2022年7月に奈良市で参院選の応援演説中だった安倍晋三元首相(当時67歳)が銃撃され死亡した事件は8日、発生から3年を迎えた。現場となった近鉄大和西大寺駅前には有志団体による献花台が設けられ、約1300人が訪れて花を手向けた。銃撃があった午前11時半ごろには黙とうがささげられた。
今年は事件時と同様に、3年に1度の参院選の選挙期間の命日となり、事件を思い出した市民らもいたとみられる。奈良県田原本町の不動産会社社長、上原真二さん(48)は「政治が混乱する現状をみて、安倍さんの存在の大きさを実感し、初めて献花台を訪れた」と語った。
事件は政治家と有権者の距離や、要人警護のあり方にも大きな影響を与えた。奈良市の無職、渡辺孝史さん(63)は「政治家の命が事件で奪われれば、民主主義が揺らぎかねない。今回の参院選は無事に終わってほしい」と話した。
安倍元首相を殺害したとされる山上徹也被告(44)の裁判員裁判は奈良地裁で10月28日に始まることが決まっている。
山上被告は母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に多額の献金をしたことで家庭が崩壊し、教団に恨みを抱くようになったとされる。
現在は大阪拘置所に勾留されているが、弁護人によると、国内外で起きている出来事に通じており、最近では「宗教問題が根にある」として中東情勢に関心を寄せていた。旧統一教会の解散を命じた3月の東京地裁決定を話題にしたこともあったとされる。
奈良県五條市の無職、山本一子さん(74)は「どんな気持ちで事件を起こしたのか、正直に語ってほしい」と述べた。【田辺泰裕、木谷郁佳、松田学、喜多瑞輝】
新燃岳噴火「見通し難しい」=気象庁が注意呼び掛け
気象庁は8日、宮崎、鹿児島両県境にある霧島連山・新燃岳で観測されている一連の噴火について「今後の見通しを説明することは難しい」との見解を示した。新燃岳では6月下旬から火山活動が活発化しており、同庁は噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げて注意を呼び掛けている。
同月22日午後に噴火が観測され、23日の現地調査では火山ガス(二酸化硫黄)の放出量が急増していることが判明。今月3日には噴煙が火口から5000メートルの高さまで上がった。噴火の観測は2018年6月以来、7年ぶりだった。
気象庁によると、産業技術総合研究所などが採取した火山灰を分析したところ、噴火が始まった直後には新しいマグマ物質と考えられる粒子はごくわずかだったが、今月の火山灰にはマグマ物質が3%程度含まれていたという。
同庁は「マグマが関与しない『水蒸気噴火』から、マグマが噴出する『マグマ噴火』に近くなっていると考えられる」と指摘。「もし本格的なマグマ噴火に移行すると、大量の火山灰や溶岩流が想定される。危険な地域には立ち入らないようにしてほしい」としている。 [時事通信社]
天皇陛下、モンゴル語を交えあいさつ…「深い蒼天の季節に」大統領夫妻主催の晩餐会
天皇陛下が8日夜、モンゴルのフレルスフ大統領夫妻主催の晩餐(ばんさん)会で述べられたあいさつの全文は次の通り。
フレルスフ大統領閣下、ボロルツェツェグ夫人、ご列席の皆様、ター・ブフンテェ・ダヒン・オールズスンダー・タータェ・バェン(皆様との再会をうれしく思います)。
この度は、私と皇后を国賓としてお招きくださり、大統領ご夫妻を始めモンゴルの皆様から多大なるご配慮とお心遣いをいただきましたことに、心より御礼申し上げます。3年前、東京で大統領ご夫妻を皇居にお迎えし、その後、モンゴル国立馬頭琴交響楽団の演奏会をご一緒に鑑賞したことは、大変良い思い出となっています。
私は2007年にモンゴルを初めて訪問しましたが、その時の経験は大変印象深く、宝物となっています。また、今回は日本の天皇として初のモンゴル訪問であり、両国の一層の友好関係の増進につながることを願うとともに、国民的祭典であるナーダムの開会式に出席する機会をいただいたことを、大変ありがたく思います。
