河井元法相、衆院議員を辞職 19年参院選、公判で買収認める

衆院は1日の本会議で、元法相の衆院議員河井克行被告=自民離党、衆院広島3区=の辞職を許可した。2019年参院選で公選法違反(買収、事前運動)の罪に問われ、当初は無罪を主張したが、3月の東京地裁公判で買収を認めた。辞職に伴う補欠選挙は行われず、次期衆院選に統合される。
河井被告は妻の案里前参院議員=有罪確定=が立候補した参院広島選挙区で、地元議員ら100人に計約2900万円を配ったとして起訴された。菅義偉首相は参院選で案里氏を全面支援した。
昨年9月の菅政権発足後、自民党に所属した議員の辞職は3人目。河井被告夫妻と吉川貴盛元農相=収賄罪で在宅起訴。

がん手術後死亡、医師を書類送検 業過致死容疑、金沢医科大

金沢医科大病院(石川県内灘町)で2015年、肝細胞がんの手術を受けた70代男性に必要な処置をせず死亡させたとして、県警が業務上過失致死の疑いで当直担当だった医師を書類送検していたことが1日、遺族の代理人弁護士への取材で分かった。遺族が県警に告訴状を出していた。
弁護士などによると、男性は15年11月、肝細胞がんを死滅させる「ラジオ波焼灼術」を受けた際、横隔膜から大量出血。その後、出血性ショックで死亡した。県警は、医師が輸血や止血など適切な処置を怠ったと判断したとみられる。

東日本「余震」発表なくす 気象庁、新たな地震へ警戒促す

気象庁は1日、東日本大震災の震源域周辺での地震を全て「余震」と発表してきた運用をやめた。震源域周辺での地震回数が震災以前の水準に近付く一方、周辺では今後30年以内に大規模な地震が高い確率で起きると想定されており、規模が基本的に小さくなる余震よりも、新たな地震への備えを促すためだ。
気象庁によると、これまでは震源域周辺の縦600キロ、横350キロの区域で発生した地震は全て「余震」として発表してきた。
周辺のマグニチュード(M)4以上の地震は震災前は1カ月平均11・5回。震災のあった平成23年3月は3千回を超えたが、昨年は1カ月平均14回にまで下がっていた。
また、震源により近い区域では地震が多発した震災直後の1年と違って地震がほぼゼロとなり、地震が起きるのは同じ震源域周辺でもより外側に移っていた。
気象庁の担当者は「震源域周辺で発生した地震が震災に直接起因するか、明確に判断するのは難しくなってきた」と指摘している。
一方、震源域周辺の日本海溝沿いは、政府の地震調査委員会がマグニチュード(M)7~7・5程度の大地震が今後30年で起きる確率を90%以上と想定しており、引き続き地震や津波への警戒が必要な地域だ。
気象庁は本震後の地震の方が大きかった平成28年の熊本地震を機に防災上の呼びかけで余震の表現を使うこともやめており、今後は余震の表現が気象庁の発表全体からなくなる可能性もある。

警察施設内の脱衣所で同僚をのぞき見、巡査2人懲戒処分

警察施設内の脱衣所で同僚の職員をのぞき見たとして、岐阜県警が本部の部署勤務の巡査2人を、それぞれ減給10分の1(3か月)と同(1か月)の懲戒処分にしていたことが、県警への取材で分かった。処分は2月4日付。監察課によると、2人は処分後に依願退職した。県警の調べに対し、2人は警察施設以外でのぞき行為は行っていないと答えたという。

ロボットアームと機械の間に挟まれ窒息死…自動車部品製造会社

3月30日午後11時頃、高知県香美市香北町

蕨野
( わらびの ) の自動車部品製造会社「松村鉄工所美良布工場」で、同市物部町大栃、会社員上池豊さん(56)に、自動車部品を製造するロボットアームがぶつかり、背後の機械との間に胸を挟まれた。同市内の病院に搬送されたが、約2時間30分後に死亡が確認された。胸を圧迫されたことによる窒息死とみられる。
南国署の発表によると、上池さんは1人でアームの近くで作業をしていたが、午後11時50分頃、姿が見えないことを心配した同僚が様子を見に行って発見した。同署は業務上過失致死容疑を視野に、会社から事故の状況などを詳しく聞く。

