特別養子縁組をあっせんする東京の民間団体が昨年7月、突然事業を停止し、東京都が、この団体があっせんを予定していた子供らの安全確認に乗り出していたことがわかった。団体は2009年の事業開始後、300人以上のあっせんを手がけており、養親の元で成長した子供が出自に関する情報を知ろうとした時に影響する可能性がある。
問題の団体は一般社団法人「ベビーライフ」(東京都文京区)。09年に事業を開始し、都によると12~18年度だけで298人をあっせん。事業を停止する直前まで多額の手数料を受け取り、あっせんを続けていた。
原則15歳未満が対象の特別養子縁組のあっせんは、児童相談所と民間団体が手がけている。国内では18年4月に養子縁組あっせん法が施行され、団体の事業は自治体への届け出制から許可制に変わり、縁組後の親子の支援に努めるよう明記された。ベビーライフは18年9月に都に許可を申請。事業停止当時は、結果が出るまでの「経過措置」として、許可がなくても事業ができる状態だった。
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サル山最後の1匹、自力で立てず…ヘルニアの可能性
広島県尾道市の千光寺公園内のサル山で飼育され、最後の1匹となった雌のニホンザルの足腰が立たなくなった。20年以上いる高齢のサルで、ヘルニアを患ったとみられる。18日に動物病院を退院後、サル山の小屋で静養を余儀なくされており、管理する市観光課は「人間なら90歳を超える年齢とみられ、そっとしてあげてほしい」としている。(佐藤行彦)
同課によると、サル山は1970年、同公園の西側にオープンした。古い記録が残っていないが、多い時には数十匹飼育していたとされる。2006年には6匹、11年には雄雌の2匹に減少。14年に雄が死に、今の雌1匹となった。
ニホンザルの寿命は25年程度とされ、世話をしていた人の話などから、この雌は00年頃にはいたらしい。名前はなく、近所の人らからは「オイ」「もんちゃん」「ななちゃん」などと呼ばれているという。
13日にサル山で動けなくなっているのを市民が見つけ、観光課に連絡。意識ははっきりしているものの腰から下が動かなくなっていた。職員が市内の複数の動物病院に診察を依頼したが、「対象外」などと断られた。
15日に診察してくれる動物病院が見つかり、入院した。獣医師が両足を触ったが反応がなく、レントゲンを撮っても骨折はしていなかった。ヘルニアの可能性があると診断され、痛み止めの薬を与えられたという。
病院ではそれ以上の治療が難しく、サルは18日に退院し、サル山の小屋で静養することになった。後ろ足に引きずって付いたとみられる擦り傷があったため、小屋の中にシートが敷かれた。自力で立つことはできないが食欲はあり、職員が与える野菜をおいしそうにほおばっているという。
中原一通・市観光課長は「長年市民にかわいがられてきた貴重な存在。高齢だが、なんとか回復してくれることを願っている」と話している。
宮城震度5強、大きな津波が来なかった理由…カギは「海底の変形」
宮城県沖を震源に20日発生したマグニチュード(M)6・9の地震について、気象庁は陸側のプレート(岩板)と、その下に沈み込んだ海側のプレートとの境界で起きた地震と発表した。東日本大震災(M9・0)と同じタイプで、2月に福島県沖で発生したプレート内部の地震(M7・3)とは異なるという。
20日の地震で宮城県に津波注意報が発表されたが、同日午後7時半までに明確な津波は観測されず、津波注意報は解除された。震源が59キロ・メートルとやや深く、津波を起こす海底の変形が小さかったことが、幸いしたとみられる。
地震のエネルギーは2月に起きた福島県沖の地震の方が約4倍大きかったが、この時は注意報は発表されなかった。津波の高さは地形にも左右されるため、注意報や警報は過去に地域で起きた津波の情報も含めて判定され、発表される。