また、この度、フレルスフ大統領のご発意により、ナーダムの開会式が行われる7月11日が、国連の場において「世界馬の日」となったことは意義深いことと思います。
一昨日に当地に到着しましたが、経済発展等に伴い、前回訪問時よりも更にモンゴル社会全体に力強さを感じるとともに、深い蒼(そう)天の下、競うように草木が芽吹き、美しい花を咲かせると表現される、最も麗しい季節に皇后と共に貴国を訪問できたことをうれしく思っております。
我が国とモンゴルの深い友好・協力関係の基盤となっているのは、人と人とのつながりです。前回訪問の際、私は当時の両国関係が頂点ではないとお話ししました。実際に、例えば2007年のモンゴルから日本への留学生は1100人ほどでしたが、20年弱の間に、4倍以上に増えています。
今回の訪問では、日本で学んだ方々が活躍されている教育・医療施設を訪れる予定であり、次世代を担う若者たちや日本で学び、後進を指導されている方々とも交流できることを、心からうれしく思います。
また、前回訪問時に雨が降った際、モンゴルでは雨が降るのは非常に縁起が良いとの言い習わしがあると聞き、乾燥地帯で暮らす人々にとっての水の大切さを実感しました。
昨日、私は、ウランバートル上下水道公社とガチョールト水源を視察しましたが、両国の人々が協力し、大切な水資源の安定的確保という課題に取り組んでいる姿に、感慨を覚えました。そして、ガチョールト水源は幸い雨の中でした。
人と人とのつながりや思いやりのありがたさを実感するのは、苦しいときであると思います。日本が1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、そして2024年の能登半島地震などの大きな災害に見舞われたとき、モンゴルの人々はすぐさま支援の手を差し伸べてくれました。私たち日本人を勇気付けていただいたモンゴルの方々の温かい気持ちを、私たちは決して忘れません。
今日 ( こんにち ) の両国の深い友好関係と、それに支えられた人材育成、ものづくり、医療、スポーツ、そして環境保護など、多岐にわたる協力関係の発展の基礎には、外交関係樹立以前からの長年にわたる両国の先人たちの交流があるということを忘れてはならないと思います。両国関係の発展に情熱を注ぎ、様々な困難を乗り越え、力を尽くしてこられた全ての方々に深く敬意を表します。
両国間の交流や協力の可能性は、モンゴルの大草原のように、果てしなく広がっています。今後、両国の架け橋となる若い世代が先人たちの歩みを受け継ぎ、広大な土地にまかれた協力の種が多くの花を咲かせてほしいと思います。そして、若い人たちが、その新たな活力を存分に発揮することで、両国関係が、モンゴルの青き大空・テンゲルに向けて更なる高みへとどこまでも発展していくことを願います。
本日のすばらしい宴を催していただいたフレルスフ大統領及びボロルツェツェグ夫人に感謝申し上げるとともに、ここに杯を挙げ、大統領ご夫妻、両国国民のご健勝とご多幸、そして、日・モンゴル関係の一層の発展を心から祈ります。
ザー・ホンダガ・ウルグイー(では、乾杯しましょう)
ター・ブフン・サェハン・ナーダーラェー(ナーダムを楽しみましょう)
ガールズバーの客らに危害加えず 浜松、店長ら女性2人刺殺事件
浜松市でガールズバーの店長ら20代の女性2人が刺殺された事件で、殺人未遂容疑で逮捕された無職山下市郎容疑者(41)=静岡県袋井市=が入店直後に2人を襲った際、店に5人ほどいた客や他の従業員らに危害を加えなかったことが7日、静岡県警への取材で分かった。逃げようとする女性2人の背中などを複数回刺しており、2人との間に何らかのトラブルがあった可能性があるとみて調べている。
県警は7日、殺人容疑に切り替えて山下容疑者を送検した。
