「時間は残されていない」 高齢化する“黒い雨”訴訟原告らの叫び

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた住民らが、広島県や広島市に対して被爆者健康手帳申請の却下処分の取り消しを求めて起こした訴訟。原爆投下から80年、原告たちは高齢化しており、判決を待たずに亡くなった人もいる。原告らは「一刻も早い救済を」と訴えている。
黒い雨を巡って国は1976年、広島の爆心地から北西方向にある一部地域に激しく降ったとして、その地域を援護区域に定めた。しかし、この区域外でも黒い雨が降って、健康被害を受けたと訴える住民が2015年に広島地裁に提訴。21年の広島高裁判決は被害者の救済拡大を命じ、国は22年から援護対象を従来より大きく広げた。
しかし、新基準でも手帳交付が認められない人たちが23年4月、広島県や広島市に手帳申請の却下処分取り消しを求めて広島地裁に提訴し、裁判は今も続く。当初23人だった原告は追加提訴を重ね、今年5月時点で84人にまで増えた。
「今度の裁判に来られますか」。5月上旬、「原爆『黒い雨』被害者を支援する会」の事務局長を務める高東征二さん(84)=広島市佐伯区=は、自宅から原告一人ずつに電話をかけて、翌週に控えた次の口頭弁論後にある集会に出席できるか確認していた。
しかし、電話をかけた約60人のうち約20人は電話がつながらない。残りは電話はつながっても「病気で行けない」などの反応で、集会に参加できると答えたのは15人ほどだった。高東さんは「病気になって、途中から裁判に来られなくなった人もいる。原告たちの時間もほとんど残されていない」と訴える。
さらに、今年5月時点で既に原告が4人も亡くなっている。23年12月に老衰のため101歳で亡くなった吉田文枝さんは、そのうちの1人だ。
吉田さんは広島市の爆心地から西に約25キロにあった旧津田町(現広島県廿日市市)で黒い雨を浴びたと訴えていた。黒い雨が降った時に一緒にいた妹の高野鈴子さん(82)=広島市佐伯区=によると、吉田さんは原爆が落ちた日のことを鮮明に覚えており、いつもきょうだいに「油っぽい雨が降ってきた」と話していた。
しかし、22年に始まった新しい救済制度で、旧津田町は対象区域に含まれていなかった。そのため、高野さんは、吉田さん、もう1人の姉、先矢喜久子さん(90)と原告に加わった。生前の吉田さんは「真実を知ってもらいたい」と語っていた。
吉田さんは亡くなる約2カ月前から、体調不良で入院した。見舞いに行った高野さんが、新型コロナの感染予防のためにガラス越しに「(裁判の判決は)まだかかりそうだからもうちょっと頑張ってね」と声をかけると、小さくうなずいていたという。高野さんは「原告は高齢化し、今後も亡くなる人は増えていく。一日も早く判決が出ることを望んでいる」を話した。【井村陸】

三原じゅん子・こども政策担当相に暴力団関係者との“ゴルフ&忘年会参加疑惑”発覚 事務所は「それと知って参加することはない」と回答

参院選の惨敗を受けて、自民党内からも退陣を求める声が噴出する石破茂首相。そんな石破首相を支える閣僚の一人、三原じゅん子・こども政策担当相に、その資質が問われる「写真」が見つかった。ゴルフコンペ後に撮影されたものだという暴力団関係者の幹部とのツーショット写真で、取材を進めると、同関係者主催の忘年会にも参加して持ち歌まで披露していたことがわかった。三原氏サイドはこの疑惑について、どう説明するのか。【全3回の第3回。第1回から読む】
「あの会に女性を呼べる雰囲気じゃない」
本誌・週刊ポストは三原氏を広域指定暴力団の幹部だったA氏が取り仕切ったゴルフコンペと忘年会に誘ったとされる芸能関係者B氏にも話を聞いた。具体的に語ってくれた。
「たしかに僕が主催したゴルフの会に三原さんが出席してくれたことは一度だけあります。彼女は後輩だから飲み会かなんかで久々に会って『コンペやるから出ない?』とかそんな感じで。その時は表彰式でバンドも入れて、(三原氏が)『セクシー・ナイト』を含めて何曲か歌ってくれて、三原じゅん子賞なんかもあったと思います。Aさんも僕のコンペに一回ぐらい参加したことはあるかもしれない。もしかしたら三原さんと(参加した年が)重なっていたのかもしれないが、200人くらいの参加者がいたから全然覚えていませんね」
──A氏が暴力団関係者とは知っていたか。
「Aさんが当時、現役の暴力団関係者だということは、そうじゃないかな、と何となく感じてはいました。もしかしたら、って。忘年会にはもっといかつい人たちがいましたからね。ですが、名刺を渡されたわけではないですし……」
──A氏主催の忘年会にも三原氏を誘ったのか。
「Aさんとは10数年以上前、芸能関係者のイベントでお会いしました。その関係者を通じて誘われて、忘年会には何度か参加させていただきました。ですが(三原氏が)出たか出ていないかはわからない。忘年会のゲストに関しては、僕は全くタッチしていない。それこそ誰が参加するのか当日にならないとわからないことも多かったんです。そういう人(暴力団関係者)の集まりというか、祭礼関係の集まりだったので。さすがにあの会に僕は女性なんか呼べないし、呼べる雰囲気じゃないじゃないですか。何となく、よろしくないのかなって」
──主催者側に三原氏の忘年会参加のギャラ30万円を提示したのではないか。
「僕が? 知らないです」
──三原氏はあなたのゴルフコンペに参加した年にA氏の忘年会に出席している。あなたがつないだのではないか。