東北大の今村文彦教授(津波工学)は「宮城県の沿岸部は複雑に入り組んだリアス式海岸が続き、湾の奥などで津波が高くなりやすい。地震の発生が満潮に近づく時間帯で注意が必要だった」と話し、津波注意報の発表に理解を示した。
揺れは最大震度で5強を観測した。東北大の遠田晋次教授(地震学)は「震源が陸域に近く、揺れが強くなった」と説明した上で、今回の地震の原因について「2月の地震で、周辺の地下にひずみが伝わった可能性がある。震災で地下が大きく動いたエリアの周辺では活発な地震活動が続いており、引き続き警戒してほしい」と訴えている。
コロナで「ごみ屋敷」急増 若者単身者の巣ごもり傾向で
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、自宅が物であふれる「ごみ屋敷」の清掃の依頼や相談が東京都内で急増している。都会に多い単身の若者が外出を自粛し、ごみの出やすい飲食のデリバリーや通販の利用が増えたことが要因とみられる。2006年に設立された不用品回収・清掃業「リライズ」(横浜市港北区)は20年12月、東京都港区に支店を開設した。
同社によると、20年1~2月の一般家庭からの清掃の依頼や相談の件数は月80件程度だったが、新型コロナの感染が広がった同年3月以降は2倍以上の190件前後に急増した。
依頼者の8割は20代から30代後半の単身者で、女性が7割を占める。部屋がごみ屋敷化するまでには①新型コロナ感染を防ぐため在宅勤務などをして「巣ごもり」する②外食せず、料理宅配サービス「ウーバーイーツ」などを利用する③食後のごみが部屋にたまる--という過程が多くみられるという。
ごみを室内にためる理由としては、いずれまとめて掃除しようと先送りし結局捨てられないというのが典型的な例。ボーナスなどのまとまった収入がある時に業者を呼ぶことを見越し、掃除を先送りすることも多いという。中にはごみが入った袋をベッド代わりに使っていたり、虫がわいてもそのまま放置したりしている例もあった。
本人が自発的に掃除を依頼するケースは少ない。異臭が発生し、大家や近隣住民からクレームを受けてやむなく依頼するほか、新型コロナで収入がなくなったり減ったりして、実家や家賃が安いアパートに移らざるを得なくなり片付けを余儀なくされるケースもあるという。
これらの依頼や相談のうち、7割が東京都内からだった。同社の河上洋介社長(33)は、東京で増えた理由について「若い単身者が多く家族にも頼れないからではないか」とみている。
河上社長は「新型コロナで巣ごもりをする人や経済的に不安定になった人はストレスが大きく、物を捨てられないという一種の病気のような症状を招いたと考えられる。ごみ屋敷は社会のゆがみが生んだ問題だと思う」と話す。【小出禎樹】
「コロナを乗り越えたところで、日本人は変わらない」作家・高村薫の日本への“悲観”
今回のゲストは作家の髙村薫さん。『マークスの山』や『レディ・ジョーカー』など髙村さんが生み出してきた社会派ミステリーに魅せられてきたという岡村ちゃん。大ファンなだけに膨大な資料を読み込み、少々緊張した面持ちでインタビューに挑みました。はてさてどんな話を聞き出せるでしょうか。『週刊文春WOMAN』創刊2周年号未収録のトークも含めた完全版でお送りします。(全2回の1回め/ 後編 を読む)
◆ ◆ ◆
1歩も2歩も引いたところで、じーっと周りを見ている子どもでした
岡村 髙村さんの幼少の頃のことを少しお伺いしたいんですが。
髙村 え、小さい頃ですか?
岡村 どんなお子さんでしたか?
髙村 集団が大嫌いで、みんなで仲良くお遊戯をするのが本っ当に大嫌い。いつも逃げてました。
岡村 人嫌いってことですか?