県警によると、山下容疑者は6日午前1時ごろ、浜松市中央区千歳町のガールズバーで、従業員の伊藤凜さん(26)と、店長の竹内朋香さん(27)を刺した疑い。
「佳子さまの水着姿」「佳子さまダンス」…拡散する生成AI“ディープフェイク”に宮内庁は「必要に応じて警察庁を始めとする関係省庁等と対応を行う」
7月4日、秋篠宮家の次女・佳子さまがブラジルの公式訪問を終えたことを報告するため、東京都八王子の武蔵陵墓地を参拝された。佳子さまは、外交関係樹立130周年および「日本ブラジル友好交流年」の機会として、6月4日に成田空港を出発。10日間におよぶ行程を経て、6月17日に帰国された。
皇室ジャーナリストが語る。
「現地の日系人や日本語学校を訪問されながら、移民の歴史などについて触れられた佳子さま。首都ブラジリアでは、ルーラ大統領を表敬訪問し、両国の友好関係の架け橋となるよう努められました。
他方、2週間で全8都市を巡るという過密スケジュールもあり、帰国後、体調が優れないご様子もあったとのこと。武蔵陵墓地の参拝はもともと6月23日に予定されていましたが、急きょ予定を取りやめ、休養にあたられていたとのことです」(皇室ジャーナリスト)
また、今回の訪問では飛行機に乗り合わせた乗客によって“寝顔動画”を撮影され、SNSにアップロードされ、その画像が拡散するという出来事もあった。
宮内庁の黒田武一郎次長は6月16日に行われた定例記者会見で「お休みになっているお姿を許可無く撮影して投稿することはよろしくない」と指摘。「宮内庁として、どう再発を防ぐか検討しなければならない」と立場を明らかにしていた。
そんななか佳子さまを巡って、SNS上では新たな問題が浮上しているという──。
生成AIを用いた“佳子さまダンス”が物議
その問題とは、生成AIを悪用して作成されたディープフェイクだ。昨今の動画生成AIの技術発展に伴い、ネット上では著名人をモデルとした“フェイク動画”が多く作られ物議を醸している。そんななか、動画共有アプリ「TikTok」では、佳子さまをモデルとしたダンス動画も投稿されているという。前出・皇室ジャーナリストが語る。
「今年の1月ごろから、とあるアカウントが佳子さまや悠仁さまをモデルに、激しいダンスなどをさせる動画を投稿し始めました。なかには70万再生を超える動画も存在している。
プロフィール欄には『AI動画メインです。あまり真に受けないように』との文言がありますが、世界中のユーザーが閲覧できるプラットフォームにこうした“フェイク動画”を投稿することで、誤解を招く恐れもあるとして、非難の声も上がっています。
また、画像共有SNSのひとつ、Pinterest(ピンタレスト)では、佳子さまに水着やレオタードなどの服装をさせる生成AI画像が投稿されている。こちらについてはAIを用いているという注釈がないものも存在しています」(同前)
これらの投稿について、宮内庁に問い合わせると、以下の回答が得られた。
「お尋ねの生成AIによるフェイク画像などのリスクについては認識しており、偽情報の発信・拡散等があれば、必要に応じて、SNS事業者や警察庁を始めとする関係省庁等と連携して対応を行うこととしています」(宮内庁総務課・担当者)
悪質な投稿が相次ぐ事態に、宮内庁も頭を悩ませているようだ──。
盗撮逮捕教師“リーダー格”森山勇二容疑者在籍の小学校は名古屋市内で有数の「性教育推進校」だった 外部の団体に委託して『思春期セミナー』を開催
小学校教員らによる“変態教師グループ”の存在が明らかになった──。6月24日、女子児童の下着姿などを盗撮してSNSで共有したとして、愛知県警は名古屋市の公立小教員の森山勇二容疑者(42)、横浜市の公立小教員の小瀬村史也容疑者(37)を逮捕した。
