【速報】クマに襲われた現場付近で血の付いたシャツ 腕時計や催涙スプレー 不明男性の物とみられる 羅臼岳

斜里町の羅臼岳で、クマに襲われた20代の男性の捜索が続いています。
先ほど、男性のものとみられる血の付いたシャツも見つかりました。
14日午前11時ごろ、斜里町の羅臼岳で友人と下山中だった20代の男性がクマに襲われました。男性は、林の中に引きずりこまれ、今も行方不明です。15日は午前5時半から、警察などが18人態勢で捜索を再開。これまでに、男性のものとみられるシャツや腕時計、財布などが見つかりました。シャツは破れていて、血の痕も残っていました。近くには、引きずられたような跡もあったということです。警察はドローンなども使って捜索を続けています。

【全文】全国戦没者追悼式 天皇陛下お言葉 新たに「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」の文言加わる 終戦から80年

15日、終戦から80年を迎え、東京・日本武道館では、天皇皇后両陛下出席の下、「全国戦没者追悼式」が開催されました。正午の黙とうの後、天皇陛下はお言葉を述べられました。お言葉の全文は以下の通りです。
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本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来80年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

石破首相、戦没者追悼式で先の大戦の「反省」に言及…野田元首相以来13年ぶり

石破首相は、15日の全国戦没者追悼式での式辞で「あの戦争の反省と教訓を今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べ、先の大戦の「反省」に言及した。
首相周辺は、首相の意向だと強調した上で、「戦後80年を迎えるにあたり、再び戦争を絶対に起こしてはならない思いを突き詰めた末に入った」と説明した。
首相の式辞に反省の文言が盛り込まれたのは、民主党政権下の2012年の野田元首相(立憲民主党代表)以来、13年ぶり。
反省への言及は、過去の植民地支配と侵略を明確に認めた戦後50年談話を出した村山元首相から定着した。村山氏は1994年の式辞で「アジアをはじめとする世界の多くの人々に、筆舌に尽くし難い悲惨な犠牲をもたらした」として「深い反省」を表明した。
安倍元首相は第1次内閣の2007年に言及したが、第2次内閣以降では使わず、「教訓を深く胸に刻む」などと述べていた。

「ゾンビ・タバコ」指定薬物エトミデート所持容疑で18歳を逮捕 沖縄で逮捕相次ぐ 海外では社会問題に

「笑気麻酔」と呼ばれる指定薬物エトミデートを含むリキッドなどを所持したとして、沖縄県警宜野湾署は15日、宜野湾市の無職少年(18)を医薬品医療機器法違反などの疑いで逮捕したと発表した。捜査に支障があるとして認否を明らかにしていない。
署や県警組織犯罪対策課によると、少年は5月29日午前、宜野湾市内の自宅で指定薬物のエトミデートを含む液体約0.2グラムを所持した疑いがある。少年が所持しているとの情報提供が署にあり、同日に家宅捜索したところ発見。鑑定の結果を踏まえて8月13日に逮捕した。自宅からは大麻の植物片約0.19グラムも出てきたため、同署は麻薬取締法違反の疑いでも逮捕した。
エトミデートを含むリキッドは電子たばこで吸引する「笑気麻酔」と呼ばれ、県内の若者たちの間で使われている。乱用すると意識混濁や手足のしびれなどの症状が出るという。海外では「ゾンビ・タバコ」としてまん延し、社会問題となっている国もある。
5月に新たに指定薬物となり、エトミデートを含む製品の所持や使用、流通が禁止されている。県内では7月以降、10~20代の若者のエトミデート所持での逮捕が相次いでいる。

戦後80年、全国追悼式に3800人 遺族代表「多くの戦没者がいること決して忘れない」

終戦から80年の節目を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で行われた。全国から集まった約3800人の参列者は戦禍に倒れた家族に思いを致し、不戦を誓った。
正午の時報に合わせて1分間の黙(もくとう)がささげられた後、天皇陛下は「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」と述べられた。

石破茂首相も就任後初めて参列し、「悲痛な戦争の記憶と不戦の誓いを継承し、恒久平和への行動を貫く。世界の分断を排して寛容を鼓し、より良い未来を切り拓きたい」と述べた。
遺族を代表して追悼の辞を述べた埼玉県川越市の江田肇さんの父は、引き揚げ中に船が沈没して亡くなった。「国を思い、最愛の家族の幸せを願い、故郷の友や山河を懐かしみながら散華した多くの戦没者がいることを私たちは決して忘れることはない」と語った上で、「争いの虚しさや復興の難しさ、平和の尊さを世界へ訴えることが求められている」と強調した。
参列遺族の最高齢は北海道の長屋昭次さん(98)、最年少は三重県の片山純矢くん(3)だった。

