連日のように猛暑が続く中、東京都千代田区の東京メトロ霞ケ関駅と日比谷駅の冷房が故障し、復旧が8月下旬までかかる恐れが出ている。原因は2駅を含む地域一帯に冷暖房を供給する事業者の設備が故障したため。事業者は他の供給先では異常はないと説明し、復旧を急ぐとしている。
東京メトロによると、2駅は7月10日にコンコースの冷房が停止し、同20日には駅全体に広がった。復旧のめどは8月下旬としていて、霞ケ関駅構内の喫茶店が同23日までの休業を発表するなどの影響が出ている。
冷房を供給している「丸の内熱供給」(千代田区)によると、地中にある冷水を流す配管の損傷が原因。
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中国船が尖閣周辺の領海に侵入 今年21日目
2日午前0時50分ごろから、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国海警局の船2隻が相次いで侵入した。中国当局の船が尖閣周辺で領海侵入したのは7月9日以来で、今年21日目。
第11管区海上保安本部(那覇)によると、いずれも機関砲を搭載。独自の主張をしながら日本漁船に近づこうとしており、領海から出るよう巡視船が要求した。領海外側の接続水域では機関砲を搭載した別の中国船2隻も確認された。
尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは257日連続。日本政府による2012年9月の尖閣諸島国有化後、最長の連続日数を更新した。
東京や大阪など35都府県に熱中症警戒アラート 2日(土)も危険な暑さに
今日8月2日(土)、環境省と気象庁は熱中症警戒アラートを東北や北陸、関東以西の35都府県に発表しました。
対象地域では特に熱中症のリスクが高くなります。こまめな水分補給を心がけるとともに、屋外での長時間の行動を避けて室内でエアコンを使用するなど、積極的に熱中症予防を行ってください。
気温だけでなく暑さ指数も上昇
▼熱中症警戒アラートの発表状況(計37地域)
青森県 秋田県 山形県 栃木県 群馬県 東京都(東京地方、伊豆諸島) 神奈川県 長野県 山梨県 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県 新潟県 富山県 石川県 滋賀県 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 広島県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 山口県 福岡県 大分県 長崎県 佐賀県 熊本県 宮崎県 鹿児島県(奄美地方除く) 奄美地方 沖縄本島地方 八重山地方
熱中症警戒アラートの対象地域では、気温だけでなく暑さ指数(WBGT)も高くなり、熱中症のリスクが上昇するところがあります。エアコンをつけたり、こまめな水分補給・塩分補給を行うなどの対策をしっかりと行ってください。十分な睡眠と栄養補給も熱中症予防の基本です。
熱中症警戒アラートとは
熱中症警戒アラートは、予想される暑さ指数(WBGT)に応じて発表される情報で、以前発表されていた高温注意情報を置き換えたものです。2021年から全国で本運用が始まりました。
環境省と気象庁は、暑さ指数が「危険」ランクの中でもさらに重要度の高い暑さ(WBGT:33以上)が予想される場合に「熱中症警戒アラート」を発表することを決めています。
暑さ指数(WBGT)とは
暑さ指数(WBGT)は国際的に用いられる指標で、人体と外気との熱のやりとり(熱収支)に着目し、気温、湿度、日射・ 輻射、風の要素から算出されます。
熱中症患者発生率との相関が気温よりも良好で、暑さ指数が「厳重警戒」ランク以上だと熱中症患者が著しく増加することがわかっています。また、暑さ指数が「危険」ランクの場合は運動は原則中止すべきとされています。
環境省からのメッセージ
熱中症警戒情報対象地域の皆様へ
○熱中症警戒アラートが発表された地域において、気温が著しく高くなることにより熱中症による人の健康に係る被害が生ずるおそれがあるので、他人事と考えず、暑さから、自分の身を守りましょう!!
○まずは、室内等のエアコン等により涼しい環境にて過ごしましょう。
○その上で、こまめな休憩や水分補給・塩分補給をしましょう。
○高齢者、乳幼児等の方は熱中症にかかりやすいので特に注意し、周囲の方も声かけをしましょう。
○皆で、身近な場所での暑さ指数(WBGT)を確認し、涼しい環境以外では、運動等を中止しましょう(皆で熱中症対策を積極的に取りやすい環境づくりをしましょう。)!!
