「玄関から1分先」で姉・めぐみは消えた 横田拓也さん「これは”横田家のつらい話”ではない」 拉致を我が事として考えるということ【北朝鮮人権侵害問題啓発週間・全4回連載①】

政府は、拉致問題など北朝鮮による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、毎年12月10日からの1週間を「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」と定めている。
この「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を前に、福岡県直方市で「北朝鮮よ、姉横田めぐみを帰せ!」と題した講演会が開かれた。
登壇したのは拉致被害者・横田めぐみさんの弟・横田拓也さん(57)。
横田めぐみさん(当時13)は中学1年だった1977年11月15日夕方、部活動を終えて中学校から帰宅する途中、海岸から数百メートル離れた地点で友人と別れた後、北朝鮮の工作員に拉致された。

当時、拓也さんは9歳だった。
姉が拉致されてから48年。
父・滋さんを含め、多くの親世代が他界してしまう中、拓也さんは「北朝鮮による拉致被害者家族会」の代表として、多くの人が拉致問題を自分の問題と捉えてもらうため声を上げ続けている。
※【北朝鮮人権侵害問題啓発週間】全4回連載①
「拉致の真逆にあるもの」 平和・人権・自由という見えない恩恵
横田拓也さんはまず、拉致という言葉の対極にあるものは何かと問いかけた。
横田拓也さん

「それは平和とか人権とか自由というものです。私たちは普段この平和・人権・自由というものはほぼ何の意識もせずに恩恵を受けているんじゃないかなと思います」
服や目の前のマイクに触れても分からない。

見えないものによって、私たちは人間らしく、家族の姿を保ちながら平穏な日常を送れている。

その真逆にあるのが、理不尽な人権侵害である拉致問題だと拓也さんは強調した。
横田拓也さん

「これから話をする内容というのは、横田家の話で言うと48年前という大変遠い昔の話ではありますけども、歴史の話をしているわけではないということです。現在進行形の人権侵害問題であるということを是非改めて分かって耳を傾けて欲しいと思っています」
そして、これは「横田さんの家の辛い話」ではなく、我が事として、自分だったら、自分の家族だったらどう受け止めるのかという視点で聞いてほしいと語った。
13歳の少女が住宅街から消えた日
スクリーンには、広島時代の横田家の家族写真が映し出された。

父・滋さんがカメラ趣味で撮影したもので、父は写っていない。

日常の家族旅行や記念写真。どの家庭にもあるような、当たり前の風景だ。
横田拓也さん

「こうした当たり前の日常が一瞬にして奪われたということをある連動性を皆さんの我が事としてこの写真を見てほしいと思っています」
拉致される1年前ごろのめぐみさん。

バレエダンスを習っていて、つま先立ちをして父に必死におませな姿を見せている。

家族愛に満ちた一枚だ。
新潟市の地図が示された。

海に近い、普通の住宅街だった。
横田拓也さん

「よくテレビでやってるような、ポツンと森の中に一軒家みたいな誰もいないそういった場所ではなくて本当に普通の住宅街、人通りがある、車が通っている。そうしたところでやすやすと工作員が入ってきて私たちと同じ同胞の日本人、特に子供が拉致されたわけです」
中学校から自宅までの通学路は、大人の足で約6分から7分。

自宅から海まではわずか3分から4分。

めぐみさんが拉致されたのは、おそらく自宅から約1分の距離のどこか。

玄関から1分先。

それは、警察犬がにおいを見失った場所だった。
横田拓也さん

「皆さんの、玄関から1分先をイメージしていただければいいと思うんですがそういった当たり前の生活圏の中で拉致されて、今48年以上苦しい時間が過ぎてるというわけです」
「この目、こんな表情1回も見たことありません」北朝鮮でのめぐみさんの写真
スクリーンに、北朝鮮国内で撮影されためぐみさんの写真が映し出された。