年月の経過とともに戦争体験者は少なくなり、遺族の高齢化も進む。戦没者の父母の参列は平成22年を最後に途絶え、昨年は2人が参列した配偶者も今年はいなかった。

戦後80年の“総理見解”に警戒感、小林元経済安全保障担当大臣「70年談話がすべて」

石破総理が戦後80年に合わせ表明する意向を示している見解について、自民党の小林元経済安全保障担当大臣は安倍政権の「70年談話がすべてだ」と述べ、発出に警戒感を示しました。
去年の総裁選にも出馬し、「ポスト石破」の1人として名前があがる自民党の小林元経済安全保障担当大臣はけさ、東京・九段北の靖国神社を参拝後、記者団の取材に応じました。
この中で、石破総理が表明する意向の戦後80年に合わせた見解について、安倍政権下で閣議決定された戦後70年談話をあげ、「これがすべてだ」と述べました。
自民党 小林鷹之氏 「これ以上、次の世代に対して謝罪をし続ける宿命を負わせるべきではない。その思いが込められた70年談話、これがすべてだというふうに思っています」
また、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長の自民党の逢沢衆院議員は会見で「総理ご自身の独自の言葉で、国民や世界に心の底から伝えたいメッセージをお持ちなのではないか」と話しています。

「日本の終戦記念日」はなぜ8月15日になったのか

かつて「伝説の学習参考書」と呼ばれた名著をご存じだろうか。1976年に初版が発行され、多くの受験生のバイブルとして版を重ね続けてきた『大学への世界史の要点』である。
作家の佐藤優氏が40年以上、たえず読み返してきた「座右の書」であり「最高の基本書」であり「伝説の学習参考書」であるこの名著が、読みやすく完全リライトのうえ、最新情報も加筆されて『いっきに学び直す世界史 第1巻【西洋史 古代・中世】〈世界の原点を学ぶ教養編〉』『いっきに学び直す世界史 第2巻【西洋史 近世・近代】〈現代世界の源流がわかる知識編〉』として生まれ変わった。
特長は、リニューアル復刊にあたって、「歴史の動き」がわかり「通史」が身につくように「ストーリー」を重視して書き直されていること。執筆者が全編チェックし、「半世紀の歴史学の成果」を反映して「最新の内容」を盛り込んでいることだ。
本連載では、同書の執筆を担当した市川中学校・市川高等学校教諭の馬場晴美氏が、「終戦の日」について解説する。
「終戦記念日」はいつ定められたのか
8月15日、今年も終戦記念日をむかえました。
【話題の書】作家の佐藤優氏が40年以上、たえず読み返してきた「伝説の学習参考書」が新登場してベストセラーになっている『いっきに学び直す世界史』
毎年8月が近づくと戦争をテーマとした特集がさまざまなメディアで報道され、今年は戦後80年ということで新聞・書籍やテレビ等でも多く取り上げられています。
しかし、15日を過ぎるとその流れがいっきに収束し、9月になるとほとんど報道されなくなるのが例年の流れです。
たしかに80年前の1945年8月15日の正午、昭和天皇の玉音放送によって日本の降伏が国民に伝えられました。
このことから、8月15日を「日本が戦争をやめた日」として記憶するのは当然の流れです。
しかし、国際的に見るとこの解釈は少し異なります。
ミズーリ号で降伏文書が調印された9月2日もしくは翌日の9月3日を終戦記念日(戦勝記念日)と捉えることが一般的なのです。
では、日本ではいつから8月15日の「終戦記念日」が定められたのでしょうか。
もちろん慰霊や戦争をふりかえることの本質は、日付の問題ではありません。この記事の趣旨も8月15日を変えたいというものではありません。
しかし戦後80年を迎え、直接経験した人が少なくなった今だからこそ、これからも「戦後」を積み重ねていくために必要な「慰霊」について、この8月15日を機に考えたいと思います。
各国における対日戦勝記念日