髙村 じゃなくて、みんなでつるんで何かをするのが大嫌いな子。
岡村 つまり、人に興味はあるけれど、群れたりはしなかった。
髙村 その通りです。基本的に、私は自分が空っぽだから、何でも受け入れられるし、「私が、私が」というのもない。何でも面白い。何でも興味がある。群れはしないけれど、1歩も2歩も引いたところで、いつもじーっと周りを見ている。そういう子どもでした。
岡村 小さい頃から読書好きだったそうですが、やっぱり小説家になるのが夢だったわけですか?
髙村 全然全然、まったく。自分が何になりたいとか、どんな大人になりたいとか、一切考えたことがなかった。本当に空っぽ。だから観察する。観察者にはなれるんです。空っぽだから。
親と反対のことをしなくちゃと思いました
岡村 ご両親の影響というのはどうでしたか? お二人とも音楽や絵画といったアートに強い関心をお持ちだったそうですが。
髙村 私は、親がいつも反面教師だったので、親と同じことは絶対にするまいと思って大きくなりました。特に母は、いろんなことを子どもに要求する人だったんです。子どもとしてはそれが鬱陶しい。
岡村 ああしろ、こうしろと?
髙村 そうそう。そして、その欲求や希望が高くて大きい。全部、私の望みではないことだったので、非常に悩まされたまま大人になりました。結果的に、親の望むことは何一つできませんでしたけど。
岡村 お母さんの要求というのはどんなものだったんですか?
髙村 まず勉強。成績です。「なんでこんなものがわからないの」と。母は化学者で非常に頭のいい人でしたから、子どもがひどい成績を取ってくると、我慢ならなかったんです。しょっちゅう怒られました。それから、小さいときからピアノを習わされましてね。ある時期からは、「ピアニストになれ」と。私にそんな気はさらさらなかった。
岡村 ストレスでした?
髙村 ストレスを感じるほど真面目にやってませんでした。親の要求に真面目に向き合うような子どもでもなかったんです、私は。
父も母も大正生まれ。大正教養主義にどっぷりの人でした
岡村 髙村さんは3人姉弟の長女でいらっしゃいますけれど、ご両親の教育というのは、弟さんたちにも同じようでしたか? 男の子と女の子で区別があったりは。
髙村 そこの区別はありませんでした。ただ、すぐ下の弟は小さい頃から非常に音楽の才能があったので、「この子はチェリストになる」「させる」と、徹底的に英才教育をしてました。残念ながら、私が大学生のときにガンを患い亡くなってしまいましたが、彼には全然別の期待をしていましたね。
岡村 お母さん自身にも相当な音楽の素養がおありだったんだ。
髙村 ただ、私は小さいときに気づいたんです。「あ、この人、音痴だ」って(笑)。母は自分でピアノを弾いてドイツ語で歌をうたう人だったんです。シューベルトとか。でも、それを聴いた私は、これは絶対に音程がおかしいと。
岡村 さすが観察者ですね(笑)。それを指摘したりは?
髙村 いや、言わなかったです。まあいいかと(笑)。
岡村 でも、すごくモダンなお母さんですよね。化学者であり、ドイツ語で音楽も嗜んでいて。
髙村 父も母も大正生まれで大正教養主義にどっぷりの人でした。終戦後すぐに大阪フィルハーモニーのベートーヴェン・チクルス(コンサート)があって、そこで初デートをしたそうなんです。
岡村 なかなかおしゃれですね。音楽ならばご両親と価値観が共有できそうな気もしますけれども。
髙村 なかったです。とにかく、すべてにおいて、親と反対のことをしたかった、しなくちゃいけないと。親のようにはなるまいと。
岡村 僕も結構そういう部分はあったかもしれません。でも、本当に不思議なんですが、この年になって気づいたんです。ああ、自分には親と同じ要素があるんだなと。父と同じような口癖が出てくると、あれ? って思うことがあります。
髙村 私も、外見は親に似てきたと言われます。でも、中身はまったく違いますから。まず、私は戦争の時代を生きた親ほど苦労をしていない。私なんか戦後のいちばんいい時期にのほほんと生きて大人になった世代。呑気で甘さがあるんです。自分は恵まれた人生だったなと思いますよね。
弟が生きていたなら、私はモノ書きにはならなかったと思う
岡村 お話を伺っていると、お母さんの厳しさが、結果的に、髙村さんを作家たらしめたのではと想像を豊かにしてしまいます。
髙村 うんと広ーく捉えれば、そうでしょうね。普通に結婚して、普通に家庭築いて、普通の奥さんになって、という人生を選ばなかったから物書きになったんでしょうし、それは言い換えれば、親との関係があまりよくなかったから、と言えるのかもしれませんね。
岡村 夭折された弟さんのことはどうでしょうか? 髙村さんに影響を与えたのでしょうか?