参政党議員のSNSアカウントのマークに「やめてくれるかな…」みかん農家から切実な声

7月20日に投開票された参院選で14議席を獲得するなど、大躍進を遂げた参政党。元フリーアナウンサーで、比例選で当選した梅村みずほ議員を含めた参政党議員のSNSアカウントに“クレーム”が相次いでいる。
「参政党のイメージカラーがオレンジ色ということもあり、アカウント名にオレンジのマークをつけているんです。そのためみかん農家から、オレンジのマークを外して欲しいという声が上がっているんです」(ITライター)
参政党に「柑橘農家を利用するな」
愛媛県のみかん農家アカウントが、
《参政党を(みかんマーク)で表すのやめてくれるかな…》
と投稿すると、1082万回表示を超える反響が。コメント欄では、
《私も同じです。柑橘農家を利用するなってね》
《特に果樹農家さんにとっては、ある意味死活問題になる・・・》
と、農家関係者から共感が相次ぐことに。
「参政党は熱心な支持者が多いものの、アンチも多い政党です。そのためイメージカラーであるオレンジ色の服を着られなくなった、オレンジがメンバーカラーの推しの応援がしづらくなったという人たちが、“#オレンジ色返して”とハッシュタグをつけて不満を投稿したことで、Xでトレンド入りしたほどです」(スポーツ紙記者)
みかん農家のコメントが反響を呼んだことで直接、梅村議員のアカウントにクレームを言う人も増えている。
《日本人ファーストといいながら、こちらのみかん農家さんの(みかんマーク)やめての言葉は全く届かないのですか》
《(みかんマーク)を使うのヤメて下さい! みかんが売れなくなっています! みかんの風評被害です!》
しかし参政党議員がみかんマークを外す動きは、現状見られない。
「注目度の高い参政党だけに中には言いがかりだろうと思われるアンチの声もあるものの、みかん農家が続々と声をあげているのを見る限り、かなり風評被害が出ているのでは。“日本人ファースト”を謳うなら、SNSアカウントからみかんマークを外してあげてほしいですね」(前出・ITライター)
このままだと秋から冬にかけて旬を迎える、みかんの売り上げにも影響が出ちゃうかも?

「祈りの朝」極まる混乱 警察が活動家を強制排除 機動隊員ともみ合いに 原爆投下80年

広島は6日、米軍による原爆投下から80年の「原爆の日」を迎えた。早朝、安全対策の一環で原爆ドームを含む平和記念公園(広島市中区)全体で入場規制が始まったが、前夜から座り込みを続けた活動家らが移動を拒んだため、警察の機動隊員が強制排除に乗り出す事態に発展した。市によると、規制に従わない活動家らの排除は初。
「規制が始まります。ただちに退去してください」
午前5時前の原爆ドーム北側。市職員らが広島県警とともにこう呼び掛けたが「改憲戦争阻止」などと書かれたプラカードとのぼりを掲げた「8・6ヒロシマ大行動実行委員会」のメンバーらが腕を組み、徹底抗戦の構えを示した。
市による再三の警告にも応じず、市は県警に排除を要請。県警が市に対する業務妨害行為に当たると通告した上で機動隊員を突入させ、午前6時ごろまでにメンバーら10人程度を園外へ出した。
メンバーら数百人は拡声器を使って「排除を止めろ!」「暴力的な弾圧を許さないぞ!」などと猛反発。機動隊員ともみ合うなどし、現場は騒然とした。
公安関係者によると、メンバーには、過激派・中核派や中核派全学連の活動家が含まれているとされる。
園全体への入場規制は令和5年、業務中の市職員に集団で暴行したとして、中核派活動家の5人が後に逮捕、起訴される事件発生を受けた対応。昨年から実施され、同5時以降は手荷物検査を済ませた人が入場できる。

