大阪・ミナミの繁華街、道頓堀で17歳の少年3人が刺され、1人が死亡した事件で、大阪府警捜査1課は6日にも、負傷した2人に対する殺人未遂容疑で、無職岩崎龍我容疑者(21)を再逮捕する方針を固めた。捜査関係者への取材で分かった。
捜査関係者によると、岩崎容疑者は先月14日午後11時55分ごろ、大阪市中央区心斎橋筋のビル1階エントランスで、少年2人の上半身を刃物で刺し、殺害しようとした疑いが持たれている。
1人は一時意識不明だったがその後回復し、今月初めに退院。もう1人も重傷を負ったが退院したという。 [時事通信社]
生後1カ月の娘を殺害した疑い 21歳の両親を逮捕 読谷村
昨年5月に生後約1カ月の娘を殺害したとして、県警は5日、両親のアルバイトの容疑者の男(21)と介護助手の容疑者の女(21)=いずれも読谷村=を殺人容疑で逮捕した。県警は捜査に支障があるとして、2人の認否を明らかにしていない。
県警によると昨年5月4日午後5時ごろから翌5日午後3時ごろまでの間、当時住んでいた読谷村高志保のアパートの一室で、何らかの方法で娘の頭に強い衝撃を与えるなどして殺害した疑いがある。
容疑者の男が同日午後3時過ぎに119番通報。娘は心肺停止状態で病院に救急搬送され、その後死亡が確認された。県警によると、昼ごろには亡くなっていたとみられる。死因は外傷性脳障害。頭部以外にも、体に複数の皮下出血があったという。
県警は同日午後5時20分ごろ、病院から「搬送された女児の死亡を確認した」と110番通報を受けた。遺体の状況から事件性があると判断し5月7日、嘉手納署に知念克幸刑事部長を本部長とする74人態勢の特別捜査本部を立ち上げた。医師など複数の専門家から意見を聴いたという。
複数の皮下出血が確認されていることから、県警は日常的な虐待行為がなかったどうかも含めて調べている。
「落ちろ」「死ねや」【旭川女子高生転落殺人】SNSトラブルから凄惨な事件に 内田梨瑚被告(23)は殺意を否認も「梨瑚さんが押した」と共犯者の証言
2024年、北海道旭川市で当時17歳の女子高校生を橋から川に落とし殺害したとして、殺人などの罪で起訴されている内田梨瑚被告(23)の裁判員裁判が、5月25日に初公判を迎えます。
事件のきっかけは、被告がラーメンを食べる画像を被害者の女子高生が無断でSNSに使用したことでした。内田被告は殺意を否認していますが、すでに実刑判決を受けている共犯者は「梨瑚さんが押した」と証言していて、双方の主張が食い違っている中、裁判の行方が注目されます。
「どう落とし前つけんの?」SNSトラブルから残忍な犯行へ
内田梨瑚被告は、殺人、不同意わいせつ致死、監禁の罪で起訴されています。
起訴状などによりますと、内田被告は2024年4月、当時19歳の女(すでに懲役23年の実刑判決で服役中)らと共謀し、留萌市に住む当時17歳の女子高生を軽乗用車に乗せ、旭川市まで約4時間にわたり監禁しました。
事件のきっかけは、内田被告がラーメンを食べている画像を、女子高生が無断でSNSに使用したことでした。これに因縁をつけた内田被告は「どう落とし前つけんの?誰に喧嘩売ってんの?」などと脅し、女子高生は解決金として電子マネーで10万円を払うことを提示しました。
しかし、送金がうまくいかなかったことから、内田被告らは殺害の前日に留萌市の道の駅を訪れ、初めて女子高生と会ったとみられています。
車で連れ回す途中、立ち寄った旭川市のコンビニエンスストアなどでは、女子高生に馬乗りになって顔を殴るなどの暴行を加え、抗えない精神状態に追い込みました。さらに、旭川市郊外の景勝地、神居古潭にある神居大橋の付近で、着衣を脱ぐよう命令。土下座で謝罪させ、その様子をスマートフォンで撮影しました。
そして、橋の欄干に座らせると「落ちろ」「死ねや」などと言い放ち、約10メートル下の石狩川に落として殺害した罪に問われています。女子高生は5月下旬、下流で遺体となって発見され、死因は溺死でした。
