【速報】熊本県に「記録的短時間大雨情報」 上天草市付近で1時間に約110ミリの猛烈な雨 災害警戒 11日07:57時点

気象庁は、11日午前7時57分に「記録的短時間大雨情報」を熊本県へ発表しました。
午前7時50分までの1時間に、上天草市付近で約110ミリの猛烈な雨が降ったことが、気象庁の雨量計観測、もしくは気象レーダー解析で分かりました。
【各地の雨量】
▼11日午前7時50分までの1時間雨量 ・上天草市付近 約110ミリ
▼11日午前4時40分までの1時間雨量 ・八代市千丁町付近 約110ミリ
▼11日午前4時30分までの1時間雨量 ・氷川町付近 約110ミリ
▼11日午前3時までの1時間雨量 ・美里町付近 約110ミリ
▼11日午前2時までの1時間雨量 ・山都町矢部付近 約110ミリ
▼11日午前2時までの1時間雨量 ・宇城市付近 120ミリ以上
▼11日午前1時50分までの1時間雨量 ・八代市泉町付近 120ミリ以上
▼11日午前1時30分までの1時間雨量 ・美里町付近 120ミリ以上 ・宇城市付近 約110ミリ ・甲佐町付近 約110ミリ
▼11日午前1時30分までの1時間雨量 ・美里町付近 約110ミリ
▼10日午後11時10分までの1時間雨量 ・玉名市付近 約110ミリ
▼10日午後10時10分までの1時間雨量 ・大津町付近 約110ミリ
▼10日午後10時までの1時間雨量 ・菊池市付近 120ミリ以上 ・長洲町付近 約110ミリ ・和水町付近 約110ミリ
▼10日午後10時までの1時間雨量 ・熊本市北区付近 約110ミリ ・山鹿市付近 約110ミリ ・合志市付近 約110ミリ ・玉東町付近 約110ミリ
▼10日午後9時50分までの1時間雨量 ・玉名市付近 約110ミリ ・菊池市付近 約110ミリ
これまでに降り続いた大雨で、災害発生の恐れが高まっています。 ただちに身の安全を確保してください。
<避難について> 特に崖や川の近くなど危険な場所にいる方は、地元市町村が避難情報を発表していないか確認し、状況に応じてただちに「立ち退き避難」や「屋内安全確保」など、適切な避難行動をとってください。
また、市町村が定めた避難場所などへ避難することがかえって危険な場合は、崖や沢から少しでも離れた頑丈な建物や、少しでも浸水しにくい高い場所に移動するなど、身の安全を確保してください。
避難する際は、特に土砂災害に対しては、自宅や今いる場所の外に出て、市町村が定めた近くの指定緊急避難場所や、安全な場所にある親戚や知り合いの家、ホテルなどへ行く「立ち退き避難」が原則です。
なお、洪水や高潮に対しては、ハザードマップなどを参考に、屋内で身の安全を確保できるかを確認したうえで、自らの判断で安全な上の方の階に移動するか、安全な上層階に留まる「屋内安全確保」も可能です。
<記録的短時間大雨情報とは?> 「記録的短時間大雨情報」は、その地域にとって数年に一度しか降らないような記録的な大雨が、短い時間のうちに観測されたことを伝えるもので、5段階の警戒レベルのうち、避難が必要とされる警戒レベル4以上に相当する状況で発表されます。
地元の市町村がすでに「避難指示」を発表しているか、まもなく発表するような、災害発生の危険度が高まっている状況です。重大な災害から身を守る行動をお願いします。

続く大雨 九州新幹線が運行取りやめ 東海道、山陽は通常通り

低気圧や停滞する前線の影響で九州を中心に11日も大雨が続き、JR九州は九州新幹線の運行を始発から取りやめると発表した。一方、東海道、山陽新幹線は始発から通常通り運転するという。
山陽新幹線は、九州新幹線に直通する「みずほ」や「さくら」の下りは博多行きに変更。新大阪方面行きの上りの「みずほ」や「さくら」は博多が始発となる。

参政党・さや氏が40~50代の男性の票を集めたワケは「“捨てられた世代”を代弁できる候補」だったから?

’25年7月に行われた参議院議員選挙では、自民党・公明党が過半数割れで敗北。なかでも「日本人ファースト」を標榜、多くの有権者の“違和感”に火をつけた参政党が躍進した。同党に共鳴し、政治への“目覚め”を語り出した人々の素顔に迫る。 ◆有権者の心をんだ「反緊縮」「さや」候補 “目覚めた”人々が参政党に共鳴した背景には、移民やジェンダー問題だけでなく、経済的救済への渇望もある。 政治経済評論家の池戸万作氏は、同党の躍進を「反緊縮の明快な訴えと、それを体現する候補者の存在」と分析。中でも神谷宗幣代表の国債発行を堂々と主張する姿勢は、政治家として異例だと語る。 「日本の国債残高は1000兆円を超えているといわれますが、これは国際的に見ても突出しているわけではありません。30年間、まともに財政出動してこなかったツケが今、インフラの老朽化や貧困の拡大という形で表れているんです」 そして、こうした反緊縮の訴えが特に響いたのが「就職氷河期世代」を中心とした生活困窮層や中高年層だったと分析する。 「“国がお金を出して助ける”というメッセージは、それこそ彼らに届いた“愛情”だったのではないでしょうか」 ◆さや氏擁立の東京選挙区は「全国的な知名度」にも影響大 もう一つ、戦略で極めて成功したと見るのが、東京選挙区に擁立されたさや氏の存在だ。 「彼女も就職氷河期世代。そして東京選挙区は全国から注目を集めやすい特別な舞台です。そこに“捨てられた世代”を代弁できる候補を送り込んだことで、感情的共感の獲得と全国的な認知度の引き上げに成功した。結果的に、40~50代の男性の票を一番取ったんです」 たとえ議席を得ても、財政政策の主導権は財務省にあるため変革は容易ではないが……。 「財政法や財務省設置法を変えるには、相当な政治的意思と戦略が必要です。ただ、声を上げる勢力が増えれば、霞が関も無視できなくなるでしょう」 参政党の台頭は、一過性のブームなどではなく、数十年かけて蓄積された“怨念”や“閉塞感”の結実と見られるのかもしれない。 ◆辛酸を舐め続けた氷河期世代の鬱憤が“覚醒”に昇華! 参政党を筆頭に右派系議員が躍進を遂げた今回の選挙だが、SNSや街頭では“右派的な共感”を語る人の姿が、目に見えて増えはじめている。 北関東の自治体で非常勤職員として働く深山俊さん(仮名・48歳)、もその一人だ。 現在の職を得るまで、20年以上にわたり非正規雇用の不安定な立場に甘んじてきた。就職氷河期に大学を卒業し、最初に就いたのは自動車工場での期間工。