【平和記念式典】広島市長・平和宣言「核兵器に依存しないための建設的な議論をする責任」訴える

8月6日、広島市の松井一實市長が『平和宣言』を読み上げました。
今から80年前、男女の区別もつかぬ遺体であふれかえっていたこの広島の街で、体中にガラスの破片が突き刺さる傷を負いながらも、自らの手により父を荼毘に付した被爆者がいました。「死んでもいいから水を飲ませて下さい!」と声を振り絞る少女に水をあげなかったことを悔やみ、核兵器廃絶を叫び続けることが原爆犠牲者へのせめてもの償いだと自分に言い聞かせる被爆者。原爆に遭っていることを理由に相手の親から結婚を反対され、独身のまま生涯を終えた被爆者もいました。
そして核兵器のない平和な世界を創るためには、たとえ自分の意見と反対の人がいてもまずは話をしてみることが大事であり、決してあきらめない「ネバーギブアップ」の精神を若い世代へ伝え続けた被爆者。こうした被爆者の体験に基づく貴重な平和への思いを伝えていくことが、ますます大切になっています。
しかしながら、米国とロシアが世界の核弾頭の約9割を保有し続け、またロシアによるウクライナ侵攻や混迷を極める中東情勢を背景に、世界中で軍備増強の動きが加速しています。各国の為政者の中では、こうした現状に強くとらわれ、「自国を守るためには、核兵器の保有もやむを得ない。」という考え方が強まりつつあります。こうした事態は、国際社会が過去の悲惨な歴史から得た教訓を無にすると同時に、これまで築き上げてきた平和構築のための枠組みを大きく揺るがすものです。
このような国家が中心となる世界情勢にあっても、私たち市民は決してあきらめることなく、真に平和な世界の実現に向けて、核兵器廃絶への思いを市民社会の総意にしていかなければなりません。そのために、次代を担う若い世代には、軍事費や安全保障、さらには核兵器のあり方は、自分たちの将来に非人道的な結末をもたらし得る課題であることを自覚していただきたい。その上で、市民社会の総意を形成するための活動を先導し、市民レベルの取組の輪を広げてほしいのです。その際心に留めておくべきことは、自分よりも他者の立場を重視する考え方を優先することが大切であり、そうすることで人類は多くの混乱や紛争を解決し、現在に至っているということです。こうしたことを踏まえれば、国家は自国のことのみに専念して他国を無視してはならないということです。
また、市民レベルの取組の輪を広げる際には、連帯が不可欠となることから、「平和文化」の振興にもつながる文化芸術活動やスポーツを通じた交流などを活性化していくことが重要になります。とりわけ若い世代が先導する「平和文化」の振興とは、決して難しいことではなく、例えば、平和をテーマとした絵の制作や音楽活動に参加する、あるいは被爆樹木の種や二世の苗木を育てるなど、自分たちが日々の生活の中でできることを見つけ、行動することです。広島市は、皆さんが「平和文化」に触れることのできる場を提供し続けます。そして、被爆者を始め先人の助け合いの精神を基に創り上げられた「平和文化」が国境を越えて広がっていけば、必ずや核抑止力に依存する為政者の政策転換を促すことになります。
世界中の為政者の皆さん。自国のことのみに専念する安全保障政策そのものが国と国との争いを生み出すものになってはいないでしょうか。核兵器を含む軍事力の強化を進める国こそ、核兵器に依存しないための建設的な議論をする責任があるのではないですか。世界中の為政者の皆さん。広島を訪れ、被爆の実相を自ら確かめてください。平和を願う「ヒロシマの心」を理解し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けた議論をすぐにでも開始すべきではないですか。
日本政府には、唯一の戦争被爆国として、また恒久平和を念願する国民の代表として、国際社会の分断解消に向け主導的な役割を果たしていただきたい。広島市は、世界最大の平和都市のネットワークへと発展し、更なる拡大を目指す平和首長会議の会長都市として、世界の8,500を超える加盟都市と連帯し、武力の対極にある「平和文化」を世界中に根付かせることで、為政者の政策転換を促していきます。核兵器禁止条約の締約国となることは、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会を含む被爆者の願いに応え、「ヒロシマの心」を体現することにほかなりません。また、核兵器禁止条約は、機能不全に陥りかねないNPT(核兵器不拡散条約)が国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として有効に機能するための後ろ盾になるはずです。是非とも来年開催される核兵器禁止条約の第1回再検討会議にオブザーバー参加していただきたい。また、核実験による放射線被害への地球規模での対応が課題となっている中、平均年齢が86歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩にしっかりと寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。
本日、被爆80周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、決意を新たに、人類の悲願である核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に、これからも力を尽くすことを誓います。
令和7年(2025年)8月6日
広島市長 松井 一實
【2025年8月6日放送】

