除雪中のショベルカーにひかれる 40代女性が骨折などの重傷 北海道網走市

事故があったのは網走市南2条東2丁目にあるコンビニエンスストアの駐車場です。
15日午前3時ごろ、消防から「ショベルが女性をひいた」と警察に通報が入りました。
警察によると77歳の男性がショベルカーで駐車場内を除雪中、バックした際に市内に住む43歳の女性をひいたということです。
この事故で女性は、内蔵の損傷や骨折などの重傷ということです。
警察は当時の詳しい状況や事故の原因を調べています。

関心は高いけど…「産後ケア」、利用率は3割 経済格差が影響か

出産後の母親に対して心身のケアや育児相談などの支援をする「産後ケア」の認知度は高まっているが、利用率は3割程度にとどまる――。そんな育児についての実態が民間調査で明らかになった。利用率は年収の高い層ほど高く、経済面での格差が利用の可否に影響している可能性があるという。
調査は2025年9月、ベネッセコーポレーションが運営する出産・育児メディア「たまひよ」が、生後1歳6カ月までの子どもをもつ母親、父親を対象にインターネット上で実施。2062人(母親1649人、父親413人)から回答を得た。
妊娠・育児に関連して印象に残ったニュースやキーワードを尋ねたところ、母親の38・3%が「産後ケア」に関心を寄せ、選択肢の中では2番目に多かった。最も多かったのは母親、父親ともに約半数が挙げた「年間出生数70万人割れ」だった。
産後ケアは出産後、慣れない育児に疲れてしまいがちな母親のために授乳指導や育児相談といったサポートをするもので、母子保健法の改正により21年から産後ケア事業の実施は市町村の努力義務となった。
支援は、病院などで宿泊による休養の機会などを提供する「宿泊型」▽日中に来所した利用者に対して支援する「デイサービス型」▽担当者が利用者の自宅に赴く「アウトリーチ型」――がある。
産後ケアを知っているのは母親が96・6%、父親も86・4%と非常に高水準だった。一方で「利用した・利用予定」の母親は31%にとどまった。
利用率を世帯年収別にみると、1000万円以上=50・5%▽800万~1000万円未満=40・5%▽600万~800万円未満=28・2%▽400万~600万円未満=28・3%――で年収が高いほど利用率も高く、世帯の経済力や情報に接する機会で格差が生じることが推察されるという。
調査結果を掲載している「たまひよ白書 2026」によると、都市部を中心に里帰りをせずに自宅で産後を乗り切る傾向が進んでおり、25年は約6割が「最初から里帰りを計画しなかった」と回答。身近に頼れる人が少ないという点で、産後ケアへの関心の高さにも直結したとみられる。
米谷明子・たまひよ統括編集長は産後ケアへの関心が高い一方で利用率が低い点について「産後すぐの育児の負担が大きいことの表れでもあり、利用者が少ないのは出産を経たママが休養をしたり、育児へのサポートを受けたりすることに抵抗を感じているからだと考える」と指摘。「休んでいいんだよと背中を押す雰囲気が世の中に流れていくことを心から願います」とコメントした。【木原真希】

倉敷市の県道で自転車の男子高校生が車にはねられ大けが 79歳の男を逮捕

15日朝、倉敷市玉島八島の県道で自転車の男子高校生が車にはねられ大けがをしました。警察は車を運転していた79歳の男を逮捕しました。
逮捕されたのは浅口市金光町の無職の男(79)です。警察によりますと男は15日午前7時45分ごろ倉敷市玉島八島の道交差点で軽自動車を運転中、道路を自転車で横断中の高校3年生(18)をはね顔面骨折の大けがを 負わせたものです。男は駆けつけた警察官に過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕されました。

空港ターミナルビル前で…観光バスにはねられ歩行者の男性が一時重体 バスの乗客約30人はけがなし 香川・高松市

15日午前11時ごろ、高松市香南町岡の高松空港ターミナル前の道路で、横断歩道を歩いて渡っていた男性が観光バスにはねられました。 はねられた61歳の男性は意識不明の重体で搬送されました。警察によると、その後、命の危機は脱したものの頭がい骨骨折などの重傷だということです。
観光バスには運転手のほか、添乗員1人と乗客29人が乗っていましたが、いずれもけがはありませんでした。