「妻と次男がはぐれた」釣りに行った40代母親と7歳息子が遭難 携帯繋がらず…約40人態勢で捜索 警察犬やハンターも同行

10日、北海道芽室町のダム付近で、40代の母親と小学2年生で7歳の男の子の行方がわからなくなっていて、警察や消防が捜索しています。
行方がわからなくなっているのは、北海道当別町に住む40代の母親と、小学2年生で7歳の男の子です。
2人は、10日午前8時半ごろ、40代の父親と10歳の長男と一緒に、芽室町にある「美生ダム」付近の駐車場に車を停め、釣りをするために北西方向へ歩いていました。
父親と長男は、先に目的地に歩いていき、母親と男の子は後から向かっていました。
しかし、母親と男の子は目的地に現れなかったことから、10日午後9時ごろに父親が「妻と次男がはぐれた」と警察に通報しました。
警察によりますと、母親は携帯電話を持っているとみられていますが、現場は電波が通じにくい場所で、電話が繋がらない状態が続いているということです。
警察と消防は、11日午前7時半ごろから、約40人態勢で捜索をしています。
また、現場付近はクマが生息している地域で、ハンター4人も捜索隊に同行しているということです。

「攻撃で精神を追い込み、尊厳を奪う責任が問われるべき」故・竹内兵庫県議の妻が立花孝志氏を刑事告訴「死者の名誉棄損」初の適用なるか?斎藤知事は公選法違反容疑で任意聴取