自民・萩生田光一氏の政策秘書、政治資金規正法違反で略式起訴…検察審査会の「起訴相当」踏まえ

自民党旧安倍派の政治資金規正法違反事件で、同派から受け取った1952万円を政治資金収支報告書に記載しなかったとして、東京地検特捜部は15日、萩生田光一・元党政調会長(61)の政策秘書を同法違反で東京簡裁に略式起訴したと発表した。同簡裁は同日、罰金30万円、公民権停止3年の略式命令を出した。
略式起訴されたのは牛久保敏文・政策秘書(46)。特捜部は複数回にわたって不起訴(起訴猶予)としてきたが、検察審査会の「起訴相当」議決を踏まえて判断を一転させた。一連の事件で検審の議決を受けて刑事責任を追及するのは初めて。
萩生田氏が代表を務める政党支部を巡っては、2018~22年、同派から受け取った政治資金パーティーの収入計2728万円を収支報告書に記載していなかったことが判明。特捜部が昨年5月、会計実務を担っていた牛久保秘書が不記載に関与したと認定する一方、不記載額が多額とは言えないとして起訴猶予とした。
その後、東京第5検察審査会による「不起訴不当」の議決や大学教授からの告発を受けて特捜部が再捜査し、同12月、再び起訴猶予とした。これに対し、同検審が今年6月、「起訴猶予にし続ければ虚偽記載はなくならない」と起訴相当を議決。特捜部が改めて捜査し、公訴時効(5年)にかからない20~22年分の不記載1952万円について立件した。
萩生田氏については、特捜部が不起訴(嫌疑不十分)とし、検審も「不起訴相当」と議決して捜査が終結している。
一連の事件で特捜部は、不記載額が3000万円未満の場合、他の罪と合わせて略式起訴したケースを除いて立件を見送ってきた。今回、2000万円を下回る金額で略式起訴したことについて、特捜部は「検審の議決を踏まえて判断した」としている。
萩生田氏は15日、X(旧ツイッター)に「政策秘書の略式起訴を厳粛に受け止めており、深くおわび申し上げる」と投稿。牛久保秘書の辞職の申し出を受理したとした上で、「政治資金の取り扱いの適正化に万全を期すことを誓う。今後も自らの職責を全うし、信頼回復に努める」とした。

大阪市中心部の扇町公園に乳児の遺体 府警、死体遺棄容疑で捜査

15日午後0時15分ごろ、大阪市北区の扇町公園で「手のようなものが見える」と散歩中の女性から110番があった。大阪府警曽根崎署によると、公園内の植え込み付近で生後間もない乳児とみられる遺体が発見された。身元や死因の特定を急ぐとともに、死体遺棄事件として捜査している。
曽根崎署によると、遺体は下半身や左上半身、顔の一部が土に埋まった状態で見つかったという。署が性別や外傷の有無を調べている。
市中心部にある扇町公園は大型遊具が設置されているほか、休日にはイベントが開かれるなど大勢の市民が利用している。
公園内には規制線が張られ、多くの捜査員が集まって鑑識活動などが行われていた。【大坪菜々美、露木陽介】

遺骨112万柱、いまだ海外に=情報減る中、収集急ぐ―政府

先の大戦により海外などで亡くなったとされる日本人約240万人のうち、現在でも約112万柱の遺骨が回収されていない。戦後80年が経過して遺族や当時を知る現地住民が減少する中、遺骨収集を「国の責務」とする政府は2029年度までを集中実施期間として回収を急いでいる。
国の遺骨収集事業は1952年に始まった。現在は16年施行の戦没者遺骨収集推進法に基づき、「日本戦没者遺骨収集推進協会」(東京)に海外での情報収集や現地調査などを委託している。未回収の約112万柱のうち、中国や北朝鮮など相手国の事情で収集が困難なものは約23万柱、海に沈んでいるものも約30万柱あるとみられる。厚生労働省は残る約59万柱が収容可能とみているほか、20年にはダイバーらの目に触れる可能性のある遺骨を収集する方針を決めた。
ただ、時間の経過とともに当時を知る人が少なくなり、調査に必要な情報も集まりにくくなっている。また、コロナ禍による調査中断や、ウクライナ侵攻によるロシアとの関係悪化の影響も受けた。そこで政府は、昨年度までだった収集の集中実施期間を5年間延長した。
一方、19年にはシベリアから外国人の遺骨を誤って持ち帰っていたことが判明。取り違えが指摘されていた597柱のうち約7割が日本人の可能性が低いとの鑑定結果が出た。同様の誤りはフィリピンでも確認された。
同省は20年、「戦没者遺骨鑑定センター」を省内に設立。22年には遺骨のDNA鑑定を行う独自の分析施設を設置して、鑑定事業を強化している。
それでも、昨年度に鑑定した938件のうち、身元を特定できたのは36件だった。鑑定には遺族からの申請が必要だが、故人を知る遺族自体が減少している上、遺骨が劣化して鑑定できない場合もあるという。同省は「ご遺族にできるだけ早く、一柱でも多くの遺骨をお返ししたい」として、鑑定の実施を呼び掛けている。 [時事通信社]