「3月に少女の持ち物に体液をかけたとして、器物破損の罪で名古屋市の公立小学校教員・水藤翔太被告(34)が逮捕されたことがきっかけで、水藤被告のスマホから女子児童の盗撮画像を仲間うちで共有していたグループの存在が明らかになった。メンバー間で『羨ましいです』『見入っちゃいます』などと盗撮画像を絶賛するやり取りをしていたことが明らかになっています」(社会部記者)
10人近い盗撮教員集団の“リーダー格”と目されるのが森山容疑者だ。
「SNSのアプリで盗撮グループを開設・管理し、ほかの教員を仲間に招き入れていたとみられます。学校内でも校長を補佐して教員をまとめる主幹教諭で信頼も厚かったそうです。大量の盗撮画像は『学校のデジカメで撮影した』と供述しているようです」(同前)
堂々と児童を撮影できた背景には森山容疑者の業務が関係していたようだ。名古屋市教育委員会の担当者が語る。
「森山容疑者はほかの教員とともに生徒への指導を行なう立場で、学校行事の際には引率サポートを率先して行なっていました。最近は修学旅行や運動会などの大きな行事以外は外部のカメラマンに依頼せず、教員がデジカメやスマホで学校行事の集合写真を撮ることが珍しくありません。児童らも教員からカメラを向けられることに違和感や抵抗感を持つことが少なく、森山容疑者が自らカメラを持って撮影することもあったと聞いています」
責任ある立場でありながら児童や保護者の信頼を裏切る犯行に及んだ森山容疑者。実は彼が在籍する名古屋市立小坂小学校は、市内でも有数の「性教育推進校」だった。
「小坂小は2016年から、保育園や小中高向けの性教育の出前講座をする団体に外部委託を行ない、年に数回、児童を対象に性教育の講義と実習を行なう『思春期セミナー』を開催していました。この団体は厚労省の子ども家庭局長賞の受賞経験がありますが、実際に外部委託まで行なう小学校は名古屋市内では少なく、小坂小は性教育に特に力を入れていた印象があります」(前出とは別の名古屋市教育委員会の担当者)
小坂小学校に娘を通わせている母親がこう憤る。
「思春期セミナーではプライベートゾーンを人に見せたり触らせたりしてはいけないことや、妊娠や出産の仕組みを学んだそうです。家庭では伝えにくい性に関する事柄を学校が教えてくれるのはありがたかっただけに、娘が通う学校でなんてことをしてくれたんだと裏切られた思いです」
盗撮グループに参加していた残りの教員の素性は現時点で明らかではなく、教員3人の逮捕で幕引きとはいかない。
名古屋市の広沢一郎市長は市立学校の全教員1万2000人を対象に、同様の事案がないか調査する方針だ。卑劣な犯罪から子供たちを守るため、全国の自治体で徹底的な調査が必要になる。
※週刊ポスト2025年7月18・25日号
悪石島、未明に震度5弱 全住民の無事確認、M5.1
活発な地震活動が続く鹿児島県十島村のトカラ列島・悪石島で、7日午前0時12分ごろ震度5弱の地震があった。気象庁によると、震源地はトカラ列島近海で、震源の深さは約22キロ、地震の規模はマグニチュード(M)5.1。村は島に残る全員の無事を確認した。午後にも震度4を観測するなど、地震が相次いだ。
悪石島では6日午後にも震度5強を立て続けに2回観測。村は集落から離れた場所で落石を確認したほか、複数の崖崩れもあるとみて調べている。気象庁は当分の間、震度6弱程度の地震に注意するよう呼びかけた。
トカラ列島近海では6月21日以降、震度1以上の地震を1500回以上観測した。
今日も広範囲で猛暑に 体温を大幅に超える危険な暑さの予想も
今日7日(月)も各地で厳しい暑さが続きます。35℃以上の猛暑日になるところが多く、京都では予想最高気温が39℃と40℃に迫る危険な暑さになる見込みです。
熱中症のリスクがかなり高まるため、炎天下の外出は極力控えた方がよさそうです。こまめな水分補給、室内でもエアコンを使用するなど熱中症予防に努めてください。
上空には真夏の暖気と背の高い高気圧
