報道の萎縮を招く「電波利権」 正常化には総務省の解体しかないか

東北新社やNTTによる高額接待問題が次々と明らかになっている。そして同時に、総務省が放送と通信の巨大な「電波利権」を牛耳っていることも浮き彫りになった。
日本の放送や通信事業などの電波ビジネスは、欧米のような“電波オークション”は行われず、総務省が無料で割り当てる形となっている。そのため、新たに電波が欲しい事業者や、すでに電波を持っていて既得権を守りたい事業者が、総務省の役人や大臣の接待を繰り返すのだ。
総務省の電波割り当てで最も恩恵を受けてきたのは大手新聞社やテレビ局である。報道機関が電波利権をもらえば行政に頭が上がらなくなる。総務大臣時代から放送・通信行政の制度改革を進め、“電波のドン”として大きな影響力を持ってきた菅義偉・首相は、それをメディアコントロールに利用してきた。
総務大臣時代に関西テレビの『あるある大事典II』の納豆データ捏造が大問題となると、菅氏は「電波停止もありうる」と発言して行政指導としては最も重い警告を出した。TBSの『朝ズバッ!』でも不二家に関する捏造報道が起きると、放送局が事実と異なった報道をした場合、総務大臣が放送局を行政処分できる内容の放送法改正案を提出した。
元日本テレビディレクターの水島宏明・上智大学文学部新聞学科教授が振り返る。
「放送法改正案は成立に至らなかったが、当時の放送局の上層部が『菅氏は手強い』と感じたことは事実です。不祥事を理由にそれまで以上に監督官庁が放送内容に介入する辣腕ぶりを発揮しました。結果として放送局の萎縮を招いて報道の自由、表現の自由を後退させたと評価できます」
その手強い菅氏が首相に就任すると、日本テレビの執行役員、フジテレビの会長や社長などが首相と食事を共にしている。
電波の割り当てを受けるテレビ局の経営者が、費用を会社持ちで“電波のドン”と宴席を持っていたとすれば、利害関係者による接待と同じだ。
会食について日本テレビは、「当日は、菅首相に対する取材会合でした。費用は、出席メンバーで分担致しました」(社長室広報部)、フジテレビは「詳細についてはお答えしておりません」(企業広報部)とのことだった。
電波行政に詳しい山田肇・東洋大学名誉教授が語る。
「世界各国は情報通信政策の産業振興と周波数割り当てなどの規制政策を分けている。しかし、日本の電波行政はどちらも総務省が握って離さない。これを是正しないと根本的な解決はできない。
テレビ局側からすれば、放送免許を公開入札にして公明正大にやられると困る。総務省と会食して既得権を守っているのかもしれない。既存メディアが今回の問題をあまり取り上げないのも電波行政の産業振興と規制が分離されるのは自分たちに都合が悪いからです」
かつての大蔵省接待事件では大蔵省が財務省と金融庁に分離された。官僚接待の根を絶って報道をまともにするには、総務省解体で新聞・テレビの電波利権を解消するしかない。
※週刊ポスト2021年4月2日号

「医療用品が納入されたと思った」近大教授、ニセ領収書でゴルフ用品や私物購入か

近畿大医学部法医学教室の男性教授(66)が、大学から経費を不正に受け取ったとされる疑惑で、近大は25日、不正受給が疑われる額が少なくとも約3300万円に上るとする調査結果を公表した。偽の領収書を提出し、医療用品と装ってゴルフ用品や私物を購入した疑いがあるという。近大は近く弁護士を含む調査委員会を設置して調査を継続し、大阪府警への刑事告訴も検討している。
教授は、府警の依頼で犯罪死が疑われる遺体を調べる司法解剖に約40年前から携わってきた。
近大の発表によると、教授は大阪市内の医療機器販売会社から司法解剖などで使う医療用品を購入し、領収書や請求書を大学に提出して経費を自身の口座で受け取っていた。しかし、2017~20年度に提出された110件約4100万円分の領収書などを調べたところ、75件約3220万円分に偽の社印が押されるなどし、納品が確認できないものもあった。
また、家族が利用する携帯電話代約90万円も経費から支出していたという。
医療機器販売会社は調査に対し、17年度以前にも、取引を始めた11年以降、教授の依頼でゴルフ用品や電化製品などを納入し、医療用品と書いた領収書を作成したと説明。担当の元社員も「教授の指示で偽の社印を用意した」と証言した。
一方、教授は調査に「医療用品が納入されたと思っていた。元社員にだまされた。(ゴルフ用品などは)贈答品だと思っていた」などと不正を否定。教授の代理人弁護士は25日、取材に対し、「教授に不正の認識はなかった。名誉

毀損
( きそん ) で、大学に対して法的措置を検討している」と話した。
記者会見した松村到・医学部長は「あってはならないことで深くおわびする。管理体制を見直し、再発防止に努めたい」と謝罪した。

カルチャーセンターで「駅弁講師」、460万円の収入…停職の市職員「費用の方が高かった」

横浜市は25日、神奈川県外のカルチャーセンターで鉄道関連の講師の副業をしたとして、工務部の男性課長補佐(47)を停職6か月の懲戒処分にしたと発表した。
市によると、課長補佐は2015~20年、東京都と千葉県のカルチャーセンターで駅弁に関する講師を計109回行い、459万5000円の収入を得ていた。座学の講師のほか、受講した人と地方に出かけて駅弁の試食をすることもあった。市の聞き取りに対し、「教材作成や駅弁の下見にかかる費用は、もらっていた金額より高かったので違反にはならないと思っていた」と話しているという。