食い違う供述、最大の争点は「殺意」と実行行為
内田被告の代理人弁護士によると、被告は殺意と実行行為について否認しています。弁護側は監禁と不同意わいせつについては争わないとしていますが、殺人と、不同意わいせつと死の因果関係については争う方針です。
捜査関係者によると、内田被告は当時の取り調べに対し「橋から落ちたかどうかは知らない。置いてきただけだ」という旨の供述をしていました。
しかし、共犯としてすでに懲役23年の判決が確定している受刑者の女(当時19)は、「梨瑚さん(内田被告)が押した。私は押していない」と自身の裁判で証言。
この受刑者の女は、内田被告の裁判でも証人として出廷する予定で、殺人の実行行為性を示すうえで重要なポイントになるとみられています。
拘置所での内省と「受け取られなかった謝罪文」
弁護士によると、最近の内田梨瑚被告の様子について、「調べが続いているころは、警察や検事と闘っているみたいところもあったので表情も硬かったが、調べが終わって拘置所に行って、自分の時間が持てるようになったら表情も変わってきた」と話しています。
被害者家族への謝罪文を書き上げたそうですが、被害者側は受け取りを拒否したということです。
内田被告の裁判員裁判は5月25日に初公判を迎え、判決は6月22日に言い渡されます。
救急車が脱輪し搬送18分遅れ、妊婦は流産…病院は「因果関係ない」とする一方で消防本部が謝罪
群馬県太田市消防本部は5日、妊娠していた同市の20歳代女性を搬送中の救急車が脱輪し、搬送が18分遅れたと発表した。女性は流産した。病院は搬送の遅れと因果関係はないとしているが、消防本部は女性と家族に謝罪した。
発表によると、4日午前4時55分頃、同市浜町のコンビニ店駐車場にいた男性から「妻が妊娠21週で下腹部痛」と119番があった。駆けつけた救急車が女性のかかりつけの栃木県佐野市の病院に向かったが、対応が困難だったため、同県下野市の自治医科大学付属病院に行き先を変えた。
しかし同7時5分頃、同市上台の幅5メートルの農道で、対向のトラックとすれ違う際に脱輪。応援要請された現地の救急隊が18分遅れで同病院に搬送した。
農道の走行は、カーナビの表示に従ったという。
《“ファーコート姿”で法廷を後に》「店長が好きだった」「私も過呼吸になるほどビンタされ…」田野和彩被告が告白した“鬼畜店長”とのいびつな関係 裁判長は「どうして別れなかった?」
「店長が好きだったのもあるし……Xさんの様子をみていたら、『夜の世界では(立ちんぼは)あり得ることなのかな』と思っていました」──3月4日に東京地裁で行われた公判で田野和彩被告(21)は、やや言葉を詰まらせながらこう言った。
被告人質問で明らかになったのは、共犯とされている元交際相手の鈴木麻央耶容疑者(逮捕当時39)と被告の異常な関係性と、暴力が横行する日々の様子だった──。【前後編の後編。前編から読む】
初公判の冒頭陳述などによれば、田野被告は愛媛県出身で大学進学を機に上京。2023年4月ごろから、鈴木容疑者が切り盛りする”昼ガールズバー”で勤務するようになった。通っていた大学は、入店後に退学したという。
同年から被告と鈴木容疑者は交際関係に。もともとは他の従業員らと同じく、接客や客引きをしているだけだったが、入店の翌年にはマネージャーに昇格し、公私とも鈴木容疑者の”パートナー”になった。これまで、被害者に対し立ちんぼを強要した鈴木容疑者に同行し、新宿・大久保公園へ”監視”に訪れていたこともわかっている。
公判の場面に戻ろう。まず、田野被告は被告人質問の冒頭で、弁護人の問いに対しこう述べた。
共犯の元店長から自身も暴力を振るわれ…
「マネージャーをしていたのにもかかわらず店長を止めることもできず、Xさん(被害者)には精神的にも肉体的にも辛い思いをさせて申し訳ないと思っています」
