7月の参議院選挙では、多くの偽情報や誤情報が出回った。中でも深刻だったのが外国人を巡る偽情報だ。「犯罪行為が増えている」「外国人が不当に優遇されている」。政府が否定したり、報道機関がファクトチェックしたりしても、交流サイト(SNS)や街頭演説で繰り返され、外国人を敵視し、排斥するような論調が飛び交った。なぜ誤った情報は広がり続けたのか。誤りを指摘するファクトチェックは届かないのか。偽情報にどう向き合ったら良いのか、専門家に話を聞いて考えてみた。(共同通信・高津英彰)
▽外国人への否定的な感情強くない国 参院選で突如として争点に浮上した外国人問題。移民・差別問題に詳しい大阪大の五十嵐彰准教授は「外国人問題が突然やり玉に挙がったことに非常に驚いた」と話す。 五十嵐さんは、移民政策や移民に対する差別を巡る、各国の状況などを研究している。五十嵐さんによると、国際的な比較でみた場合、日本は外国人の移民に対する否定的な感情がそれほど強くない国だという。その日本で、外国人問題が国政選挙の争点に急浮上することは「予測できなかった」と話す。 近年、訪日外国人や在留外国人は急増している。特に円安を背景とした観光客の増加は爆発的で、2025年は年間4千万人に届くペースだ。ただ、犯罪件数が増えているわけではなく、むしろ外国人の刑法犯は過去20年で大きく減っている。
▽現実と人々が抱くイメージのずれ しかし、人々が抱いているイメージは異なるようだ。五十嵐さんがその一例を示す研究結果を教えてくれた。五十嵐さんの研究チームの実験で、過去1年間の国内刑法犯のうち、何%が外国人だと思うかを質問したところ、参加者は平均30%と回答。正解の5%とは大きくずれていた。五十嵐さんは「年間3千万人を超える訪日観光客を含めても5%というのは、実は非常に少ない。回答のずれは、外国人と犯罪を結び付ける『認知のゆがみ』があることを示している」と説明する。 認知のゆがみとは、物事を偏って捉えてしまう思考パターンのこと。ただでさえ誤ったイメージがある中で、誤った情報が拡散すればどうなるのか。五十嵐さんは「政治家が誤情報を振りまいて排外主義をあおることで、人々の排外意識が高まりかねない」と懸念を示す。
▽訂正情報が届いていない可能性 実際、選挙後に共同通信が実施した世論調査では、出入国管理や不動産取得など外国人への規制を「強めるべきだ」との回答が65・6%に上った。直接比較できるデータはないが、参院選を通じて、外国人への反感が高まってしまった可能性は否めない。 外国人に関する誤情報は報道や個人の投稿などで繰り返し否定されているが、五十嵐さんは「そもそも訂正情報が届いていないのではないか」と指摘する。国内の研究では、自分が正しいと信じている誤情報に関するファクトチェックを、半数の人があえて見ないように行動しているとの分析結果もあるという。 さらに、五十嵐さんは「情報自体の誤りが修正されても、その人の態度や潜在的な意識までは変わらない可能性がある」と話す。
大阪大・五十嵐彰准教授
▽規範意識の違いはメディアの姿勢に一因? 五十嵐さんの研究によると、欧米ではたとえ移民への排外感情を持っていても、表には出してはいけないものだという「規範意識」が強い一方、日本ではそうした意識が薄いという。 五十嵐さんは、そのような違いが起きている理由までは分析できていないとしつつ、政治家の排外主義的な主張をしっかりと批判してこなかったメディアの姿勢や犯罪報道のあり方に一因があるのではないかと推測する。 「メディアは政治家が排外的な主張をしてもさほど批判してこなかった。外国人犯罪の報道では、まず容疑者の国籍を出すなど、外国人と犯罪が結び付けられやすい土壌もあった。こうしたことが、外国人に否定的な態度を取っても良いという意識につながっているのではないか」と話す。
▽無意識に生まれてしまう思考の偏り 偽情報が拡散してしまう理由を、人間が持つバイアスの観点から説明するのが安野智子中央大教授(社会心理学)だ。 認知バイアスとは、私たちが情報を認識して判断する際に、無意識に生まれてしまう思考の偏りだ。人類が進化の過程で獲得した脳の「省エネ機能」が関係するとも言われている。
安野さんは、①自分にとって分かりやすい情報を信じやすい「認知的流ちょう性」、②何度も見た情報を正しいと思いやすい「真実性の錯覚」、③自分の考えに近い情報は注目しても、反対の情報は無視しやすい「確証バイアス」、④目立つものに原因を求めやすい「目立つ刺激への原因帰属」といった認知バイアスに注意が必要だと指摘する。 例えば、物価高で生活が苦しくなっている実感があると「普通の日本人が大切にされていない」というメッセージは分かりやすく、信じやすい(①)。そうした投稿や意見に繰り返し触れるうちに確信は強まり(②)、同様の意見にばかり着目するようになったり(②や③)、外国人という目立つ存在に原因を求めたりしてしまう(④)。そういった具合にさまざまなバイアスに陥っていく。 誤りを指摘する情報があってもなかなか響かないのも③のバイアスなどが関係している。安野さんは「自分が一度信じてふに落ちた情報は、後から誤情報だと分かっても訂正を受け入れにくい」と説明する。
