第27回参院選が「7月3日公示、同20日投開票」の日程で行われる。時事通信の調べによると、6月24日現在で計471人(選挙区314人、比例代表157人)が出馬を準備。自民党は遅れていた東京の2人目や大阪の擁立作業を終え、全選挙区で候補者をそろえた。野党側は勝敗のカギを握る32の「1人区」で競合が目立つ。
参院の総定数は248で、3年ごとの半数改選。東京で非改選の欠員1人を補う補欠選挙も「合併選挙」の形で行われるため、125議席を争う。
与党の非改選議席は自民62、公明13の計75。今回、自公が50議席を得れば全体の過半数を保てる計算で、逆風にあえぐ石破茂首相(自民総裁)は政権の維持へそれを目標に据える。
自民は選挙区48人、比例31人の計79人を立てた。東京以外に北海道と千葉でもそれぞれ2人を擁立し、2議席維持を目指す。公明は複数区と比例で各7人の計14人の公認を決めた。
これに対し、立憲民主党は選挙区29人、比例22人が立候補を予定。与党の「改選過半数割れ」を目標に掲げ、1人区で日本維新の会や国民民主党と候補者取り下げの調整を図ったが、岐阜、和歌山で維新と、滋賀で国民民主と合意したにとどまる。
共産党、れいわ新選組を含む野党5党と野党系無所属で見ると、1人区の競合は半数を超える18選挙区に上る見通しだ。
維新は選挙区15人、比例13人の計28人。力を集中させる狙いもあり、前回の46人から大きく減った。昨秋の衆院選以降、勢いを見せてきた国民民主は選挙区22人、比例19人の計41人。前回より19人多くなっている。
共産は選挙区に30人、比例に15人の計45人を出す予定。れいわは複数区を中心に選挙区で12人、比例で10人を擁立した。社民党は複数区6人、比例4人。参政党は全45選挙区に1人ずつ立て、比例と合わせ54人となっている。参院の初議席を目指す日本保守党は8人。みんなでつくる党も1人が挑むとしている。 [時事通信社]
新燃岳噴火警戒レベル3に引き上げ 気象台「22日より大きな噴火の可能性も」地元住民は観光への影響懸念 鹿児島
霧島連山の新燃岳は23日警戒レベルが3に引き上げられました。気象台は「おとといより規模の大きな噴火が発生する可能性もある」として警戒を呼びかけています。
22日、7年ぶりに噴火した新燃岳。気象庁は23日、現地調査で火山ガスが急増したため噴火警戒レベルを2から、3の「入山規制」に引き上げました。
高千穂河原では朝から、レベルが上がったことを知らせる案内板や、登山道の通行止めの看板が設置されました。
高千穂河原でおよそ70年続く食堂では、本格的な夏山シーズンを前に影響を懸念する声がきかれました。
(高千穂河原抹茶処宗眞 弓削眞知子さん)「夏山登山に客がこれから来られるとワクワクしているところに、また?と。客が少ないのは明らかなので、覚悟している。どうしようもない」
鹿児島地方気象台は24日の月例会見で、予測は難しいとした上で「おとといの噴火よりも大きな規模の噴火が起こる可能性がある」と説明しました。
(鹿児島地方気象台 林幹太火山防災官)「2011年、2018年のマグマ噴火のような形態に移行するか予測は難しい。今回新たにガスの急増がみられ、全体として火山活動が活発化している状況。22日よりも規模の大きな噴火が発生する可能性がある」
気象台は、火口から概ね3キロの範囲で大きな噴石に、概ね2キロの範囲で火砕流に警戒を呼びかけています。
詐取金受け取り容疑でトクリュウのリーダーら逮捕 受け子が自首
埼玉県警組織犯罪対策3課は24日、上里町金久保の自称会社員、伊藤淳紘容疑者(20)と同町の解体工の男性(18)を、盗品等無償譲り受けや組織的犯罪処罰法違反(収受)容疑で逮捕した。県警は、伊藤容疑者を県北部を中心に活動する匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)のリーダーとみている。
