安倍元総理銃撃事件をきっかけに明らかになった自民党と旧統一教会との癒着。その原点はどこにあったのでしょうか? 1959年に統一教会が日本に進出して以降の岸一族との知られざる関係を、教団側の現役幹部がテレビの前で初めて証言しました。
教団側の現役幹部が初証言「関係がなかったなんて、言えないと思う」
朝日新聞が2024年9月、安倍晋三元総理と統一教会の会長らが2013年の参院選直前に自民党本部で面会していたことを報じました。
この場に同席していた教団の政治団体「国際勝共連合」の渡邊芳雄(わたなべ・よしお)副会長。
国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「(朝日新聞の写真を指さして)こちらです。一番端っこです」
初めて取材に応じた理由は「これまでの報道は一方的だ。教団側と自民党の関係、その真実を知ってほしい」というものでした。
国際勝共連合 渡邊副会長 「2013年の参議院議員選挙において、全国比例で特定の候補・北村経夫さん。この人を応援しようという動きになりました。それを(安倍元総理に)説明しに行ったと思います」
Q.安倍元総理はどういう反応を 「うれしいと言いましょうか、合意の言葉があったと思います」
けれど自民党は、一貫して「教団との組織的な関係はなかった」と主張してきたはず。
国際勝共連合 渡邊副会長 「『今まで組織的なつながりを持ったことがない』なんて言えないと思いますよ」
きっかけは今から60年ほど前。
(山梨県の)本栖湖の湖畔で、統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏と右翼のドンと云われた笹川良一(ささかわ・りょういち)氏が、ある合意に至ったのです。
笹川氏は、“戦後を代表する政財界のフィクサー”の異名を持ち、全国モーターボート競争会連合会の会長でもありました。
会場になったボートレーサーの養成施設は今も当時のまま。そこに招かれた文氏は、笹川氏の協力のもと「国際勝共連合」を立ち上げることを決めたのです。
笹川氏がメディアから“タブー視”されていたこともあり、統一教会との関係はほとんど報じられませんでした。
朝鮮半島を分断した戦争の記憶もまだ生々しい時期。統一教会が韓国で創立された背景には、共産主義勢力への対抗という側面もあったのです。
本栖湖での会談から遡ること8年、教団は日本に進出。
その後すぐ、笹川氏の人脈を介して反共思想の持ち主・岸信介氏に接近します。
以来、娘婿(安倍晋太郎氏)から孫の安倍晋三氏へ。関係は、あの銃撃事件によって注目されるまで、ベールに包まれていたのです。
半世紀あまりの三代にわたる、政治家一家と統一教会の絆を紐解きます。
岸・安倍三代と統一教会 “組織的関係の原点”
岸信介氏の総理就任は1957年でした。TBSには、在任中の元総理を追った貴重な映像が残っています。そこには、孫の安倍晋三氏(当時3歳)も。
岸信介元総理 「僕は?僕はいくつだ?」 「特に弟(晋三氏)の方が乱暴者で。おい、じっとしなきゃダメだ。あそこでうつりますよ」
娘婿の安倍晋太郎氏と晋三氏が遊んでいるのは、渋谷区南平台にあった岸氏の邸宅です。
この時期、日本の領域内で日米の共同防衛を可能にすることを目指していた岸元総理。1960年には日米安保条約の改定に取り組みました。
これに反発した人々は大規模なデモで「安保反対」を叫びます。デモ隊は、岸元総理の邸宅にも押し寄せました。
当時の報道 「『岸を倒せ』のデモの声が毎日毎日、南平台に続きました」
反共を掲げる岸元総理は、デモを主導する左翼の人々への嫌悪を回顧録に綴っています。
岸信介著「岸信介回顧録 保守合同と安保改定」より 「共産党員というものは、人間の誠実さとか善意の通用しない、我々の頭の中にある“人間”には当てはまらない連中だと思っていた」
新安保条約が成立すると、岸内閣は退陣。岸氏は南平台に二軒並んでいた邸宅のひとつを手放します。
そこに1964年に移転してきたのが、統一教会の日本本部でした。
岸氏や孫の晋三氏らが遊んでいた、あの庭で信者がランニングや体操にいそしむ姿がありました。