▽SNSは人間のバイアスを強化する 安野さんが、もう一つ指摘するのが人間のバイアスを強めてしまう環境的な要因だ。人はただでさえ分かりやすい情報を信じてしまいがちだが、SNSにはそれを強化する特徴があるという。 多くのSNSは利用者の閲覧履歴を基に、関心に沿った投稿を優先的に表示する仕組みを取り入れている。そのため、自分の価値観に合った情報にしか触れなくなる「フィルターバブル」と呼ばれる状態が生まれやすい。 さらに、価値観の近い利用者とばかりつながり、コミュニケーションを繰り返すうちに、自分の考えは多数派で正しいのだと思い込む「エコーチェンバー(反響室)」も起こりやすいという。
中央大の安野智子教授
▽人の脳はだまされやすい 誤情報の拡散は、テレビや新聞、雑誌などマスメディア全盛の時代から起きていたが、安野さんは、SNSの登場以降、さらに顕著な形になったという。 SNSの場合、悪意を持ってだまそうと思えば、利用者をネットワークに組み込んで、他の情報が届かないようにしたり、同じように信じる仲間だけを集めたりしやすい。安野さんは「だまそうとしている人にとって、SNSは一番使いやすいメディアになっている」と話す。 重要なのは、人の脳はだまされやすく、自力で偽情報を見抜くのは難しいと自覚することだという。「『SNSには真実がある』というような考えが強いと、逆にだまされてしまう恐れがある。SNSの特徴をよく踏まえて接することが大切だ」と注意喚起する。
▽社会の中で報われていないという感覚 外国人犯罪が増え、治安が悪化したなどの偽情報は陰謀論とは違うのだろうか。陰謀論を研究する北星学園大の真嶋良全教授(認知心理学)は、定義上は異なるとしつつ「陰謀論と地続きの現象だ」と話す。 社会全体や個人の中で不満や不安が高まると、それを説明してくれるストーリーを信じやすい。その中で「共通の敵」とされやすいのは、外国人のような少数派だ。 たとえ、外国人犯罪が統計的に少ないと指摘されても「自分自身が社会の中で報われていないという感覚や、生活が脅かされているという感覚があると『少なくても犯罪はあるじゃないか』と見てしまう」と話す。感情的な結論が先にあり、事実をそれに合うように解釈してしまいやすいのだ。
北星学園大・真嶋良全教授
▽エピソードに引きずられないためには SNSでは、実際に誰かが外国人とトラブルになったり、外国人オーナーから家賃を急に値上げされたりした事例が、目に見える形で提示される。真嶋さんは「一人一人のエピソードは直感に訴えかけてくるため、引きずられてしまいやすい。 一方、客観的な証拠や、事実関係に間違いがないかを吟味して考えるのは個人にとって非常に負荷が高い。その結果『怖いことが起きているなら、起きないようにしてほしい』という結論ありきで物事を考えてしまい、統計情報などのファクトそのものが意味を持たなくなってしまう」と解説する。 ではどう対処すべきか。真嶋さんは、情報を受け取る側として、曖昧な状態に耐えて決定しないよう意識する姿勢が必要だと訴える。「不確かな情報に触れたとき、いったん立ち止まり、曖昧な状況のまま保留する。時間をかけて吟味したり、情報源を確かめたりする。そうしたネガティブリテラシーが大切だ」と話した。
ファクトチェックを掲載した毎日新聞(上)と朝日新聞の紙面
▽ファクトチェックをどう届けるか 3人の専門家に話を聞いて共通していたのは、参院選で広まった偽情報に対して、報道機関などによるファクトチェックの効果が限定的だったという認識だ。 「正しい情報を出せば伝わる」。メディアに関わる人間として、正しい情報を発信することばかりを考えていたが、ファクトチェックにも課題は多い。偽情報を放置することもできない以上、どうすれば良いのか。 大阪大の五十嵐さんは、2週間ごとに訂正情報に接触してもらうことで、最終的にはその人の態度は変わるという研究もあると説明。「発信し続けていくことが大切だ」とアドバイスをくれた。 安野さんは、2024年の兵庫県知事選挙で偽情報が放置された状態と異なり、メディア各社がファクトチェックに取り組んだことを「一歩前進」と評価する。大切なのは「上から目線」や「高圧的」と取られないような情報の届け方だと強調する。「ファクトチェックは『高圧的だ』と受け取られると届かない。どこが事実と違うのかを明確に示した上で、『だまされる方が悪い』といったメッセージに受け止められないようにすることが大切だ」と訴える。 その上で、安野さんは「誤情報を巡る認識」という側面だけではなく、選挙を通じて浮かび上がった人々の不安を見つめるべきだと指摘する。「根底にある『普通に暮らす人々が大切にされていない』という実感と向き合う必要があるのではないか」と話した。