戦後80年に辿る日本全国の「戦争遺構」 福岡、広島、北海道、渋谷…人々に忘れられつつある悲劇の痕跡が問いかけるもの
戦後80年。戦争の爪痕は、焼野原になった都市や地上戦が行なわれた島だけでなく、全国各地に今も残る。戦争遺跡保存全国ネットワークの幅国洋氏に訊いた。
「数多く残るのが軍関係の庁舎や倉庫。こうした施設は国の史跡に指定されているものも多い。また軍用機の地下工場として、東海・北陸・近畿を中心に相当な数の地下壕が掘削されています」
新たに発見されるものがある一方、放置や都市開発により消滅する遺構のほうが圧倒的に多い。
東京・渋谷の境界標石や高知の前浜掩体群、長崎の一本柱鳥居のように、日常風景に溶け込んでいる遺構もある。
戦後80年を迎え、戦争体験者の声を直接聞く機会が少なくなるなか、身近にある遺構から戦争に思いを馳せる意義もあるだろう。
●軍艦防波堤(福岡県北九州市)
海軍艦船の一部は戦後、国内で防波堤に利用された。若松港の港口にある防波堤は、1948(昭和23)年に「冬月」「涼月」「柳(初代)」の3駆逐艦を沈めて造られた。現在は「柳」だけが形状をとどめている。正式名称は響灘沈艦護岸。
●中之院 軍人像(愛知県南知多町)
山間の古刹・天台宗中之院の一角に、コンクリートや石造りの兵士像92体が並ぶ。像の多くは、1937(昭和12)年8月の上海上陸作戦で落命した名古屋第3師団歩兵第6連隊所属の兵士。遺族が慰霊のために遺族一時金を使って写真をもとに制作を依頼した。
●造兵廠忠海兵器製造所跡(広島県竹原市)
瀬戸内海に浮かぶ大久野島では、1929(昭和4)年から終戦まで陸軍が毒ガスを製造していた。工場の電力を賄った発電場では風船爆弾のテストなども行なわれた。毒ガス製造の実態は1984(昭和59)年までほとんど知られていなかった。
●旧広島陸軍被服支廠(広島県広島市)
終戦まで軍服や軍靴などの生産・貯蔵を担った施設。原爆投下の爆心地から2.6kmの距離に位置するも、厚さ60cmの外壁のおかげで倒壊を免れ、被爆者の救護所として使用された。歪んだ鉄扉が原爆の爆風の強さを物語る。国指定重要文化財。
●山王神社の一本柱鳥居(長崎県長崎市)
旧浦上街道沿いに佇む山王神社は、原爆投下の爆心地から約800mに位置する。参道には当時、4基の鳥居があったが、原爆の爆風によって2基が倒壊。二の鳥居は半分が吹き飛ばされたものの一本柱の状態で残り、原爆の悲惨さを今に伝える。
●硫黄島のトーチカ(東京都小笠原村)
1945(昭和20)年2月19日~3月26日、硫黄島では日米軍が死闘を繰り広げ、併せて2万9000人近くが戦死した。日本軍の拠点だった摺鉢山(写真奥)は2月23日、米軍に制圧された。現在、自衛隊が管理する島にはトーチカ(写真)や砲台跡などが残存する。
参院選落選・山尾志桜里氏が明かした“国民民主党への本音”と“国政復帰への強い意欲”「組織としての統治不全は相当深刻だが…」「1人で判断せず、決断していきたい」
〈7月1日の出馬表明から3週間という圧倒的な時間不足。政党・企業・労組などから一切の支援のない完全無所属。脅迫や中傷などが支援者の皆さんまで傷つける場面もあったと思います。それでも濁りなく誇りの持てる選挙戦を作り上げてくれたのはお一人おひとりの『個』の力でした。お一人おひとりの強さと優しさでした〉
7月20日に投開票された参院選で、東京選挙区から無所属で立候補した山尾志桜里氏。同選挙区の改選定数は6だが、今回は非改選の欠員1を補充する合併選挙だったため7人が当選できた。しかし、結果は10万票を得たものの、当選ラインに遠く及ばない16位に終わった。
山尾氏は投開票日翌日の21日に自身のXを更新し、【心からの感謝を込めて】と題した参院選の振り返りを掲載。選挙戦の手応えや関係者への感謝の思いをつづる一方、敗因については冒頭のように「時間不足」や「準備不足」を挙げた。
山尾氏は当初、国民民主党から比例代表で出馬する予定だったが、過去の不倫スキャンダルが再燃し、山尾氏の公認を内定した国民民主党の支持率が急落する“山尾ショック”が起きた。