逮捕容疑は、3月4日、JR東大宮駅からさいたま市西区の飲食店へ向かう車内で、特殊詐欺の受け子をした男性(19)から詐取した現金350万円を受け取ったとしている。2人は「受け取っていません」「詐欺の金とは知らなかった」などと否認している。
同課によると、受け子の男性は伊藤容疑者のグループのメンバーだったが、闇バイトに応募して別の特殊詐欺グループで受け子をした。報酬が受け取れなかったため、伊藤容疑者から指示されて詐取金を持ち逃げしたところ、特殊詐欺グループから報復を受け、深谷市内で現金約19万円などを強奪されたという。男性が自首して一連の事件が発覚。これまでに計7人が詐欺や強盗容疑で逮捕された。
【田原拓郎】
中国、東シナ海に構造物=20基目、日本政府が抗議
外務省は24日、東シナ海の日中中間線の西側(中国側)海域に、中国による新たな構造物1基の設置の動きを確認したと発表した。資源開発に関する設備とみられる。金井正彰アジア大洋州局長が在日中国大使館の施泳次席公使に「境界が画定していない状況での一方的な開発は極めて遺憾だ」と抗議した。
中国は近年、東シナ海での資源開発を加速させており、これまでに確認された構造物は20基に上る。日中両国は2008年6月、同海域での資源の共同開発に合意したが、その後の協議は中断。日本政府は、中国が合意を無視して開発を続けているとして協議の早期再開を求めている。 [時事通信社]
【佳子さまブラジル訪問】ぎゅっとハグにお菓子交流…“庶民的”国際親善で喜びの声 同行記者がみた2週間
6月4日~17日、秋篠宮家の次女・佳子さまがブラジルを公式訪問された。日本との「外交関係樹立130周年」を記念してのものだ。移動を含め2週間、8都市をまわる日程。海外公務だけあって慣れない段取りもあったが、日本と異なる状況だからこそ、佳子さまらしい“庶民的”な振る舞いや、相手を思う心づかいが随所に見られた。両手での握手、子どもを優しく抱きしめる…フレンドリーとも言える「なさりよう」に現地からは喜びの声が上がった。
秋篠宮邸にはブラジル国花 家族で繋がり長い“アミーゴ”
記念式典やルラ大統領表敬では、艶やかな空色の和装姿。これはかつて姉・眞子さんが着ていたもので、のちに妹の佳子さまに受け継がれた。その後、佳子さまは誕生日などの際にも着られている。秋篠宮家の家紋「菊栂(きくつが)」が施されていて、家族を繋ぐ大切な振袖だ。
佳子さまは、記念式典で「両親や姉もブラジルを訪れ、心温まるお迎えをいただいたことを、大切な思い出として持ち続けています」と話したほか、秋篠宮家の庭でブラジル国花「イペー」を長く育てていることにも触れられた。
秋篠宮家は2005年以降、家族全員でブラジルから訪日した学生らと定期的に懇談されるなど、ブラジルとの関係が深い(佳子さまも小学生の頃から欠かさずその場に参加されている)。一家でブラジルとの縁をとても大切に思われてきたという。佳子さま自身もあいさつの中で「子どものころより親しみを感じてきました。いつかブラジルを訪れたいと願っておりましたので、今回訪問が叶いましたことを大変嬉しく思います」とした上で、ブラジルのことを「大切な友人アミーゴ」と表現された。
海外公務ならではの珍しい場面も
サンパウロの「松柏・大志万学園」(2歳~16歳の生徒が通う学校)では、日本の皇室取材では滅多に見ることがない場面を目にした。
校舎内では、生徒や保護者らが佳子さまを歓迎するため、手作りお菓子を作って待っていた。佳子さまはまず、生徒からずらりと並べられたお菓子についての説明を日本語で受けられた。
生徒 「外はカリカリ、中はモチモチ。ぜひ召し上がってください」佳子さま 「トウモロコシでできてるんですね。おいしそう」
佳子さまは生徒から「ぜひ試食をどうぞ」と勧められた。すると、カメラ撮影が終わったあと、佳子さまはタピオカとチーズを混ぜて揚げた「揚げタピオカ」を手に取り、嬉しそうに口にされたのだ。皇族が、一般人や記者の前で食べ物を口にすることは滅多にない。映像でも見たことがないという人が多いだろう。たとえば宮中行事である「晩さん会」など、記者が食事の場を取材する機会はあるものの、取材設定は大抵「乾杯までで終わり」など、食べ物を口に運ぶ場面に立ち会えることは滅多にない。関係者によれば「『食べる』というのはプライベートな行為なので、伝統的に、一般に見られる公務の範囲から厳に切り離すことが多いのではないか」という考えもある。