拉致された翌日なのか、10日後なのか、1か月後なのかは分からない。

13歳、寂しい表情と目。
横田拓也さん

「このような寂しい表情、この目、こんな表情1回も見たことありません。この目から私は皆さんに改めて問いたいのは何を訴えかけてるかということをそれぞれ皆さんの心の中で言葉に転換してほしいんです」
拓也さんは、もし自分が暴力的に拉致されて絶望に陥り、写真を撮るから座りなさいと言われてそこに座っているとしたら、「助けてほしい」「誰か来て」「お父さん、お母さん、私はここにいる」「なんで私はここに座らされているの?」と心の中で訴えていると思うと語った。
「扉を開けて」「お父さん」「お母さん」 船底に響いた叫び
北朝鮮から脱北した元工作員との面会で聞いた話が紹介された。

めぐみさんは、北朝鮮の工作船の船底に鍵のかかった部屋に閉じ込められ、何時間も船酔いしながら清津という港まで連れて行かれた。
横田拓也さん

「ずっと部屋の中から『扉を開けて』『ドアを開けて』『お父さん』『お母さん』と泣き叫んでいた。ということです。清津の港に着いた時にはめぐみの指先が血で染まっていたということを、その元工作員の方から聞きました」
拓也さんは、57歳の男性である自分でも今そうした恐怖に陥れば絶望と恐怖しかない。

13歳のめぐみさんがどれだけ苦しかったかと思うと悔しくて怒りしかないと語った。
横田拓也さん

「そんな苦しい思いを想像した時に皆さんが冷静に問題を捉えていっていいのかということをもう1回考えて欲しいと思います。皆さんの大切なお子さんが同じような思いをした時に私たち大人が冷静な気持ちでいていいのかと怒らなくちゃいけないんじゃないかということを今の話の中から是非考えて欲しいと思います」
13歳で拉致されためぐみさん 現在61歳に
日本政府が認定している拉致被害者は17人。

5人が帰国し、残りは帰国できていない。

警察庁が拉致の可能性が濃厚であるとしている人数は871人。

全員が拉致被害者かどうかは分からないが、おそらく数百人規模、300人規模の方が確実に拉致されていると拓也さんは指摘した。
13歳で拉致されためぐみさんは、10月5日に61歳になった。

11月15日で拉致から48年だ。
横田拓也さん

「母・早紀江や私、そして弟の哲也は、めぐみの姿は今皆さんご覧になっているめぐみちゃんっていう頃の小さい13歳のままで止まっています。61歳のめぐみの容姿、顔、表情思い浮かべてご覧と言われてもできないんですね」
めぐみさんに会えるのは思い出や夢の中だけ。

本当に生きているのだろうか、元気だろうかと毎日考えている。
今も続く、北朝鮮国内の過酷な現実
北朝鮮国内の現実は過酷だ。

絶望的なほどの食料難。

電気が通っていない。

帰国した蓮池さんから聞いた話では、寒すぎて布団をちくわのように巻いて、家族全員が団子のように連なって暖を取っていたという。

曽我ひとみさんからは、配給された米の袋に砂利や砂が入っていて、研いだら泥水になってしまった、中身が抜かれていたという話を聞いた。
表現の自由、発言の自由、宗教の自由、集会の自由、移動の自由。

私たちが当たり前に享受しているすべてが禁じられている。

とりわけ、拉致被害者は逃げる自由さえ許されていない。
医療の恩恵も受けられない。

新型コロナウイルスのワクチンを運ぶ低温物流もない。

毎日が必死で生き抜く日々だ。
横田拓也さん

「その中で私の姉めぐみがですね、生活をしている現状があるということです」
横田拓也さんの講演は全4回の連載です。「玄関から1分先」で姉・めぐみは消えた 横田拓也さん「これは”横田家のつらい話”ではない」 拉致を我が事として考えるということ【北朝鮮人権侵害問題啓発週間・全4回連載①】