福島県庁に「TOKIO課」設置 連携して県の魅力発信

福島県は1日、人気アイドルグループTOKIOと連携して県の魅力を発信する「TOKIO課」を設置した。TOKIOはテレビ番組で何度も県内を訪れるなど東京電力福島第1原発事故による風評被害の払拭(ふっしょく)に取り組んでおり、県は今後も力強いパートナーとタッグを組むことになった。
TOKIO課はバーチャルの組織で、県企画調整課がグループの活動を補助する際の窓口を務める。市町村や各種団体など関係機関との橋渡し役となり、グループの企画実現をサポートする。
株式会社TOKIO(城島茂社長)は「今後、福島の皆さんと一緒に福島を楽しんでいただけるプロジェクトを考えております。そんな僕たちの経験も交え、福島県とできること、やれることを考えていこう、今日という時を、未来という時を実現していこう。そんな思いで設置していただきました」とコメントを発表した。
内堀雅雄知事は取材に対し「私たちが一番つらい時、苦しい時、TOKIOは全国に福島の魅力を発信してくれた。今後もTOKIOが福島というフィールドで、笑顔でのびのびと汗を流しながら活躍していく姿が『福島に行ってみよう』という思いにつながってくれたら」と期待を語った。【高橋隆輔】

「地域のために飲みに来た」町議5人、マスクせず会食…女性数人同席し2時間半

岩手県雫石町議5人が3月、同町内の飲食店で2時間半以上にわたり飲酒を伴う会食を開いていたことがわかった。新型コロナウイルスの感染防止のため、県や町が会食は大人数にならないよう呼びかけている時期だった。
参加した町議によると、会食は3月17日、雫石町の飲食店で午後9時半頃まで2時間半以上開かれた。男性町議5人が参加し、町議以外の女性数人が同席した。会食中は、マスクをせずに会話をしていたという。
この日は町議会定例会の閉会日で、町議同士で慰労するのが目的だった。参加した町議は会食後、「地域のために飲みに来た」などと話した。
3月中旬は同県に緊急事態宣言が発令されていない時期で、営業時間の短縮要請も出ていない。ただ、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、全国に対し、感染リスクが高まる「5つの場面」として、「大人数や長時間におよぶ飲食」や「5人以上の飲食」を示しているほか、食事は短時間で済ませ会話する時はマスクを着用するよう、注意を呼びかけてきた。
県は3月8日に改定した最新の基本的対処方針に、「5つの場面」を避けるよう盛り込んでいる。猿子

恵久
( しげひさ ) ・雫石町長も12日から、ホームページで「会食について大人数になることがないよう、慎重な対応をお願いします」と注意喚起してきた。
「飲食代5000円払うことは、そんなに悪いことか」

飲酒を伴う会食に参加した雫石町議のうち、幅秀哉町議(64)が会食後、取材に応じた。主なやり取りは次の通り。
――なぜ会食をしたのか。
「今日は町議会が終わった。『頑張ったね、飯でも食うか』ということで」
――県や町は、会食が大人数になることがないよう注意喚起している。
「いや、求めていないよ。ちゃんと調べろ。達増知事は、3密に注意して、と呼びかけているはずだ」
――会食では3密を避けていたのか。
「どこまで3密を避けろというのか。議員が集まって飲んだことをあげつらうのか。うちらは(新型コロナは)何にも出てないから」
――町民に選ばれた議員としての自覚はあるのか。
「地域のために飲みに来た。店主に(飲食代として)5000円払うことは、そんなに悪いことか」

入社式、アバターで参加の新入社員も…大阪府は入庁式中止

新年度が始まった1日、全国の企業や官公庁では、様々な工夫を凝らして「密」を避けつつ、新人たちを迎え入れた。
昨年は新型コロナウイルスの影響で入社式を中止した三井住友海上火災保険。今年は、新入社員計272人のうち東京都内在住の48人のみ、千代田区の本店で行われた入社式に足を運んだ。ほかの224人は、それぞれ自分の顔写真が入った分身キャラクター「アバター」として、仮想空間で参加。本店会場内のスクリーンに新入社員の「アバター」が表示されると、拍手が起きた。
船曳真一郎社長は「失敗を恐れずに、創造的な仕事へ挑戦してほしい」とあいさつした。
同じく昨年は入社式を取りやめた川崎重工業は、今年は新入社員や役員ら約250人の出席者全員に事前にPCR検査を受けさせた上で、神戸市内の会場で式を開催。自社開発の自動検査ロボットなどで検査し、全員の陰性を確認した。
一方、感染が急拡大し、「まん延防止等重点措置」が初適用される見込みの大阪府は入庁式を中止。コロナ禍の厳しい経済状況の中、「新たな就職氷河期を招かない」として前年度より約100人増の542人を採用し、8会場に分けて事務手続きの説明会を開いた。