そうした中、佳子さまは「揚げタピオカ」を頬張り「おいしいです!」と大きな声で話された。その瞬間、現地の生徒たちから大きな歓声が上がった。佳子さまは、心をこめて作ってくれた生徒たちの気持ちに応えるために、その場で口にされたのではないだろうか。
その後も、「ゆでた松の実」「トウモロコシのプリン」など4種類の手作りお菓子を笑顔で楽しまれた。そして最後、お別れの時には。
佳子さま 「皆さんのお菓子、本当においしかったです!お土産にも持たせて頂いたので、帰ってゆっくりいただきますね」生徒 ※歓声と大きな拍手
マエドノシルバ川村真由実 校長 「佳子さまは『どれがおすすめですか』って生徒に何度もお聞きになっていました。タピオカはもちもちしていて、口の中が渇いたかもしれません(笑)」 「今回のご訪問が2月に決まってから、学校みんなで一生懸命準備をしてきた。私たちの気持ちに応えてくれたことが嬉しかった」
日本だと滅多に見られない場面。生徒たちみんなが嬉しそうで、その場がとても幸せな雰囲気に包まれたのが印象的だった。今回の訪問のハイライトの1つと言える。
両手握手で目を見つめ…“佳子さま流”で日系1世に心寄せ
記者が同行していて改めて印象的だったのは、佳子さまの「両手握手」。両手を差し出す懇談スタイルは、皇室ではあまりみられない。相手が子どもであれ高齢者であれ、佳子さまはときにこの方法で言葉を交わされた。
今回、佳子さまが各都市で交流されたのは、かつて日本からブラジルに移住した人やその子孫。また、現地で亡くなった日系人たちの慰霊碑に花を手向けられた。
歴史を振り返る。20世紀初頭、日本は食糧不足などの問題を抱えていて、国策として海外移住が推奨されていた。その後、約26万人の日本人が海を渡り、ブラジルへ。最初の移住は、サンパウロ州のコーヒー農場への雇用契約移民だった。「ブラジルには金のなる木、コーヒーがある」などとうたわれたが、移住者は厳しい労働を課せられ、帰国がかなわないまま現地に定住した人も。現在、ブラジルには200万人以上の日系人が住んでいて、世界最大の日系コミュニティを築いている。
こうした苦難の歴史を受けて、これまで皇室はたびたびブラジルを訪ね、日系人に心を寄せてきた。そしてそれは佳子さまにも引き継がれた。佳子さまは、当時海を渡った当事者である「日系1世」一人ひとりの目をじっと見つめ、両手で手を握り、「お体をお大事にしてください」「今はどのように過ごされていますか」などと労われた。
日系1世の男性(79) 「地球の裏からブラジルまでいらっしゃって。お墓に眠る苦労した日系人たちにも『ご苦労様でした』って。皇室の方が来られて感激いっぱいでした。皇室の方とお話しできたのなんて初めてですよ」
日系1世の男性(89) 「私はブラジルに来て60年。コーヒー農場で働いてきた。当時は苦しくて大変な環境だったけど頑張ってきて良かったと思う。皇室の方がああやって手を握ってくれるなんて。佳子さまの手、あたたかくて柔らかいの。報われた気持ちがした」
ほか複数の1世が口にしたのは喜びの声とともに、「皇族の方なのに、目線を合わせて接してくれた」という内容だった。日本を離れた当時(昭和)の皇室のイメージと比べると、驚くほど距離の近い印象を抱いたことだろう。
予定外の声かけ、とっさの気配り…現地で見えた心づかい
交流は1世だけでなく、2世3世と続く子孫や若いブラジル国民とも行われた。パラナ州・ロンドリーナで行われた歓迎行事でのこと。多くの地元住民から、和太鼓パフォーマンスなどで迎えられた。もともと、佳子さまはステージ鑑賞後すぐ会場を後にする予定だったが、佳子さまから「お話ししてもいいですか?」と、自ら子どもたちに声をかけに。輪の中に入り、一人ひとりの目を見て丁寧に交流された。