所信表明の締めはまるで“教科書丸写し” 政策を実現しているにもかかわらず菅内閣の支持率が伸び悩むワケ

発言の徹底分析でわかった「仮説には答えられない」に秘められた菅義偉の“自意識” から続く
「携帯電話料金の引下げなど、これまでにお約束した改革については、できるものからすぐに着手し、結果を出して、成果を実感いただきたいと思います」
所信表明演説でそう宣言したとおり、携帯電話料金の引き下げを実現した菅首相。しかし、国民からの支持率は低下の一途をたどっている。その原因は一体何なのだろうか。元経産省官僚の論客、宇佐美典也氏の著書『 菅政権 東大話法とやってる感政治 』(星海社)の一部を引用し、菅首相が目指している政治のあり方と、国民が首相に求めている姿のギャップを分析する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
◆◆◆
菅政権は何を目指しているのか
国の形を定める憲法のあり方や政権運営の方針を自由に語るパートとして定例化している所信表明の締めに菅首相が何を語ったか見てみよう。構造的に所信表明が具体的な政治課題に関する対処方針の羅列になりがちな中で、このパートは抽象的であるものの自由に好きなことを語れる場として、時の首相の政治哲学が色濃く出る最も重要なパートとして見ることもできる。
「国の礎である憲法について、そのあるべき姿を最終的に決めるのは、主権者である国民の皆様です。憲法審査会において、各政党がそれぞれの考え方を示した上で、与野党の枠を超えて建設的な議論を行い、国民的な議論につなげていくことを期待いたします。

政権交代以降、経済を再生させ、外交・安全保障を再構築するために、日々の課題に取り組んでまいりました。今後も、これまでの各分野の改革は継承し、その中で、新たな成長に向かって全力を尽くします。

携帯電話料金の引下げなど、これまでにお約束した改革については、できるものからすぐに着手し、結果を出して、成果を実感いただきたいと思います。

私が目指す社会像は、「自助・共助・公助」そして「絆」です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指します。

そのため、行政の縦割り、既得権益、そして、悪しき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。「国民のために働く内閣」として改革を実現し、新しい時代を、つくり上げてまいります。御清聴ありがとうございました」
“憲法改正”については受け身のスタンス
安倍政権時にはあれほどロマンを持って語られた憲法改正も菅首相にかかっては事務的作業の一つであるかのように淡々と語られた。憲法審査会は「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する」とされている国会の委員会の一つで、安倍政権時の所信表明では「国会議員の責任として」この場で憲法改正の議論をすることで「歴史的使命を果たす」と熱を持って語られていた場である。他方で、菅首相は「憲法改正も最後は国民が決めるものですから、与野党の枠を超えて建設的に議論して、国民的議論につなげましょう」と国会議員ではなく、国民の側に議論を求めているように見え、憲法改正に関してはどこか受け身のスタンスが垣間見える。憲法改正のような与野党合意が必要となる事項はそのようなスタンスの方が議論が進みやすいだろうし、個人的にも共感するのだが、いずれにしろやはり目の前の政策課題への対処につながらないトピックは菅首相の主たる興味の範疇外なのであろう。
“携帯電話料金の引き下げ”と「自助・共助・公助」
実際菅首相が憲法改正の次に持ってきたテーマは国のあり方という大きな話から真逆にある「携帯電話料金の引き下げ」という身近な財布の中身の話であり、政治運営についても「できるものからすぐに着手し、結果を出して、成果を実感いただきたい」と目前の課題を順次迅速に処理していく意気込みを語った。
政権発足後3ヶ月たった頃から菅首相のこうした意気込みに応える形で、携帯大手は相次いでこれまでのプランに比べて半額を割るような格安プランを公表したわけだが、その割には菅首相の支持は芳しくなく、こうしたミクロな成果の積み上げを繰り返すアプローチだけで首相としての国民からの期待に応えられているかはやや疑問が残る。
それでも演説の構成・バランスの問題で、最後に菅首相は自らが「目指すべき社会像」についてお決まりの「自助・共助・公助」をキーワードに語るわけだが、やはりここで語られる内容も、どこかで聞いたことがあるオリジナリティに欠けるものとなっている。
「自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指します。そのため、行政の縦割り、既得権益、そして、悪しき前例主義を打破し、規制改革を全力で進めます。「国民のために働く内閣」として改革を実現し、新しい時代を、つくり上げてまいります」
一切見えてこない「菅首相独自のビジョン」
この前段はまさしく現代の民主主義社会において当たり前の社会保障における政府の立場・役割というものを述べたものに過ぎず、菅首相独自のビジョンというものが一切見えない。どれくらい当たり前かというと、一例を挙げると2006年の厚生労働白書には以下のような記述がある。
「我が国の社会保障は、自助、共助、公助の組み合わせにより形作られている。もとより、人は働いて生活の糧を得、その健康を自ら維持していこうと思うことを出発点とする。このような自助を基本に、これを補完するものとして社会保険制度など生活のリスクを相互に分散する共助があり、その上で自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準、家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公助があると位置づけられる」
これは厚労省の官僚が制度を説明するための原則論を淡々と書いた文章なのだが、このレベルの教科書的な内容を総理大臣が所信表明の締めに持ってくるということは些か驚きを禁じ得ない。
好意的に解釈すれば菅首相はおそらく、現代の政治家が個人的に国家のあり方について特別なビジョンを持ち国民に押し付けることは適切でないと考えており、自由主義国家、民主主義国家の首相のあり方として「国民一人一人が独自のビジョンを持って取り組むことを政府はできる範囲で支える」という姿勢を示すことが重要であると考えているのだろうと思う。それはいわゆる公務員、英語でいうところの「Civil Servant(市民の使用人)」としての意識で、後段における「国民のために働く内閣」という言葉がその意識を如実に示しているように思う。菅首相としては、
(1)公務員は国民の上に立つものではなく、国民に仕えるものだ