売春の指示については「自らしたことはない」とし、鈴木容疑者がほぼ毎日、X氏の立ちんぼの様子を現地で”監視”していたのに対して、自身は「(確認に行ったのは)10回程度」だったという。また被害者のXさんはカード型のGPSを持たされ位置情報を共有されていたが、これに関しても主体性はなかった旨の証言を繰り返した。
続いて、鈴木容疑者がXさんに日常的に行なっていた暴力行為について質問があった。
「(暴力を)止めたことはありませんでした。私自身も店長から叱られたり、暴力を受けたりしたことがあって、怒ると何も言うことを聞いてくれない感じだった。蹴られたり、過呼吸になるくらいビンタを受けたことがあります」
過去に取材したバーの関係者らも、「(鈴木容疑者)はキレると手がつけられない」「客ともよく揉めていた」と答えている。鈴木はこの暴力の矛先を、交際相手かつ仕事上は”右腕”だった田野被告にも向けていたのだ。
被告はさらに反省の弁も述べた。
「お前はストレートにモノを言いすぎる」高市早苗を溺愛する優しい父が”たった一度だけ”きつく叱った言葉
高市早苗氏は、1961年3月7日、奈良県内で、サラリーマンの父の大休(だいきゅう)さんと、奈良県警に勤める母の和子さんの間に、長女として生まれている。
ちなみに、高市氏が7歳の時には、弟で、のちに秘書として長年高市を支える知嗣(ともつぐ)氏が生まれている。
私は高市氏が国会議員になって以来、政局の節目節目にインタビューを行い、彼女の人生についても話を聞いてきたが、高市氏の人格形成に大きな影響を与えた人物といえば、やはり、父の大休さんと母の和子さんの2人である。
父の大休さんは、長女である高市氏のことを誰よりも溺愛し、育てたといわれている。弟の知嗣氏に対しては厳しかったようだが、一人娘は、自慢の存在だったらしく、かわいくてならなかったのだ。
大休さんは、トヨタ系列の機械メーカーのサラリーマンだった。西日本全土を統括する大阪の営業所に勤めていたため、夜中であろうが、休みの日であろうが、仕事の取引先でひとたびトラブルがあると直ちに駆けつけなければいけなかった。真夜中に自ら車を運転して「島根県まで行ってくる」と言い残して、飛び出していったこともあった。
高市氏は、子供ながらに仕事熱心な大休さんの様子を見て、たびたび思っていた。
〈お父さんは本当に責任感が強いんだな〉
そう思い、父のことを誇りに思った。
父はエンジニアではなく営業職だったが、取引先のことを何よりも大切にしていた。そして営業マンだけあって、人当たりも非常によかった。
「相手のことを認めながら、まず褒めて話をしろ」
それが父の口癖で、のちに高市氏は政治家になってからも、たびたび諭すようにアドバイスをされたという。
高市氏は、優しい父の大休さんから、議員になってから一度だけ、きつく注意されたことがある。
「お前は、自分と違った意見を持った相手に対して、ストレートにモノを言いすぎる。アメリカ流の交渉術を、日本に持ち込むのはやめなさい」
大休さんのように、ビジネスの社会で長く生きてきた人の目から見れば、国会での質問や、討論番組などに出演する際の高市氏のやり方は、不必要な敵をつくっているように映っていたようであった。
大休さんとしては「相手を褒めちぎって、そんで一本ひゅ~っと、骨を抜いたるねん」をモットーとして接してほしかったようだ。たとえ、間違った考えだと思っても、まず相手の意見、相手の見識を評価してみせてから、やんわりと自分の意見を言うほうが高市氏にとっても得策だということだろう。
大休さんは言った。
「徹底的に相手を論破した人のほうが立派には見える。でも、お前がそれをする必要はない。政治家だから主張すべきはしてもいいけど、お前の言うことが100%正しいという保証はない。だから、必ず相手の意見も評価して、それでも相手を言い負かそうとする時は、相手の顔を潰さない、必ず相手の逃げ道をつくるやり方を身につけなさい」
高市氏は、気づいてみると、父の指摘に一理あると思った。
高市氏は、国会議員として靖国神社に、たびたび参拝しているが、それは父の大休さんの影響もあるという。