「核兵器廃絶、実現しなければ死も意味しうる」 広島知事の訴え

核兵器廃絶は実現しなければ、死も意味しうる、現実的・具体的目標です――。広島県の湯崎英彦知事は6日、80回目を迎えた広島市の平和記念式典であいさつし、核廃絶に向けて歩みを止めないと誓った。
湯崎知事はまず、法と外交を基軸とする国際秩序が様変わりしたと指摘。「むき出しの暴力が支配する世界へと変わりつつある」とした。
こうした中で、核抑止がますます重要だと声高に叫ぶ人たちがいるとしたうえで、「本当にそうなのか」と疑問を投げ掛けた。
抑止とは自信過剰な指導者の出現や突出したエゴ、高揚した民衆の圧力などで崩れると主張。「力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切った」。抑止論を前提とした合理的判断が働かなかった事例として、かつての日本を挙げた。
核による抑止が破れて核戦争になった場合、人類や地球が再生不能になると警告し、「国土も国民も復興不能な結末がありうる安全保障に、どんな意味があるのか」と疑問を呈した。
そのうえで、抑止力の概念について「武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む」と強調。核のない新たな安全保障のあり方を築くため、「頭脳と資源を集中することが今我々が力を入れるべきことだ」とした。
締めくくりとして、核兵器廃絶は具体的な目標だと掲げ、「決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか」と訴えた。【矢追健介】

広島・平和記念式典会場で警備員を暴行した疑い 男を逮捕

原爆の日の6日、平和記念式典が行われる広島市の平和公園で、警備員に暴行を加えたとして、男が逮捕されました。
暴行の疑いで逮捕されたのは、住所・職業不詳の男です。
男は6日午前5時55分頃、広島市中区の平和公園で、式典のための警備にあたっていた30歳の男性警備員の足を蹴る暴行をした疑いです。男は式典にあわせて行われる集会に参加していました。動機などについて、黙秘しているということです。
(2025年8月6日午前8時30分の情報)