《“闇バイト”連続強盗》「処世術やカリスマ性」でトップ1%の “エリート模範囚” に…元服役囚が明かす指示役・福地紘人容疑者(26)の服役少年時代「タイマン張ったら死んじゃった」

昨年、首都圏で多発した”闇バイト強盗”の指示役として犯行に関わったとして12月5日、逮捕された福地紘人容疑者(26)。逮捕を受けて、過去にこの男と「同じ少年刑務所にいた」というある男性はこう言った。
「福地さんは傷害致死で服役していると言っていました。聞くと、『地元の先輩にけしかけられて、タイマン張ったら相手が死んじゃった』と。刑期明けの前には『もう悪いことはしない』とも言っていたのに……」
しかし、この宣言は覆された。「エリート模範囚だった」という福地容疑者は社会復帰した数年後、トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)として犯罪に手を染めることになる。
大手紙の警視庁担当記者が事件について話す。
「昨年8月から年末にかけ、18件起きた強盗事件のうち、千葉県市川市の50代女性を襲って現金などを奪った事案の指示役として、福地紘人容疑者ら4人が逮捕された。被疑者らは知人とみられていますが、出生地などもばらばら。関係性についてはまだ詳しくわかっていません。
5日、警視庁の親家和仁刑事部長はじめ、合同捜査に加わった3県警の担当課長も出席する異例の記者会見が行われ、捜査の経緯などを説明。『殺人事件に発展するケースもあり、多くの国民が不安を覚えることになった』などと事件の凶悪性を強調した上で、『トクリュウに対しては警察が”強い姿勢”で臨んでいることを示したく、会見を行った』と言及しました」
福地容疑者を含む容疑者4名はいずれも20代。”実行役”に犯行の指示を出し、事件を主導した主犯格とみられている。
「今回の事件に限らず、闇バイトの加害者になるのは10代後半から20代の若者が多い。関係者はSNSや高秘匿性アプリを使った”ゆるい繋がり”をもち、お互いに初対面のまま犯罪に手を染めることもあります。従来の組織犯罪に比べ、犯人らの関係性が希薄であることから検挙の難易度が高いと言われている。そういった意味で福地容疑者らの逮捕は、大きな一歩といえます」(同前)
NEWSポストセブンはこうしたトクリュウ犯罪の特性や社会的意義を鑑みて、冒頭で触れた福地容疑者の”過去の罪”について報じることとする。
「トクリュウ指示役」の原点とは
福地容疑者は1991年3月、茨城県常陸太田市で生まれた。男は中学校を卒業した頃から、10数人の不良グループに属しており、地元では札付きの”ワル”として有名だったという。
事件が起きたのは2015年6月のことだ。前出とは別の大手紙社会部記者が解説する。