「昭和一桁生まれ、軍国少年最後の世代の父が、小さい頃に私を映画館に何度か連れていってくれたんですが、小学校くらいの時の映画は全部戦争をテーマにした作品ばかり。家の本棚に並ぶ本も、山本五十六や東郷平八郎を主人公とした本が多かった。それから戦争関係の歴史本も多かった。私も父の影響で、東郷平八郎と山本五十六について書かれたものはほとんど読みました」
父の大休さんは軍歌も好きだった。早いうちから安月給でやりくりして、いいステレオを購入して、休みの日にはよく聴いていた。
高市氏も、大休さんと映画に行くのが好きだった。ほとんどが戦争映画だったので、エンディングはたいてい悲しいシーンであった。戦艦が沈んだり、兵隊が亡くなるシーンがあると、子供ながらに見終わると悲しくなり、ワンワンと泣くこともあった。
大休さんは、家族サービスにかこつけて、高市氏を連れ出すことで、自分が好きな戦争映画を見たかったのだろう。当時は、土曜日も出勤が当たり前だったので、休みは日曜日だけ。近くに映画館がないために、高市氏は地元の橿原(かしはら)市から近鉄に乗って、大阪の難波まで遊びに出た。
映画を見たあとは、近鉄百貨店のレストランでお子様ランチを食べて帰るコースが定番だった。映画で泣き崩れても、レストランで食事をしているうちに、いつの間にか笑顔に戻っていった。
父の大休さんは、料理も上手だった。母の和子さんが残業の時などは、もっぱら腕を振るってくれた。高市家では家族みんなでともに夕食を取るという決まりがあり、両親のどちらかが遅い時でも揃うのを待って、必ず一緒に食事を取った。
高市氏が振り返って語る。
「何がおいしかったかというと、あんまり記憶にないですが、時間がない時はすき焼きや鍋物。あとは、肉じゃがや野菜炒め。なんでもおいしくつくってくれました。父に比べると、母は料理下手で、言ったら罰が当たりますが、おいしくないうえに時間がかかって、品数が少ないんです。私もそれを継いでしまって、要領が悪いんです」
高市氏が神戸大学経営学部を卒業し、松下政経塾へと入塾したのも大休さんの影響があったからだという。
高市氏は当時、国家公務員の試験を受けて筆記試験までは通っていた。しかし、土壇場になって「松下政経塾を受ける」と言い出した。そんな気持ちになった背景には、子供の頃から、父の大休さんと食卓で交わしてきた会話の影響があった。
トヨタグループに勤めていた父は、トヨタの取り組んでいる品質管理に始まり、株価の見方、景気、企業のコスト削減の難しさ、アジアやアメリカ、ヨーロッパ、ロシアなどとの貿易事情など、子供向けではない話も、ごく当然のこととして話してくれた。
知らないことばかりだったが、一人前に扱ってもらえることがうれしかった高市氏は、父の話に必死に耳を傾けた。
今思えば、それほど高度な話でもないが、夜逃げした経営者の話や、破産手続きの仕方など、時折ユーモアを交えながら、大休さんは、面白おかしく話してくれた。だからこそ勉強嫌いだった高市氏は、自然に経営に興味を持つようになっていった。神戸大学の経営学部を進学先に選んだのも、父の影響が多少なりともあったのかもしれない。
いつからか高市氏は、「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助のもとで、金融や為替の勉強をしてみたいと真剣に考えることになっていく。
さらに松下政経塾に合格できたのも、大休さんからのアドバイスによるものが大きかった。
三次試験の面接の前日、高市氏は、父の大休さんから松下幸之助の本を1冊、手渡された。
「行きの新幹線のなかで読むように」
さらに、大休さんは言った。
「ひと言だけ、言っておくけど……。参考までの話だから。松下さんはどう思うか知らないけれど、運のいいヤツだと思われるように振る舞いなさい。堂々と、ニコニコしていればいいよ」
父によると、よく会社の面接試験などで、不景気の時には面接官の同情をなんとか買おうと、泣きを入れてくる人がいるのだという。