石破首相あいさつ全文=広島市平和記念式典

広島市で開かれた平和記念式典での石破茂首相のあいさつ全文は次の通り。
今から80年前のきょう、一発の原子爆弾がさく裂し、十数万ともいわれる貴い命が失われました。一命を取り留めた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
内閣総理大臣として、原子爆弾の犠牲となられた方々のみ霊に対し、ここに謹んで、哀悼の誠をささげます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しむ方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
2年前の9月、広島平和記念資料館を、改装後初めて訪問しました。80年前のあの日、立ち上るきのこ雲の下で何があったのか。焦土となり灰じんに帰した街。黒焦げになった無辜(むこ)の人々。直前まで元気に暮らしておられた方が4000度の熱線により一瞬にして影となった石。犠牲者の多くは一般市民でした。人々の夢や明るい未来が瞬時に容赦なく奪われたことに言葉を失いました。
広島、長崎にもたらされた惨禍を決して繰り返してはなりません。非核三原則を堅持しながら、「核兵器のない世界」に向けた国際社会の取り組みを主導することは、唯一の戦争被爆国であるわが国の使命です。
核軍縮を巡る国際社会の分断は深まり、現下の安全保障環境は一層厳しさを増しています。しかし、だからこそ、国際的な核軍縮・不拡散体制の礎である核兵器不拡散条約(NPT)体制の下、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
来年のNPT運用検討会議に向けて、対話と協調の精神を最大限発揮するよう、各国に引き続き強く呼び掛けます。また、「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき、核兵器保有国と非保有国とが共に取り組むべき具体的措置を見いだすべく努力を続けます。
「核兵器のない世界」の実現に向け歩みを進める上で土台となるのは、被爆の実相に対する正確な理解です。
長年にわたり核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解の促進に取り組んでこられた日本原水爆被害者団体協議会が、昨年ノーベル平和賞を受賞されたことは、極めて意義深く、改めて敬意を表します。
今、被爆者の方々の平均年齢は86歳を超え、国民の多くは戦争を知らない世代となりました。私は、広島平和記念資料館を訪問した際、この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならないと、決意を新たにいたしました。
政府として、世界各国の指導者や若者に対し、広島・長崎への訪問を呼び掛け、実現につなげています。資料館の年間入館者は、昨年度初めて200万人を超え、そのうち3割以上は外国からの入館者となりました。日本だけでなく、世界の人々に被爆の実相を伝えていくことも、私たちの責務です。
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は、施行から30年を迎えました。原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を進めてまいります。
結びに、ここ広島において、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のみ霊の安らかならんこと、併せて、ご遺族、被爆者の皆さまならびに参列者、広島市民の皆さまのご平安を祈念いたします。
「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。 [時事通信社]

埼玉・行田マンホール転落、マスク未着用は「現場の判断」…土木会社が繰り返し説明

埼玉県行田市で下水道管を点検中の作業員4人がマンホールに転落して死亡した事故で、作業を受注した土木会社「三栄管理興業」(さいたま市浦和区)は5日、報道各社からの質問に対する回答を公表した。安全管理体制について、4人が酸欠を防ぐマスクなどを着用せず作業にあたったのは「現場の判断」と繰り返し説明した。
現場では、点検前に実施したポンプによる排水作業で、下水管内の汚水がかくはんされ、有毒な硫化水素の濃度が急上昇したとみられる。4人の転落が確認された際には、作業が許容される基準値の15倍超に達しており、県警はいずれも硫化水素中毒が原因で死亡したとみている。
同社の回答によると、現場では酸欠を防ぐ「送気マスク」を準備していなかった。「このような作業の場合、用意することはルール」と説明する一方、「前回(7月)同じ場所で作業した際、硫化水素濃度等に問題がなく、持っていかなかったと報告を受けた」と、現場の判断であることを強調した。転落防止のための安全帯も身につけていなかったが、「熱中症対策として、現場の判断でつけていなかった」と答えた。
市は5日、同社が6月に提出した業務計画書を公表した。作業での安全管理の方針などが盛り込まれている。墜落や有害ガス発生などを予測し、事故が起きないよう対処することや、安全帯など保護具に関する安全教育を実施することなどを明記していた。
知事、法令順守徹底を周知へ

作業員4人の転落事故を受け、大野知事は5日の定例記者会見で、点検業者が法令順守を徹底するよう県内の各市町を通して周知する考えを示した。
事故が起きたのは行田市が管理する下水道管で、作業員は市の発注を受けて点検していた。県は、県が管理する管の点検業者に対しても、安全確保を改めて求めるという。
大野知事は「これから老朽化で下水道管の更新や点検が増えるだろう。国にも徹底した措置と指導をお願いしたい」と述べた。
労基署、事故現場を調査

行田労働基準監督署は5日、事故現場への立ち入り調査を行うなど、原因究明と労働安全衛生法など関係法令の順守状況の確認を進めていることを明らかにした。
三栄管理興業に対する調査も実施し、法令違反がなかったかなどの検証を行うとみられる。

東大敷地内で「友人が煙突に登ったままいなくなった」と110番…地下1階で女性発見され死亡

5日午後9時50分頃、東京都文京区弥生の東京大学敷地内で「友人が煙突に登ったまま急にいなくなった」と110番があった。警視庁本富士署員が駆け付けたところ、工学部の7階建て建物の地下1階で、煙突内に転落したとみられる女性が倒れているのが見つかった。女性は意識不明の状態で救急搬送されたが、約1時間後に死亡した。
同署幹部によると、煙突は建物屋上で突き出ており、地下1階につながっていた。女性は中国籍の30歳代とみられ、大学関係者の友人と2人で屋上に行き、1人で煙突に登ったという。同署が女性の身元や詳しい状況を調べている。