髙村 彼が亡くなったのは20歳、私が22のときですから、もう忘れるぐらい昔のことです。生きていたら、まず弟は間違いなく音楽家になっていたと思いますので、家族そろってみんなで弟のためにという人生になっていたと思います。だって、親は、チェロを買うために土地や家を売ると言ってましたから。
ああいう楽器って億単位のお金がかかるんです。土地や家を売って、それで弟に楽器を買って留学させようと、そういう人生になるはずだったんです。
岡村 髙村さんにとって、弟さんは小さな頃からいつも一緒、自分の片割れのような存在だったと。
髙村 彼は体が大きかったものですから、周囲は弟がお兄ちゃんだと思っていたんです。私がいたずらをして親を困らせたりすると、弟が中に入って宥めたり。だから、弟が生きていたなら、私はモノ書きにはならなかったと思います。
岡村 弟さん亡き後、髙村さんは大学を卒業され、いわゆるOLとして商社に就職された。そしてある日、小説を書こうという気持ちになったと。30歳になったのを機に書いてみたということですが、そのときはどんなお気持ちで?
髙村 時間つぶしですね(笑)。パソコンを買ったから使ってみたかったんです、最初の動機は。当時は80年代半ば、パソコンはまだ高価でしたし物珍しかった時代。せっかく大枚を叩いたんだから何かしようと。それで最初は会社の仕事を持ち帰ったりしたんですが、そんなバカなと思いましてね。それで、1行書き、2行書き、3行書き。それが始まりでした。
戦争が起き、地震が起きても日本人の国民性は変わらない
岡村 いま、僕たちはコロナの環境下にいますけれども、どんなふうに感じてらっしゃいますか?
髙村 戦争や大地震ではなく、病原菌、感染症でこれだけ人間の価値観が変わってしまうということに、それで私たち人間の、21世紀のこの人間の暮らしが大きく変わっていくということに、ちょっと放心してしまっているというのが正直なところですね。
岡村 そうですよね。少しでも収束に向けてのシナリオがわかれば心の置き所もあるのですが、昨今はワクチンができたといわれ欧米では接種が開始されていますけれども、まだまだ先は不透明で。明確な答えが出ていないことにモヤモヤして、このモヤモヤがいつまで続くんだろうということにもモヤモヤして。
かつて、人類がペストを乗り越えたときのように、コロナにもきっと大きな意味があるんじゃないかと思うしかないと、僕はいまそういう気持ちなんです。
髙村 私は観察する人間なので、日本人がこのコロナという感染症を経験して、どんなふうに変わっていくのか、あるいは変わらないのか、そういうところにいちばん興味がありますね。
東日本大震災が起こったとき、私は、あれでさすがに日本人も変わるだろうと思っていたんです。でも、変わらなかった。ほとんどその価値観が変わらなかった。何年かすると本当に元の木阿弥でしたでしょう。
これはきっと、戦争のときもそうだったんだろうなと。太平洋戦争を経験し、本当だったら劇的に日本人が変わって当然だと思うけれども、実は変わらなかったんじゃないかと。
だから、このコロナを乗り越えたところで、日本人は変わることができないのではないか、そういう悲観的な思いがしてしまう。前向きに捉えることができる人はもちろんおられるでしょうけども、大多数の日本人は、おそらく元の木阿弥だろうと。
岡村 それは国民性でしょうか?