〈斎藤知事は「行政トップとして資質に欠ける」“優勝パレード”めぐり背任容疑で書類送検「罪に問われないかも…でも捜査はこれだけではありません」〉から続く
斎藤元彦・兵庫県知事をめぐる県政混乱の中、ことし1月に死去した竹内英明元県議(享年50)の遺族が、立花孝志NHK党党首のデマで竹内氏の名誉が傷つけられたとして名誉棄損などの容疑で立花氏を刑事告訴したと明らかにした。立花氏が竹内氏を非難した言葉の一部は兵庫県警が「明白な虚偽」とすでに結論付けており、立花氏がこうしたデタラメを真実と信じた根拠を示せなければ立件される可能性が高いとの見方が出ている。
〈画像〉「公選法には適切に適当に対応していた」記者の質問に答えるメガネ姿の斎藤元彦知事
竹内元県議の妻「声を上げることを決心しました」
斎藤知事の疑惑を調べた県議会調査特別委員会(百条委)のメンバーだった竹内元県議。斎藤知事が失職後の出直し知事選で再選された翌日の昨年11月18日に県議を辞職し、今年1月18日に自ら命を絶った。
8月8日に会見した竹内氏の妻(50)は当時の状況をこう語った。
「夫は立花氏から黒幕と名指しされ、そこから運命が変わりました。その発信がなされた途端、ありとあらゆる方向から夫を非難する言葉とともに、人格を否定し、夫を一方的に責め立てる攻撃が矢のように降り注ぎました。
私たちは攻撃に日夜さらされ、絶望の中でただ息を殺して時が過ぎるのを待つことしかできませんでした。夫は疲弊し、家族を巻き込んでしまったことで仕事を続けることはできないと判断し、議員を辞職しました。
暴力攻撃に屈した自分は負けた、逃げたと言って嘆き続けました。夫は、自ら望んで命を絶ったのではありません。間違いなく、この兵庫県政の混乱の中で追いつめられ、孤立し、社会に絶望してこの世を去りました」
そして、ウソだと明らかになったデマが今も竹内氏を愚弄し続けているとし、夫と自分の尊厳を守るため「声を上げることを決心しました」と話した。
問題の選挙で立花氏は「斎藤知事を応援する」と言って出馬し、当選を目指さず斎藤氏を宣伝する“2馬力選挙”を展開。「疑惑はウソで斎藤知事はハメられた」と主張した。
選挙の街宣などで、疑惑を告発し、昨年7月に自死した県の元西播磨県民局長Aさん(享年60)のことを「10名以上もの女性県職員と不適切な関係を結んでおり、不同意性交等罪が発覚することを恐れての自殺だと思われる」などと虚偽の話で中傷したうえ、Aさんの遺志を継いで疑惑解明に当たった竹内氏らを「黒幕」と呼んで罵倒。
これを見聞きした支持者らがAさんや竹内氏を誹謗中傷する投稿をSNSに上げたとみられている。
「Aさんの尊厳はめちゃくちゃにされました。当時、遺族なら刑法の“死者の名誉棄損罪”で立花氏を告訴し刑事罰を求めることができるのでは、との声もありました。
でも憔悴しきった遺族の姿を知る人は『矢面に立つことを求めるのはあまりにも酷だ』と反対でした」(地元記者)
そのつらい役回りを竹内氏の妻が引き受けたことになるのは、悲劇としか言いようがない。
「死者の名誉棄損」は過去に適用例が確認できないが…
会見に同席した石森雄一郎弁護士らは、竹内氏が存命中の昨年12月、立花氏が、立候補していた泉大津市長選での演説で「竹内県議は警察の取り調べを受けてるのは間違いない」と発言したことを確認。
死去が報じられた今年1月19日にはYouTubeでのライブ配信で「竹内さんという県議、任意の事情聴取が繰り返されて明日逮捕する予定であったところ、本人は逮捕される前に自ら命を絶ったと」と発言した証拠も確保している。
これらが名誉棄損と「死者の名誉棄損」にあたるとする告訴状を、兵庫県警は告訴期限間際の6月に2回にわたり受理していた。
告訴代理人を務める郷原信郎弁護士によると、告訴状は神戸地検と調整した上で県警に提出された。
社会部記者は「事前調整で“立件できる”との見通しを当局に示唆された内容に絞り容疑を告訴状に書いたことが考えられます」と話し、立花氏は立件される可能性があるとみる。
石森弁護士によれば「死者の名誉棄損」は過去に適用例が確認できない。一般的な名誉棄損罪は発言内容の真偽は関係なく他人の社会的評価を下げれば成立するが、死者の場合は名誉を傷つける発言が虚偽でなければ罪にならず、「虚偽であることを完全に立証しきるのは難しい」ことがネックになってきた。
だが今回はこの条件をクリアできる可能性があるという。
「立花氏の1月の発言の翌日、当時の県警本部長が県議会で『竹内元議員は被疑者として任意の調べをしたこともなく、ましてや逮捕する話は全くない。明白な虚偽がSNSで拡散されていることは極めて遺憾』と発言しました。立花氏の話の拡散阻止が目的の異例の言及でした」(地元記者)
この状況を石森弁護士は、「県警本部自身が(立花氏の話は虚偽であることの)証人であるという、非常に特異な例になってる」と話し、死者の名誉棄損罪が適用される初のケースになりそうだと期待する。
告訴されていたことを知った立花氏は党の会見で「名誉毀損したことは争わないが、十分、違法性が阻却されるだけの根拠をもって発言している」と述べ、犯罪ではないと主張した。
7月中旬に斎藤知事を数時間にわたって事情聴取
竹内氏の妻は立花氏について「これまで弱い立場にある人を攻撃する威圧的な行動で恐怖心を抱かせて、精神を追い込んで人の尊厳を奪うっていう、そのことはきちんと責任が問われるべきだと思います」と決然と言い切る。
「根拠もなく人を貶める話が喧伝され、ものすごく今まで長い時間かけて築き上げられてきたものが全部ひっくり返されるみたいな時間だった」。
そう竹内氏の妻が振り返った知事選で再選された斎藤知事は、公職選挙法が買収行為として禁じるインターネットを使った選挙広告への対価支払いを行なった容疑で捜査を受けている。
記者会見があった8日、神戸地検がこれに絡み7月中旬に斎藤知事を数時間にわたって事情聴取していたと読売新聞が報じた。
兵庫県庁に登庁してきた斎藤知事は、それは事実かとたずねる記者らに「捜査に関するコメントは控えたい。捜査協力は求められればしっかり対応する。公選法には適切に適当に対応していたという認識でいます」と繰り返した。
ゆがんだ情報があふれだし、人を死に追いやった知事選はいまだなにも清算されていない。
※「集英社オンライン」では、今回の記事に関するご意見や情報を募集しています。下記のメールアドレスかXまで情報をお寄せください。 メールアドレス: [email protected] X @shuon_news
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