佳子さま 「太鼓のエネルギーがすごくよく伝わりました」「力が要りますよね」「とても仲が良いんですね」「どれくらい練習してるんですか?」「10年も!」
日系人だけでなく、それ以外のブラジルの子どもたちとも、通訳を介して会話を弾ませた。そして10分弱交流したあと、全体を見渡してこう話された。
佳子さま 「まだ挨拶できていない方いますか…?」
時間が許すかぎり、相手国の人たち全員と交流したい。一人ひとりと言葉を交わすことを大切にする、佳子さまらしい心づかいが見えた。
日程終盤には、こんな場面も。リオデジャネイロで、子どもたちがサンバを披露したあとのことだった。パフォーマンス後の交流で、13歳の日系3世の子が感極まって涙した場面があった。それを見た佳子さまは、女の子の気持ちを受け止め、優しくハグされたのだ。
女の子は取材に「佳子さまが一緒に手を叩いて踊ってくれたことが嬉しくて、泣いてしまった」と話した。皇族によるハグはとても珍しい。複数の宮内庁関係者によると「ご公務で一般の方を自ら抱きしめるというのは、最近では例が思い浮かばない」という。
記者は2週間、およそ30か所の訪問先で佳子さまの様子を見て、さまざまな場面で相手国民への気配りを感じた。お菓子を口にしたシーンやハグの場面に象徴されるように、佳子さまの公務スタイルは相手との距離が近く、“庶民的”とも言われる。伝統的な皇室の品位を重んじる立場からは、こうした「なさりよう」に対して良く思わない声もたしかに聞かれる。一方で、海外公務において相手国がこうしたフレンドリーな対応に感動していたことも事実。佳子さま流の国際親善スタイルと心づかいが、ブラジルの多くの人を笑顔にさせた。
皇室が長く大切にしてきたブラジルとの関係は、さらに強固なものになったに違いない。佳子さまはこれからもずっと「佳子さまらしさ」を大切に、たくさんの人を元気づけられるだろう。
(TBSテレビ 社会部・宮内庁担当 岩永優樹)
コンサートチケット売るとSNSでウソのメッセ―ジ…約2万円分の電子マネーを騙し取った疑い 22歳女子大学生を3度目の逮捕
SNSでコンサートのチケットを売るとウソのメッセージを送り、およそ2万円分の電子マネーをだまし取ったとして22才の大学生の女が逮捕されました。女は同様の手口で他にも2件の詐欺をしたとして、すでに2度逮捕されていました。 警察によりますと、逮捕されたのは東京都江戸川区に住む大学生、杉本優真容疑者(22)です。 杉本容疑者は、東京都江戸川区に住む20代の女性が、コンサートのチケットの譲渡を求めたXの投稿に対し、「まだお求めでしょうか」「金額は定価+手数料」などと、ウソのメッセージを送り、およそ2万円分の電子マネーを送金させ、だまし取った疑いです。 調べに対して「インターネットサイトで格安のチケットを購入して、そのチケットを相手に渡すつもりでした」と容疑を否認しています。 杉本容疑者は、同様の手口で詐欺をしたとして5月13日と6月2日にも逮捕されていて、その捜査の過程で今回の事件が発覚したということです。
大学生の女を再逮捕 チケット詐欺容疑、四日市北署
【四日市】チケット代金名目で電子マネーをだまし取ったとして、四日市北署は23日、詐欺の疑いで、東京都江戸川区船堀3丁目、大学生杉本優真容疑者(22)を再逮捕した。 逮捕容疑は3月17日、X(旧ツイッター)でチケットを求める投稿をした女性に「金額は定価+手数料」などとうそのメッセージを送信し、約2万円分の電子マネーをだまし取った疑い。 同署によると、杉本容疑者は四日市市の女性からチケット代金名目で電子マネーをだまし取ったなどとして2回逮捕されていた。「チケットを購入して渡すつもりでした」と容疑を否認している。
都議会自民党、収支報告書不記載の17人中5人落選…「党全体の信頼が低下している可能性」
22日に投開票が行われた東京都議選では、小礒明さん(73)ら、不記載問題に関わった自民党系の候補者17人の当落も注目された。結果は12人が当選し、5人が落選した。