髙村 国民性というか、日本人がそういう民族なんだろうなという気がします。例えば、いままではたくさんモノを作って、たくさん消費をして、高い経済成長をすることが善だったけれども、そういう生き方はもう続けられないんだと見定め、生き方を変える、暮らし方を変える、そういうことなんですが、そうではなく、GoToキャンペーンを開始してしまう。いまはさすがにそれもまずいと中止となってしまいましたけれども。
岡村 みたいですね。
髙村 あれって、お得なのでしょう? みなさんパッと群がり、マスクをして観光地に出かける。とても滑稽ですよ。なぜ、マスクをして観光しなければならないんだろうかと。せっかく旅先でおいしいご飯が出てきても、お喋り一つできない。黙ってご飯を食べる。とってもおかしいですよ。Go Toの捉え方一つでも、一歩引いて見ることができるはずなのに、そうではないんだなあと、私は眺めていますね。
岡村 2021年に開催されるであろうオリンピックについてはどう思われていますか?
髙村 おそらくいまの政権は、何が何でもやる、無観客でもやるだろうと思います。でもそれでは本来のオリンピックではないし、岡村さんの地元も盛り上がらない、そして、国民全体も盛り上がらない、本当に残念な大会になるだろうなと思います。だから、私もこのコロナで、これをどういうふうに新しい価値観や新しい生き方に結びつけていけるのか、わからないところがいっぱいあるんです。
岡村さんなんかきっと、通常のようなライブパフォーマンスがいまできない状態だと思いますけれど、例えばこれをネット配信で披露するとなると、やっぱり違いがありますでしょう?
岡村 まったく違います。
髙村 そうでしょう。音楽のパフォーマンス一つとっても、あるいは野球やスポーツ一つとっても、こういった感染症の中で、人を集められない中で、どんな形があり得るのか、私は全然わからないんです。何か私たちが想像もしなかったようなすごく新しい形の何かが出てくるのかなあとも思ったり。わずかな期待もあるんですけれど。
実は2年前から鬱を患っているんです
岡村 コロナで世の中が萎縮していることとの因果関係はわかりませんが、最近、心を病む人が増えているのかなって思うときがあります。人生を儚む人も出てきている現実、髙村さんはこの世相をどう思われていますか?
髙村 実は私、もう2年ぐらい鬱なんです。鬱はいつどこから入ってくるものかわかりませんし、自分で選び取るものでもない。でも、ある日気がつく。「ああ、これ、たぶんそうだな」って。
岡村 そうでしたか。
髙村 私の場合、原因がはっきりしているんです。四半世紀一緒だった仕事上のパートナーが亡くなりましてね、突然病気で。ブックデザイナーの多田和博さん(18年没)。多田さんはずっと私の本を作ってくださって、二人三脚だった方なんです。
傍から見れば、仕事上のパートナーが亡くなったというだけのことかもしれません。でも、私の中では、ある日どうしようもない穴があいてしまった。他人にはわからないけれど、私の中ではそれがわかる。
ですから、いま、死にたいと思っておられる方に「どうして?」って聞いても他人にはわからない。その人の中で、とにかく穴があいてしまうし、穴があいてしまうと、どうにもこうにも埋められない。そっとしておくことしかできないんです。まさに日にち薬で、1年、2年とそっとしておく。そっと、そっと、生きていく。
やっぱり、自殺してしまう方というのは、真面目で、一生懸命頑張ろうとする人です。その穴から出ようとして。自分が鬱だなと思ったら、いろんなこと放り出して、ぼんやりすることだと思っています。
岡村 もどかしくはあるけれど、解決するのは時間しかない、と。