同氏が参院選への出馬を表明するに至る経過を、全国紙政治部記者はこう説明する。
「山尾氏は自身が起こした“ショック”を収拾しようと6月10日に記者会見を開きましたが、焦点だった不倫スキャンダルを巡り、『今、新たに言葉を紡ぐ、具体的に話をするのはさまざまな人のご事情があるのでご容赦いただきたい』とゼロ回答を貫きました。
会見は大失敗に終わり、さらなる世論の反発を招きました。会見を受けて、国民民主党は『十分な理解と信頼を得られない』として、山尾氏の公認内定を取り消しましたが、党の対応に激怒した山尾氏は同党にすぐさま離党届を提出したのです」
「国政への再挑戦」に燃える山尾氏は結局、全国最多の7枠で、知名度の高さが有利に働く東京選挙区からの出馬を決断したわけだが、果たして勝算はあったのか──。
国民民主党関係者はこう指摘する。
山尾氏の集票力とは
「公認を内定したのにネット世論の反発が大きいからと内定を取り消し、対応が二転三転した党への批判は相当なものでした。山尾氏の記者会見の内容はだいぶ残念な結果でしたが、山尾氏が党からハシゴを外される格好になったのも事実で、一定の“同情票”を集められると踏んで、無所属での立候補に踏み切ったのではないでしょうか」
山尾氏の得票数については、政党の支援もないことから「せいぜい数万票」(永田町関係者)との見方もあったが、蓋を開けてみると同氏は10万6230票と、10万票以上を獲得した。
「根本的に腐っている」呆れる伊東市民、田久保市長が衝撃の続投宣言に“チラ見せ”以上の怒り
学歴詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長が、7月31日に記者会見を開き、かつて表明していた辞職を撤回すると宣言した。突然の翻意に、世間からは批判の声が相次いでいる。
田久保市長がまさかの“続投”表明
「そもそもの疑惑の発端は6月上旬、“市長の経歴は虚偽”と指摘する投書が市議会に届いたことでした。田久保市長は市の広報誌や選挙資料などに“東洋大学法学部卒”と記していましたが、大学側の回答により除籍処分だったことが判明。
市議会は百条委員会を設置し、卒業証書の提出を求めましたが、市長はこれを拒否しています」(全国紙社会部記者)
この問題を受けて田久保市長は7月7日、市議会で辞職勧告決議が全会一致で可決されたことを受け、辞意を表明。一時は市長選への再出馬の意向も示していた。
7月31日夜に開かれた記者会見で、田久保市長は「市民の皆様には何度お詫びを申し上げてもまだまだお詫びはしきれない」と謝罪したうえで、「“頑張ってほしい。負けないでほしい。最後までやり遂げろ”と。そういった言葉の数々が多く含まれておりました」と、市民からの激励に言及。
さらに、
「改革すべき事柄、それから実に多く山積みする問題。その改革への道はまだ本当に始まったばかりであるということ。そのような大切なことを、改めて市民の皆様の声で強く思い出させていただきました」
と述べ、まさかの“続投”の意向を明らかにした。
田久保市長よ「正気なのか…?」
「会見には、市長の代理人弁護士も同席し、問題の卒業証書について“押収は拒絶する方向”との姿勢を明らかにしました。さらに、仮に強制捜査となった場合でも差し押さえは“許されない行為”とする法的見解を示し、防衛姿勢を強めています。市長はかつて市議会幹部に“卒業証書”を一瞬だけ提示したとされており、内容の確認が困難ないわゆる“チラ見せ”対応だったことから、証拠としての信頼性には疑念が残っています」(前出・全国紙社会部記者)
辞意の撤回とともに、疑惑の確認に対する具体的な説明が示されないまま続投を宣言したことに対し、ネット上では憤りの声が広がっている。
《正気なのか…?》
《自分の課題を一つずつ解決していく意思も能力もない。後は野となれ山となれの無責任人物》
《どれだけ市民を裏切り続ければ気が済むのか?応援の声の何倍も批判の声があるのに耳に入らないのか?》
《責任を取るべき立場の人が責任を取ろうとしない、根本的な部分で腐っていると思います》
《大学卒業も自分で言ったことも何一つやり遂げない》
真相は不透明のまま、市民の不安は続いている――。
