉区の日体大水球部では、部員8人の感染が判明。同部の感染者は計9人となり、市はクラスター(感染集団)と認定した。
また県は、新型コロナの無症状・軽症患者を受け入れている「新横浜国際ホテル」(横浜市港北区)に入居中の40歳代の男性が無断で帰宅したと発表した。
発表によると、同日午前9時50分頃、男性が外出しようとしたため県職員が声をかけたところ、無言で走り去ったという。男性はその後、地下鉄やバスを利用して横浜市戸塚区の自宅に戻った。退所予定日は6日だった。飲食店などには出入りしていないといい、県は新たな濃厚接触者は発生していないとみている。