中国駐日大使、Xに報道官の“麻生太郎氏糾弾発言”を掲載「この日本の政治屋の発言は…」

中国の呉江浩駐日大使が9日夜、自身のX(旧ツイッター)を更新。自民党の麻生太郎氏に関する、中国外務省報道官のコメントを掲載した。
呉氏は、会見における、現地記者と外務省報道官のやり取りをポスト。「記者:自民党の麻生太郎副総裁は、日本の高市早苗首相の台湾関連発言について、その姿勢を支持する発言を行った。これについて中国側のコメントは」という記者の質問を記した後、「外交部報道官:この日本の政治屋の発言は、高市首相およびその背後にいる日本の右翼勢力が依然として情勢を見誤り、反省せず、国内外からの批判に耳を貸さず、他国の内政干渉や武力による威嚇といった行為を軽く扱い、白黒を逆転させ、是非を顧みず、国際法や国際関係の基本原則に対する最低限の尊重すら示さず、紛争を煽って対立を引き起こし、戦後の国際秩序を打破し、日本の軍国主義を復活させようとする意図を露呈している。アジアの近隣諸国と国際社会は共に、この動きに対して高い警戒心を持つべきである」とのコメントを投稿した。
さらにこの報道官の話として「特に指摘すべきは、このような中国を挑発する行為は、注目を集め、民意を騙し取るための卑劣で非常に危険な手段だということだ。我々は日本側に、真摯に反省し、高市首相の誤った発言を直ちに撤回するよう促す。これ以上火遊びを続け、誤った道をさらに進むことのないよう忠告する」と続けた。
この投稿に対し「台湾からは地震のお見舞いの言葉、中国からは日本批判」「アジアの近隣諸国が警戒しまくってるのはお前らだろ」「それ、『日本』を『中国』に書き換えたら大変素晴らしい日記になると思います」「誰が挑発し、誰が民意を騙そうとしているのか、聡明な中国人民は気づいていると思うよ」「君達はウイグルやチベットへの行動を反省せよ」「中国は自らの異常性を喧伝して何がしたいん?」「警戒???それはあんたの方よ!」などとツッコミや反論を含めたさまざまな声が寄せられている。
麻生氏は3日に都内の会合で、高市首相が台湾有事が「存立危機事態になり得る」と発言し、中国が反発していることについて「中国からいろいろ言われているが、言われるぐらいでちょうどいい。今まで通りのことを具体的に言っただけで何が悪いのかという態度で臨んでおり、大変喜ばしい」などと言及。高市首相の発言を問題視しない意向を示していた。

36歳高校教諭の男 女性をナンパし相手にされないと胸をギュッ 不同意わいせつ容疑で逮捕も「胸は触ってない」 新潟・長岡市

新潟県長岡市の36歳の高校教諭の男が今年10月、長岡駅近くの歩道で30代女性の胸を触ったとして逮捕されました。
不同意わいせつの疑いで逮捕されたのは、長岡市荻野の高校教諭の男(36)です。 警察の調べによりますと教諭の男は10月3日午後7時30分ころ、長岡駅近くの歩道で30代の女性をナンパし、相手にされないでいるといきなり、横から女性の胸を触った疑いが持たれています。
女性の家族が被害を届け、警察が防犯カメラや聞き込みなどで男を特定し逮捕したものです。
調べに対し高校教諭の男は「女性の胸は触っていません」と、容疑を否認しています。

今朝は北海道で厳しい冷え込み -18℃以下と今季の全国最低気温を更新

今日10日(水)朝は上空の寒気の影響で北海道を中心に冷え込みが強まり、厳しい寒さとなりました。

道東にある陸別町では全国での今シーズン最低気温を更新しています(富士山頂除く)。
北海道の道東を中心に今季一番の冷え込み
今朝は北日本や本州内陸部を中心に、7時30分の時点で460地点が最低気温が0℃未満の冬日になりました。北海道の道東や関東、近畿などではすっきりと晴れていて、地上付近の熱が上空へと逃げる放射冷却現象が働き、冷え込んだところが多くなっています。

また、北海道には上空1500m付近で-12℃以下の寒気が流れ込んでいることもあり、今朝は特に道東で気温が下がっています。陸別町では-18.8℃まで下がり、今シーズン全国で最も低い気温を更新しました(富士山頂は除く)。そのほか、弟子屈町の川湯で-15.9℃、北見市で-15.5℃を観測するなど、厳しい寒さとなっています。

8日夜の地震によって震度6強を観測した青森県内でも0℃前後冷え込みとなりました。東京都心や名古屋市、大阪市などでも今シーズン一番とはなっていないものの、5℃を下回り寒い朝となっています。
昼間も空気が冷たい一日
昼間も太平洋側を中心に晴れるところが多くなるものの、西日本や東日本では15℃に届くかどうかとなる見込みです。昨日と同じくらいの気温になるところがほとんどで、この時期らしい気温となります。日向では温もりを感じられますが、空気の冷たい一日になりそうです。

関東などでは空気の乾燥した状態が続いています。インフルエンザなど感染症が流行しているので、うがいや手洗いなどの対策をしっかりと行い、体調を崩さないようにお気をつけください。