都議会会派の「都議会自民党」で不記載が発覚したのは昨年12月。2019年と22年に会派が開いた2回の政治資金パーティーで、都議や元都議ら計26人がパーティー券(1枚2万円)を販売する際、ノルマ50枚を超過した分の収入を政治資金収支報告書に記載していなかった。個別の不記載額は最大で332万円、会派自体の不記載も含めると総額は約3500万円に上った。
都連は都議選に臨むにあたり、不記載のあった都議らで出馬予定の17人のうち、会派幹事長経験者6人については責任が重いとして非公認とする対応を取ったが、各党から「反省がない」などと批判を受けながらの選挙戦となった。
落選したのは南多摩の小礒明さんのほか、大田区の鈴木章浩さん(62)(非公認)ら。鈴木さんは午後11時半過ぎ、報道陣の取材に「厳しかった。自民党全体に対する信頼も低下している可能性がある。力不足で申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と語った。
不記載額が最大だった島部の三宅正彦さん(53)、138万円の江戸川区の宇田川聡史さん(60)らは当選した。三宅さんと宇田川さんは非公認だったが、自民党が追加公認した。
「人間の手足がちぎれ飛び、血の海で足元が滑るなか脱出を…」20万人が死亡した“沖縄戦”生存者の96歳女性が明かす、“地獄の地上戦”の凄まじい惨状
太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となり、20万人以上の命が失われた「沖縄戦」。影響力の大きい政治家が沖縄戦について発言し、話題を集めたことも記憶に新しい。きょう6月23日は、その沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされている日で、「沖縄慰霊の日」に制定されている。
昭和4年生まれの翁長(おなが)安子さんは、沖縄戦を経験したひとりだ。15歳の時に、地元沖縄の人々で構成された郷土部隊「永岡隊(特設警備第223中隊。中隊長・永岡敬淳大尉)」に入隊し、3か月に渡る“地獄の地上戦”を生き抜いた。沖縄戦では、実際になにが起きていたのか。ノンフィクション作家のフリート横田氏が、わずかに残った体験者である翁長さんに取材した。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)
◆◆◆
「沖縄戦のこと、あなたは知っている?」
「沖縄のこと、沖縄戦のこと、あなたは知っている?」
携帯電話越しに、96歳になるとは思えないはっきりとした口調で、まず筆者はこう質問された。重ねて、「沖縄の歴史、地形もわかっていてそこを歩いたこともありますか?」とも。知っているとは言い切れないですが、自分なりには学んできたつもりです、と答え、これまで戦争体験者たちから聞いてきた証言を書く意図について説明するのが精一杯だった。
声の主は、翁長安子さん。昭和4年生まれ。戦中は、沖縄県立第一高等女学校(一高女)の2年生だった。一高女には、沖縄師範学校女子部という教員養成校が姉妹校としてあり、キャンパスや校舎を共有、校歌も一緒だった。
両校の愛称は「ひめゆり」。優秀な少女たちが集ったが、戦争末期、兵力不足に悩む日本軍は彼女たちをも動員、「ひめゆり学徒隊」を作り、兵士の看護にあたらせた。最前線に立たされた10代の女性たちが大勢命を落としたことが広く知られている。
翁長さんが筆者に問うたのは、これだけの高齢になって、もう一度あのころの体験を話すことに「迷っている」からだった。当然のことと思う。
実は今回、翁長さんとお話をする前段階からして、これまでの関東・関西での戦争証言聞き取りとは状況が異なっていた。地元のいくつかの機関に相談したものの、証言を行える人の紹介は難しいとの返答が相次いだ。
地上戦の地獄を話すには、時間も精神的負荷も大きくかかり…