なぜ自衛隊で不祥事が続発したのか…元・海上自衛隊自衛艦隊司令官が怒りの苦言「組織文化が根底にある」

※本稿は、香田洋二『自衛隊に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす自衛隊の不都合な真実』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
私は海上自衛官だった。「だった」と過去形を使ったが、実のところ、私は今でも海上自衛官のつもりでいる。
海外の会議に呼ばれれば、「ミスター・コウダ」ではなく「アドミラル・コウダ」と呼ばれることが多い。正確に言えばバイスアドミラルなのだが、直訳すれば「副提督」ということになる。軍事英語では海軍中将だ。自衛隊では海軍大将も海軍中将も「海将」となっているので、日本のメディアに登場する際は「元海将の香田さん」と呼ばれるが、海外では「元」を抜かして「アドミラル・コウダ」となる。国際標準では、海軍軍人は艦を降りても死ぬまで海軍軍人なのだ。それが多くの国の社会において定着した軍と軍人への尊敬と敬意の表れであろう。
1972年に防衛大学校を卒業してから2008年に退官するまで、私は海上自衛隊に育てられた。悲しいことも嬉しいことも海上自衛隊とともにあった。私の人生は、海上自衛隊を抜きにして考えられない。退官した今でも、海上自衛隊が褒められればうれしいし、海上自衛隊が批判されれば忸怩(じくじ)たる思いを味わう。
そんな私が歯ぎしりするような思いで接したのが、2024年に発覚した一連の不祥事だった。情報漏洩、業者からの不適切な物品供与、手当の不正受給……。明るみになった海上自衛隊の問題は、長年の慣習が積み重なった悪弊ともいえる。その意味で、海上自衛隊で責任ある立場にいた私も無関係ではない。
現在の私は、防衛省等の調査内容を知る立場にはない。しかし、報道や公開情報などに、自らの体験も加えて判断すると、海上自衛隊の組織の不具合の概要は推察できる。こうした不祥事を防止できなかったことについては、組織のリーダーだった者の一人として責任は免れられない。読者の皆様方に心からお詫び申し上げる。
では、なぜこのような不祥事が発生したのか。
海の上で共同生活を送るという特殊な環境も大いにあずかっている。海上勤務は、海上自衛隊を海上自衛隊たらしめている基礎だ。これにより結束が固くなるという利点があることは言うまでもないが、一歩間違えると、悪事を働いた身内をかばい立てする悪弊を生んでしまうような危険な要素が多数ある。
こうした海上自衛隊の文化が不祥事の温床となった、というのが私の見立てだ。こうした理解は海上自衛隊の内部で共有されているとは言い難い。私がそう考えるに至ったきっかけに話を進める前に、まずは海上自衛隊の一連の不祥事とは何なのかを、報道から推察できる範囲で簡単に振り返っておきたい。
2024年に発覚した海上自衛隊の不祥事は、大きく分けると2種類あった。
一つはズルをして金品を受け取った問題、もう一つは情報の取り扱いが杜撰(ずさん)だったという問題だ。いずれも国民の信頼を裏切る行為である。
おおざっぱに「ズルをして金品を受け取った問題」と分類したが、細かく分けると、第一に潜水艦の修理業務を担っていた川崎重工業の社員から金品を受け取っていた問題、第二に潜水士による手当の不正受給、第三に基地内の食堂での飲食物の不正受給――の3つが発覚した。
川崎重工の件は、潜水艦乗員に対し、備品やゲーム機、ゴルフ用品、釣り具など任務とは関係がない私物が隊員に供与されていたほか、隊員と川崎重工社員の懇親会でも会社側が飲食代を肩代わりしていた問題だ。こうした慣習は1985年ごろから続いていたという。つまり、私が海上自衛隊に勤務していた時から始まり、私が退官した2008年の時点でも悪習が続いていたのだ。
川崎重工の調査が及んだ2023年度までの6年間だけに限っても、総額17億円が下請け業者との架空取引で捻出され、海上自衛官に対する金品供与に当てられていた。こうしたカネは、「必要経費」として潜水艦の建造費や修理代に上乗せされていたとみられる。細部は調査中のため不明であり、架空取引件数、金額や関係員の数などの把握はできないものの、何らかの深刻な不正が行われたことは事実と断ぜざるを得ない。海上自衛隊としては不正があったという前提で、厳正な姿勢で調査に臨むべき事案である。
当初は、予算不足のため現場で入手できない必要な工具などを充当するための苦肉の脱法行為だったものが、そのうちに歯止めがなくなり、自衛官の飲み食いの代金に使われるようになったのだ。本来であれば、他の装備や修理費に回せるはずだったカネが飲み食いに使われたということは、国は不必要に高いカネを払ったことになる。これは国民の税金を無駄遣いしたという話にとどまらない。要するに自衛官自身が自衛隊を弱くする行為に手を染めたことになる。
潜水士の手当不正受給では詐欺容疑で逮捕者まで出ている。しかも、逮捕が2023年11月であったにもかかわらず、2024年7月まで防衛相には報告していなかった。逮捕されていないものも含めると、不正受給は総額5300万円に上った。
基地内での飲食物の不正受給は、資格がないのに基地内の食堂でただ飯を食ったという話で、一見すると、小さなズルに見えるかもしれないが、国民の税金をちょろまかしているという点では、川重の金品授受や潜水士手当の不正受給と本質の酷さは変わらない。特に深刻な点は、自衛官の基本素養である倫理観や責任感がここまで落ちぶれたことである。その結果生じた負の評価は、国民のみならず諸外国海軍の海上自衛隊への評価にも影響することは明白である。
問題は、どうしてこんな不祥事が長年にわたり放置されてきたのか、という点にある。当たり前の話だが、原因が分からなければ問題を解決して組織の不具合を改善することはできない。
だが、問題の原因をめぐっては、海上自衛隊の幹部の間でも見解が割れている。しかも、そうしたバラバラな認識が満天下にさらされた。それは2024年7月23日のことだった。
一連の不祥事を受け、海上自衛隊トップの酒井良海上幕僚長は2024年7月19日に職を辞することになった。酒井前海上幕僚長は7月12日の記者会見で「組織文化に大きな問題がある。不正に気づいていたにもかかわらず、見て見ぬふりする体制が一部まだ残っている」と述べていた。つまり、組織全体の問題だと認めたのである。
ところが、その後任となった齋藤聡海上幕僚長は、7月23日の記者会見で、組織文化という言葉を使うと、それが組織全体に蔓延しているというイメージがあるが、私はそういうものではないと思うと述べた。
齋藤海上幕僚長のこの発言の真意は別として、それは前任者の発言を否定したと受け取られかねないものだった。齋藤海幕長の真意は何か。“今回の不祥事の当事者は許せませんが、それは一部の不心得者です。海上自衛隊の現場では大多数の隊員がしっかりと持ち場を守っています。その立場からは組織全体に蔓延とは考えません”というものであったことは想像できる。
さて、海上自衛隊を立て直すにあたり、一連の不祥事の原因が組織文化に由来するものなのか否か。この点を間違えれば、不祥事の根絶など望むべくもない。仮に組織文化が原因であり、あるいは少しでも関わりがあるならば、これを徹底的に見直さなければ再発防止はおぼつかないからだ。
私の考えは、酒井前海上幕僚長に近い。つまり、海上自衛隊の組織文化が今回の不祥事の根底にあると言わざるを得ない。なぜ、私がそう考えるか。それを本書で説明したいと思う。
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(元・海上自衛隊自衛艦隊司令官 香田 洋二)