(2)だから国民に指示するのではなく、国民の自主的な取り組みを支える環境を作るのが現代の政府、政治の役割だ

(3)自分は政治家としてこうした認識に基づき「信頼できる政府」を作るため、行政の縦割り、既得権益、そして、悪しき前例主義を打破し、規制改革を進めていく
というような論理を頭の中に持っているのだろう。こうした受け身の意識は一人の「一般公務員」としてあるべき職業倫理であるように思う。過去には「国のために働き、民を導く」とする佐橋滋のような国士型の官僚像が重宝された時代があったが、21世紀に入ってそのような官僚像は否定された。官房長官のような首相の「黒子」として官僚を束ねる立場でも同じことが言えるかもしれない。
菅首相自身が感じ始めた限界
ただ総理大臣の立場になってもそれを続けるのは、国家のリーダーとして国民を導くという役割を放棄しているようにも思える。政治家は職業公務員とは違い、「国民に仕える」のみならず「国民の代表」として公務員を使う側でもあるのだ。いくら時代が変わっても、多くの国民はなんの指針もなしに向かうべき方向を自ら決められるほど強くも成熟もしておらず、国民の代表である政治家に大きなビジョンとそのビジョンに基づいて国民を導くリーダーシップを求めていることは否定できない。
菅首相自身も政権を担当して4ヶ月間の支持率下落(62%→37%)を目前にしてそれを自覚し始めているのか、2021年1月18日の施政方針演説では以下のように述べている。
「未来への希望を切り拓くため、長年の課題について、この四か月間で答えを出してきました。皆さんに我が国の将来の絵姿を具体的に示しながら、スピード感を持って実現してまいります。
一人ひとりが力を最大限発揮し、互いに支え、助け合える、「安心」と「希望」に満ちた社会を実現します」
ついに菅首相が長年避けてきた「我が国の将来の絵姿を具体的に示す」という「ビジョン」に関する言葉が加わったのである。2月に入ってからは会見にプロンプターを用いるなどの変化も見られた。もしかして今一番「東大話法」と「やってる感」に特徴づけられる日本の政治に限界を感じているのは菅首相自身なのかもしれない。
政治家に求められる「ビジョン」と「強さ」
コロナ禍という未曾有の危機の中で「政治家の言葉」がなおさら注目される背景には、国民の弱さとそれに伴う不安があるのだろう。SNS上ではドイツ首相のメルケル氏、イギリスのエリザベス女王ら、各国指導者の心を打つ演説が共有されている。これらの国、地域では必ずしも新型コロナ対策が上手くいっているわけではないが、こうした演説は高く評価されている。
過去を振り返れば日本国民は繰り返し政治家の語る「ビジョン」と見せかけの「強さ」に引きつけられ、その度に結果が出ずに裏切られ、政治に失望してきた。もはや日本の将来に希望を持っている国民は少数派である。各種調査では日本人の6割程度が日本の将来に悲観している。その結果誕生した総理大臣がビジョンを語らず粛々と世論調査を見ながら目前の課題の実行だけに努める「菅義偉」というビジョンなき政治家であったわけだが、それでもやっぱり国民は将来に対する不安を抱えきれず、どこかで政治家に「ビジョン」と「強さ」を求めてしまっている。そしてそのことに実務型で未来を語ってこなかった首相自身も悩んでいる、そういう矛盾に国民としてどう向きあい、これからの政治に何を期待するのか、ということこそが本書で問いたかったことである。
【前編を読む】 発言の徹底分析でわかった「仮説には答えられない」に秘められた菅義偉の“自意識”
(宇佐美 典也)