警察はバスの男性運転手(61)を過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕。運転手は警察に「駐車しようと遠くを見ていて、歩行者の発見が遅れた」と話しているということです。

今年の東大合格者数で見えた進学校の“最新勢力図”。昨年比33人減の“超名門校”は「凋落してしまった」のか

―[貧困東大生・布施川天馬]― 2026年も長く続いた受験の冬ですが、そろそろほとんどの大学の合否発表が出そろってきました。 これから後期日程の受験がある方もいらっしゃいますが、新居探しや入学手続きで忙しくする方も多いのでは。 個人的な注目は、やはり3月10日の東京大学合格発表。 今年は「御三家」と名高い開成高校が史上最高クラスの合格実績をたたき出したり、近年失速気味だった巣鴨高校が13名の合格者を輩出したりと、多くのニュースがありました。 東大の合格実績は、進学校における人気の指標。これを見て、来年の受験者数は大きく増減しますから、どの学校も必死です。 一方で、昨年から30名も大きく数を減らした横浜翠嵐高校や、「御三家」の一角ながら開成・麻布に水をあけられている武蔵高校など、一見すると凋落したようにも見える学校も。 しかし、高校研究家として活動する現役東大生の村瀬理紀さんは「決して落ち目ではなく、長い目で見れば納得できる理由がある」と話します。 今回は、「東大合格者数増減の裏側」について伺います。◆凋落ではなく平常化ーー今年の東大合格者数にて、横浜翠嵐高校は前年より33名減と、大きく数を減らしてしまったようですが、これには原因があるのでしょうか?村瀬:これは、去年との比較をしていること自体が間違いなんです。 ここ数年、同校の東大合格者数は40~50名程度で安定しており、2023年・2024年はともに44名でした。しかし、2025年に偶然が集中したのか、74名の合格者を輩出した。 これは翠嵐の歴史から見てもかなり高い数字で、むしろ74の方が例外的な数字なんです。 だからこそ、私は「いつも通りに戻った」とみています。とはいえ、去年の74名合格がもたらす影響は非常に大きい。 なぜなら、今年横浜翠嵐を志望した方は、みんな「東大合格74名の名門校」を意識して受験していると考えられるからです。 東大志望や東大を検討するようなエリート層は、こぞって同校に出願したでしょう。もちろん入試選抜はさらにハイレベルになり、例年よりも優秀な生徒が多数入学しているはず。 となれば、今年の受験を勝ち抜いて横浜翠嵐に入学する新高校一年生の代からは、やはり多くの東大合格者が出ると予想できる。 これは、受験における「4の法則」と呼ばれています。ある年の合格実績が、その4年後の合格実績に影響する傾向がある、とする説です。