鉱毒事件だけじゃない―記念館も伝えない「足尾銅山、もう一つの影」 ひっそりと立つ墓標の意味は【戦後80年連載・向き合う負の歴史(15)】

かつて日本一の銅の産出量を誇り、1973年に閉山した栃木県の足尾銅山。排出された鉱毒により、周辺地域に甚大な被害をもたらした日本最初の公害問題で有名だ。 銅山を運営していた古河鉱業(現・古河機械金属)は今年創立150年を迎え、今夏、日光市に「足尾銅山記念館」をオープンする。展示は「足尾の光と影」と銘打ち、公害と、公害を「克服」した技術発展の歴史を強調する。

だが「影」は公害だけではない。太平洋戦争中、銅山では連合軍捕虜や中国人、朝鮮人が強制労働させられた。地元ではどう語られてきたのか、あるいは語られなかったのか。(共同通信=市川太雅、宮脇奈月子)
▽鉱山城下町・足尾

日光東照宮などの世界遺産で知られる栃木県日光市の中心から、車で約30分。長いトンネルを抜けた先、周囲を山に囲まれた小さな集落が、旧足尾町(現日光市)の中心部だ。 足尾町は、明治時代に急速に産出量を伸ばした銅山と共に発展した。銅山や関係産業の労働者、その家族などでにぎわい、人口は1916年に4万人弱のピークを迎えた。 しかし戦後の1973年に閉山してからは、みるみる人口が減り、2025年7月時点で暮らしているのは約1200人だ。
▽「朝鮮人の長屋がずーっと」
足尾銅山付近を案内する元足尾町議の上岡健司さん=2025年6月、栃木県日光市足尾町
戦時中、金属需要の高まりに合わせて増産を目指す中で、労働力として動員されたのが外国人だった。当時植民地だった朝鮮半島の一般人や、交戦国の中国、アメリカ、イギリス、オランダなどの捕虜たちだ。 朝鮮人が住まわされていた地区を案内してくれたのは、元足尾町議会議員の上岡(かみおか)健司さん(92)。「この道の両側に、朝鮮人の長屋がずーっと並んでいたんです」 足尾に生まれ育ち、古河鉱業に勤めた。労働組合活動を理由に解雇され、町議に転じた。 上岡さんによると、朝鮮人にあてがわれたのは、冬に日の当たらない場所や、職場である坑口から遠い地域、製錬所に近く煙のひどい地区など、条件の悪い場所ばかりだったという。
朝鮮人長屋が並んでいた通り=2025年6月、栃木県日光市足尾町
長屋のあった場所は現在、土台の石垣が残るのみで、建物は跡形もない。中国人や欧米人捕虜の収容所があったエリアも、当時の面影を残すものは何一つ見つからなかった。
▽犠牲者は73人
足尾銅山跡地=2021年7月、栃木県日光市足尾町
戦後に厚生省(現・厚生労働省)がまとめた資料を分析した元駒沢大学教授の古庄正氏の研究によると、1940~45年に朝鮮人計2416人が足尾銅山に動員された。うち31人が死亡したと記されている。この死亡率について古庄氏は、ガス爆発があった他県の炭鉱などと比べても、極めて高率だと指摘している。 市民団体「日朝友好栃木県民の会」などによる調査では、足尾町役場や寺院の火葬記録から、労働者の家族も含め全部で73人が犠牲になったと氏名を確認している。
▽中国人慰霊塔
中国人犠牲者を弔う「中国人殉難烈士慰霊塔」=2025年6月、栃木県日光市足尾町
過酷な環境で命を落とした人々を弔おうと、戦後、銅山周辺に慰霊碑を建てる動きが起こった。 「中国人殉難烈士慰霊塔」は、閉山と同じ1973年に完成した。前年に中国との国交が正常化され、友好の機運が高まる中で栃木県が主導した。高さ13メートルの立派な石碑で、裏側に足尾で命を落とした110人の名前が彫られている。
▽風化した墓標
朝鮮人犠牲者を弔う墓標=2025年6月、栃木県日光市足尾町
朝鮮人を追悼するものとしては、銅山の脇に小さな墓標がひっそりと立つ。前述の日朝友好栃木県民の会が中心となってつくったもので、かつて朝鮮人労働者が多く暮らした地区の木立の中にある。 墓標は石を寄せ集めて作った簡素なもの。横に木の板が立てかけてあり、ハングルで「この土地へ刻まれたつらい歴史を忘れないように」と書かれている。板は風化のせいか根元が削れ、文字が消えかかっていた。
根元が削れている、ハングルが書かれた木の板=2025年6月、栃木県日光市足尾町
上岡さんは町議時代、議会の質問で「朝鮮人の慰霊碑も建てるべきだ」と主張したことがある。一時町も動き出したが、地元の土建会社が反対したこともあり、頓挫した。
▽「日本人が何をしたか」
栃木県日光市の足尾銅山跡近くで営まれた朝鮮人73人の追悼式=2025年7月27日