今日も日本海に中心を持つ高気圧に覆われて、広範囲で強い日差しが届き、気温が上昇する見込みです。上空1500m付近では+18℃という真夏の暖かい空気が日本列島を広く覆い、西日本や東日本、北海道の一部には+21℃というさらにもう一段暖かい空気が流れ込む予想です。
また、上空の高いところ(300hPa;9700m付近)にかけても日本列島の上空は高気圧となっていて、地上では気温が上がりやすい状況となっています。
京都は39℃と危険な暑さ 名古屋や大阪も37℃予想
このため、今日午後の気温分布を見ると、関東や濃尾平野周辺、京阪神や瀬戸内にかけては、35℃以上を示す赤色の領域が広がっています。
予想最高気温は京都市では39℃と40℃に迫る危険な暑さとなる見込みです。その他、岐阜市で38℃、名古屋市や大阪市でも37℃まで上がるとみています。関東から西の各地で猛暑日になるところが多く、昨日6日(日)に観測した139地点を上回ることが予想されます。東京都心では猛暑日一歩手前の34℃まで上がる予想です。
炎天下での外出は熱中症のリスクが高くなります。外出する時間をなるべく少なくしたり、買い物や散歩など急ぎでない外出は暑さが和らぐ朝や夕方以降にしたりするなどの対策をおすすめします。こまめな水分補給・塩分補給を心がけて、室内でもエアコンを使用して温度調節を行って、積極的に熱中症予防をするようにしてください。
北海道でも猛暑日に 帯広は37℃予想
また、北海道でも気温が上がりやすく、特に十勝地方を中心に35℃以上の猛暑日が予想されています。帯広市では37℃と体温並みの気温となる予想です。
昼間の暑さへの警戒はもちろんのこと、一日の気温差・体感差も大きくなります。昼間は冷房の使用やこまめな水分補給を行い、できるだけ風通しの良い服装にするようにしてください。夕方以降の気温が落ち着く際には羽織るものがあると良さそうです。
<今日7日(月)の各地の予想最高気温>
39℃:京都
38℃:岐阜
37℃:帯広、名古屋、大阪、奈良、岡山、高松、徳島
36℃:福島、大津、和歌山、山口、佐賀
こうして日本は対米戦争へ突き進んだ…名参謀・瀬島龍三が語った「旧日本陸軍エリート集団」の不協和音
「大変な作業でしたよ。僕の人生であれだけ膨大な机上の作業はほかになかった」
伊藤忠商事特別顧問の瀬島龍三が口を開いた。1995年7月12日、東京・青山の伊藤忠商事東京本社21階の応接室。3月の取材申し込み以来、やっと実現したインタビューだ。
瀬島の言う大変な作業とは41年12月8日午前零時を期して始まる陸軍のマレー半島上陸作戦の準備のことだ。
「例えば、どこの師団を敵前上陸させるか。地域の特性をつかみ決めなくてはならない。
暗夜、3、4キロ沖合に輸送船で入り、縄ばしごで波に揺れる上陸艇に乗り移って一斉に上陸する。これは内陸の部隊には無理。小さい時から海に慣れてる善通寺(香川県)や広島の部隊でないとね」
上陸部隊が決まれば、次は部隊をいつどこで輸送船団に乗せるかだ。12月8日から逆算して11月30日、中国・海南島の三亜港が選ばれた。期日に間に合うよう各地の部隊をそこへひそかに集結させなければならない。武器弾薬、食料の補給も必要だ。
「瀬島はわら半紙数枚つないだのを御経本のように折り畳み胸ポケットに入れていた。それには『南方作戦準備一覧表』が書いてあって作戦会議の時に印刷して皆に配った」と元参謀の首藤忠男は言った。
一覧表をびっしり埋めた作戦スケジュール。会議で瀬島は、開戦日が12月8日に決まった理由を説明した。
「瀬島はこう言ったんだ。このころ太平洋からマレー半島へ毎秒8~13メートルの季節風が吹く。この風に乗れば輸送船団は通常の3分の1の時間で着く。途中で岸や空から攻撃を受けても船が速いので被害も少なくなるとね。彼の説明にはだれも反対できない絶対的裏付けがあった」
圧倒的に大きな国力の米国との戦争へ突き進んでいく旧陸軍参謀本部作戦課。瀬島によると、その最大のきっかけは、7月末の南部仏印への進駐と、これに関連して起きた米、英、オランダによる日本の在外資産の全面凍結だった。