被災者守る「スフィア基準」、達成には民間の力が鍵…それでも「国の補助は欠かせない」

[東日本大震災]
雑魚寝、冷たい食事、トイレの我慢……。大規模災害のたび、被災者の生活環境を守る難しさや災害関連死の問題が生じる。避難所運営には給水、居住空間の確保が不可欠で、政府は国際赤十字などが示した最低限の「スフィア基準」の達成を目指していく。ただ、自治体の予算や担当職員が限られ、実現には民間企業やボランティアの力も鍵となりそうだ。
物資や空調、自治体で差
スフィア基準は避難所の運営について、「居住空間は1人当たり最低3・5平方メートル」「飲料水、生活用水合わせて1日最低15リットル」といった指標を設けている。政府はこの基準を2030年度、再生可能エネルギー設備の導入などについては35年度まで、それぞれ100%の達成を目標とする。2年前の能登半島地震と豪雨災害で、多くの災害関連死が出たことも教訓としている。
内閣府が都道府県や市区町村を対象に実施した24年の調査によると、災害用の備蓄は簡易ベッド(段ボール式を含む)57万5204台、毛布1472万1159枚などだったが、担当者は「自治体によって偏りがあり、課題は少なくない」と言う。寒さだけでなく、酷暑も予想されるなか、全国8・3万か所の指定避難所では、空調機器の確保率が暖房は78%、冷房は74%ほどにとどまる。
この先も「南海トラフ地震」「日本海溝・千島海溝地震」など大きな災害が想定されるが、総務省によると、全国市区町村のうち2割超に防災専従の職員がいない。財政上の理由などから、46都道府県の計433市町村で配置がゼロ。複数業務を兼任するケースが多く、初動の遅れや、長期化した場合に大きな負担となる懸念もある。
こうしたなか、企業の活用を求める声も出ている。佐賀県唐津市危機管理防災課の井上裕太主査は「災害時は必要な作業量も多く、職員自身が被災する可能性もある。避難所運営を任せられると大きな力になる」と期待する。
佐賀県や唐津市は、避難所運営の業務を請け負おうと模索する大手ゼネコン清水建設の社内ベンチャー「シェルターワン」(東京)と合同訓練に取り組んだ。昨年10月に建設事業者やボランティアらを指揮し、エアコン付きテント、食堂や温水シャワーなどを設置した。
シェルターワンは、自治体の資機材を活用した速やかな避難所設営システムの構築を進める。災害発生から48時間以内にトイレやキッチン、食事スペースを設置できるように長野県諏訪市、佐賀県伊万里市などとも訓練に励んだ。児島功社長(45)は「災害時は専門的作業が多く、自治体職員だけの力には限界もある。民間に貢献できる業務の範囲は広い」と強調する。
跡見学園女子大学の鍵屋一教授(福祉防災)は「自治体職員の負担軽減には、ホテル、老人ホームなど民間の知恵を活用することが望ましい。ただ、費用面で国の補助が欠かせない」と指摘し、避難の長期化を見据えて「ニーズの把握は自治体の本来業務で、すべてを民間任せにするのではなく、被災者の自主性も含め役割分担が必要」と語る。
イタリアは州にボランティア登録
イタリアでは大規模災害が発生した場合、国の「市民保護局」が司令塔となる。各州にも市民保護局があり、連携して被災地に物資や要員を送り込み、被災自治体を支援するという重層構造になっている。
実際に現場で避難所運営にあたるのは訓練を受けた専門のボランティアだ。医師は被災者の診療、土木技術者は避難所の設営、調理師は炊き出し――と、個人の職業技術を災害対応に生かす仕組みだ。
こうしたボランティアは全国で約30万人に上る。州に登録され、必要に応じて招集される。定期的に州などが実施する訓練を受け、全国レベルでの合同演習にも参加して有事に備える。
イタリアのボランティアは日本のような「善意の市民」ではなく、国家の災害対応能力の一部とみなされている。このため、交通費や保険料などの経費は公的資金で賄われる。仕事を休む場合は、雇用主に補助金が支払われる。
2009年のラクイラ地震で大きな被害を受けた中部アブルッツォ州が昨年実施した訓練にはボランティア約2000人が参加した。州市民保護局のマウリツィオ・シェッリ局長は「我々とボランティアは、いわばオーケストラだ。全員で一つの『曲』を奏でなければならない。普段から交流し、信頼や一体感を醸成することが大事だ」と語る。
台湾でも官民の連携が進んでいる。東部・花蓮の当局は18年の大きな地震で、避難所を整えるのに2日を要し、被災者から不満が出た。この反省を生かして民間団体や企業と災害に備えた訓練を行ってきた。
24年に花蓮で震度6強を観測した地震では、発生10分後に役所近くの小学校で避難所の開設準備を開始。民間団体を交えたLINEグループで情報共有を図り、避難所にプライバシーを保護できる仕切りを設けた。飲食店などは温かい食事を被災者に提供した。
政府がリーダーシップを
東日本大震災時は、紙管を柱と梁(はり)にしてカーテンを通して使う「間仕切りシステム」を避難所で使ってもらおうとしましたが、「前例がない」と断られるケースも少なくなかった。これを教訓に、震災後は71自治体と協定を結び、迅速に供給できるよう改善しました。
日本の避難所運営は遅れている。イタリアは備蓄資材に統一の規格があり、シェフが作る温かい食事が提供される。台湾はボランティアが熱心で、海外の被災地でも活動しています。
日本はそれぞれの被災者を取り巻く生活の質がバラバラ。そもそも運営する職員が被災している。専門性のある国の職員、ボランティア、民間企業による運営が望ましいと考えます。
ただ、国が統一したルールを作り、明確な目標を定めなければ実現できない。政府のリーダーシップが問われていると思います。
地方部 長谷裕太、ベルリン支局 工藤彩香、台北支局 園田将嗣、編成部 十河靖晃、デザイン部 石崎紬音が担当しました。