投資会社社長がアイドルに渡していた“7000万円”もの大金…様々な噂が飛び交った“奇妙な関係”の真相

2020年2月20日、稀代の相場師として知られる中江滋樹氏の自宅が火事になり、焼け跡から本人の遺体が発見された。小学生で株取引を始め、20代の頃には証券会社や銀行が密集する兜町の風雲児と呼ばれ、投資ジャーナルを大企業に発展させ、そして詐欺容疑で逮捕されて表舞台から姿を消した男……。そんな彼の生涯はいったいどんなものだったのだろうか。
ここではジャーナリストの比嘉満広氏の著書『 兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白 』(新潮新書)を引用。中江氏が経営していた投資ジャーナルの経営実態、そして関係を噂されたアイドルとのエピソードを紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
◆◆◆
独特の経営スタイル「柱制度」
東京に進出した当時(1978年)の投資ジャーナルは、社員わずか20人程度でスタートした。その後は相場の成功とともに年々社員数が増え続け、やがて3000人にまで膨らんでいく。中江一人では組織の隅々まで目が行き届かなくなる一方で、社員の掌握には中江なりの独特な人心収攬術があった。
その一つが「柱制度」である。京セラの稲盛和夫が編み出した経営手法「アメーバ経営」からヒントを得たものだ。アメーバ経営とは、会社の採算部門を6~7人の小さな集団組織に細分化し、独立採算で運営する経営戦略である。
中江は会社組織を「柱制度」と名付けた。当然ながら大黒柱は中江自身で、その周りに一定の条件を満たし「柱」と認定した社員50人を置く。「柱」にはそれぞれノルマを与え、それを達成してくれることで会社経営が成り立つというシステムである。
「一般企業では取締役にあたるけど、その役職名だといかにもサラリーマン重役で組織の歯車の一つみたいで、強い責任感は持てないと思った。そこで個々の幹部に責任感を自覚させるために『柱』という表現にしたわけ」
「柱」の決め方は、「投資ジャーナル」スタート時からずっと一緒にいる仲間20人をまず認定する。その「柱」に何カ月かに一度、「柱」となれる部下を推薦させる。推薦の部下を出すとその幹部のノルマは減らす。しかし、その推薦された新しい「柱」がノルマを達成できないと、その推薦した「柱」の責任になって逆にノルマが増える。
基本給は月給100万円から
中江はこのやり方を人事マルチと名付けていた。ノルマは月々で変わるが、基本ノルマは3000万円程度。「柱」にした50人の幹部には、人事権まで含めて全ての権利を与えて売り上げを競わせる。
月々3000万円の基本ノルマを達成するため求人募集をして部下を100人単位で採用し所帯を大きくする幹部もいれば、5~6人しか部下を持たない幹部もいた。それぞれの「柱」が独立採算制で、雇った部下らの給料もその「柱」の判断で決めていたという。つまり、「投資ジャーナル」の中に50人の幹部を中心とした50の準会社組織が存在していたということだ。
「僕にとっては『柱』に認定した50人だけが社員であり、彼らの給料は僕が決めていた。最初は基本給100万円から始まり、ノルマを達成すると毎月10万円増え、頑張って毎月ノルマを達成すれば、1年で基本給220万円になる。夢があるよね」
「投資ジャーナル」の主要な部門は営業部と株式部だった。営業部は新規の客を獲得し、その客を株式部が引き継いでフォローして投資に結びつけて、手数料を得る。50人の「柱」は両部門から半々で構成されていた。
ノルマを達成していれば自由に遊んでいても文句は言わない
1日のスケジュールは、毎日午前8時45分に朝礼、正午に昼礼、午後6時頃に夕礼、夜の午後11時15分に終礼の会議。15時間ほぼ休みなく働かせるというハードさだった。
「会議に出席するのは柱の50人だけ。月のノルマが3000万円なら、証券取引所の立会日が20日として10日で1500万円上げないと達成できない。売り上げグラフを作って達成度を毎日チェックさせ、すでにノルマを達成できた『柱』のグループは会議に出ることも出社する必要もなく、好きなようにしていいことにした。翌月分も含めた6000万円を達成していたら、翌月は海外で自由に遊んでいても文句は言わなかった」
ノルマ以上を売り上げた分は、すべてその「柱」のグループに与え、新しい事業会社を設立するもよし、好きに使わせた。そうして金を儲けることの楽しみを教えたという。
「でも、時々ふらっと職場をたずねて社員の仕事ぶりを見ていると、ほとんどが仕事の電話をしている振りをして実際は競馬レースを聞いていたり、仲間と遊びの打ち合わせをしたり、100ある力のうち6~7割しか出していないわけ。こいつら手を抜いているなあ、と思うよ。でもね、毎回100%の仕事をやらせてはダメなんだ。6~7割の力でノルマを達成できるようにしてやらないと長続きしないからね」
そこで社員のやる気を引き出すために中江が仕掛けたのが「賞金レース」だった。年に3~4回、社員にどのくらい営業力があるかを見るイベントで、どの「柱」のグループが一番多く稼ぎを上げるかを競わせるのだ。
競い合いのシステム
「賞金レース」の結果発表は、ホテルオークラやニューオータニの宴会場で開催した。1位を獲得した「柱」のグループには1000万円、2000万円という賞金を与え、ビリになった「柱」の幹部は、みんなの前でその場で丸坊主にさせられた。
「この時ばかりは賞金を狙って全員、本気モードで100%の力を出してきた。トップを獲るには1億以上の利益を上げなくてはならないから、本当に能力があるやつとダメなやつを明確に分けられる。
負けて悔しさを感じたやつは奮起して次こそトップになろうとハングリー精神を育てられるが、ビリで丸坊主にされても何も感じないのはいつまでたってもダメ。自分のダメさ加減を自分で徹底的に考えさせる機会でもあったね」
「賞金レース」は営業力を高める訓練だが、新入社員の教育もまた独特だった。入社すると、まず証券会社の顧客名簿をもとに電話でアンケートをとらせることから始める。アンケートの一環として、『月刊投資家』の新規読者の勧誘と年間購読セールスをさせる。仕事に馴染んできた頃を見計らって、レポートの顧問料10万円の契約獲得をやらせるのだ。
お金を使う魅力を味わわせる
そこで見事に顧問料10万円の契約を取った社員には現金で10万円を渡すだけでなく、ご褒美で銀座の高級クラブコース、赤坂の料亭コース、さらに吉原や川崎の高級ソープランドコースの中から行きたいコースを選ばせて、中江自身が連れて行ったという。
「どのコースも10万や20万じゃ遊べないところばかりで、学校出たての20代の若造がそんな高級店で遊んだら、すげぇ! と思うわけよ。と同時に、10万円稼ぐのがどれだけ大変なことなのかも実感する。