その後、急速に接近した教祖・文鮮明氏と岸氏。2人の間をなぜ、笹川氏が取り持つことができたのでしょうか。
笹川氏と岸氏は戦後、A級戦犯の容疑で、ともにスガモプリズンに収監されていました。それ以来、親交があったのです。
国際勝共連合の渡邊副会長によれば笹川氏は岸元総理に、こう語ったと言います。
国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「『是非、見守っていてもらいたい。あるいは時には協力してもらいたい』と笹川先生から(岸元総理に)言われたということがあって、それで岸先生が南平台の教会の本部を訪ねるようになったというのが最初です」
勝共連合の勝共とは、共産主義に打ち勝つこと。統一教会は1960年代半ばから、「勝共運動」を世界に広め始めます。
文氏が日本での拠点を作るべく、笹川氏と会合を持ったのが、あの本栖湖の施設でした。
いまもそのままに残る、第3特別室。笹川氏と文氏が日本における勝共運動の推進を誓ったのがまさにこの部屋でした。
教団側に残されていた写真からは、笹川氏や岸氏が積極的に活動に参加していたことが見て取れます。
1970年には、韓国が中心となって世界のさまざまな反共団体を組織した世界反共連盟・WACL(ワクル)の大会が日本武道館で開かれました。これを取り仕切ったのも勝共連合です。
国際勝共連合YouTubeより 「WACL大会総裁・笹川良一氏が津波のような拍手とともに登壇」
笹川良一氏 「我々は世界をいでとし、人類すべてを兄弟と考えておるものであります」
演説を目の当たりにした統一教会元幹部の記憶は、いまも鮮やかです。
元アメリカ統一教会 幹部 アレン・ウッドさん 「笹川氏は胸を叩きながら『私は文氏の犬だ』と言った。驚くべき言葉でした」
宗教団体の票を頼るようになった背景は? 大きな転機は「京都府知事選」
教団が掲げる反共の理念に賛同の意を表明した政治家に福田赳夫氏がいます。
福田赳夫大蔵大臣(当時) 「アジアに偉大なる指導者あらわる、その名は文鮮明ということである」
福田氏や安倍晋太郎氏の番記者だった政治ジャーナリスト・秋山光人さんは、福田氏が総裁選で、田中角栄氏に敗北を喫したことが宗教団体の票を頼るようになった背景にあると指摘します。
政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「非常な金権選挙があって、集票マシーンである建設業界というのはほとんど旧田中派になびいていた。だから福田さんの政権になるまでは、ずっと冷や飯を食っていて、厳しい立場に清和会(福田派)の人は置かれていたわけですね」
Q.清和会(福田派)の議員にとっては何でも票は欲しかった? 「それは昔から今までそうじゃないですか」
統一教会の大きな転機は、1978年の京都府知事選でした。
政治家の信頼を勝ち取るべく、勝共連合が選挙支援に乗り出したのです。
28年続いていた共産党の地盤に全国の信者が集結。自民党が推薦する候補を応援しました。信者は、共産党を攻撃するビラを大量にまいたのです。
その結果、共産党候補は落選。勝共連合の組織力・集票力が政界に知れ渡ります。
彼らが爆発的な力を見せたのが、1986年の衆参ダブル選挙でした。
国際勝共連合 渡邊副会長 「中曽根政権のときの衆参ダブル選挙のときが圧倒的だったので。(選挙前に)中曽根先生とお会いし、あるいは安倍晋太郎先生とお会いして、どういうふうな選挙応援をするかというのは協議し合って動いた形ですね」
自民党と勝共連合は支援する候補者や手法まで協議していたといいます。
衆議院で300議席を獲得し、自民党圧勝に終わった選挙。
勝共連合は支援で130人を当選させたと機関誌で喧伝。政界とのパイプが新たな信者の獲得にも利用されたのです。
文鮮明氏「文鮮明先生マルスム(御言)選集」より 「(1986年の)選挙当時に日本の金で60億円以上使った。統一教会は恐ろしいです。(信者が)40人いれば1人当選させることができます」
安倍晋太郎氏、落選を経験 より一層教団側と接近へ 選挙支援のお礼を述べたことも
1986年、統一教会と自民党の関係はさらに深まります。岸・福田両元総理に連なる派閥の会長に安倍晋太郎氏が立ち、ここに安倍派が生まれました。