南部仏印進駐の1週間ほど前、瀬島は作戦班長を通じ、文書で課長の服部卓四郎に意見具申した。
「兵を動かせば相手の兵を呼ぶ。進駐が対米英戦のきっかけになるという恐れを強く感じたんです。日本が本当に戦争を決意し準備してからでないと予期しない事態になる、進駐はやめるか延期すべきじゃないかと進言しました」
だが、服部の返事はなかった。南部仏印進駐は米国の対日石油禁輸措置を招き、石油のない日本は屈服するか、戦うかの岐路に立たされる。
瀬島が対ソ作戦担当から、全軍の移動・配置を決める「兵力運用」担当に移ったのはこの直後だった。
「北(対ソ作戦)はしばらくやれないという空気になり北方関係は手が空いてきた。それで作戦班長補佐として兵力運用を見る立場に変わったんです。全軍の兵力運用は作戦課本来の仕事である対ソ年度作戦計画をやった者でないとなかなか分からないんです」
東南アジア進攻に終始反対してきた井本熊男も「支那(中国戦線)班」から「南方班」総括参謀へ。井本も瀬島もいや応なく対米英戦の核心にかかわっていく。2人の声はなぜ封じ込められたのか。
「昭和15年(1940年)の何月だったか、当時の岡田重一作戦課長が言われた言葉を今でもよく覚えてます」
瀬島龍三が証言を続ける。ダークグレーのスーツ。紺地に白い水玉模様のネクタイ。時折、椅子から身を乗り出し、低い声に力が入る。
「岡田さんは全課員を集め『陸軍省は資源のため南方作戦をやれと言うが、作戦課は慎重であるべきだ。日本は軽々しく参戦すべきでない。無傷の世界第二の連合艦隊を持って世界情勢を見極めなければならない』と言ったんです」
40年初夏、ドイツが東南アジアに植民地を持つオランダ、フランスを制圧。それに刺激され日本国内には「好機南進」の機運が高まっていた。
「ところが、慎重な岡田さんに代わって(40年10月に)課長になった土居明夫さんは竹を割ったような性格で、南方積極論を強調した。井本熊男さんらは『この重大時局の作戦課長として適任かどうか』と疑問を持ってました」
41年6月、ドイツがソ連に進攻した。その背後をつく北進か、南進かで議論が続く中、土居が更迭され、作戦班長の服部卓四郎が課長に昇格した。服部はノモンハン事件でコンビを組んだ辻政信を呼び寄せ、南進への傾斜を深めていく。
「服部さんは慎重な人だったが、辻さんの起用には当時、課内で疑問がありました。やはり、大きな犠牲を払ったノモンハン事件の責任者の2人が重要時局に作戦課にいたことには問題があったと言わざるを得ない」
「命知らずの男」と言われた辻を牽引車にして南方作戦へなだれ込む作戦課。辻の影響力は大きかった。
「辻さんは作戦課に来る前から陸軍で著名な人でした。だが独断的というわけでもない。案外他人の意見もよく聞いたんです。ただ考え方が非常に直観的で、合理性に基づいて慎重にものを言う人ではなかった。しかし当時の軍の空気では評価されたんです」
参謀本部の中で総長、次長に次ぐ地位の作戦部長、田中新一は当初ソ連進攻に積極的だった。しかしその田中も次第に南進論へと変わっていく。
「当初の参謀本部情報部の判断は、ドイツ軍は1カ月でソ連軍を撃破し、冬までにウラル以西を制圧するというものでした。だが関東軍特種演習で(ソ連進攻の)準備ができた9月には、ドイツ軍はスターリングラードの手前で引っかかり、痛手を受けていた。それが南方へ変わった背景でしょう」
こうした対米英戦への流れに危惧を感じた参謀は井本熊男や瀬島だけではない。瀬島によると、高瀬啓治や竹田宮恒徳王らもそうだった。なぜ、彼らは作戦課内で連携を取り合い、日本が破局に向かうのを押しとどめることができなかったのか。
「既に(南進の)国家の決定があるため、課内の横の連携を取ることはできなかったんです。なければ自由な論議をして別な結論を出し得たかもしれないが……」