せっかく手にした大金も、持っているだけではその価値が分からない。要は、お金の使い方の楽しさ、魅力を覚えさせるわけ。お金の面白味を覚えると、お金を稼げばこんなに楽しいことができる、そう思ったやつはトップセールスマンになっていく。僕もずっと営業をやってきたから社員の心理はよく分かる。その心理をくすぐってやれば、若い部下はいくらでも成長していくよ」
「プラスワン構想」
部下の心理を読み取り、手綱を締めたり緩めたり、巧みに掌握してきた中江だが、外見上の好調さとは裏腹に、この頃から内心に不安を抱えるようになっていたという。
「1982年に10倍融資の証券金融業を始めてからは、本当は、僕自身が毎日ビクビクしながら過ごしていた。金融業はグレーだからいつかは叩かれる、規模が大きくなって、世間に注目されればされるほど叩かれるだろう、それでもし会社が潰れたら社員やその家族も路頭に迷うことになるってね」
いつかは問題視される、という本心は誰にも話さなかったが、50人の幹部会議で、ある構想を提案している。それが「プラスワン構想」だった。
「株の世界は先がどうなるかわからん、会社がおかしくなった時のために今から社員一人一人が株以外で自分の家族を養える仕事をちゃんと持っておけ、新しいビジネスのきちんとした考えがあるなら出資してやるから株以外のプラスワンで将来の生活基盤を作れ、そう説明したんだ。
それで幹部たちが色々な事業を始めたので、関連会社がいくつもできた。スナックや割烹料理屋、喫茶店を始めたのもいたけど、結局は株の相場しか知らない連中ばかりだから、投資顧問会社を立ち上げた者が多かったね」
投資ジャーナルの最盛期に関連会社が200社、社員3000人までに膨らんだ背景にはこのプラスワン構想があった。
清純派アイドルとのスキャンダル
「プラスワン構想」は思わぬところで、中江の人生に忘れられない後悔のタネをもたらすことになる。芸能人とのスキャンダルである。
当時、プラスワン構想の一環として、新しい雑誌を作るというアイデアが出た。提案した幹部の「柱」の一人が早大出の文学青年で、『パルム』というカルチャー雑誌を作りたいといってきたのだ。その時に思い浮かんだのが、一人の女性アイドル歌手の顔だった。
「テレビ番組『アップダウンクイズ』を見ていたらたまたま彼女が出ていて、司会者が、暴走族をどう思う? と聞いたら、彼女は『私とは世界が違う人です』ときっぱり言ったの。その一言で、真面目でいい娘だなと思ってね、何も好きな女のタイプとかいうのではなくて、清楚で可愛いからファンになっただけ。新雑誌の提案があった時、創刊号の表紙に彼女を起用してインタビューを載せるのを条件に、4000万円の出資を認めることにした」
1979(昭和54)年にデビューした彼女は、日本レコード大賞新人賞を受賞するなどアイドル歌手として若者の人気を集めていた。
報じられたスキャンダル
ところが1984(昭和59)年11月、中江とのツーショット写真が写真週刊誌『フライデー』創刊号に掲載される。女性アイドルの自宅の新築資金として「投資ジャーナル」の関連会社から7000万円が流れていたなどと報じられると、芸能マスコミを巻き込むスキャンダルに発展、芸能界引退に追い込まれてしまったのである。
「当時僕は30歳手前で彼女は6歳年下だったかな。アイドル歌手としてこれからという時に将来を壊してしまって、あれから三十数年経った今でも、彼女の人生を狂わせたことを申しわけないと思ってる」
当時の経緯を中江が申しわけなさそうに振り返る。
「新雑誌の提案からしばらくして、彼女のインタビューと撮影に同席したんだ。取材が終わった後、カメラマンに『会長、記念写真を』と促されて彼女の隣に座ると、『軽く肩に手を回してください』と言うから言われるままにそうしたら、それを写真誌に売りとばしたんだよ」
中江が彼女と会ったのは、その時が初めてだ。それから数回ほど食事をしたという。
「彼女の話では、母親が会社の会計係をしながら二人の娘を育ててくれたとか。だからバイクで遊び回っている連中とは世界が違う、と言ったんだろうね。それと持病がある母親を土地付きの家に住まわせてあげたい、とも言っていた」
『フライデー』に写真が掲載される1年ほど前、実は『アサヒ芸能』が二人の関係を記事にする直前までになっていたという。それを知った中江は記事を止めさせるべく奔走、何人かの政治家にも頼んだが断られ、困り果てて料亭「川崎」の女将を頼った。
“テレ朝の天皇”
すると女将は応接室に中江を呼び、「三浦さんという凄い人がいるから、今ここに来てもらうように頼んであげる」と言ったという。女将が呼んだ「凄い人」とは、テレビ朝日・専務だった三浦甲子二(きねじ)のこと。政財界に幅広い人脈を持つ実力者で、“テレ朝の天皇”と称されていた。三浦もまた「川崎」の常連だったのだ。
「三浦さんは僕を見るなり、『お前か、近頃、農協みたいな遊びをしている若造がいるってのは!』と一喝。それが出会いだった。でも『アサ芸』の件を説明すると、『よし分かった』と、目の前で徳間書店に電話を入れ、『三浦だが、すぐに社長から電話を寄こしてくれ』と伝言。しばらくすると徳間社長から折り返し連絡があり、『オレの可愛がっている若いやつが来週号で叩かれると困っている。記事を止めてくれないか』と依頼、『もう心配するな』と言ってくれた。凄い人がいるもんだな、と驚いたよ」
これがきっかけとなって、三浦とは気が合って毎晩のように会う関係になったという。それが、この後の中江に様々な影響を与えることになった。
「会長、私は大丈夫です」
「実はこの件の後、三浦さんに彼女の実状を話したんだ。年間2億円稼いでいるのに収入は1000万円程度しかないらしい、と言うと、それじゃ気の毒だから新たに芸能プロを作って移籍させたらどうかという話になった。僕がお金を出してプロダクションを作り、移籍まで半年くらいかかったかな。つまり、例の7000万円は移籍料の意味だったわけだけど、マスコミは、中江が愛人にプレゼントしたとか、デタラメを流して騒ぎ立てたんだ」
その後しばらくして「投資ジャーナル」が事件になった頃のこと。ヨーロッパに潜伏していた中江に、関係者から「アイドル親子が挨拶に来ました、電話してあげてください」と連絡があったという。
「ウィーンのアパートにいた時で、電話で居場所を突き止められるのが怖かったので、スイスのホテルまで行って国際電話をかけた。すると彼女は『会長、私は大丈夫です』って。ヨーロッパでも日本のテレビは見られたから、彼女がマスコミに追われて袋叩きになっているのは知っていた。なのに、そんなこと一言も言わずに僕のことを気遣ってくれた。ああ、やっぱり真心のある子だなと改めて思ったよ。
結果的に僕のせいで芸能界を引退させてしまうことになったけど、その後の彼女の様子から、彼女は自分の人生を取り戻したのかも、そう思えることが救いかな。もしそうでないなら、何度でも謝らないといけないと心の底から思ってるよ」
【続きを読む】 200人以上の政治家に500万円ずつ配った“兜町の風雲児” 稀代の相場師が失墜した理由とは
200人以上の政治家に500万円ずつ配った“兜町の風雲児” 稀代の相場師が失墜した理由とは へ続く
(比嘉 満広)