【戦後80年】広島で爆心地から460メートルで被爆 孤児となり朝鮮戦争にも遭遇した男性が語る生涯
広島市に投下された原爆の爆心地から、半径500メートル以内で被爆した人で、現在も生存しているのは、ただ1人と言われています。原爆、そして朝鮮戦争にも巻き込まれた男性の壮絶な人生に迫りました。
■被爆者・友田典弘(つねひろ)さん
「(靴を)もう片っぽ脱ごうかっていうところに、ピカ―って光った。」
小学生に被爆体験を語る友田典弘さん(89)は、爆心地から460メートルで被爆しましたが、奇跡的に助かりました。
大阪で暮らす友田さんは、12年前に妻を亡くし、今は一人で生活しています。インコたちが、寂しさを和らげてくれます。
友田さんが歩んできたのは、戦争に翻弄された人生です。実家は、現在の広島市中区大手町で、母と弟の3人で暮らしていました。兄弟は、袋町国民学校に通っていました。8月6日の朝、下駄箱がある地下室に降りた直後でした。
■被爆者・友田典弘さん
「ピカ―っと光って。オレンジ色でピカッーと光って、それで飛ばされて、角で腰を打って。」
爆心地から、わずか460メートル。学校にいた160人の教師と、子どもが亡くなりました。
■被爆者・友田典弘さん
「全部みんな真っ黒けで、歯だけ(白かった)。誰が誰だか分からない。分からないけど弟は、俺を呼びにいこうと思って、ちょっと離れたところで亡くなっていた。足を見たら『トモダ』って書いてあったからね。『ごめん、ごめんね』と言って(立ち去った)。」
自宅は、跡形もありませんでした。母の行方も分かっていません。近くの川は、遺体で埋め尽くされていました。
■被爆者・友田典弘さん
「もう何百人、川がいっぱいやったんよ。遺体で。僕は1人で(川を)見ていたね。『なんだろ』と思って。お母さんはね、家が川に近いから、川で亡くなっていたと思うよ。」
孤児となった友田さんに、手を差しのべてくれたのが、知り合いの朝鮮人男性でした。帰国する男性とともに、朝鮮半島へ渡ります。しかし、男性との生活は長くは続きませんでした。男性の家族から厳しく当たられ、13歳で再び孤児となります。
厳しい寒さの中での路上生活で、足の指先は壊死しました。
■被爆者・友田典弘さん
「真っ黒になって腐ってとれた。凍っていてね。病院には全然行っていない。」
さらに、1950年には朝鮮戦争が勃発し、友田さんがいたソウルが戦場となりました。
■被爆者・友田典弘さん
「弾がピューンピューン飛んでいきよった。目の前をね。」
朝鮮戦争を生き延びた友田さんは、知人の協力もあり、1960年に15年ぶりの帰国がかないました。
帰国から10年後の友田さんは、大阪の鉄工所で働いていました。30歳の頃に結婚し、5人の子どもを授かりました。
■被爆者・友田典弘さん
「宝物やね。家族ね。まさか子どもができると思わなかったから。当時は。(それは原爆にあったから?)そうそう。」
原爆と朝鮮戦争を生き延びた、友田さんの壮絶な体験を伝え残そうとする男性がいます。小学校で非常勤講師を務める、吾郷修司(あごう・しゅうじ)さんです。
■小学校非常勤講師 吾郷修司さん
「友田さんが原爆を受けたところは、すぐ目の前だから、ピカ、ドーンですよ。ピカっと光ったら、すぐドーンときて。」
吾郷さんが友田さんの体験を知ったのは、9年前です。以来、何度も大阪に足を運び、話を聞きとりました。その内容は、本になりました。
■小学校非常勤講師 吾郷修司さん
「(友田さんの)根底のところには、戦争に対する憎しみというか、腹立たしさというか、そういう思いを持って生きていると、何回か話を伺う中で思った。戦争ということに対しては、子どもたちも関心があるし、どこかで怖いという思いがあると思うんですけど、戦争は絶対起きてはいけないというような思いを(子どもたちが)持ってくれたら嬉しいなと。」
6月、友田さんの姿は、故郷・広島にありました。高校の新聞部の依頼で、被爆前後の足取りをたどります。向かったのは、80年前に通っていた袋町小学校です。
当時の校舎の一部が、資料館として残されています。伝えるのは、熱線に焼かれた弟のことです。