安倍晋太郎外務大臣(当時・1986年7月の清和会総会) 「福田精神を、福田スピリットをしっかりと継承いたしまして…」
教団側とのパイプも晋太郎氏に引き継がれます。
1958年に初当選した晋太郎氏には、落選の経験が一度だけありました。その落胆ぶりを知るのは安倍家と近しい、元共同通信の野上忠興(ただおき)さんです。
元共同通信・野上忠興さん 「自宅に戻ってきたときに、家族全員集めて土下座して『こんなことになった』と『申し訳ない』と泣きながら頭を下げた。後に私にも言っていましたけれども、あれで『俺は人が変わった』と」
1987年に行われた総裁選では、竹下登氏と宮澤喜一氏と争いましたが…
記者 「竹下!竹下!竹下!決まった決まった!」
現職の総裁が次期総裁を指名する“中曽根裁定”で政権は竹下氏に。
安倍晋太郎氏 「いや、ほんとにさっぱりしましたよ。やるべきことはやった、ベストを尽くした」
しかし、胸中には期するものがあったようです。
元共同通信・野上さん 「(衆院選挙で)1回落ちたのが結果的にこういうことになったのかなと。(その後)『やっぱり数だ』と猛烈に動き出すわけですよね。入院中、胆汁を吸い取る管をつけながら全国を回って、二十何人も新人を当選させたりして、数を増やすわけですけどね」
身をもって選挙の厳しさを感じた晋太郎氏は、より一層、教団側と接近していったのです。
勝共連合の会合で、選挙支援のお礼を堂々と述べています。
自民党 安倍晋太郎幹事長(当時) 「日本のために、そして共産主義を排除して、自由主義・民主主義を確立していくために、(勝共連合のみなさんが)働いていただいておる姿は我々いつも感銘を持って、感謝を持って受け止めておるわけです」
晋太郎氏が世を去るとパイプ消滅のように見えたが…祖父の遺志を受け継ぎ、晋三氏へ
ところが1990年代に入り合同結婚式の異様さや霊感商法の悪質な実態が報じられ社会問題化しました。議員の殆どは表面上、教団と距離を置くようになります。
1991年に晋太郎氏が世を去ると、岸元総理から続いたパイプも消滅するかに見えましたが…
安倍晋三氏 「志半ばで倒れました父・安倍晋太郎の意志を受け継いで、立候補いたしました」
父の死から2年、地盤を引き継いだ晋三氏が初当選します。晋三氏の胸には、安保反対の声と戦い、新安保条約の締結を成し遂げた祖父の姿が焼き付いていました。
著書にも綴られた言葉。
「美しい国へ」安倍晋三著 「世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らのほうではないか」
高校時代は、安保に反対する教師に対して毅然と胸を張ったことも…
安倍晋三官房長官(2006年) 「祖父が安保改定の張本人だったものですから、安保について肯定的な意見を何回か述べたことがあります。先生はじめ、皆さん黙ったんですね。そのときに反対している人たちも、こんなもんなんだなと思ったのを思い出しました」
保守を貫いた祖父を敬い、数の正義を信じた父に学んだ晋三氏。教団側との関係を引き継ぐのは当然の成り行きでした。
官房長官時代、教団関連団体のイベントに祝電を送った記録も残っています。
教団関連団体のイベント 司会者 「岸信介元総理大臣のお孫様でいらっしゃり、現内閣官房長官、衆議院議員の安倍晋三様」
2006年に総理に就任しましたが体調を崩し、1年で退陣。けれど5年後に返り咲きます。
安倍晋三総理(TBSラジオ「政策情報 官邸発」より) 「私の祖父の岸信介もよく晩年、『もう一回総理大臣やったら俺はもっとうまくやるけどね』と言っていたんですね。今こそ私は身を捨てて、もう一度挑戦すべきではないかという決意をしたのが、大体おととし(2011年)の終わり頃くらいでしょうかね」
祖父の遺志を受け継ぐ覚悟でした。そして最初の参院選に向け、統一教会幹部との面会で選挙支援について話し合ったのです。
2013年、統一教会からの選挙支援を確認したという安倍元総理。総理就任後、初の参院選でした。
政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「本当に選挙は大好きな人だったですね。第2次安倍政権が戦後史上で最長の政権だったわけですけど、その秘訣というのは、やはり選挙に勝ったことですね。常に勝ち続けると」