この墓標の前で、戦後80年、植民地「解放」80年となる今年も7月に法要が営まれた。栃木朝鮮初中級学校(小山市)や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)などから約60人が参列。遺骨返還に取り組む韓国の団体関係者も来日して参加した。 主催した県民の会の宇賀神文雄会長(78)は「73人の名前を思い出し、われわれ日本人が朝鮮に何をしたかを反省したい」とあいさつした。 県民の会は1997年、犠牲者73人の名前を記した木製の銘板を墓標に設置していたが、すでに朽ち果てていた。今年の法要で、名前に享年も書き加えたアルミ製の銘板に新調した。
▽「公害克服」強調
足尾銅山記念館
そんな中で2025年8月8日、足尾の中心部に、西洋風建築の大きな施設がオープンする。古河機械金属が建設した「足尾銅山記念館」だ。 創業者で銅山を開発した古河市兵衛の業績や、銅山で使われた掘削機械などを紹介。「足尾の光と影」を掲げて、鉱毒汚染や煙害の拡大に触れつつ、防止技術の開発で公害を「克服」してきた歴史を強調した。 日光市も、人口減が進む足尾で新たな観光スポットになると期待している。
鉱毒被害の克服を強調する「足尾銅山記念館」の展示=2025年4月、栃木県日光市足尾町掛水
記者は4月のメディアへの事前公開で記念館の展示を取材した。だがそこに、強制労働に関する記述は、なかった。 古河機械金属に理由を尋ねたところ、こう回答があった。「記念館は会社が創業した明治から大正時代の歴史を伝える目的で造っているため、昭和期や戦時の内容は対象にならなかった」 約1キロ離れた銅山跡地には、トロッコで坑道に入り見学できる人気施設「足尾銅山観光」もあるが、同様に強制労働への言及はない。 記念館を見学した上岡さんはため息をつく。「都合のいいことしか書いてないね」。古河城下町の足尾では長く、「古河の悪いことは言えない」という空気がまん延していたという。
▽猫が語る足尾
花札をモチーフにした絵が並ぶ個展「猫の足尾銅山―光と闇」=2025年6月、東京・六本木のギャラリー「オオタファインアーツ」
記憶の風化にあらがう人もいる。 なじみのある花札のデザインの中で、愛らしい猫たちが炭鉱や製錬所で働く。銃を持った兵士の猫に、労働者の猫が襲いかかる絵もある。今年5~6月、東京・六本木のギャラリーで開かれた個展「猫の足尾銅山―光と闇」の作品だ。 埼玉県春日部市の美術作家・竹川宣彰さん(47)は、足尾の強制労働の歴史を絵で伝えようと試みた。日本による植民地時代に伝わり、今も韓国で遊ばれている花札「花闘(ファトゥ)」がモチーフだ。「朝鮮人労働者が、仕事の後に遊んだだろう」と選んだ。
個展「猫の足尾銅山―光と闇」にある「慰霊碑」を説明する竹川宣彰さん=2025年6月、東京・六本木
竹川宣彰さんの「猫の足尾銅山花闘『紅葉に青短―足尾暴動』」(2025年、Nobuaki Takekawa.Courtesy of Ota Fine Arts.)
カラフルな絵札の中に、古河のマーク入りのヘルメットをかぶった猫たち。札の字はハングルだ。ギャラリーの中央にある立体作品は、足尾銅山記念館の建物を縮小した形。朝鮮人犠牲者73人の名前を周囲に書き込み、慰霊碑とした。 制作の原動力について、竹川さんは危機感を語る。「産業発展に貢献した『光』の部分が強調され、強制労働の歴史がなかったことにされるのではないか」 猫たちが足尾の闇を代弁していた。
× × × これまでの連載【(1)県が撤去した朝鮮人労働者追悼碑は「加害の歴史」伝えるシンボルだった】【(2)フェミニズムを入り口に慰安婦問題を学ぶ若者たち―東京、5千人学ぶカフェ】【(3)集団自決の傷痕撮る沖縄の写真家「真実伝え、戦争なくしたい」】【(4)うそつき呼ばわりされても、731部隊の「本当のことを語る」―94歳の元少年隊員】【(5)神奈川の人造湖を造った朝鮮人、中国人。碑が傷つけられても地域ぐるみで語り継ぐ】【(6)戦争経験継承は未来に向けた責任、「否定論」は実証積み重ね欠く】【(7)南京大虐殺を武勇伝のように語った元兵士。聞き取った神戸の老華僑が感じたことは】【(8)「歴史修正主義」と批判されるが、自分は極めて誠実な立場だ―当事者証言の検証欠かせない】【(9)ホロコースト否定が犯罪?!ヨーロッパが禁じる歴史修正主義から見る日本】【(10)「強制的に動員」の看板を市が隠した…戦争末期の極秘計画跡地で起きたこと】【(11)東京の政府施設と、長崎の市民資料館。論争となった軍艦島の展示を見比べてみた】【(12)市が立てた強制連行の説明板。19年後、自ら撤去した背景にあったこと】【(13)2万人の犠牲者数は「盛りすぎ」―正しく伝えようとした先人と、その後継者たち】【(14)「日本人にとって美しい歴史」書き換えの背景には、差別がある】

