入院中の男性患者を殺害した同室の男を隠避したとして、元院長(62)らが起訴された青森県八戸市のみちのく記念病院を運営する医療法人杏林会(東京)に対し、県は2日、医療法に基づく改善措置命令を出した。県や市に医師の勤務時間について事実と異なる報告をするなどしていた。
県は杏林会に対し、来年2月28日までに客観的な方法で医師の勤務時間などを把握する体制を構築するとともに、事実と異なる報告をした原因などを調査し、再発防止策を講じるよう命じた。 [時事通信社]
【速報】兵庫県に「記録的短時間大雨情報」 豊岡市付近で1時間に約100ミリの猛烈な雨 災害警戒 2日19:19時点
気象庁は、2日午後7時19分に「記録的短時間大雨情報」を兵庫県へ発表しました。
午後7時までの1時間に、豊岡市付近で約100ミリの猛烈な雨が降ったことが、気象庁の雨量計観測、もしくは気象レーダー解析で分かりました。
【各地の雨量】
▼2日午後7時までの1時間雨量 ・豊岡市付近 約100ミリ
これまでに降り続いた大雨で、災害発生の恐れが高まっています。 ただちに身の安全を確保してください。
<避難について> 特に崖や川の近くなど危険な場所にいる方は、地元市町村が避難情報を発表していないか確認し、状況に応じてただちに「立ち退き避難」や「屋内安全確保」など、適切な避難行動をとってください。
また、市町村が定めた避難場所などへ避難することがかえって危険な場合は、崖や沢から少しでも離れた頑丈な建物や、少しでも浸水しにくい高い場所に移動するなど、身の安全を確保してください。
避難する際は、特に土砂災害に対しては、自宅や今いる場所の外に出て、市町村が定めた近くの指定緊急避難場所や、安全な場所にある親戚や知り合いの家、ホテルなどへ行く「立ち退き避難」が原則です。
なお、洪水や高潮に対しては、ハザードマップなどを参考に、屋内で身の安全を確保できるかを確認したうえで、自らの判断で安全な上の方の階に移動するか、安全な上層階に留まる「屋内安全確保」も可能です。
<記録的短時間大雨情報とは?> 「記録的短時間大雨情報」は、その地域にとって数年に一度しか降らないような記録的な大雨が、短い時間のうちに観測されたことを伝えるもので、5段階の警戒レベルのうち、避難が必要とされる警戒レベル4以上に相当する状況で発表されます。
地元の市町村がすでに「避難指示」を発表しているか、まもなく発表するような、災害発生の危険度が高まっている状況です。重大な災害から身を守る行動をお願いします。
国民・玉木代表、与野党に「頭を冷やして考えた方がいい」…暫定税率廃止に伴う代替財源議論を批判
国民民主党の玉木代表は2日の記者会見で、ガソリン税暫定税率の年内廃止に向け、「(代替財源として)負担を国民に求めたら、物価高騰対策としては意味がない。頭を冷やして考えた方がいい」と述べた。与野党協議では廃止に伴う代替財源として、税制の見直しを議論していることを批判したもので、玉木氏は「税収の上振れもあり、今年分の財源はいくらでも出てくる」と強調した。
勤務実態ない元公設秘書の口座、石井章氏側が管理し「中抜き」か 給与詐取事件
石井章前参院議員(68)=日本維新の会を除名=の秘書給与詐取事件で、勤務実態のない元公設秘書の口座を石井氏の事務所が実質的に管理し、国から支給された給与を「中抜き」していた疑いがあることが2日、関係者への取材で分かった。石井氏が主導したとみられ、東京地検特捜部は詐取された給与の使途など、一連の資金の流れについても捜査を進めているもようだ。
関係者によると、石井氏は元公設秘書に名義貸しを依頼し、届け出。支給された給与の大半が石井氏側にわたる仕組みになっていたとみられる。
勤務実態のない秘書は複数いたとみられ、うち1人は石井氏が理事長を務める社会福祉法人の関係者で石井氏の親族。周囲に勤務実態がなかったことを認めているほか、別の元秘書も産経新聞の取材に「事務所で見たことはない」と話している。
一方で、名義を使われた可能性があるほかの秘書については、石井氏の政治活動に関与していた時期もあることなどから、特捜部は慎重に勤務実態の裏付けを進めているとみられる。