飽くなき執念があったと言います。
政治ジャーナリスト 秋山さん 「もっとすごいのは、彼(晋三氏)は3期目も視野に入れていたと思いますよ。あんまり人には言ってないけど彼は。漏れ聞いたことありますね」
自民党は関係断裂宣言 一方で連合副会長は「断絶宣言を解除してもらいたい」
統一教会と、岸・安倍三代の半世紀をこえる結びつき。その延長に描いた晋三氏の野望。それを阻んだのが教団関連団体のイベントで流された映像です。
安倍晋三元総理(2021年9月) 「韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁をはじめ、皆様に敬意を表します」
教祖・文鮮明氏の妻にして教団のトップ、韓鶴子氏を称える安倍元総理の言葉が、信者の息子・山上徹也被告を、凶行に駆り立てました。
2022年7月8日、安倍元総理が銃撃されたのです。
事件をきっかけに、初めて大手メディアは教団と政治家との結びつきを取材し、批判的に報道。長年にわたり、教団からの支援を受けてきた自民党は、ついに彼らとの関係断絶を宣言しました。
国際勝共連合 渡邊副会長 「相当の覚悟を固めなければいけないと思いましたし、涙が出ましたね。そういう理不尽さみたいなものがこらえきれないというのはありました。早く“関係断絶宣言”を解除してもらいたいなという思いは常に持っています」
解散命令は出されるのか。一方で、支援を受けた政治家たちは、貝のように沈黙したままです。
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年の瀬「せめて1食くらいは力に」 生活困窮者にパンなど配布 福岡
毎週日曜日に天神中央公園(福岡市中央区)で路上生活者らに食料品を配布しているNPO法人「エンジェルアシスト福岡自立支援協会」(同区)は29日、今年最後の活動を行った。生活困窮者ら約70人がパンやカップ麺などを受け取り、「ありがとうございます」などと支援者らに感謝していた。
天神中央公園では午後2時の配布前、寒空の下、帽子や上着、マスクを身につけるなどした路上生活者らが行列を作っていた。午後2時になり、支援者たちから「良いお年をお迎えください」と声をかけられ、スキムミルクや豆、ミカンなどを受け取った。生活が困窮しているという男性(66)は、「ありがたい。年末年始は炊き出しのある公園に行くつもり」と話していた。
同法人は2010年に設立され、天神中央公園では10年以上配布活動してきた。今年最後の活動を見届けた男性理事(60)によると、通常は約100人が列を作り、以前に比べて困窮者が増えたという。男性理事は「生活全ての面倒を見ることはできないが、1食くらいは力になりたい。必要な支援で今後も続けていきたい」と話した。【山口響】
警察語る特殊詐欺で約4200万円だまし取られる 「あなたの逮捕状が出ている」 三重・松阪市
三重県松阪市の男性が警察などを語る男らに現金約4200万円をだまし取られました。
今月18日、松阪市の50代の男性に「あなたの逮捕状が出ている」などと警察を語る男らからうその電話がありました。 男性は身に覚えがなかったものの、保釈金として約600万円を指定された口座に振り込みました。 その後も要求は続き、男性は今月27日までに17回にわたり、あわせて約4200万円を振り込んで、だまし取られたということです。 今月28日、男らと連絡が取れなくなったことを不審に思った男性が家族に相談し、詐欺と発覚しました。 男らは男性を信じ込ませるために、うその捜査資料の写真を送っていて、警察は詐欺事件として調べています。
所沢マンション殺人、中国籍の女を不法残留容疑で逮捕…現場の部屋の住人か
埼玉県所沢市のマンション一室で26日夜に発生した殺人事件で、県警が29日、何らかの事情を知っているとみられる中国籍で30歳代の女を、入管難民法違反(不法残留)容疑で逮捕したことが捜査関係者への取材でわかった。女は同日午前に福井市内で確保された。現場の状況などから、この女が事件の起きた部屋に住んでいた可能性があり、県警は調べを進める。