「父を亡くして、残された母は病気で、自分がこの会社に入らなければやっていけません」
だが大休さんは、そういう同情作戦には否定的だった。
「でも、そんな運の悪い人間を会社に入れたら、社運まで傾いていくと思うから、俺が面接官だったら落とすよ。それだったら、ニコニコして、運のいいヤツだと思われなさい」
それが父がくれたアドバイスだった。
高市氏の面接試験は明らかに失敗だったという。しかし、父の言葉を思い出しながら、面接会場の外に出ると、廊下で松下政経塾の職員がポラロイドカメラを持って待ち構えていた。
子供の頃から、「カメラを向けられたら笑いなさい」と言われて育ったので、ひどく落ち込んでいるにもかかわらず、高市氏は精一杯の笑顔をつくって撮影に臨んだ。
あとで話を聞いてみると、三次試験は松下幸之助本人がその夜、ホテルの部屋で受験者のポラロイド写真を並べて合格者を選んだという。その判定基準は、運のよさそうな顔か、愛嬌のある顔だった。
面接では、極度の緊張によって愛嬌を示す余裕などなかった。だが、ポラロイド写真の撮影時には、思いっ切りの笑顔で映ることができた。
なんと、それが合格の決め手になったのだ。父の大休さんの「ニコニコしていなさい」という教えがあってこそだった。
(別冊宝島編集部)
未成年のサイバー犯罪「闇落ち」に至る3つの格差
2025年を振り返ると、未成年のサイバー犯罪に関する事件がいくつか報道された。
とくに話題になったのは、携帯回線を不正に契約したとして男子中高生が逮捕された事件だ。オンラインゲームで知り合った彼らは、テレグラムで他人のIDやパスワードを大量に入手し、生成AIを使った自作プログラムで不正アクセスして携帯回線の契約を繰り返した。
また、男子高校生が生成AIで作成したプログラムを使い、ネットカフェ運営会社に不正アクセスした事件も注目された。約729万件の会員情報が漏洩した可能性があると発表されたが、本人の供述として「システムの脆弱性を見つけるのが楽しかった」と報じられている。被害者側の現実と釣り合わない軽々しい言葉が気になった。
「ホワイトハッカーに転身させろ」へのいら立ち
これらの事件の報道を受けて、SNSでは「才能のある若者だからホワイトハッカーに転身させろ」という声が上がっていた。「転身させろ」という言葉は、危険だ。踏み外した若者に大きな見返りを与えてしまう。
事件を起こして被害者が生まれても加害者は天才扱いされ、それを後から誰かがリクルーティングする。そう見えてしまえば、ほかの子がそれに続いてしまう。ホワイトハッカーを育成するために被害者を作ることはまったく賛成できない。
また、ホワイトハッカーの仕事では高い倫理観が求められる。顧客の機密に触れる立場で、事前に許可を取り、その範囲内で手順を守る――そういった仕事は、法律やルールから外れた行為を実際にやってしまう人には任せられない。
「犯罪なのだから肯定して持ち上げるべきではない」という声もあった。それは至極当然だ。ただ、「肯定するな」「持ち上げるな」「雇うな」で終わってしまうと、再発防止の手段を考える機会を逃してしまう。
未成年が事件を起こすこと自体は昔からあるが、問題は時代とともに学ぶ環境が変わったことだ。昔はセキュリティの技術を学ぶには、アンダーグラウンドな掲示板や書籍が唯一の情報源だったが、当時はよくも悪くも「技術」と地下コミュニティーの強い「思想やルール」が入り混じっていた。
主に国家権力への対抗が思想の背景にあり、個人の自由や権利を守るために社会に警鐘を鳴らしているという意識を本人なりに持って活動していた者もいた。同時に「やりすぎるな」「越えてはいけない一線がある」という暗黙のルールも存在していた。
今は技術と思想が分離されている。技術的な手順だけが切り出され、動画やネットで簡単に試せるようになった。
情報格差が生む「歪んだ入り口」
高市首相が配布したカタログギフトが不評…自民党内からは「いらない」の声続出