『そろそろ帰ってきませんか』『ダメ出しを下さい』 “会えなくなってしまった”彼方のあなたへ…それぞれの思いつづった“15年目のメッセージ”『every.特集』

岩手県山田町。東日本大震災で甚大な被害を受けたこの町で、震災から15年がたった今だからこそ伝えたい思いをつづったメッセージが募られた。
気持ちがすれ違ったまま旅立ってしまった「幼なじみ」へ。いつもそばにいた「家族」へ。そして、優しかった「おばあちゃん」へ…など、「もう一度あの人に会えたら、伝えたいこと」をテーマにメッセージが寄せられた。
そして、メッセージを寄せた方たちを訪ね、話をうかがうと、あの日を境に会えなくなってしまった大切な人を思い続けながら、一歩前へ進もうとする応募者の15年が見えてきた。
太平洋を臨む、岩手県山田町。
2011年3月11日、この町を襲った大津波で680人を超える尊い命が失われ、いまも139人の行方が分かっていない(※関連死を含む・2026年2月現在)。
15年の月日が流れた山田町で、“ある募集”が行われた。それは、あの日を境に“会えなくなってしまった人”へ向けたメッセージを募る試みだ。
メッセージを寄せた方を訪ねると、大切な人を思い続けるそれぞれの15年があった。
東日本大震災で、甚大な被害を受けた山田町。震災15年にあたり、メッセージを募ったのには理由があった。
山田町 生涯学習課の福士幸枝さんは「記憶の風化がまず課題だなと思っています。やっぱり伝承は大事だなと思って、15年目の機会にメッセージという形で事業を行おうと思いました」と話す。
寄せられた20通は冊子にし、後世に語り継ぐ資料にすると言う。
『天国から見てダメ出しを下さい』
『会いたい あなたに』
『海に会いに行きます』 (すべてメッセージより抜粋)
その中の1通には、こうあった。
『たった一人の孫からのお願いです。そろそろ帰ってきませんか。家族で待っています』
『帰ってきませんか』、この一文が気になり、メッセージを書いた方に取材をお願いした。
そのメッセージは、山田町に暮らす、震災で被災した長根さん家族の娘の璃歩(りほ)さんが書いていた。
取材スタッフの「誰に向けてのメッセージか」の問いに、璃歩さんは「おばあちゃんですね」と答える。
宛先は、一緒に暮らしていた祖母の享(きょう)さん(当時78歳)。あの日、愛犬と避難する途中、津波に遭い、15年たった今も行方は分かっていない。
おばあちゃんは折りに触れ、「津波には気を付けろ」と、璃歩さんたちに伝えていたと言う。
長根璃歩さん
「家族の中で一番『(地震が来たら)避難するように』と、ずっと言っていたおばあちゃんだったので、ちょっと信じられない。そう言っていた、おばあちゃんだったのに『なんで?』って…」
たった1人の孫は、さぞかしかわいかっただろう。先に夫を亡くした享さんは、学校の宿題などいつも気にかけてくれた。
津波の怖さを、口を酸っぱくして教えてくれたおばあちゃん。中学2年だった孫娘は、29歳になった。
璃歩さんは「15年たったからこそ、自分が考えたり、思ったことを改めて文章にして振り返れないかなって」と話す。
璃歩さんらは、おばあちゃんと暮らしていた自宅の近くへ向かう。璃歩さんはおばあちゃんへ、こんなメッセージをつづっていた。
『おばあちゃんへの手紙 たった一人の孫より
普段から家庭で津波のことについて話していたので、一番話してくれたおばあちゃんのことだから、愛犬と裏山の八幡様へ避難しているものと強く信じていたんだよ。
あれから15年。いつも仏壇で話しているように、学校を卒業、就職し、2年前に県外からUターンして両親と同居して、またにぎやかに暮らしていること、見ていてくれたよね。
いつも見るおばあちゃんは、写真で笑っているけれど、時々声を聞きたくなります。
たった一人の孫からのお願いです。そろそろ帰ってきませんか。家族で待っています』
よくおやつを作ってくれたおばあちゃん。声が聞けなくなり、15年がたった。
璃歩さん
「『15年たって大人になりましたけど、私はあのまま、いつも通りの孫のままですって、いつも通り、当時のままの孫として待っているので、早く帰ってきてください』っていう感じですね」
たった一人の孫からの節目の便りは、「彼方(かなた)のおばあちゃんへ」届いただろうか――
メッセージの中に、誰に宛てたものか分からない1通があった。