【速報】「殺そうと思った」80代男性にクロスレンチ投げつけ首を絞めた殺人未遂容疑 会社員の男(49)を逮捕 新潟・加茂市

新潟県加茂市の住宅で9日、80代男性にクロスレンチを投げつけ、タオルで首を絞めて殺害しようとしたとして49歳の男が逮捕されました。
殺人未遂の疑いで逮捕されたのは加茂市五番町の49歳の会社員の男で、9日午後9時30分ころ、80代男性にクロスレンチを投げつけ、さらに馬乗りになってタオルで首を絞め殺害しようとした疑いが持たれています。
80代男性の容態は不明ですが搬送時に意識があったということです。調べに対し男は「殺そうと思った」と容疑を認めているということです。
なお警察は男と被害男性の関係性について明らかにしていません。

震度6強で高市首相が未明まで陣頭指揮…「X」投稿も、危機管理万全アピール

青森県東方沖を震源とする8日深夜の地震発生を受け、高市首相は直後に首相官邸に入ると、9日未明まで対応の陣頭指揮を執った。自ら情報を発信し、危機管理に万全を期す姿勢をアピールした。
首相は地震発生から約35分後の8日午後11時50分に官邸入りした。その場で記者団に、「人命第一の方針のもと、政府一体となって救命救助などの災害応急対策に全力で取り組むことを指示した」と明らかにし、官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置したことも説明した。被害状況の報告を受け、9日午前2時32分に官邸を出る際にも記者団を前に「家具の固定など、地震の備えの再確認を」などと呼びかけた。
その約5時間半後の午前8時11分に官邸に入った際にも記者団の取材に応じ、最新の負傷者数などを説明。これに先立つ午前4時前には、自身のX(旧ツイッター)にも「すぐに避難できる態勢を整えていただくようお願いします」などと投稿し、幅広い情報発信に努めた。