200人以上の政治家に500万円ずつ配った“兜町の風雲児” 稀代の相場師が失墜した理由とは

投資会社社長がアイドルに渡していた“7000万円”もの大金…様々な噂が飛び交った“奇妙な関係”の真相 から続く
自社で発行する証券関連雑誌で「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露し、巨万の富を築き上げていた投資家の中江滋樹氏。「体を揺すれば大金が出る」とまでいわれるほどの金満ぶりで各界にその名を轟かせていた。元プロ野球選手の金田正一氏、日本マクドナルド創業者の藤田田、政治家の徳田虎雄氏……。その交遊関係は実に幅広い。
ここではジャーナリストの比嘉満広氏が、中江滋樹氏本人へのインタビューを行い、同氏の生涯についてまとめた著書『 兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白 』(新潮新書)を引用。羽振りが良く、豪放磊落だった男の素顔、そして表舞台から姿を消すことになった理由を明らかにする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
◆◆◆
各界に広がる人脈、多彩な交流
お金と情報の集まるところには人も集まるのが世の習いだが、“風雲児”の呼び名が示す通り、相場以外ではいたって天真爛漫な中江の周りには、気がつけば様々な著名人との交遊が広がっていた。以下、ざっと見ていこう。
プロ野球界の重鎮だった金田正一とは丸国証券の役員を介して知り合い、常連だった銀座のクラブ「サード・フロアー」で酒席をともにするようになったという。
「僕を見つけると嬉しそうに席を移動してきて、一緒に飲んでたね。そうなると支払いは僕になるんだけど、400勝投手という偉大なプロ野球人なのに、気さくで楽しい人だったな。金田さんは投資ジャーナルの会員ではなかったから、お金を預かったことはなくて、あくまで個人的な付き合いだった。株のこともしつこく聞かれたけど、適当にはぐらかしてた。僕は金田さんに限らず、個人的に人に銘柄を勧めるような話は一切しなかったからね。
それと一度、『お嬢が会いたいと言っているが、どうする?』と言われて、誰のことだかわからなかったんだけど、『お嬢』とは美空ひばりさんのことだった。芸能界の大御所と呼ばれる女王みたいな人、さすがに怯んで丁重にお断りしたけど、会っておけばよかったと惜しい気持ちもあるよ」
日本マクドナルド創業者からの助言
中江と親交のあった中には外食ビジネスの大成功者もいた。ハンバーガーを日本に定着させた日本マクドナルド創業者の藤田田には、様々なアドバイスを受けたという。藤田は「投資ジャーナル」の会員で幹部に担当を任せていたが、中江に直接会いたいといってきてから月1回ほどの割合で会うようになったという。藤田が行きつけの料亭に中江を誘うこともあれば、中江が「川崎」に招くこともあった。
「藤田社長は僕に株のことを聞きたがっていたけど、何せ相手はカリスマ経営者だから控えめに話していた。『中江君の相場観はすごいな』と言われた時は正直うれしかったね。最初に会った時に藤田さんの著書『ユダヤの商法』を読んで目覚めました、とおべっかを言ったのを覚えてる」
藤田からは様々なことを教えてもらったそうだが、今も忘れられないことがある。
「わが社では年に1~2回、マスコミ対策で関係者を招待してパーティを開いている。後で配る土産も用意して、マスコミとの関係をうまくコントロールしているんだ。君にはそういう発想が足りない。経営者として、世間に対して自分の会社をどのように守っていくかを考えなさい、一度うちのパーティに来てみたらいい」
そう藤田に諭されたという。
相場師としての信念
「残念ながら行く機会はなかったけど、今思うと、藤田社長の教えを生かせなかったから、その後マスコミの袋叩きに遭ってしまったんだよね」
もっとも相手の地位がどうあれ、中江には相場師として信念のようなものがあった。一度、藤田から「投資ジャーナル」で10億円くらい株投資をしてみようか、と言われたが、きっぱり断ったというのだ。
「僕は、実業家に株投資を教えるのはダメだという信念がある。実業家が株で儲けることを覚えてしまうと、儲けを手に入れるなら株のほうが早いと知ってしまうのね。実業家というのは日々の1円、2円の積み重ねで儲けているわけで、株で何百億も入ってきたりすると勘違いする。株に関心が向いて、本来の1円、2円の心が消えていってしまう。だから実業家に株投資を教えてはいけない。たとえ藤田社長であっても10億円は断り、株も勧めなかった」
政界とのつながりも
奄美出身で、医療界の改革を唱え、その後は政治家となった徳田虎雄とも親交があったという。今では国内最大の民間医療グループ・徳洲会を創り上げた立志伝中の人物で、政界スポンサーとして特異な活躍をしたことでも知られる。
1983(昭和58)年暮れに行われた衆院選で奄美群島区に初出馬した徳田は、現職の保岡興治(自民)との間で熾烈な選挙戦を展開、約1000票という僅差で徳田が落選する。島中に現金が飛び交う激しい金権選挙は、「保徳選挙」として語り草になった。
「徳田さんは『川崎』で会った後も話し足らないのか、僕と一緒に宗千代のマンションに毎日のようにやってきては、初めて選挙に出て、徳之島を真っ二つにして大喧嘩をやらかした末に負けた。その悔しさを繰り返し愚痴ってたね。小さな島なんだから、そんなに喧嘩しないで仲良くやればいいじゃないって慰めていた。株についての相談事も多かったけど、個人的に株を勧める気はなかったから、適当に相槌を打ってごまかしていたけどね」
戦後政財界の黒幕、フィクサーなどと呼ばれる一方、社会奉仕活動にも熱心だった日本船舶振興会の笹川良一会長とも意外な交流があった。
「僕からアプローチしたわけじゃなかったけど、笹川会長から会いたいと言われたのが最初。それからは、ちょっと来てくれ、と呼び出されると船舶振興会のビルにある会長室を訪ねるの。でも特に話があるわけでもなくて、いつもとりとめのない雑談をするだけなんだ。相場のことで忙しいのに、いいから遊びに来い、と週に二度も三度も呼び出されたな」
ユリ・ゲラーとの食事
中江の手配でユリ・ゲラーが来日した際には、笹川会長の希望で、ユリを連れて一緒に食事をすることになった。場所は、船舶振興会のレストランにあった会長専用の特別室。笹川会長はユリに、「沈没船ナヒモフ号のことだが、あの船の金塊はどこにあるのか」などと聞いていたそうだ。