『天国から見てダメ出しを下さい』
誰を思い書いたのか、取材をお願いすると快く応じてくれた。
このメッセージを寄せたのは、山田町で生まれ育った後藤夕香里さんだ。彼女は地震当日、娘の結婚式で町から離れていたため、家族3人全員無事だった。
現在県内の婦人会で活動する彼女に、取材スタッフが「どなたに向けて書かれた?」に尋ねると「幼なじみです」と答えた。
メッセージは“のりちゃん”と呼ぶ、幼なじみの河西典子さんへ宛てたものだった。
今回“のりちゃん”へメッセージを書いたのは、誤解が解けないまま彼女と会えなくなったことを「ずっと後悔しているから」だと教えてくれた。
15年前のあの時、母親と孫2人で自宅にいたのりちゃんは、震災から半年後に、無言の帰宅をしていた。
「(幼い頃は)もう近所で、気がついたら隣にいたっていう感じで。本当になくてはならない人だった、自分にとっては」と後藤さんは話す。
家がはす向かいで、同い年。優しく静かで、何でもできたのりちゃんは、そばにいるのが当たり前の存在だった。2人きりで旅行に行ったこともあった。
のりちゃんは結婚後、夫が経営する海苔(のり)の卸の手伝いに、実家の事や孫の世話と、忙しい毎日を送っていた。
一方の後藤さんも、夫の仕事を手伝いながら、合間を縫い、地域のボランティア活動に参加し、忙しくも充実した日々を送っていた。
後悔のきっかけは、東日本大震災の半年ほど前に、のりちゃんのところで海苔を買おうと訪ねた時のことだった。
後藤夕香里さん
「私が『(地域のボランティアで)のり巻きを作るから』って言ったら、(のりちゃんが)『いいね。自分が好きなことができるんだもの』って言われるの。すごくきくよ、そう言われると」
「好きな事が出来る時間があっていいね…」という、のりちゃんの言葉に「いやいや私だって、仕事も家事も精いっぱい頑張っているのよ」と返せなかった後藤さん。
心通じていると思っていた人からの、思いがけない一言が胸の奥に刺さったまま、のりちゃんは二度と会えない人になってしまった。小さな後悔が、大きな後悔になった。
だから後藤さんは“のりちゃん”を宛先に選んだ。今の自分が、彼女からどう見えているかと。
後藤さん
「“私も生きて15年間、必死でここまで頑張っていたよ”っていうのを認めてもらいたいのがあったんだと思う」
そして、考えながらこう続ける。
「私はのりちゃんに認めてもらいたかったのかな、自分が頑張っているのを」
“のりちゃん”のいない15年。ふるさと山田町で、自分なりに頑張ってきた姿を幼なじみは、見ていてくれただろうか――
幼い頃、のりちゃんと遊びに来た浜辺から、彼女へ“15年目のメッセージ”を届ける。
『天国の貴方(あなた)へ
しばらくは貴方の死を受け入れることが出来なかった私ですが、震災から2年位たった頃、目にいっぱいの涙をためた貴方の夢を見ました。
最後のお別れに来てくれたのかなと思うと、寂しい気持ちがこみ上げて来ました。
それから間も無く私は、地域婦人活動に参加する様になりました。
もう少し地域のために頑張りたいと思いますので、天国から見てダメ出しを下さい』
貴方のいないこの「ふるさと」で、私なりに、これからも頑張っていく――
帰り道、後藤さんはのりちゃんの夫・寛太郎さんの家へ向かった。震災後は足が向かなかったというこの家を、後藤さんが訪ねるのは初めてだ。