「宣言」解除前にカラオケ大会、計7人がコロナ感染

埼玉県は31日、変異した新型コロナウイルスを調べる県のPCR検査で、新たに8人が陽性となったと発表した。県内の変異ウイルス感染者は計72人となった。
県内では同日、新たに152人の新型コロナウイルス感染が確認された。150人超となったのは3月13日の183人以来。死者はおらず、県内の死者は累計700人のまま。
新規感染者の内訳は県発表が83人、さいたま市が36人、川口市が17人、越谷市が10人、川越市は6人。県内の感染者は累計3万2828人となった。クラスター(感染集団)関連施設での新規感染はなかったが、緊急事態宣言解除前の3月中旬に行われたカラオケ大会に参加した高齢女性1人が含まれ、同大会参加者の感染者は計7人となった。
また、越谷市は、市内公立保育所に勤務する市職員と消防署職員の感染が判明したと発表した。
県によると、31日夕現在、入院者は指定医療機関と一般医療機関で479人で、うち重症者は36人。ホテル療養は313人、自宅療養は331人。医療機関の退院やホテル・自宅療養の終了者は3万708人。

「大地の子」は終わっていない 置き去りにされた日本人たち、問題は2世に

中国残留孤児が訪日調査に参加し、初めて故郷の地を踏んで今年で40年になる。故山崎豊子さんの小説「大地の子」でも描かれ、その壮絶な人生は1980~90年代にかけて社会的関心を集めた。帰国者への支援法などで孤児たちを巡る環境は整備されつつあるが、問題は今、子ども世代にも広がっている。(共同通信=山上高弘)
中国残留孤児は戦前・戦中に国策で中国東北部(旧満州)に渡り置き去りにされた人々で、戦後しばらくして、その多くが帰国を果たした。1981年3月に初めて訪日調査が行われ、国に認定されて永住帰国したのはこれまでに2557人。孤児は終戦時おおむね13歳未満だったとされ、それ以上だった「婦人等」を合わせた永住帰国者は6724人に上る。残留孤児をテーマにした山崎さんの代表作の一つ「大地の子」は91年に 単行本が刊行された。その後、NHKドラマにもなり、俳優の上川隆也さん が孤児の役を熱演したことで知られる。