食事の最中、ユリがいきなり太いナイフをつかんで笹川会長の目の前に突き出した。するとナイフをこすりもしていないのに、柄の根元からポキンと折れてしまった。あたかもハンダが溶け落ちるかのようだったという。
「刃が落ちた時の、笹川会長の顔が一瞬固まって、いったい何が起きたんだ? という驚きの表情が忘れられないよ。ユリに『何で折れたんだ?』と聞くと、『分子が離れて違う世界に飛んでいったから』だってさ。何を言っているのか理解できなかったね。『スプーンだけでなく、テレビでも今のナイフを折るのをやればいいじゃないか』というと、『テレビでは精神が集中できないからダメだ』と言ってたね」
バラ撒かれるカネ、狂いだす収支勘定
中江の名が政財界に広く知られるきっかけは、やがては“オヤジ”と呼ぶまでに慕ったテレビ朝日専務の三浦甲子二(きねじ)の存在だった。三浦を介して毎晩のように政財界人の会合に呼び出され、名が知られるようになっていく。先述のように、最初こそ「農協遊びの若造」と怒鳴られたが、互いにさっぱりした性格でよく気が合ったという。
中江がいつものように「川崎」で自分の客を接待している。そこへ三浦から「すぐ来い」と呼び出しがかかり、指示された店に行くと、たいてい政治家や官僚、財界人らの会合が終わった直後で、その場で中江を紹介してくれたという。
「オヤジには毎日のように色々な会合に呼んでもらったな。田中先生のいる会合の時もあったし、当時の政党幹部のほとんどと顔を合わせているはず。それまで自民党の副幹事長という人が何人もいるとは知らなかったよ」
ある時呼び出された席に、交友関係の広さで「財界幹事長」と呼ばれた今里広記・経済同友会終身幹事がいた。ヨレヨレの背広に長髪、髭面は中江のトレードマークみたいなものだったが、今里には「髭を剃れ、髭を生やしているやつは信用できない、詐欺師だと角栄が言っているぞ」と言われたこともあった。
1982(昭和57)年、鈴木善幸の突然の退陣を受けて、中曽根が総理の座に就く。「直角内閣」「田中曽根内閣」と揶揄された田中の影響力が強い政権に追い討ちをかけるように83年10月、田中に実刑判決が下された。判決直後の12月の総選挙で自民党は敗北を喫し、中曽根は新自由クラブとの連立でかろうじて政権を維持したが、84年10月の総裁任期満了に伴う中曽根再選をめぐって、田中派と反田中派の駆け引きが活発化していった。
「あの頃、オヤジが色々な会合に顔を出していたのは、親しかった田中先生のために他の派閥の政治家の動きを探っていたのかもしれないな。オヤジはテレ朝近くの金谷マンションに自分の部屋を持っていたから、赤坂の会合後は毎日のように僕の車で送って行った。それからオヤジの部屋で話すことも少なくなかったけど、表社会の裏の部分をよく知っていて、清濁併せ呑む人だったよね」
そんな状況下で、中江はある有名な予言者を日本に招待した。もともと超能力というものに興味があったこともあり、ユリ・ゲラーに次いで来日させたのが、ケネディ暗殺予言で有名になった予言者ジーン・ディクソン女史だった。表向きは日本テレビの番組出演だったが、滞在諸経費はまたも中江が出していた。
来日に際しては、赤坂の料亭「佳境亭」で青年会議所の経営者を集めて食事会が開かれた。その会に出席していた三浦が、ジーンに「中曽根政権はどうなりますか?」と聞くと、彼女は「案外、長く続きます」と返答。それを聞いた三浦は喜び勇んで田中に電話で伝え、「中曽根は続くと言っている、すぐに彼女を会わせるから」と言って、その場からジーンを連れて行ってしまったそうだ。
「オヤジや田中先生は中曽根を続投させるかどうか思案していた時だったから、予言者の言葉がよほど嬉しかったんだろうね。実際、続投でそれから中曽根政権は5年続いたから、彼女の予言通りになったわけだ」
名刺代わりに渡していた500万円
永田町に中江の名が知られるようになった頃、中江は名刺代わりに500万円をくれるらしいという噂が広がっていた。それはほぼ事実だったという。
「オヤジに紹介された政治家に金を差し出すことはなかったし、そんなことしたら怒られるよ。むしろオヤジとは関係のない、若手政治家がよく来るようになったね。
兜町の事務所に訪ねてくると、その場で500万円を渡した。現金で渡すと、みんな驚いて目を剥くのが面白かったんだ。ホテルのレストランで会うこともあったし、封筒に入れて渡したり、目の前で札束を並べてみせたりもした。当時はそんな金ぐらい、相場で100万株を買い増せばいい、どうってことないことだったんだ。
訪ねてくる理由は、選挙に出るのでご支援よろしくお願いします、というのが多かった。色々な政治家が挨拶に来たけど、事件になってからは誰からも何の連絡もない。政治家なんてろくなもんじゃない、つくづくそう思ったよ」
10倍融資の金融業は“白に近い黒”
そうやって名刺代わりに配った総額は「10億円はある」というから、累計200人くらいの政治家に配っていたことになる。そうした名刺代わりの札束から、遊興までを含めた中江の資金力を支えた「10倍融資」、そのスタートからの約2年間が「投資ジャーナル」にとってのピークだったことになる。
「何度でも言うけど、10倍融資の金融業は“白に近い黒”、証取法違反になる前に止めようと何度も思ってはいたのにズルズルいってしまい、止められなかった。
甘かった見通し
あの頃はいつもその日の儲けを見て、どんぶり勘定で計算していた。ところが、客の預かり金と儲け分をざっと計算してみると、預かり金すべてを返金しても5億くらいのプラスと見ていたのが、経理の報告を見ると儲けがやけに少ない。悪くてもプラマイゼロになってないといけないのに、預かり金より10億ほどもマイナスになっているので、プラスにするまで止められないと思っていた。おかしいなと思ったんだ。実は幹部連中がちょろまかして抜いてたんだよ」
会員は増え続け、資金もふんだんに集まってはいたが、中江自身が終始、内心ではビクビクものだった。
「会員が3万人はいて、金融業を始めてからは毎月2億円の宣伝費をかけて広告もバンバン打っていた。心の中では半分危ないと思いながら、政治家とつながっておけば当局の動きを抑えられるだろうと思っていた。だけど逆だったよ。政治家とつながっていたから余計に大きな事件になってしまった……」
相場の読みにかけてはプロでも、前途の暗転まで見通すことはできなかったのだ。
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(比嘉 満広)