政治資金の放漫な使い方に批判が集まる、高市首相のカタログギフト配布。本人にもうしろめたさがあるのか、3日の予算委員会で高市は「批判を受けるのであれば、法律には抵触しないが慎みたい」と答弁した。
高市首相が送ったカタログギフトは、3万3900円(税込み)の商品。衆院選で当選した自民議員315人全員にお祝いとして配布し、支払った総額は1000万円を超える。「相変わらず自民党は庶民感覚とかけ離れている」と野党議員があきれるのも、もっともな話だ。
ただ、だいぶ気前よく大金をはたいた割には、カタログギフトに対する自民党内の反応があまりよろしくない。あるベテラン議員の事務所関係者はこう話す。
「うちの議員は当選回数を重ねているし、そこまで生活に困っていない。3万円程度のものなら、正直いらないかな。ギフトは若手の秘書にあげようかと。ただ、若い議員なんかはうれしいだろう。自民党の国会議員であるからには、安いスーツやネクタイを着けるわけにはいかない。特に新人は、身の回りの品をそろえるのに金がかかって大変だろうからね」
しかし、若手からの反応もイマイチだ。
「しょぼいとは言いませんが、総理が贈った品物の割にあまり高級感がないというのが本音です。うちの議員は『国政の当選祝いで、3万円のカタログギフトか』なんてボヤいていました。ギフトは選挙を頑張ってくれた若手スタッフにあげようかな」(若手議員事務所の関係者)
ある中堅議員は高市をフォローしつつも、こう苦言を呈する。
「総理の気持ちはとてもうれしい。自民党は先輩が後輩に贈り物をする文化があり、それを体現した。しかし、案の定騒動になり、少なからず野党や世間の反感も買った。こんなことになるなら、やらない方がよかったでしょう。ギフトの使い道? 考え中です」
高市首相はカタログギフトについて「大変厳しい選挙を経て当選したことへのねぎらいの気持ちも込めた」と話している。その気持ちが届くどころか、不評まで買う始末。いらぬハレーションを起こした分、やるだけマイナスだったか。
◇ ◇ ◇
高市首相の暴走ぶりについては、関連記事【もっと読む】【さらに読む】などでも詳しく報じている。
イラン拘束の邦人は2人 外相、早期解放を要求
茂木敏充外相は6日の衆院外務委員会で、イランで拘束されている邦人は2人だと明らかにした。2人とは連絡が取れており、現時点で安全であることを確認していると説明。「政府として早期解放を強く求めるとともに、引き続き本人や家族、関係者と連絡を取りつつ、できる限りの支援を行う」と述べた。
2人のうち1人は1月20日に現地当局に拘束されたNHKのテヘラン支局長とみられる。
茂木氏はイラン在留邦人について、米イスラエルの攻撃開始後に全員の安否を確認したと強調。「約200人のうち4分の3程度が永住者で、現地を離れたくないという人が多い」と語った。
武器輸出容認、高市首相に提言 与党調査会、戦闘機や護衛艦も
自民党と日本維新の会の安全保障調査会は6日、防衛装備品の輸出ルール緩和を高市早苗首相に提言した。輸出を非戦闘目的に限定する「5類型」を撤廃し、戦闘機や護衛艦など殺傷・破壊能力を持つ武器の輸出を原則容認する内容が柱で、戦闘中の国への輸出も例外的に認める余地を残した。政府は提言を基に今春にも防衛装備移転三原則の運用指針を改定する。
首相は提言に賛同した上で「5類型撤廃について国民にしっかり説明していく」と応じたという。面会後、自民の浜田靖一、維新の前原誠司両安保調査会長が記者団に明らかにした。
浜田氏は「防衛産業が日本の防衛力を支える。(装備を)安定供給できる形をつくっていく」と産業基盤強化の意義を説明した。前原氏は「『死の商人』からたくさん高いものを買わされ、日本の防衛産業が脆弱化した」と指摘した。
提言は、防衛装備品を殺傷、破壊能力の有無で「武器」と「非武器」に分類。非武器輸出先は制約を設けず、武器は秘密保護など「防衛装備品・技術移転協定」締結国に限定した。