殺害されたのは茨城県ひたちなか市の会社員男性(25)。男性は26日午後9時40分頃、所沢市東住吉の4階建てマンション1階の出入り口付近で、血を流して倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。
県警は、男性が午後9時30分にマンションに入り、10分ほどの間に3階の一室で事件に巻き込まれたとみている。近くの防犯カメラに、この前後の時間帯にマンションから立ち去る女の姿が映っており、県警が行方を追っていた。
警察官が駆けつけた際、この部屋は施錠されていて、室内からはナイフ1本が見つかった。
財布の中に所持金1円 ホテルに無銭滞在した疑いで無職の男(24)逮捕
27日午後、福岡県鞍手町で代金を支払うことができないにもかかわらずホテルで休憩と飲食をしたとして、24歳の無職の男が逮捕されました。男の所持金は1円だったということです。
詐欺の疑いで逮捕されたのは、北九州市八幡西区に住む無職の男(24)です。
男は、代金を支払う意思も能力もないにも関わらず、ホテルで休憩(税込価格5900円)し、コーラやパンケーキなどの飲食(10点・税込価格4640円)をした疑いが持たれています。
警察によりますと、男は27日正午過ぎから部屋を利用し、午後10時を過ぎたところでホテルの従業員から清算を求められ、事件が発覚しました。
当時、男の所持金は1円だったということです。
男は「間違いありません」と容疑を認めているということです。
「給食無償化」年4832億円の財源必要、文科省が推計…「公平性に疑問」「格差是正策として適当でない」指摘
文部科学省は27日、学校給食の無償化を全国一律で実施した場合の課題を公表した。年間約4832億円の財源が必要との推計を示した上で、給食を実施していない学校もあり公平性に疑問があるなど4点を挙げ、無償化に慎重な考えを示した。
同省の調査によると、公立小中学校で給食無償化を独自に実施しているのは、昨年9月時点で722自治体(全体の40%)。無償化の目的は、「子育て支援」や「少子化対策」などだった。
これに対し同省は、無償化を一律実施した場合の課題として、〈1〉給食を提供していない学校などの児童生徒が61万人(全体の6%)おり、公平性に疑問がある〈2〉困窮世帯の給食費は基本的に無償化されており、格差是正策として適当でない〈3〉地方財源で行われている困窮世帯の給食無償化を国費で行うことの妥当性〈4〉少子化対策を目的とした場合、効果の検討が必要――の4点を挙げた。
給食無償化を巡っては、立憲民主党と日本維新の会、国民民主党が23日、来年度から実施する法案を衆院に共同提出している。
“見捨てられた被災地”能登で生きる 震災から1年 復興進まず“集約化”の動きも
能登半島地震からまもなく1年。復興が進まず「見捨てられた被災地」とも言われる能登で生きる決断をした家族を追いました。
震災を生き抜いた被災者を“絵”で励ます画家
今年9月、能登半島地震の被災地で開かれた展覧会。麻布に油絵の具で描かれているのは震災を生き抜いた家族の「笑顔」。愛知県田原市の画家・小林憲明さん(50)は、東日本大震災を機に被災地で生きていく家族の姿を描き続けてきた。
小林憲明さん 「被災しているのに、その中でアクションを起こして切り開いていこうという強さがあって。そういう頑張ってる人たちへの“エール”というか」
地震直後から被災地・能登へ何度も足を運び多くの家族を訪ね歩いた。
小林憲明さん 「絵というものを使っているんですけど、出会った人たちを記録していくような感じ。記録した絵をもとに家族の生き様や思いを伝えていく」
道路や水道などインフラの復旧や街の復興は進まず、崩れた家も手つかずのまま。それでもここに暮らす人々に向き合ってきた。
震災9か月前に東京から能登へ シングルファーザーと2人の息子
輪島市の杉本さん親子。絵のモデルだ。木工職人の父親・豊さん(51)と長男・和音さん(14)、次男・悠樹さん(11)の3人家族。
杉本豊さん 「ちょうど1月1日元日はここの居間に子どもたちと3人でいました。あまりの揺れなので、これだけ傾いてくるし天井は降ってくるし。一瞬死んだかもと思いました」