米中対立「日本が最前線」 麻生副総理

麻生太郎副総理兼財務相は25日の麻生派会合で、深刻化する米中対立を巡り「米ソ冷戦時のフロントライン(最前線)は欧州だったが、米中となった場合はアジア、日本だ。その覚悟がなければ、私たちは政治家として対応を間違える」と述べた。
バイデン米大統領が対面で会う初めての首脳が菅義偉首相となったことに触れ「今まで以上に目に見える形で、日本の外交的な地位が格段に上がった」とも語った。

近大教授が3200万円不正か=医療品会社の請求書偽造、私物購入疑い

近畿大(大阪府東大阪市)は25日、医学部法医学教室の男性教授(66)が、医療用機器販売会社(大阪市)名義の請求書や領収書を偽造し、近大から少なくとも約3200万円を不正に受領した疑いがあると発表した。2017~20年度の75件で不正が疑われるという。近大は府警への刑事告訴を検討している。
近大によると、教授が「立て替え払いした」として大学に提出した販売会社名義の請求書や領収書に、偽造された同社の社印が押されるなどしていた。
販売会社の50代の元社員は近大の調査に「教授の指示で社印を偽造した」などと説明。納入していない医療用品の代金領収書のほか、ゴルフ用品や冷蔵庫など、教授の私物を購入したのに、医療用品を納入したように見せ掛けた偽の請求書を教授に渡したことも認めた。同社には11年以降、教授の私物を購入した記録が残っていたという。
今月末の教授の定年退職を前に経理書類を確認して発覚した。教授は私的利用した携帯電話3台の通話料など計約90万円を近大に請求していたことを認めたが、その他の不正を否定。ゴルフ用品などについては、「サービスの一環と思っていた」と話しているという。
[時事通信社]

退職金不支給取り消し、仙台地裁 免職でも「35年の貢献」踏まえ

仙台市を懲戒免職となり、退職金計約1900万円が全額支払われなかった元職員の60代男性が不支給処分の取り消しを求めた訴訟で、仙台地裁は25日、処分を取り消す判決を言い渡した。村主隆行裁判長は判決理由で「35年間の勤続を通じて市政に貢献した」とし「全額不支給とするのは社会観念上著しく妥当性を欠き、重すぎる」と指摘した。
仙台市は「内容を精査して対応したい」とコメントした。
判決によると、男性は若林区役所で係長を務めていた2012年4月~15年3月、申請できなかった残業時間を出勤していない休日に付け替えるなどして、不正に約57万円の手当を受け取った。

作業場で爆発、49歳男性死亡 東京・大田の化学装置メーカー

25日午後4時45分ごろ、東京都大田区久が原2の化学装置メーカー「日本テクノ」で爆発が起きた。警視庁池上署によると、同社社員の神山政幸さん(49)=武蔵村山市大南3=が病院に搬送されたが間もなく死亡し、80代の男性社員がけがをした。
同署は、5階建てビル1階の同社作業場で爆発が起きたとみて詳しい原因を調べている。有毒ガスなどの発生はないという。
現場は都営浅草線西馬込駅の南西約900メートルの住宅や工場が建ち並ぶ一角。近くに住む自営業の男性(44)は「ボーンという大きな爆発音が聞こえて、自分のいた建物が大きく揺れて驚いた。現場の会社を見に行くと、1階作業場の鉄製扉が吹っ飛び、煙が上がっていた」と話した。【最上和喜、柿崎誠】