沖縄という1つの県で、今も健在な戦争証言者の母数は本土と比べ少ないはずだし、3か月に渡る軍民入り乱れての地上戦の地獄を話すには時間も、精神的負荷も大きくかかり、90代を超える本人がよくても家族が止めることもあるのだという。あらためて戦後80年が経過したことを痛感する。
そうした状況下、電話でひとしきり質問のやりとりをしたあと、翁長さんは、
「ごめんね、厳しいことを言って。……では、いつ会いましょうか」
最終的に取材を受けてくださった。後日、指定された那覇・栄町市場内にある「ひめゆりピースホール」に筆者は向かった。前述の2校は、戦火で焼け落ちてしまったが戦後再建されず、同じ場所にひめゆり同窓会館が建てられ、2階がこのホールとなっている。2校出身の同窓生が今も集い、コーラスを楽しんでいた。
取材の場には、元隊員で、ひめゆり平和祈念資料館館長もつとめた女性を含め、90代女性6名が同席してくれた。翁長さんは記憶鮮明。彼女の近年の証言、昭和50年代に聞き取られた証言と、今回取材の内容を後日照合してみたが、ほぼ同じで矛盾はなかった。以後、ウェブ記事として読むには少々長いが、ぜひお目通しいただきたい。
15歳で永岡隊に入隊し、激戦地にいた翁長さん
――時間を80年前に巻き戻す。
昭和20年3月17日、硫黄島の日本軍守備隊は全滅した。米軍はついに太平洋に展開していた戦力を沖縄へ向ける。26日には那覇市西方に浮かぶ慶良間(けらま)諸島に上陸を開始。沖縄戦がここに開始された。
当時一高女の2年生、15歳だった翁長さんは、3年生以上の生徒で構成されたひめゆり学徒隊に入隊するには若すぎたが、地元沖縄の人々で構成された郷土部隊、通称「永岡隊」(特設警備第223中隊。中隊長・永岡敬淳大尉)に志願し、入隊した。
永岡隊長は、那覇にある安国寺という寺の住職でもあった。一高女は勤勉な女性たちが通った名門校。それは当時の教育をしっかり身に着けていたということ。「はい、軍国少女でした」翁長さんは頷く。
3月末に入隊して、以後3か月に渡って従軍、炊事と看護の要員として南部の激戦地を転戦していった翁長さんの歩みは、沖縄戦の推移とほとんど一致している。そのため以後は、両者を平行して記していこうと思うが、こう書いていても、最前線、これほどの激戦地にいた翁長さんが現在ご健在でおられることが、改めて奇跡のように思われてくる。
米軍との、勝利の見込みのない絶望の戦い
米軍は18万を超える地上兵力、およそ1500隻の艦船など圧倒的軍事力をもって沖縄に挑み、「鉄の暴風」と言われた猛烈な艦砲射撃や空襲を繰り返し、美しい沖縄の山野を激変させていった。迎え撃つ日本軍の総兵力は約10万と劣勢で装備も劣る上、3分の1は防衛隊や学徒隊など沖縄の人々を現地召集した補助的戦力に過ぎなかった。翁長さんはそこに加わったわけである。
4月1日、沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)に上陸した米軍は南北に分かれて進撃、日本軍は地下壕の陣地に立てこもって持久戦法をとった。本土決戦の準備のため時間稼ぎをし、少しでも米軍の戦力を削ぐことが目的の、勝利の見込みのない絶望の戦いだった。人の暮らす街や村がそのまま戦場となり、米軍は日本軍守備隊・第32軍の司令部が置かれた首里城を目指し南進していった。
沖縄の少女たちが夜間に聞いた「悲しい音」の正体
そのころ、翁長さんは「悲しい音」を何度も聞いている。
取材時、同席していたひめゆり同窓会の与儀毬子(よぎまりこ)さんも同じ体験を持っていて、「あの音は忘れられないね」という。翁長さんら永岡隊は那覇・識名に配置されていた。
「識名は湧き水があって綺麗なところで西海岸が一望に見下ろせる丘がありました。那覇の町、慶良間諸島、浦添(うらそえ)まで全部見渡せます。4月の上旬でした。(米艦隊は)しょっちゅう照明弾を打ち上げていますし、サーチライトもね、もうあの軍艦からもこの軍艦からも照射するんですよ。結局は、蜘蛛の巣にかかった蚊みたいに、撃ち落されて。すごいうなり声を出すの。軍艦に突っ込むどころか、海にですよ、うーーん、という、悲しい音。もう、あれを見た時にね。どうしてもね、涙が止まらなかった」