杉本さん親子が能登に来たのは、震災のわずか9か月前。それまでは東京で暮らしていた。妻と離婚しシングルファーザーになった後、長男の和音さんが中学に上がるタイミングで輪島市への移住を決断。
中心部の商店街に増えていた空き家の一つを買い取り、自宅兼木工品の販売店を構えた。ネット販売などで生活のめどが立ってきた矢先に起きたのがあの地震。
杉本豊さん 「見ていただくと分かるんですけど、隣の家に寄りかかっている。隣の家がなければ命がなかったかもしれないですね」
3か月が経っても公費解体のめどすら立たず、避難所生活が続いていた。
杉本豊さん 「復興はほんとに先長いですね。これだけひどいと。先が見えないぐらいの惨状ですね」
「見放されたと思っている」地元ボランティアの怒り
被災地の家族を描く小林さんにはもう一つの顔がある。それは復興ボランティア。毎月能登へ足を運び野菜や米を届け、炊き出しも行っている。小林さんは公的な支援が乏しい状況を肌で感じていた。
小林憲明さん 「こんなにボランティア頼りでいいのか。僕も渥美半島の先端に暮らしているので、同じように地震が来たら『切り捨てられるのでは』という怖さはある」
小林さんとともに活動している地元のボランティアも憤りを口にする。
能登のボランティア 田谷武博さん 「(国から)見放されてると思っている。1月2日か3日まで重機がちょっと動いてそのまま重機が置き去りになって。公費が入らないので重機が動かない。ダンプも動かないし人員も入ってこない」
今年4月、被災地復興について財務省は異例の提言を行った。
財政制度等審議会 増田寛也会長代理 「能登半島地震からの復旧復興にあたっては、地域の意向を踏まえつつ『集約的な街づくり』やインフラ整備が必要ではないか。事前防災にあたっては、地震が起こる可能性を自分事として『コンパクトシティ』を進めることが必要」
莫大な費用をかけて元通り“復興”させるより都市部への”住民集約”を優先する考え方。実際、若い世代を中心に復興をあきらめ能登を離れる人は増えていた。
能登のボランティア 田谷武博さん 「80歳90歳のじいちゃんばあちゃんが今この町だと7割がそうじゃないかな。働ける人はみんな仕事がないから(都市部へ)二次避難して向こうで働いているから。このまま潰れていくのかどうなのか。そんなところです」
能登に残るか離れるか 杉本さんの選択は…
去年、能登に移住したばかりだった杉本さんと2人の息子。11月、ようやく仮設住宅から引っ越すことに。
新しい家は同じ輪島市内。地震の後、空き家となった物件。杉本さんの選択は家族3人で「能登に住み続ける」ということだった。
地震で全壊した工房も自宅の横に再建。かかった費用は500万円。震災から1年が経とうとしている中、周囲の家は修復も解体もされず放置されたまま。移住で能登から出て行く人は増えていた。
杉本豊さん 「かなり空き家になっていて、隣も空き家、向こうも空き家」 「子どもたちには選択肢として、『東京に戻る選択もあるよ』と一応尋ねたんですけど、子どもたちは『門前が大好き。ここにずっといたい』という風に2人とも言うので、これはもうここにずっといようと決意しました」
杉本さん親子が守りたい能登の魅力
長男の和音さんが通う門前中学校。過疎化と震災で10年ほど前まで100人を超えていた全校生徒は42人に減った。
杉本さんの長男・和音さん 「こっちの学校は人数が少ないからみんなが仲いい感じ。あっち(東京)の学校だと人数が700人ぐらいいて話したことない人もいっぱいいるけど、ここの学校だと話したことない人はいないかな。未来のことは分からないけど、このあともここに居続けたいと思っています」
そんな杉本さん一家を地域の人も温かく見守っている。
輪島市の住民 「(杉本さん一家が残るのは)やっぱりうれしい。子どもたちが『能登に残りたい』と言ったのが本当にうれしかった。涙が出る」
杉本豊さん 「ここが本当に夕日がきれいで。このために東京から来たみたいなものです。晴れてるなと思ったら『きょう行こうか』とか一緒に子どもたちを連れて見に来ています。地震で海底が隆起してしまって、海があんなに遠くなってしまいましたけど、景色が変わっても夕日は変わらないです」
息子2人と、この能登で。
行政に頼らず能登を復興させようと奔走する元消防士
