石川県警は、能登半島地震の被災地に派遣された警察官ら114人の手記をまとめた。道路が寸断された半島での救助活動の難しさや助けられなかった無念さ、日頃の備えの大切さなどへの思いが記されている。現場での経験を語り継ぐことで、今後の災害対応の向上につなげる考えだ。(金沢支局 宮崎乃亜)
手記を寄せたのは、県警の警察官83人や家族6人、全国から派遣された警察官25人。被害が甚大だった珠洲市内の珠洲署に勤務していた50歳代警部補は、倒壊して1階が押しつぶされた家を目の当たりにした。がれきを取り除くと、手のひらが見えた。この家に住んでいた中学生だった。
声をかけて手を握ったが、「冷たく呼び掛けには一切応答がなかった」。他にも多数の人が下敷きになっているとの報告が入り、「助けられる命」を優先して現場を離れざるを得なかった。警部補は「『明日、必ず救助するから、寒いけど我慢してな』と心の中で手を合わせ、次の倒壊現場に向かった」とつづった。
輪島署員だった30歳代巡査長が命じられたのは、家屋が倒壊するなどした輪島市門前町地区での遺体安置所の開設で、軽トラックで来た高齢男性から「息子を置いてもらえませんか」と声をかけられた。荷台から運び込まれた遺体は「昔一緒に遊んでくれた男性」だった。その後、何人もの顔見知りと遺体で再会した。
「被害者の話などを聞いて少しでも気を楽にしてもらうこと」が職務だと思っていたが、声をかけることすらできなかった「無力な自分」を痛感した。それでも「淡々とこなすことはせず、ご遺体に礼を尽くそう」と心がけたといい、「この経験を糧に警察人生を歩んで行こうと思います」と結んだ。
地震では道路の寸断が相次ぎ、珠洲市などで捜索活動の指揮を執った八田泰広警視(53)は「現地にたどり着くことの難しさ」を感じたという。情報収集や捜索活動を進めながら道なき道を走破し、現場にたどり着くまで30時間かかった経験から、装備品の小型化や軽量化が課題だと指摘する。八田警視は「肉体的、精神的にも過酷な環境で互いを励まし合いながら活動した」と振り返り、「人命救助にあたった警察官の思いを知ってほしい」と話している。
手記「あの日からそれぞれの思い」は、石川県警のホームページ(https://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/security/security16/security01.html)などで公開されている。