特捜部は8月27日以降、詐欺容疑で茨城県取手市にある石井氏の地元事務所や東京・永田町の議員会館事務所を家宅捜索。事務所関係者への聴取も進めている。
石井氏は今月1日、参院議長に議員辞職願を提出し、許可された。
交際女性を5時間半待ち伏せ 一方的に恨みか 世田谷切りつけ
東京都世田谷区で1日、韓国籍の女性が切り付けられて死亡した事件で、警視庁国際犯罪対策課は2日、女性の交際相手で住所・職業不詳、パク・ヨンジュン容疑者(30)=韓国籍=を殺人容疑で逮捕した。捜査関係者によると、パク容疑者は現場付近で約5時間半にわたり女性を待ち伏せしていたとみられる。警視庁はパク容疑者が一方的に恨みを募らせていたとみて、経緯を調べる。
逮捕容疑は1日午後1時半ごろ、世田谷区野沢2の事務所の入り口付近で、東京都港区の自営業、バン・ジウォンさん(40)の首を刃物のようなもので切り付けて殺害したとしている。パク容疑者は黙秘しているという。
警視庁によると、バンさんはファッション関係の仕事で現場の事務所を訪れており、休憩で外出したところを襲われた。死因は失血死とみられる。
韓国在住のパク容疑者は8月23日に来日し、バンさんの自宅に滞在。別れ話がもつれてトラブルとなり、同29日にバンさんが都内の交番に「暴力を振るわれた」と相談していた。
警視庁はパク容疑者に口頭で注意し、バンさんに近づかないという上申書を書かせたという。パク容疑者には帰国を促し、バンさんを知人宅に避難させた。
パク容疑者は翌30日朝、バンさんの自宅付近をうろつき、不審者として通報された。警視庁は再度、口頭で注意し、成田空港の保安検査場まで送り届けた。
警視庁はパク容疑者が帰国せずに検査場内から引き返したとみている。パク容疑者は1日午前8時過ぎに現場付近を訪れ、襲撃まで約5時間半にわたり待ち伏せしている様子が周辺の防犯カメラに映っていた。
パク容疑者は1日夕に羽田空港で身柄を確保された。【菅健吾、松本ゆう雅】
石破首相が続投表明「国民がやってもらいたいことに全力」…進退「しかるべき時期に判断」
石破首相(自民党総裁)は2日、首相官邸で記者団に対し、7月の参院選惨敗を受けた自身の進退について「しかるべき時期に責任を判断するが、まず国民がやってもらいたいと思っていることに全力を尽くす」と述べ、続投する意向を表明した。党が同日、参院選の総括文書を取りまとめたことを踏まえ、森山幹事長ら党四役はいずれも辞任する考えを示した。
首相は、総括文書について報告したこの日の党両院議員総会の冒頭で、参院選の結果について「多くの同志を失ったことは私の責任だ。幾重にもおわび申し上げる」と陳謝した。その上で、物価高を上回る賃金上昇や米国との関税交渉、コメ問題、防衛力強化などを挙げ、「党として道筋を示す。それが私の責任だ」と言及した。
森山氏は総会で「選挙結果の責任を取るべく、幹事長職を退任したい」との意向を明らかにした。森山氏は「進退は任命権者である総裁にお預けする」とも語っており、首相は「余人をもって代えがたい」として森山氏を慰留する考えだ。総会後には、党四役の小野寺政調会長、鈴木総務会長、木原誠二選挙対策委員長もそれぞれ辞任の意向を首相に伝えた。
党は同日の参院選総括委員会で、「政治とカネ」の問題などが自民離れを招いたと分析し、党再生に向けて「解党的出直し」に取り組むとする総括文書を決定した。その後の総会には、党所属国会議員233人が出席し、参院選の結果や党運営を巡り首相の責任を問う意見が相次いだ。
臨時総裁選の賛否、確認手続き開始
自民党総裁選挙管理委員会は2日、参院選の総括文書が決定したことを受け、臨時総裁選実施の賛否を確認する手続きを開始した。党則6条4項に基づく臨時総裁選の手続きが行われるのは初めてとなる。実施に賛成する国会議員は書面に署名・押印し、8日に党本部に提出することとしており、実施するかどうかは8日に判明する見通しだ。
実施するには、党所属国会議員295人と47都道府県連代表(47人)の合計の過半数の賛成が必要となる。賛成した議員名や都道府県連は公表される予定だ。