日本人は中東情勢への緊迫感が足りない…元外交官・宮家邦彦が指摘する”東アジアの安全保障”への深刻な影響

※本稿は、宮家邦彦『中東 大地殻変動の結末 イスラエルとイランをめぐる、米欧中露の本音と思惑』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
筆者が日本の学界での「中東研究」に興味を持ったのは外務省入省後のことだ。大学では専らバンド活動が忙しかった。中国政府発行の「プロパガンダ満載」教科書で勉強した中国語も、当時は、ほとんど使い物にならなかった。外務省研修所でアラビア語を教えてくれたのは東京外国語大学の高名な教授だった。確か使用した教科書の日本語は、アラビア語と同様、「右から左に」書いてあった(?)記憶がある。
このように外国語の教科書にはあまり恵まれなかった筆者だが、それは中東研究本についても同様だ。筆者の外務省入省は1978年、つまり1973年の第一次、1979年の第二次オイルショックの狭間である。当時中東関連では「石油の確保」「エネルギー価格」「欧米オイルメジャー」など経済情報ばかりが世に溢れていた。本格的な「地域研究」書籍を読み始めたのは、エジプトでの在外研修時代に入ってからのことだ。
筆者は日本の大学での学術的「中東研究」活動を一切経験していない。それでも、今から振り返ってみれば、戦後日本における中東地域研究の流れは3つに大別できると思う。それは、戦後初期の1950~60年代、オイルショック期の1970年代以降、米国の「テロとの戦い」が始まった2000年代以降の3つである。ここからは、筆者の記憶を頼りに、それぞれの時代の特徴を説明していこう。
この時期は中東現地の事情や資料に基づく地域研究が重視された。戦前・戦中に全盛だった西洋中心主義史観に基づく「オリエンタリズム」への反省もあったからだと聞く。特に、当時の学界だけでなく日本全体の政治的潮流を反映していたからか、「アラブ民族主義」を反植民地主義運動の見地から研究することが主流だったらしい。こうした傾向はその後も続き、筆者がアラビア語研修を始めた1970年代末でも、学界の主流は「西洋の植民地主義と戦うアラブ民族主義」だったと記憶する。
当初こうした考え方は革新的だったに違いない。大学卒業から間もない研修時代の筆者にもこれは極めて「真っ当」に映った。在米研修中はジョージタウン大学の現代アラブ研究センターに通ったが、ここでも、これと似たような授業を受けた覚えがある。もっとも、同大の現代アラブ研究センターはアラブ諸国から財政的支援を受けていたから、当時ワシントンでは珍しい「親アラブ」系の学校だったのかもしれない。
1973年のオイルショックと1979年のイラン・イスラム革命により、中東地域に対する日本人の関心は一気に高まった。変な話だが、もしオイルショックがなければ、筆者の研修語はアラビア語にならなかったかもしれない。そして、筆者が中東を直接知らなければ、今のような外交評論は恐らくできなかっただろう。その意味で、筆者は「石油戦略」を発動したアラブ産油国に感謝しなければならない、とすら思う。
それはさておき、1967年の第三次中東戦争以前から、日本ではアラブ民族主義、パレスチナ紛争、中東での米ソ対立などに関する研究が本格化していた。当時学界の主流は「反欧米中心史観」に基づく「アラブ民族主義」礼賛だったことは既に述べた。ところが、1970年代のオイルショック後は、一転して経済関係の研究が飛躍的に増加していく。当時の議論は専ら原油・天然ガスなどエネルギー資源を「いかに確保するか」だったと記憶する。
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、中東では米国による「テロとの戦い」の時代が始まる。これに伴い国際政治における中東の位置付けも再び変化していった。米国の軍事活動はアフガニスタン、イラクだけでなく、シリアにも及んだ。同時に、米国の戦略的関心も、イスラエルの安全保障の確保から、中東におけるイランの脅威、湾岸アラブ産油国からのエネルギーの間断なき流れの確保の方に、徐々に傾いていった。
当然、世界の中東研究にも変化が生じ始める。伝統的な中東地域研究が、国際政治学や安全保障研究などと密接に結びつくようになったのだ。国際テロリズム、中東での各種紛争、主要国間の覇権争い、クルドなど少数派集団などをテーマとする研究も増加した。これに対し、日本では若い研究者を中心に中東をより多角的に捉える研究が増えたものの、中東を日本の安全保障の観点から多角的、戦略的に分析するという発想は生まれなかった。
以上の通り、日本の中東研究はオイルショック以降、質量ともに飛躍的に進化していった。筆者が外務省に入省した頃は、日本語で読める中東関連の良質な書籍、論評を探すこと自体、容易ではなかった。その意味で最近の状況には「隔世の感」を禁じ得ない。しかし、筆者は外務省で日米安保や中国問題などに「寄り道」をした身である。専門家の中には「宮家は本当の『中東屋』ではない」と思っている人も多いのではないか。
勿論、筆者にも「言い分」はある。これでも、若く元気のある時期に中東の言語、歴史、地域情勢を一生懸命勉強したものだ。ところが、外務省本省や世間の関心の大半は、米国、中国、朝鮮半島、ロシア関連ばかり。経験則で申し上げれば、中東に日本の世間の関心が向くのは、概(おおむ)ね10年に一度。現地で大戦争、大規模テロ、革命、日本人の人質などの事件が起きた時だけだったと記憶する。
勿論、この時ばかりは総理官邸も外務大臣室も、中東への関心が異様なほど高まる。あれはどうなった? これはまだ分からんのか? といった質問や要望が洪水のように舞い込む。だが、英語や仏語とは異なり、中東専門家の数は限られている。だから、一度中東で大事件が起きると、省内と在外から専門家と経験者を総動員し、大タスクフォースを組んで、連日徹夜の作業が続く。それでも、事件が一段落したら、あれほど大騒ぎした中東への関心が蜃気楼(しんきろう)のように消えてしまうのだ。
1980年のイラン・イラク戦争、1990~91年のイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争、2001年の米国同時多発テロ以降のアフガニスタン戦争とイラク戦争、全てがそうだった。「10年に一度の大騒ぎ」が何度も繰り返されたからだ。でも、考えてみれば、当時は、中東での日本の最大関心事が主として「原油・天然ガスの安定供給」の時代だったから、それはそれで良かったのかもしれない。
しかし、今は米国とイランが直接戦闘を交える時代である。当然、問題は「エネルギーの安定供給」に止まらない。東アジア、インド太平洋地域を含む、世界的規模の安全保障にも直接関わってくるからだ。既に述べた通り、「湾岸・東アジア」シーレーンが寸断されれば、日本や韓国だけでなく、中国を含む東アジア諸国の安全保障に直接悪影響が及ぶ。中東湾岸地域は今や「中露朝イラン」との地政学的覇権争いの中核となりつつあるのだ。
ここで筆者が気になるのは、日本における「中東研究」のあり方だ。既に述べてきた通り、日本の中東研究が近年飛躍的に深化していること自体は疑いがない。他方、日本の中東研究には欧米では当然の視点が欠けている。それは中東地域をグローバルな国際政治や日本の安全保障戦略といった視点で捉えたうえで日本の国益をまず考え、それを中東においていかに最大化できるかを考えることだ。そうした発想を持つ研究者が日本にはまだまだ足りないのではないか。と筆者は危惧する。そのことは、第一次オイルショック以降、過去50年間の日本の対中東外交史を振り返れば、一目瞭然であろう。
1950~60年代のような「アラブ民族主義」的史観や70年代までの「イランと日本は伝統的に友好国だ」といった主張が間違っていたとは言わない。戦後日本の中東研究の先達の努力と先見の明に敬意を表するのは当然である。しかし、それと同時に、日本の中東研究は、中東諸国のためではなく、究極的には、日本のためにあるべきではないか、とも思うのだ。これが筆者の問題意識である。
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(キヤノングローバル戦略研究所理事・特別顧問 宮家 邦彦)