▽ママと呼べなかった
「1993年11月、57歳の私は飛行機から降り、深呼吸しました。夢にまで見た自分の祖国に立ち、うれしさでいっぱいでした」。残留孤児の川添緋砂子さん(85)=福岡市=は帰国の瞬間をこう振り返る。
ソ連が満州に侵攻した45年8月9日、川添さんは父の仕事で現在の黒竜江省にいた。家族と共に原始林の中を必死に逃げ回り、何日も歩き続け、草や木の葉を食べてしのいだ。20日、ソ連軍に遭遇し、同省牡丹江の収容所に送られた。身重だった母は出産後に亡くなり、生まれたばかりの赤ちゃんは中国人に引き取られた。生死は分からないままだ。
その後、父や妹とハルビンの収容所に移された。10月の満州の雨はいてつくほど冷たく、寝具や食料もない中、コンクリートの床で眠り、ただ死ぬのを待った。ソ連兵は毎日、死んだ人を乱暴にトラックに載せていった。
家族との写真を前に、思いを語る中国残留孤児となった川添緋砂子さん=2020年2月、福岡市
ある朝、父が息を引き取った。飢えと寒さで起き上がる力もなく「父が運ばれていく姿をただ目で追うことしかできなかった」。その夜、もうろうとしていると足音が聞こえた。父の知人の中国人たちに川添さん姉妹はそれぞれ引き取られた。
出稼ぎでハルビンにいた養父に男手一つで育てられた。小学生になり、同級生に日本人だと知られると石を投げられるなどのいじめが続いた。「誰も知らない場所に行こう」と、養父の故郷、山東省青島に移った。初めて養母に会った時は「身長は低く、顔が黒くて美人じゃない」と思ったという。養父に促されても、どうしても「ママ」と呼べなかった。
春節(旧正月)前のある日、半年ぶりに中学の寄宿舎から片道35キロの道を歩いて帰省すると、養母は外で雪まみれになって待ち続けていた。「私は初めて大きな声で『ママ、ママ…』と叫びました」。養父母の愛情に応えようと一生懸命勉強し、小学校の教師になった。
93年に帰国を果たしたが、日本語は話せず外出できない日々が続いた。「小学生の孫の宿題も分からず、恥ずかしかった」。60歳を過ぎて日本語学校に通った。「同じ境遇の孤児の力になりたい」と、帰国者の会での活動も続けてきた。
2世への支援拡充を訴える川添緋砂子さん=福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
2007年の帰国者支援法改正を受け、川添さんら1世の暮らしは改善されつつあるが、最も懸念するのは大人になってから親と共に日本へ渡った高齢の2世の苦境だ。「今は1世よりも2世が大変。残留孤児の問題は終わっていない」
▽老後の不安募る2世
「年金、もらえるのは月1万9千円。将来が心配。助けてほしい」。「九州地区中国帰国者二世連絡会」会長の小島北天さん(73)=福岡県志免町=は、たどたどしい日本語で打ち明ける。
終戦後の47年、遼寧省奉天(現瀋陽)で中国人の父と残留婦人の母との間に生まれた。母の帰国に伴い97年から日本で暮らすが、「日本語ができない50歳に仕事なかった」
記者会見で中国残留邦人2世への支援拡充を訴える小島北天さん=3月、福岡県庁
平成不況で雇用を切られるなど、転職は6回を重ねた。今は週3日、パートで働きながら妻や娘らと暮らす。年金を合わせても世帯収入は月に十数万円。「もし大きな病気にかかったら大変」
2世は中国語が母語として身についた30代以降での帰国が多い。小島 さんのように残留婦人の子の中には、残留孤児とほとんど変わらない年齢で帰国した人もいる。日本語がうまく話せないため正規雇用を得られなかったり、年金加入期間が短く老後の生活にも不安を抱えたりしている。国は支援法改正で1世への老齢基礎年金の満額支給を認めたが、2世への経済的支援は含まれなかった。17年に同連絡会が福岡、佐賀、長崎、熊本4県で2世を対象に行った調査では、210人のうち6割が生活保護を受けていた。
中国残留邦人の問題に詳しい神戸大の浅野慎一教授(社会学)は「2世は学歴や帰国時の年齢が多様なために共通の課題が見えづらく、苦境の要因が個人の問題として捉えられている。帰国が遅れた責任は国にあり、経済的に困っている2世に必要に応じて支援をするべきだ」と指摘する。
2世への支援拡充を求め、街頭署名を呼び掛ける小島北天さん(左)ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
現在、九州や関西の帰国者らが中心となり、2世への支援法適用を求める署名活動を続けている。全国で計10万筆を集め、6月の国会請願を目指す。交通費などの資金を捻出するためのクラウドファンディングも始めた。(https://readyfor.jp/projects/ncf)
▽未認定の「孤児」
国はこれまでに2818人を残留孤児と認めたが、2012年を最後に新たな認定はない。一方で「日本人として認めてほしい」と、国に訴え続ける人もいる。
「生活難のため子育てができず、5歳の娘を引き渡します」。ハルビン出身の鳳琴(こう・ほうきん)さん(77)=熊本県菊陽町=は色あせたぼろぼろの便箋を取り出した。1949年6月、長野県の開拓団出身の生母と、中国人養父が交わした証明書だ。
中国人養父から手渡された証明書を手にする鳳琴さん(右)。左は夫の庄山紘宇さん=2020年10月、熊本県菊陽町
小さい頃は「日本鬼子」と周囲の子どもたちにいじめられた。18歳で結婚したが、日本人の子どもと知ると夫の態度が一変した。「国に帰れ」と突き放され、ほどなくして離婚した。養父から証明書を手渡されたのは日中国交正常化の72年のこと。身上がはっきりし「日本に帰りたい」との思いが芽生えた。地元公安局に相談して肉親捜しが始まった。
82年、訪中調査団に参加していた生母とハルビンで再会でき、2人で涙した。ただ、生母は父親については口をつぐんだ。その後、手紙を送るなどしても返事はなく、音信不通になった。
孤児の認定を受けるには両親が日本人との証明が必要だ。さんは厚生労働省に申請したが却下された。未婚の子だったのか戸籍になく、父親の証明が不十分だったとみられる。支援団体の協力で証言を集めるなどしたが状況は変わらず、今から10年ほど前に生母が死去したと、人づてに聞いた。
さんは2年半前、87年に帰国した孤児で支援者の庄山紘宇さん(83)と再婚し、配偶者として「帰国」が実現した。日本語は話せないが、夫婦で仲むつまじく暮らす。「故郷に帰れてうれしい。ただ自分のような境遇の人は中国にまだ数百人はいる」とも話し、国に柔軟な対応を求める。
満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)の寺沢秀文館長は、十数人の認定支援を個人的に続けてきたが、「時間がたち、新たな証拠を探し出すのは難しい」と話す。
浅野教授は「残留孤児になったのは戦前・戦後の国の政策が不十分だったことに原因があり、自己責任ではない」と指摘した上で、「国はどのような証明が足りず、なぜ認定できないのか情報を開示し、手助けを図るべきだ」と訴えている。
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中国残留孤児 太平洋戦争末期の1945年8月9日のソ連軍による満州侵攻に伴う混乱で、肉親と生き別れたり、死別したりし、現地に取り残された日本人の子どもたち。満州には当時、国策によって日本からの開拓移民が多数居住していた。国の不十分な引き揚げ政策によって帰国が遅れ、公的年金にも加入できなかったため、2007年に帰国者支援法が改正され、特例で老齢基礎年金の満額支給が受けられるようになった。一方で親と共に帰国した子ども世代への経済的支援は盛り込まれなかった。