今回改めて深く、のりちゃんと向き合った事が背中を押したのだろうか。
後藤さんは、のりちゃんの遺影に手を合わせる。幼なじみとの静かな再会。
2人だけの時間。後藤さんは、少しほほえんだように見えた。
典子さんの夫・寛太郎さん
「近くにね、夕香里ちゃん(後藤さん)たちみたいな、同級生もいっぱいいたし、典子は幸せだったかもしれない…」
後藤さんは、じっと遺影を見つめ続けた。
後藤さん
「(この家に)来られなかったのは、(亡くなったことを)受け入れるのが嫌だったから、来られなかったんだと思う」
「(のりちゃんが亡くなったのを)信じたくないけど、やっぱり受け入れないとダメだね」
そして、後藤さんの「私もこれから来られる、ここに」という言葉に、典子さんの夫の寛太郎さんも「来て」と返す。
心の整理は、まだまだだけど、“のりちゃん”の事はずっと忘れない。また、夢で会える事を信じて――
山田町が“15年目のメッセージ”を広く募集しようとなったのは、町に関わる“ある出来事”が関係していた。それは、2025年10月に報じられたニュースにあった。
2023年、山田町からおよそ100キロ離れた宮城県の海岸で見つかった“小さな骨”が、山田町の山根捺星(なつせ)さんのものと判明。地震から14年7か月ぶりの帰宅だった、というものだ。
このニュースは、2025年10月16日のnews every.でも報じている。
震災当時6歳だった女の子が、ようやく家族の元へ帰れた事が、メッセージを募集するきっかけとなっていた。
捺星さんの5歳上の兄、山根大弥(だいや)さんが話を聞かせてくれた。現在、山田町の役場に勤務している。
生クリームのケーキが大好きで、小学校入学を控えていた、なっちゃん。14年7か月ぶりの帰宅は「おかえり…」の言葉で迎えた。
山根大弥さんは涙を拭いながら話す。
「見つかってよかったって気持ちもありますし、(震災前の)元気な姿しか見ていないので、あんな妹がこう、こんな小っちゃな…。顎の骨の一部だけになって帰ってきたっていうのは、やっぱり、悲しかったっていう記憶もありますね」
大弥さんが捺星さんのいないことに気づいたのは、震災翌日だった。両親は何も答えてはくれなかった。
大弥さんは当時を振り返る。
「妹としょっちゅうケンカしました。最後もケンカしたんですよ。私も(当時)小学生だったので、小学校に行く前に、急にイスを投げられて、腹を立ててしまって、ちょっと怒って泣かせてしまったんですよね。っていうのが私が妹に最後に会った時ですね」
3月11日が近づくと気持ちが沈んでいく。その繰り返しだった。大弥さんは、「町の復興に携わりたい」と町役場に就職した。
お兄ちゃんから、5つ違いの妹へ“15年目のメッセージ”。
『捺星へ
まずはじめに「おかえり」。
気づけば、兄ちゃんは、小学生から社会人になりました。今は山田町役場の職員として働いています。
兄ちゃんはこれからも、捺星の分まで精いっぱい生きて行こうと思います。
そして、また会えた時に話せるように、捺星に聞いてほしいこと、伝えたいことをたくさん用意しておきます。
また、会いましょう 兄ちゃんより』
サヨナラを言えなかった「遠い彼方のあなたへ」。メッセージには、大切な人を思い、過ごした15年がつづられている。
(2026年3月11日放送「news every.」より)