与儀さんも目をうるませた。「悲しい音。サーチライトがね、十字に重なってね、その真ん中に飛行機が入ったらもう、だめ」
夜間、米軍の攻撃が休止したときを狙って、九州から決死の思いで飛来してきた特攻機だった。多くは米艦隊に近づく前に、空気を裂くようなエンジン音を立てながら暗い海に落ちていった。若い青年が次々に亡くなっていく光景を、沖縄の少女たちは息をひそめて見守っていた。
翁長さんも米軍のグラマンに機銃掃射された
翁長さんも米軍のグラマンに機銃掃射されたり、砲弾と銃弾をさけながら命がけで水や食料を運び続ける。だが日本軍はじりじりと押され、永岡隊も今帰仁森(なきじんむい)の陣地壕(久保田山壕)に移る。そこで1年生のときの担任と偶然再会する。教師は、戦場に留まる少女を不憫に思い、隊長の永岡大尉に紹介した。
じつは隊長にも一高女に通う娘がおり、翁長さんと同学年だったこともこのとき分かった。娘はすでに九州に疎開していた。以来永岡は翁長さんを娘のように思い、その姿が見えなくなると、「安子はどこへいった」と気に掛けるようになった。
翁長さんが同じ日本人に殺されそうになった理由
しかしこの壕付近で、翁長さんはあるとき、突如殺されそうになった。殺意を向けてきたのは、同じ日本人だった。
数時間壕を出て戻ってくると、突如「誰だ」と声をかけられ尋問されてしまう。浦添方面から南下してきたと思しき日本兵だった。翁長さんは永岡隊長の名を答えたことでなんとか解放される。――だが、すぐそばで同じように尋問されていた男性は何も答えられずにいた。沖縄人の風貌をした彼が聴覚障害者らしいとすぐ気づき、兵士らに伝えたが頑として聞き入れない。「スパイだ」。おそらく彼は、あのあと殺されただろう、という。
このころ、たとえ受け答えができても標準語で話さないと危険だった。当時、沖縄方言の使用は厳しく禁じられ、「沖縄語を以て談話しある者は間諜(スパイ)とみなし処分す」とされていた。
同じ国の者同士なのに、守るのではなく疑い、場合によっては簡単に殺害する。日本軍が沖縄の人々をどうみていたかが、この一例からも伝わってくる。
ひめゆり同窓会の与儀毬子さんの父も、スパイを疑われ惨殺された
取材時、翁長さんの横で静かに話を聞いていたひめゆり同窓会の与儀毬子さんの表情がここで一変した。北部で校長をしていた父は軍に協力したにもかかわらず特殊潜航艇の部隊だった海軍軍人たちにスパイと疑われ、惨殺されていたのだった。聴力が弱かったために質問に答えられなかったためのよう。
「満州、中国でやったやり方と同じ。同じ日本人だという意識がないの。すぐにスパイとみてね。どうして父がスパイなんかするの。戦後、私の家族もお酒を飲んだりすると、『スパイといったやつは出てこい』と大通りを馬に乗っていったりきたり、大声で叫んだこともありました」
「戦車砲がボーンと1発飛んできた」翁長さんを襲った惨劇
戦中、戦後すぐの遺族の心も荒れ果てていたころを思い出し、与儀さんの目は怒りと悲しみで急にうるんだ。翁長さんもうなずく。
「植民地と一緒だったね」
翁長さんら永岡隊がたてこもった久保田山壕からは日々、兵士たちが斬りこみに出ていったが、昭和20年5月に入ると、首里防衛の戦いは苛烈さを増し、米軍は20万発もの砲撃を加えたと言われている。シュガーローフヒルと呼ばれた丘(日本側名称・安里52高地)を巡る攻防戦は沖縄戦でもっとも激しい戦いとなり、日本軍はもとより、米軍にも大きな被害が出ている。
16日ごろ、永岡隊は、隊長が住職をつとめる安国寺の壕へ移る。現在の首里高校付近にあった壕である。32軍司令部のおかれた首里城からたった400~500メートルしか離れていない。ここで翁長さんは惨劇に遭う。
「29日の朝4時頃。水汲みに行って戻ってきたら、ゴーと戦車の音がしたんですよね。そしたらトンボ(米軍偵察機)も飛んできた。いつも朝6時頃しかトンボは飛ばないのにおかしいなって思ったら、戦車砲がボーンと1発飛んできた。しばらくしたらまた2発目が飛んできたんですよ。何分も経たないうちに、そしてすぐ火炎放射器」