日航機事故の捜査本部を指揮した警察官、ミスの連鎖は「人任せ」で起きた

群馬県警OBの山田俊秀さん(81)(群馬県藤岡市)は、日本航空ジャンボ機墜落事故後に設置され、事故の刑事責任を追及した特別捜査本部の事件総括班長を務めた。事故原因を突き詰めて出てきた答えは、人任せにしないこと。520人の命が絶たれた事故の教訓の一つとして、伝え続けてきた。
現場わからぬまま上野村へ「あるだけの無線機を貸してほしい」

――群馬県警捜査1課特殊事件捜査班長だった時に墜落事故が発生した。
1985年8月12日は月曜で、勤務を終えて帰宅し、くつろぎながらテレビを見ていたら、「日航機が管制レーダーから消えた」というニュースが流れてきました。「まさか群馬へは……」。そう考えていたところに自宅の電話が鳴りました。電話をかけてきたのは、知り合いの警察庁捜査1課特殊事件担当の課長補佐でした。「山ちゃん、日航のジャンボ機が墜落したようだ。関連の情報収集をしてくれ」。そう言われたので、半袖シャツ姿のまま急いで県警本部に向かいました。
約10分後に県警本部に着きましたが、「日航機の消息が途絶えた」という情報しか集まっておらず、緊迫感はありませんでした。群馬県内の各警察署に関連情報の収集を手配し、隣県の長野、埼玉や山梨の県警本部とも連絡を取り合いました。どこが墜落現場かわからないまま、午後8時過ぎ、墜落した可能性があるとみられた長野県境の上野村に向けて部下と2人で出発しました。
群馬県警本部のある前橋市から上野村までは、車で1時間半くらいかかります。移動中はラジオニュースを聞きながら、航空機事故についての捜査教本である「航空機事故事件捜査要領」を読んでいました。
上野村役場に到着すると、当直とみられる職員が2人いたので、「実は日航ジャンボ機が墜落した。上野村管内かもしれない。後続部隊が来るので、あるだけの無線機を貸してほしい」と伝えました。職員は驚いた様子でしたけれど、18機の無線機を借りることができました。すぐに、村の消防団や猟友会などとも連携しましたが、夜のうちに現場は特定できませんでした。
約5時間かけてたどりついた現場「地獄絵図のような光景」

――8月13日午前5時37分、長野県警ヘリ「やまびこ」の部隊が墜落現場の確認をした。
「高天原山の北東2キロ。県境の東方0・7キロ地点で日航ジャンボ機と思われる機体を発見」と連絡がありました。地図で該当する場所を確認し、県境の尾根を流れるスゲノ沢沿いを進むことを決めました。群馬県外からの応援部隊を含めた総括検証班長を任され、数十人で先発しました。
雷雨にも見舞われる中、谷間の崖を下りては上るなどして約5時間歩き続けると、斜面に水平尾翼が見えてきました。さらに進んだ先で遺体の一部も次々と見つかり、一帯はまさに地獄絵図のような光景でした。生存者の捜索を行い、切断などがない十数人を近くの木陰に移しましたが、すでに亡くなっていました。
できるだけ早く遺体を遺族に引き渡すため、下山せず尾根に野営し、一帯にある遺体の部位一つ一つの特徴と位置情報を記録し続けました。現場は傾斜度が最大45度の尾根です。足元の石が崩れれば、「落石!」と大声で叫んで注意し合い、木や岩に身を潜めて防ぎました。
8月とはいえ、夜間の気温が5~6度に冷え込む中、斜面を平らにならしたところにテントを張り、5畳足らずのスペースに、十数人が重なり合って横になりました。寒くて一晩中、枯れ枝を燃やしている隊員もいました。
日米にまたがる捜査、なぜミスに気づけなかったのか

――群馬県警は8月13日に特別捜査本部を設置し、墜落事故の刑事責任追及に向けた捜査を開始。9月2日には捜査員50人からなる専従体制が組まれ、山田さんは事件総括班長に就いた。
飛行機の飛び方といった基本的な部分の裏付けも含めて、捜査は多岐にわたることが想定されました。航空機事故の捜査は法体系が難しい上に、検査や整備マニュアルは英語で書かれた特殊用語や略語が多かったです。捜査は数年かかると考え、ピラミッドを造るように一つ一つの石を土台から間違えずに積み上げていくしかないという覚悟で臨みました。
まずは、航空工学などの文献を取り寄せたり、大学教授ら専門家から学んだりして、捜査員全員の専門性を高めるところから始めました。雷や鳥、空中衝突、人為的空爆など事故とは無関係だと考えられる要因についても、可能性を否定する「消極捜査」も進めました。
捜査の結果、墜落した事故機が1978年に大阪空港で起こした「尻もち事故」後に行われた修理で、圧力隔壁に修理ミスがあり、その修理部分に疲労亀裂が生じ破壊されたことが事故原因と結論付けました。
この修理ミスは誰も気付けなかったのか――。関係者の刑事責任を追及する捜査では、修理後の「領収検査」に着目しました。領収検査は簡易なメモを基に行われていて、検査のずさんさについては、複数の日航関係者も認めていきました。
修理ミスをした機体メーカー・米ボーイング社の関係者を聴取するため、警察庁の捜査員とともに渡米もしました。2週間ほど滞在し、国務省や司法省、連邦捜査局、国家運輸安全委員会などを訪れて協力を求めましたが、「本人たちが調査に応じたくないと言っている」とした上で、連邦法に業務上過失致死傷罪を問う規定がないことからも「国から強制的に応じさせることはできない」と言われました。聴取がかなわず、帰国するのは無念でした。
31人全員不起訴、こみあげる無念