被災者の笑顔を描き続ける小林さんがこの日訪れたのが、能登町に住む脊戸郁弥さん(34)一家。妻、長男、長女の4人家族だ。
脊戸郁弥さん 「金沢で消防士をしてた時に東日本大震災の現場を見ているので。今回の地震が来た時に『あんな風になる』って思ってしまったんですよ」 「自宅の土台が割れて、2階に行ったら歩いてても駆け足になってしまうぐらい完全に傾いています」
自宅の1階には、インスタント食品やアルファ米、缶詰などたくさんの物資が。自分たちのためではなく、被災地で配るために全国から集めたものだ。行政の支援が行き届かない中、小規模な避難所などに配って回っていた。
脊戸郁弥さん 「こうやって能登が壊れかけているので、復興できるような手助けをしていきたい」
9月の豪雨災害でも、ボランティアチームを作って被災した家の清掃作業を行った。今は能登の未来を守ることに力を尽くしている。
現在は林業が本職の脊戸さん。ボランティアで小学校の裏山を整備し、子どもたちの遊び場を作った。自然豊かなふるさと能登を好きになってほしいという思いからだ。
「子どもたちが誇れる能登に」コンパクトシティには複雑な思いも
生まれも育ちも能登町。自然とともに生きてきた。過疎が進むこの地の復興に合理化を持ち込もうという国の政策には、複雑な思いが。
脊戸郁弥さん 「普通に人が暮らしやすく、今後も継続して生きていくという考えだと都市部に人を集めて『コンパクトシティ』じゃないけど、コミュニティを小さくしてというのがいいのかなって思うんですけど。能登の人々は文化を大切にしてきた、伝統を重んじて生きてきたので」
画家の小林さんは展示を終えた絵をモデルの家族に寄贈している。
脊戸郁弥さん 「こんな絵を描いてもらったのは初めて。いい記念になった」
4人だった家族は今5人に。11月に生まれた次男の琉禅くん。
脊戸郁弥さん 「この子たちが能登で育ったんだよって誇りを持てるような能登を作っていきたいと思います」
5人でこの土地で生きていく。
CBCテレビ「チャント!スペシャル 報道のチカラ2024」12月27日放送より
明日にかけて日本海側は大雪や吹雪に警戒 帰省ラッシュに影響も
日本付近は明日29日(日)頃まで冬型の気圧配置が続き、日本海側の地域は大雪や吹雪に警戒が必要です。
年末の帰省ラッシュと重なり、日本海側を中心に交通機関に大きく影響するおそれがあります。こまめに最新の情報を確認してください。
さらに50cm以上の積雪増予想 立ち往生に警戒
日本列島周辺は西高東低の冬型の気圧配置が強まっています。上空には寒気が居座り、北日本や北陸山沿いなどでは昨日から大雪となっています。
日本海で北寄りの風と西寄りの風がぶつかることでJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)が形成されていて、北陸付近には活発な雲が次々に流れ込んでいます。特に北陸の山沿いや信越や関東北部山沿いでは、雪が強まりました。
福井県大野市の九頭竜では6時までの3時間に23cmの雪が降り、積雪が急増しました。そのほかでも1時間に5cm前後の強い降り方となったタイミングがあり、6時までの12時間に福島県只見町では31cm、新潟県十日町市では20cmも積雪が増えました。7時48分には岐阜県の一部に大雪警報が発表されました。
JPCZの位置は明日にかけてもほとんど変わらず、同じような場所で雪の強まりやすい状況が続く予想です。局地的には山沿いで1時間に10cm前後の降り方となることも考えられます。29日(日)朝までに北陸山沿いの広い範囲で30cm以上、多いところでは50cm以上も新たに雪が積もるとみています。雪の弱まっているタイミングに、複数人で雪かきや雪下ろしを行うようにしてください。
また、積雪が急増することで、峠道などでスタックすると大規模な交通障害につながります。年末年始の休暇を利用した帰省や旅行などで車を利用する方は、慣れない雪道運転となる可能性があるため、万全の準備を行ったうえで無理な運転を避けるようにしてください。屋根など高所からの落雪にも注意が必要です。
北日本日本海側は吹雪による視界不良に注意