瀬島はそう答えた。だが、彼らを縛った国家決定が形成される過程に深くかかわったのは、陸軍の中枢作戦課の参謀とその上司たちではなかったのだろうか。
「一体、だれがあの戦争を始めたのか。戦後50年たった今、はっきりさせる必要があると思います」
軍部支配の実態に詳しい京大文学部教授の筒井清忠(46)が奈良市の自宅で語った。
「連合国による東京裁判の結論は『軍国主義日本の政治、経済、外交、軍事の中心人物たちが共同謀議し、計画的にアジア征服に乗り出した』というものでした。しかしこの歴史観はナチス・ドイツからの類推で導き出されたもので、事実は全く違います」
極東国際軍事法廷(東京裁判)は1948年11月、死亡・精神異常による免訴3名を除く被告25人全員を有罪とし、元首相兼陸相の東条英機、元陸軍省軍務局長の武藤章、元首相の広田弘毅ら7人に絞首刑を言い渡した。
「実態は共同謀議なんてとんでもない。政界も各省庁も陸海軍も相互の対立が激しくてばらばらだった。日本に明確な戦争の意思と計画があったというより、中堅幕僚(参謀)の暴走に引きずられたんです」
ではなぜ中堅幕僚の暴走を許したのか。筒井によるとそのきっかけは31年9月の満州事変だ。
関東軍参謀の石原莞爾らは、奉天(現遼寧省瀋陽)郊外の柳条湖付近での南満州鉄道爆破事件をきっかけに満州の主要都市を占領した。翌年、清朝の廃帝溥儀を皇帝に擁立して満州国を建国した。陸軍中央の統制を無視した独断専行にもかかわらず、石原らは責任を問われなかった。
「世論が『よくやった。満州の権益を守ってくれた』と称賛してる時に処罰しにくいから信賞必罰が貫かれなかった。それが『結果さえ良ければいい』とその後の独断専行の悪循環を生み、陸軍内部の権力が上層部から中堅幕僚に下降していく契機になるんです」
皮肉にもこの悪循環に泣いたのが当の石原だ。当時関東軍参謀副長だった今村均の『回顧録』には概略次のような出来事が記されている。
1936年11月、参謀本部作戦部長に昇格していた石原は関東軍司令部へ飛んだ。関東軍参謀の武藤章らの、内蒙古(内モンゴル)を支配下に置こうとする謀略工作を止めるためだ。
石原は参謀たちを集め、自信に満ちた態度で口を開いた。
「諸官らの企図している内蒙工作は、全然中央の意図に反する。幾度訓電を発しても、いい加減な返事ばかりで、一向に中止しない。大臣総長両長官は、ことごとくこれを不満とし、よく中央の意思を徹底了解せしめよとのことで、私はやって来ました」
武藤が笑顔で言った。
「石原さん! それは上司の言いつけを伝える、表面だけの口上ですか。それともあなた自身の本心を、申しておられるのですか」
「君! 何を言うのだ。僕自身内蒙工作には大反対だ。満州国の建設が、やっと緒につきかけているとき、内蒙などで、日ソ、日支間にごたごたを起こしてみたまえ、大変なことになるぐらいのことは、常識でもわからんことがありますまい」
「本気でそう申されるとは驚きました。私はあなたが、満州事変で大活躍された時分、この席におられる今村副長といっしょに参謀本部の作戦課に勤務し、よくあなたの行動を見ており、大いに感心したものです。そのあなたの行動を見習い、その通りを内蒙で、実行しているのです」
武藤の言葉に青年参謀たちは大笑いした。
石原と武藤の確執は翌37年7月、盧溝橋事件に端を発した日中戦争で頂点に達する。京大教授の筒井清忠が言う。
「この時、石原は不拡大方針を取るが、作戦課長になっていた部下の武藤は反日運動が高まりを見せる中国に『一撃を加えるべし』と拡大派の急先鋒になった。陸軍省や参謀本部は、武藤たちの拡大論が多数を占め、石原は中央から追われるんです」
作戦部長の石原が部下の武藤に追い出されたことで陸軍内部の権力は課長クラスにまで下降する兆しを見せる。その課長が陸軍にとどまらず、日本の政治に強い影響力を持つことを示す象徴的な事件がやがて起きる。
「陸軍内部の権力が最も下降したのは1939年8月でした。陸軍省の一課長が実質的に内閣をつくるという前代未聞のことが起きたんです」