――県警は事故発生から3年4か月後の88年12月、修理したボ社、日航、運輸省(当時)の関係者20人を書類送検。ただ、前橋地検は89年11月、遺族会「8・12連絡会」が刑事告訴した関係者も含めて計31人全員を不起訴とし、90年に公訴時効が成立した。
尾根で無残な遺体の対応にあたり、群馬県藤岡市の遺体安置所では泣き崩れる遺族の姿も見ていました。犠牲者や遺族の無念を痛感していた分、不起訴となることを聞いた時は遺族に対する申し訳なさがこみ上げました。前橋検察審査会は一部のボ社、日航関係者を「不起訴不当」としましたが、同地検は再び不起訴にしました。
飛行機は本来、何重にも安全がチェックされて飛ぶはずのものです。「ボーイング社を信頼した」などと責任逃れを繰り返す日航関係者もいて、その体質こそが、事故原因につながったと個人的には考えました。
ただ、こうした“人任せ”は日航に限らず、どこの組織でも起き得ます。一つ一つの仕事を、自分が主体的に取り組んで見届ける。当たり前の「責任」を果たしていく重要性を、講演会などで訴え続けてきました。
世の中は技術革新で自動化が進み、仕事にあたる一人ひとりの姿が見えづらくなっています。そんな今こそ、日航機事故の教訓を改めて受け止め、それぞれが取り組んでいる仕事の責任について、考えていく必要があると思います。(聞き手・石原宗明)
やまだ・としひで 1944年生まれ。67年に群馬県警に入り、刑事畑を歩む。85年4月に捜査1課特殊事件捜査班長となり、日航機墜落事故の事件総括班長を務めた。その後富岡署長などを歴任し、2005年に退職した。
「自衛隊が関与」偽情報と戦う

「自衛隊が墜落に関与したのでは」――。日航機の墜落原因を巡っては、発生後から根拠のない臆測が飛び交っていた。群馬県警は、こうした「偽情報」を打ち消す捜査も行っていた。
爆発物関係の捜査では、生存者4人が事故発生時に着ていたブラウスやワンピースなどのほか、後部圧力隔壁の付着物、相模湾から回収された垂直尾翼の機体片など計約160点の鑑定を行った。その結果、すべての証拠品で火薬・爆発成分は検出されず、ミサイルなどが機体に当たっていなかったことを裏付けた。
また、「自衛隊の標的機が衝突した」と本などで取り上げられるきっかけとなった、墜落現場にあったオレンジ色の機体片については、墜落した際に機体の日の丸の朱色がこすれて変色したものと特定。その上で、防衛庁(当時)や米軍横田基地に事故当日の訓練状況などの照会をかけ、自衛隊機や米軍機が衝突した可能性がないことを確認していた。

バイクに追突した女…通行人装い「女性倒れている」と通報し逃走 ひき逃げ疑いで逮捕「気づいていないと思って立ち去った」大阪・枚方市

10日朝、大阪府枚方市の国道でバイクに乗った女性をひき逃げし、重傷を負わせたとして31歳の看護師の女が逮捕されました。
ひき逃げと過失運転傷害の疑いで逮捕されたのは、京都府城陽市の看護師・辻光容疑者(31)です。
警察によりますと、辻容疑者は10日午前8時ごろ、枚方市茄子作南町の国道1号で軽乗用車を運転中、67歳女性が運転のバイクに追突し、右手首の骨を折る重傷を負わせ逃走した疑いがもたれています。
追突後、辻容疑者は、通行人を装って「路上で女性が倒れている」とバイクが単独事故を起こしたと消防に通報し、現場から立ち去っていました。
その後、帰宅した辻容疑者は、親族に「ひき逃げ事件」を起こしたことを申告、その後、親族が警察へ連絡し出頭したということです。
警察の取り調べに対し、辻容疑者は容疑を認めたうえで、「女性が追突されたことに気づいていないと思って立ち去った」との趣旨の供述をしているということです。
警察は、事件の状況を詳しく調べています。

熊本で「経験したことのない記録的大雨」 わずか6日間でひと月の3倍量の雨も

熊本県では、これまで経験したことのないような記録的な大雨となっていて、7つの市と町に大雨特別警報が出されています。熊本県甲佐町から中継でお伝えします。
こちらに大雨特別警報は出ていませんが、記録的な大雨に見舞われました。中心市街地の国道443号では用水路の水があふれ、川のように波立っていたといいます。
周辺の住宅では浸水被害も発生していて、住民のみなさんは「かつてないほどの雨で怖かった」「恐怖を感じた」と話しています。
甲佐町豊内では車1台が土砂崩れに巻き込まれ、1人が行方不明となっています。
6日の降り始めからの甲佐の雨量は681.5ミリで、降り始めからの雨量が県内で最も多くなっています。平年の8月1か月に降る雨の量のおよそ3倍の量が、わずか6日間で降ったことになります。
熊本県内では、これまでに経験したことのないような大雨となっていて、2人が行方不明となるなど、いたるところで深刻な被害が発生しています。
熊本県内では、このあと昼過ぎにかけて再び線状降水帯が発生する恐れがあります。命を守るための最大限の警戒をしてください。