季節の移り変わり伝えた「流氷」の目視観測、80年の歴史に幕…観測されない年も・観測技術も向上

気象庁は9日、北海道の気象台などで行われてきた流氷の目視観測を、今冬から終了すると発表した。近年は流氷が観測されない年もあり、約80年の歴史に終止符を打つことになった。
目視観測は、季節の移り変わりや船に流氷の危険性を伝えるため、1946年から毎冬行われ、漂流した流氷が初めて目視で観測された「流氷初日」などの情報を提供してきた。
だが、近年は観測されない年や地点があったほか、観測技術などの向上で目視より広範囲を確認できるようになったため、終了を決めた。

「現時点でおこめ券を配布することを決めた市町村はゼロ」…鈴木憲和農相「お膝元」山形県「おこめ券」配布を巡り「モーニングショー」が独自調査…35市町村に聞き取り

テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・午前8時)は10日、おこめ券の配布を巡り自治体で見送りが続出していることを報じた。
番組では、長野市の荻原健司市長が「必ずしもおこめ券にこだわる必要はないのではないか」との考えを示したことを報道。さらに福岡市の高島宗一郎市長がおこめ券について「500円を配るのに(経費が)1割以上60円。そこのコストに対しては国として問題意識をぜひもっていただきたいなって思います」と述べ、同市は、おこめ券は配布せず、一般家庭用の下水道料金で基本使用料と従量使用料を2か月分無料、さらに市内全域で使える20パーセントのプレアミアム商品券を発行することを紹介した。
さらに鈴木憲和農相のお膝元になる山形県で配布されるのかを番組が独自調査。県内の35市町村に聞き取りを実施し、その結果「31市町村」が配布するかどうかを検討中。残りの4市町村は配布しない方針で「現時点でおこめ券を配布することを決めた市町村はゼロという結果」と報じた。