「スカート越しに皮膚ただれた」 相鉄線乗客の女性2人けが、座席付着の液体に触れ 海老名-横浜間を走行
相模鉄道は2日、車両の座席に付着していた液体で乗客が負傷したと発表した。戸部署によると、女性2人が太ももに軽傷。座席の一部がぬれ、薬品の臭いがしたといい、同社は当該車両の営業運転を中止した。同署が詳しい状況を調べている。
同社や同署によると、2人は同日午前8時40分に海老名駅を出発した横浜行きに乗車。10号車の座席に座っていた20代の女性が二俣川駅で降り、前に立っていた30代の女性が同じ座席に座った。
30代の女性が横浜駅で降車後、「スカート越しに皮膚がただれた」と駅員に申し出た。女性のスカートに黄色っぽいシミが付着していたという。20代の女性も病院で診察を受けた後、二俣川駅の駅員に申告した。
同じ車両で、約1時間半前に海老名駅を出発した電車に乗った40代の女性からも、座った座席がぬれており、薬品の臭いがしたと同社に連絡があった。女性は「ヒリヒリした」「今までに嗅いだことがない臭いがした」と同署に話したという。
公明幹事長、自民内の衆院解散論を強くけん制…「政治空白を作るべきではない」
公明党の西田幹事長は2日の記者会見で、石破首相の続投を支持する議員らから出ている衆院解散論について「政治空白を作るべきではない。何のための解散かをよくよくお考えいただく必要がある」と述べ、強くけん制した。首相は同日夜に公明の斉藤代表と会食しており、解散論も話題となった可能性がある。
公明は、昨年の衆院選、今年6月の東京都議選、7月の参院選で、いずれも議席を大きく減らしており、早期解散には「ただの自爆解散になる」(幹部)と否定的な立場だ。自民内では首相の擁護派が衆院解散をちらつかせ、「石破降ろし」を抑え込もうとする動きもあるが、西田氏は「今、大事なことは、国民生活を守っていく経済対策を一日も早く打ち出すことだ」とクギを刺した。
斉藤氏は、参院選後も首相の続投を支持する考えを繰り返し述べており、会食後には記者団に「早く政策課題を実行する態勢になってほしい」と語った。会食では、物価高対策や企業・団体献金について意見交換したと説明した。
万座ビーチ沖でダイビング客とインストラクターの男性2人が死亡 沖縄・恩納村
31日午後3時5分ごろ、恩納村の万座ビーチ北側で「ダイビング中の2人が行方不明になっている」とダイビング船の船長から118番通報があった。名護海上保安署によると、行方不明になったのはインストラクターの男性とダイビング客の男性で、午後5時半ごろに別のインストラクターが海中で見つけた。2人は病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。
同署が身元の確認や事故原因を調べている。同署によると、現場は万座ビーチの北約150メートルの海域。同日午後2時45分ごろ、事故に遭った2人を含む計5人でダイビングを開始した。約10分後に、何らかの原因で2人が行方不明になり、通報を受けた同署や石川署などが捜索した。他のダイビング客3人は別のショップのインストラクターに救助されたという。
返還された若き特攻兵の遺品 偶然重なり米国から群馬の遺族へ
終戦から半世紀たって米国から返還された神風特別攻撃隊(特攻隊)の隊員の遺品が、群馬県高崎市の遺族のもとで大切に保管されている。早稲田大の学生だった小川清さんのものだ。機体ごと米国の空母に突撃したのに、時計などが燃えずに残った。清さんの長兄の孫、陽子さん(66)は「みなさんのご尽力があって、偶然が重なって奇跡的に戻ってきた。これには清の魂がこもっているんです」と言う。【福田智沙】
遺品は特注の桐箱に収められていた。裏蓋(ぶた)のない懐中時計、パラシュートのバックル、「川少尉」と書かれた布きれ、友人がささげた短歌が記された血のついた紙切れ2枚、そして数枚の写真――。懐中時計は衝突の衝撃で胸にめりこみ、その裏蓋は、体からはがれなかったとされる。
「敵空母見ユ」22歳の戦死