オホーツク海で低気圧が発達し、大陸から高気圧が張り出すことで等圧線が非常に混み合い、北日本を中心に西寄りの風が強くなっています。雪の強まりに加えて、吹雪による視界不良にも注意が必要です。
雪の強まりとともに吹雪によって、高速道路では通行止めが発生してもおかしくありません。また、飛行機の運航についても、遅延や条件付き運航などの影響が出ることも考えられます。
お出かけになる際は、随時最新の天気予報と交通機関の運行情報を確認してください。
写真:ウェザーリポート(ウェザーニュースアプリからの投稿)
「性行為強要」の釈明会見に妻同席の岸和田市長は”母に助けを求める子供”。妻の発言にも違和感があるワケ
<亀山早苗の恋愛時評> 次々と報道される有名人の結婚離婚。その背景にある心理や世相とは? 夫婦関係を長年取材し『夫の不倫がどうしても許せない女たち』(朝日新聞出版)など著書多数の亀山早苗さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿) ◆「性行為強要」で訴えられた岸和田市長 大阪府岸和田市の永野耕平市長(46)が、23日、「不倫釈明会見」をおこなった。とはいえ、これはある女性からの提訴を受け、民事裁判で「和解」が成立したことを報告したものだ。 女性は2019年から1年半の間に、永野市長から何度も性行為を強要され、PTSDを発症して提訴に至った。最終的に500万円で和解したが、女性は和解などしたくはなかった、さらなる闘いに挑むには心身ともにぼろぼろだった、自ら命を絶つしかないとまで追い詰められた、悔しいとコメントを発表している。 それに対して市長は、「性被害という事実はございません。僕は自分に非があるとは思っていません」と述べた。 非があると思っていないなら、なぜ500万円を払ったのか、性被害はなかったというならなぜ相手を名誉毀損等で訴えないのか。市長への疑問は募る。 密室のことは他人にはわからない。女性は泣きながら拒絶したのに精神的暴力で抑えつけられた、異常な執着をされたと言う。ところが市長は「同意のもとだった」と言うのだから、真実はどこにあるのか判断しづらい。 ただ、前述したように同意のもとであるなら、市長は相手が嘘をついていると糾弾すればいいのに、それをしようとはしない。 ◆夫の釈明会見に妻が同席……信頼なのか使命なのか 驚かされたのは、この会見、途中から市長の妻が同席したことだ。楚々(そそ)としたタイプだが意志の強そうな女性ではある。 市長は「なぜ妻が同席したかというと、この事件は当初から夫婦で対応してきたから」だと語った。隣にいる妻は、夫と目を合わせることはなく、小声ながら、「事実じゃない報道ばかりでしたから。性被害はまったくないと思っていましたから」ときっぱりと言った。 第三者には判断できない「性加害の有無」を、なぜ妻はキッパリ否定できるのだろう。夫の言葉を鵜呑(うの)みにして信頼しているから? あるいは夫の立場を守るのが妻の宿命だから? もし性被害があったとするなら、妻の言い分はセカンドレイプに近いことになる。 そもそもなぜ、こんな会見に出てきたのか。夫のしたことは夫が自分ひとりで責任をとればいい。なのに夫に頼まれたのか、自ら夫の正義を証明しようとしたのか(前者に見えてはいたが)、公の記者会見に出てきた意図がわからない。全国に顔をさらしてまで、夫の性加害はなかったと訴える必要があったのかどうか。
大型トラックが酒気帯び運転か、はねられ男性死亡 大阪・堺
27日午後8時45分ごろ、堺市西区の交差点で青信号で横断歩道を渡っていた自転車が、右折してきた大型トラックにはねられた。大阪府警西堺署によると、自転車を運転していた会社員男性(24)は病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。
トラックの運転手の呼気からは基準値以上のアルコールが検出され、同署は自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで、運転手の落合登容疑者(60)を現行犯逮捕。容疑を過失致死に切り替え、詳しい状況を調べている。
落合容疑者は「自転車とぶつかり、事故を起こしたことに気が付いた」と容疑を認めている。