奪った現金で200万円相当「ウブロ」の高級腕時計や1000万円相当「アルファード」購入か…上野4億円強盗事件で”指示役”など男7人逮捕

今年1月、東京・上野の路上で現金4億円あまりが奪われ、きのう、男7人が逮捕された事件で指示役とみられる男が犯行後、1000万円相当の高級車などを購入していたとみられることがわかりました。
この事件は今年1月、台東区東上野の路上で、現金およそ4億2300万円を奪い、男性(43)に催涙スプレーをかけたとして「指示役」とみられる、指定暴力団・山口組弘道会系の組幹部、狩野仁琉容疑者(21)ら男7人が逮捕されたものです。
その後の取材で狩野容疑者が犯行後、奪った現金の一部で200万円相当の「ウブロ」の高級腕時計や1000万円相当の高級車「アルファード」を購入していたとみられることがわかりました。
警視庁は家宅捜索で現金2750万円を押収していますが、残る4億円近くは見つかっておらず、調べを進めています。

「実際に避難者っているんだ」震災を知らない世代へ…福島原発事故の避難者たちが学生とともに被災地を巡る【東日本大震災から15年つなぐ、つながる】

被災地の今を見つめる、シリーズ「つなぐ、つながる」です。東日本大震災の記憶や教訓を伝えようと、福島から1000キロ以上離れた愛媛で活動を続ける避難者たちがいます。
福島第一原発事故を受け、福島から愛媛に避難している渡部寛志さん(47)。同じ立場の仲間たちとNPO法人を設立し、記憶や教訓を伝えるため、自身の経験を語ったり、学生を被災地に案内したりする活動を続けています。
福島から愛媛に避難 渡部寛志さん 「月日が流れれば流れるほど、当事者じゃない人たちにとっては自分事として考えることが難しくなってくると思う」
発生から15年、渡部さんは若い世代に現状を伝える動画を制作するため、一緒に活動する学生たちを再び被災地に連れていくことにしました。
愛媛の大学生 「最初は全然興味がなくて、(渡部さんと出会い)実際に避難者っているんだと思ってから震災や災害に興味を持つようになった」
学生たちは撮影を行いながら、岩手や宮城を巡ったのち、渡部さんのふるさと、福島へと向かいました。当時の記録や現状に触れます。
福島第一原発が立地する福島県双葉町も訪れました。NPOのメンバーで、この町から愛媛に避難している澤上幸子さん。今も避難指示が続く自宅に向かいます。
福島から愛媛に避難 澤上幸子さん 「結構、変わっている…何もない」
解体が決まり、家財道具などが全て撤去されていました。
自宅前の田んぼは、家屋の解体などで発生した廃棄物の仮置き場になっていました。
愛媛の大学生 「なんでここが仮置き場に?」
福島から愛媛に避難 澤上幸子さん 「見えない場所だからじゃない?あれがあると、みんな嫌だよね。住民は戻ってこなくなる。これが見える所には戻ってこない。最後の最後、この辺は」
愛媛の大学生 「復興が進んでいるというより“終わらせている感”」 「片付けという感じがする」
そして迎えた3月11日。制作した動画の上映会が開かれました。
「田んぼは廃棄物の保管場所になっていました。もう15年。私は15年も経っているなら、もうすこし未来に進んでいるものだと思っていました」
福島から愛媛に避難 渡部寛志さん 「あの時のことを忘れさせないと、学生たちが始めてくれているのは非常にうれしく感じる3月11日だった」
渡部さんたちは愛媛から、あの日の記憶と教訓をつなぎ続けます。

衆院選で議席半減の共産党、「重大な後退」と総括…来春の統一選での地方議員増が「反転攻勢への突破口」

共産党は15日、党本部で第8回中央委員会総会を開き、2月の衆院選結果を「重大な後退」と総括する決議を採択した。
決議は、敗因について「党の自力の不足」などと指摘した上で、比例選各ブロックの得票や議席の目標を示すのが遅れたことを反省点に挙げた。党後援会活動の推進やSNSでのショート動画の発信強化なども課題とした。
今後の国政選の比例選での得票目標に「450万票、7・5%以上」を掲げた。来春の統一地方選で地方議員を増やすことで、「国政選での反転攻勢への突破口を開く」と強調した。
共産は衆院選で4議席と公示前から半減し、比例票は約252万票にとどまった。