京大教授の筒井清忠の話が続く。
独ソ不可侵条約締結で平沼騏一郎内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」と声明を出し退陣した。陸軍省の国会対策の責任者だった軍務課長の有末精三は、後継に陸軍大将の阿部信行を担ぎ、阿部内閣を誕生させた。
「有末課長の動きは昭和天皇の耳にまで入り、天皇が不快感を表したほどだった。陸軍の意思決定権が課長級に降り、陸軍の政治力がさらに強まるんです」
この急速な権力下降の契機になったのは36年2月に起きた2・26事件だった。皇道派青年将校らが決起した軍事クーデターは、内大臣斎藤実や蔵相高橋是清ら政府要人を暗殺、日本中を震え上がらせた。
「この時、陸軍上層部はすっかり自信を喪失していた。ある将軍は青年将校が自分を殺しに来たと思い、門を閉じ、部屋に逃げ込むようなありさまでね」
弱腰の陸軍上層部に事件を処理する力はなく、中堅幕僚が主導権を握った。一課長による内閣づくりまで許してしまう伏線の一つがここにあった。
2・26事件は、宮中や政界にもテロによるクーデターへの恐怖を生み、後に開戦への心理的圧力になる。『昭和天皇独白録』に天皇の言葉が残っている。
昭和初期から連鎖的に起きた陸軍の権力下降。筒井はその背景の一つに日本特有の稟議制があると指摘する。
「陸軍の意思決定システムが米国のようなトップダウンでなく稟議制なんです。課長より下の参謀が立案し、トップにもみ上がっていく。ある意味で意思決定に平等主義的な要素が強いんです」
稟議制は戦後の今も官庁などで一般的に採用されている意思決定システムだ。
「上層部の決定を一元的に下に降ろすやり方ではないから、下が結束して何かやろうとすると止めにくい。開戦前の参謀本部が田中新一作戦部長、服部卓四郎作戦課長、辻政信班長らの対米開戦派に牛耳られたのもそういうところに一因があると思います」
1941年12月8日、東京・三宅坂の参謀本部作戦室。十数人の参謀が中央テーブルを囲んでいた。連日の徹夜でどの顔にも疲労の色がにじむ。
午前3時35分、海軍から電報が飛び込んできた。
「一 〇一三〇(午前一時半)上陸を開始せり」
「二 〇三三〇(午前三時半)奇襲に成功せり」
陸軍のマレー半島上陸開始と海軍の真珠湾攻撃成功の知らせだ。5分後、作戦課は支那派遣軍に緊急打電する。
「ハナサク、ハナサク」
香港攻略開始命令だった。
東南アジア進攻作戦の総括参謀だった井本熊男が振り返る。
「万歳とかやった、やったと有頂天で騒ぐような空気はなかった。厳粛な気持ちで情報を聞いた。初めはうまくいったが、そのうち泥沼に入っていくかも分からない。戦争が長引けば心配だというのが正直な気持ちだった」
間もなく参謀本部の庭は、緒戦の成功をラジオで知った市民で埋まった。日の丸の旗が振られ、万歳を叫ぶ声が冬の青空に響いた。井本の胸に暗い予感が残った。
※登場人物の年齢、肩書きなどは1995年の新聞連載時のものです
(共同通信社社会部)
神奈川・藤沢市の片瀬東浜海水浴場で男子中学生3人がおぼれた事故 心肺停止で搬送された1人死亡
おととい午後、神奈川県藤沢市の海水浴場で男子中学生3人がおぼれた事故で、心肺停止の状態だった1人が、きょう未明、死亡しました。
おととい午後3時半すぎ、神奈川県藤沢市の片瀬東浜海水浴場で、「2人がおぼれていて、救助に向かった人も姿が見えなくなった」と119番通報がありました。
警察によりますと、海水浴に訪れていた男子中学生3人がおぼれ、ライフセーバーに救助されましたが、このうち心肺停止の状態で搬送された横浜市の中学2年生(14)が、きょう午前4時半ごろ、死亡しました。
消防によりますと、他の2人は病院に搬送された際、自分で歩ける状態で会話もでき、「足が海の底に届かなかった」と話していたということです。
警察と消防が事故の詳しい状況を調べています。