「何もかも、人間とも思えないように焼かれていく」
奥行き20メートルほどの壕内には兵士や翁長さんら女性たち20数名がいたが、土嚢や枠材が燃え上がり煙が充満、追い討ちをかけて黄燐弾(おうりんだん)が投げ込まれ息もできない。奥にいた翁長さんの着ていた雨合羽にも火がついたが、永岡隊長が軍刀でたたき消し、「防毒面(ガスマスク)をかぶれ!」の命令に従い煙のなかで息をひそめた。しかし、壕入口付近にいた兵士たちはひとたまりもなかった。
「何もかも、人間とも思えないように焼かれていくわけ。もう、のたうち回って。でもどうにも手もつけられない」
熱い、熱い、と兵士たちが叫ぶ声が壕内にこだましたあと、今度は壕の天井からギリギリという音が響いてきた。やがて轟音とともに岩が崩落。壕内に立てこもる日本軍を掃討するため、米軍は壕の上部に穴を開けてガソリンや爆弾を投下したり、火炎放射器で焼き払う戦術をとった。これを「馬乗り攻撃」といった。
手足がちぎれ飛び、血の海で足元が滑るなか脱出したが…
実はこの2日前、27日には32軍は南部へ撤退を決定して、この29日には牛島満軍司令官以下司令部は摩文仁(まぶに)の新司令部にすでに退いていた。「郷土部隊(永岡隊)は首里城を死守せよ」という命令を受け、翁長さんらは置き去りにされていたのだった。
翁長さんは煙の充満する暗い壕内でいっとき片目が見えなくなり、永岡隊長は自決をしようとしていたが、周囲が説得。司令部を追うように南部へ撤退することになった。手足がちぎれ飛び、血の海で足元が滑るなか、隊長は少女に自分のベルトを掴ませ、転ばないように脱出をはじめた。
ところが壕を出たところで翁長さんは遺体を踏んで崖から転落してしまう。さらに、物音を聞いた米兵に自動小銃を乱射され、弾丸はリュックサックを貫通して翁長さんの背中をえぐった。リュックには預かった兵士の遺書などが入っていたが、失ってしまった。
おびただしい遺体のなか、南へと歩き続けた
ひとりになった翁長さんは、それでも隊に追いつこうと、おびただしい遺体のなかで自分も死んだふりをして息をひそめながら、南へと歩いていった。血が流れ出る背中の負傷を自分で止血し、遺体の浮く水たまりの水を飲み、爆弾で合羽に火がつくこともあったが脱ぎ捨てて、ひたすら歩き続けた。
上がり続ける照明弾の下、何千の遺体の山を見ながら、激しい死臭をこらえながら進んだ。識名に抜ける坂のあたりまできたとき、橋が落とされているのが分かった。周りは死体ばかりで生きている者はいない。大声で泣き叫んだ。
「お父さん、お母さん、助けに来て。私ここにいるけど、死にたくない」
15歳の子どもである。それでも進むと、溝のなかから声がかかる。「女学生さん、助けてくれ」。負傷した人のようだが、自分自身大怪我をしていて、歩くのもやっと。ごめんなさいごめんなさいと謝りながら通り過ぎるしかなかった。この道すがらでも兵士にスパイを疑われたが、隊長や他の兵士たちの名を言うことで解放されている。
〈 「人間の首から上が木にぶら下がり…」「海の波打ち際にも遺体が」15歳で“地獄の沖縄戦”に参加した女性(96)が語る、激戦地で見た“忘れられない光景” 〉へ続く
(フリート横田)
静岡県警の警部が新東名PAのトイレ荷台に実弾入り拳銃置き忘れ、通報まで気づかず…一般客が発見
静岡県警は22日、機動捜査隊の40歳代男性警部が、掛川市倉真の新東名高速道路下り掛川パーキングエリアの男性用トイレに、実弾入りの拳銃1丁を置き忘れたと発表した。一般客が発見し、店から通報を受けて駆けつけた男性警部が約25分後に自ら回収した。拳銃が使用された形跡はなかった。
発表によると、同日午前4時半頃、窃盗事件の捜査中に立ち寄った個室トイレの荷台に、拳銃を収納したケースごと置き忘れていた。男性警部は通報が入るまで気づいておらず、「用便のために置き、失念した」と話しているという。
機動捜査隊は「拳銃を所持していることの重要性を再認識させるとともに、再発防止の指導を徹底する」とのコメントを出した。