■小学校非常勤講師 吾郷修司さん
「弟さんはどの辺りに倒れていた?」
■被爆者・友田典弘さん
「出たらちょうどここね。俺、呼びに行こうと思ったのちゃう?」
■小学校非常勤講師 吾郷修司さん
「多分だけど、弟さんは『お兄ちゃん』と言って、呼びに行こうとしていた。呼びに行こうと、下駄箱の方に向かって引き返すような感じで、来てたのではないかって。」
爆心地から半径500メートル以内にいたほぼすべての人は、一瞬で命を奪われました。広島大学の鎌田名誉教授の調査によると、今も生存するのは、友田さんただ1人ということです。キノコ雲の直下で起きたことを聞けるのは、友田さんしかいません。
■崇徳高校新聞部副部長 洲濵侑さん
「いずれ被爆者がいなくなる世界が訪れる中で、聞けるのはすごい貴重だと思うし、爆心地から近かったこそ語れる体験とか、その本人だから伝えられる言葉があると思うので、それを自分たちが受け取って汲み取って、記事にして伝えていきたいです。」
■被爆者・友田典弘さん
「僕ね、学校4年間しか行ってないから、高校生がうらやましい。(高校生たちには)戦争をしたらアカンしね。戦争に巻き込まれるからね。絶対したらアカンということ(が、伝わっていてほしい)。」
あの日を境に、激動の人生を歩むことになった友田さん。2つの戦争を生き延びた者にしか語ることのできない体験を、次の世代へつないでいきます。
関東 台風が離れた後は猛暑 内陸部では体温超えの暑さに
台風9号(クローサ)は関東から離れつつあり、西から晴れのエリアが拡大しています。天気回復とともに暑さも戻り、内陸部では体温を上回るような危険な暑さになる見込みです。
日差しに加え気温の上がりやすい西風に変化
台風9号(クローサ)は関東の東の海上を北東に進んでいます。台風に近い千葉県や茨城県などで雨が残っている一方、群馬県や東京・多摩など西側のエリアでは日差しが戻ってきました。
台風が離れるに連れて晴れのエリアが拡大し、午後には関東の大部分で夏空となる見込みです。また、昨日まで吹いていた北東の風から西寄りの風に変わり、フェーン現象が発生する地域があります。
日差しとフェーン現象で気温の上昇する所が多く、前橋市では昼前に35℃を突破し、午後は37℃まで上がる予想です。体温を上回るような危険な暑さの所もあるとみられます。東京都心も昨日に比べて5℃高い35℃と、猛暑日の予想となっています。
急激に気温が上昇しますので、しっかりと熱中症対策を行うようにしてください。
「シカも暑かったのかな」 オホーツク海を泳ぐ3頭のシカ目撃 地元漁師も驚きの光景 北海道・納沙布岬
北海道根室市の納沙布岬で2025年7月28日正午すぎ、オホーツク海を泳ぐシカ3頭の姿が目撃されました。
映像を撮影したのは地元のコンブ漁師で、海岸から40~50メートルほどの沖合を泳いでいるのに子どもが気づいたということです。
撮影した漁師の男性は、「15年以上ここに暮らしているが初めて見る光景で驚いた。海水を飲む様子はよく見るが、シカも暑かったのかな」と話していました。
関越道で大型トレーラーと車が事故 1人死亡2人搬送 関越道は4時間通行止め 新潟
新潟県魚沼市の関越道下り線で大型トレーラーと乗用車による事故がありました。3人が病院に搬送され、大型トレーラーの運転手の男性(56)が搬送先の病院で死亡が確認されました。
事故があったのは魚沼市大浦の関越道下り線のトンネル内です。 警察によりますと、2日午前3時40分ごろ、大型トレーラーと乗用車による事故がありました。
この事故で、大型トレーラーを運転していた新潟市西区の会社員の男性(56)が意識不明の重体で病院に搬送され、午前8時50分に死亡が確認されました。また、乗用車を運転していた東京都日野市の会社員の男性(25)と同乗の女性(20代)も病院に搬送されました。けがの詳細は分かっていませんが、搬送時に意識はあったということです。
事故の詳細は分かっておらず、警察が詳しく調べています。
また、事故の影響で関越道下り線は六日町ICから魚沼IC間で午前3時57分から通行止めとなり、午前7時45分に解除されました。