清さんは1922(大正11)年、江戸時代から続く小料理屋を営む家に、5人きょうだいの末っ子として生まれた。旧制高崎中(現高崎高)、早稲田第二高等学院を経て、早稲田大政経学部に進んだ。世の中を良くしたい、国政に関わりたいとの思いがあったそうだ。
43年、戦況の悪化に伴い、清さんも学徒出陣した。谷田部海軍航空隊(茨城県)で訓練を受け、45年5月11日早朝、鹿屋基地(鹿児島県)から「第七昭和隊」の一員として出撃。沖縄の海で目標米軍空母「バンカーヒル」を発見して「敵空母見ユ」と打電し、突っ込んだ。22歳の戦死だった。
陽子さんは中学時代、清さんの母である曽祖母としたやりとりを、はっきり覚えている。遺影を指して、誰かを問うと「私の息子」と答え、こう告げられた。「『頼むから清、戦争には行かないでくれ』と泣いてすがった」
時がたち、2000年末、家族の元に一通の手紙が届く。米国在住の日本人からだった。バンカーヒルに乗っていた米兵の孫が清さんの遺品を発見し、遺族に返還したいとの内容だった。
布きれや短歌、当時の記録などから清さんの遺品と特定。思わぬ知らせだったが、陽子さんは「無我夢中でした。大叔父の遺品が見つかったということで、いただきに行かなければという気持ちでした」と振り返る。翌年3月に母の幸子さん(93)らと渡米し、遺品を受け取った。「沖縄の海で亡くなったことは聞いてはいましたが、バンカーヒルに突っ込んだことは手紙などで初めて分かったんです」
体は小さかったが、聡明で笑顔が絶えなかったという清さん。遺品が戻り、その生き様をもっと知りたいと、陽子さんは鹿児島や沖縄に出かけた。さまざまな資料を調べ、清さんを知る人にも会った。戦友からは「ハンサムで頭のいい青年」と聞いた。
「奇跡の時計」紙芝居に
一方で、清さんは加害者であり、被害者であることも痛感した。陽子さんの夫の愛之(としゆき)さん(71)は「戦争って、考えてみたら自分の家族が殺人者になる。それは耐えられないこと。そういう悲惨なことがあったのは忘れてはいけない」
今年は戦後80年だが、節目だから清さんを強く意識するということはない。愛之さんは言う。「いつも同じ気持ち。遺品は身近なもの。ふとした瞬間に目にすると、自然に思い出すんです」
8月8日、高崎市内で紙芝居「奇跡の時計」が上演された。実話をもとに、陽子さんらが高崎市遺族の会と協力して制作した。紙芝居は、清さんの最後の手紙で締めくくられる。
<お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として、出撃する事になりました。思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育ったことを考えると、感謝の念で一杯です。まったく自分ほど幸福な生活を過ごした者は、外に無いと信じ、このご恩を君と父に返す覚悟です。あの悠々たる、白雲の間を越えて、坦々(たんたん)たる気持ちで、私は、出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。人は、一度は死するもの、悠久の大義に生きる光栄の日は、今を残してありません。父母様もこの私の為に喜んで下さい。ことに、母上様には、ご健康に注意なされ、お暮し下さる様、なお又、皆々様のご繁栄を祈ります。清は、靖国神社に居ると共に、いつもいつも父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。清は、微笑んで、征きます。出撃の日も、そして永遠に。>
陽子さんは出撃直前の写真を見た時、涙が止まらなくなったという。「何考えて、このトラックに乗っていたんだろうって。これから死にいく人が。顔面蒼白(そうはく)で、決して笑顔ではないですよね」
そしてこう続けた。「大叔父らの犠牲の上に、私たちは今生かされている。それは本当にありがたいこと。戦後90年になったら、動きが取れなくなるかもしれません。遺品はいつか、資料館のようなところで保管していただくかもしれません。健康でいられる以上は守っていきたいですし、皆さま方にお伝えしたい気持ちでいっぱいです」。遺品は昨年に続き、今秋も高崎市内で展示される予定だ。