髙村 実は私、鬱になるのはこれで2度目なので、それがよくわかるんです。最初の鬱は、母を亡くしたときでした。あんなに大っ嫌いな母だったのに、亡くなったらやっぱり、自分の中にものすごく大きな穴があいた。ちょうど阪神淡路大震災と重なったんです。
岡村 1995年、ですね。
髙村 そうです。震災と母の死が重なって鬱になった。だから、よくわかるんですが、とにかく頑張らないことだと思いますね。
※最新話は発売中の 「週刊文春WOMAN 2021年 春号」 にて掲載。
【続きを読む】 「実は2年前から2度目のウツです」作家・高村薫はいかに1度目のウツを抜け出したか
text:Izumi Karashima
たかむらかおる/1953年大阪府生まれ。国際基督教大学卒。89年、大阪の外資系商社在職中に書いた初めての小説が、日本推理サスペンス大賞最終候補に。翌90年『黄金を抱いて翔べ』で大賞を受賞し、デビュー。93年『マークスの山』で直木賞受賞。近年は純文学に活躍の場を広げる。
おかむらやすゆき/1965年兵庫県生まれ。音楽家。86年デビュー。「岡村靖幸 2021 SPRINGツアー操」が3月21日よりスタート。NHK「みんなのうた」で、いまの時代を生きる子供達のために書き下ろした新曲「 ぐーぐーちょきちょき 」が、2年2ヶ月ぶりのシングルとして発売に。
「実は2年前から2度目のウツです」作家・高村薫はいかに1度目のウツを抜け出したか へ続く
(「週刊文春WOMAN」編集部/週刊文春WOMAN 2021 創刊2周年記念号)
LINEデータ 海外委託の危うさが露呈した
国内で8600万人が利用する情報インフラのデータ管理に、重大な疑念を抱かざるを得ない事態だ。早急に実態を解明し、利用者の不安
払拭
( ふっしょく ) に努めねばならない。
無料通信アプリ「LINE」(ライン)の運営会社が、システム開発を委託した中国企業に、利用者の個人情報を閲覧できる権限を与えていたと発表した。氏名や電話番号、メッセージの内容が長期間、閲覧可能だったという。
LINEは、中国企業が閲覧できたのは必要最小限の範囲だけで、不正な接続や情報流出はなかったと説明している。だが、利用者の間には、情報流出の懸念やアプリへの不信が広がっている。
菅首相は政府機関の利用状況を調べると表明した。総務省や一部の自治体は利用停止を決めた。
中国は国家情報法で、国の情報活動に企業や国民が協力するよう義務付けている。中国政府から情報提供を強制されかねない企業に閲覧を許していたとなれば、利用をためらうのも当然だろう。
LINEは10年前に開発され、急速に広がった。キャッシュレス決済も展開し、新型コロナウイルス感染者の健康把握に用いる自治体も多い。政治家も利用しており、専門家は「安全保障上のリスクが大きい」と指摘している。
情報インフラを担う企業には、とりわけ厳格なデータ管理が求められる。LINEは中国企業からの閲覧を遮断し、韓国にある動画や画像データも順次、日本に移すという。着実に進めてほしい。
近く設置する第三者委員会で、委託先の情報管理と監督体制の問題点を調べ、結果を迅速に公表する必要がある。国も企業任せにせず、実態把握に努めるべきだ。
日本の個人情報保護法は、利用者の同意があれば、情報を海外に移したり、海外から閲覧したりすることを認めている。LINEは利用者向けの指針で一定の説明はしていたというが、長文の規約を精読する人は多くはあるまい。
国は来年の改正法施行に合わせて、情報移転先の国名を明記するよう義務付けるという。利用者の同意を条件に、海外への情報移動や閲覧を認めることの是非も、改めて検討すべきではないか。
IT分野では、人材やコスト面から海外への業務委託が広がっている。各国の制度がどうなっているかに留意せず、安易に委託している企業もあろう。国は実態調査とルール整備を急ぐべきだ。
利用者側も、情報サービスの安全性に対する意識を高めたい。
【独自】デジタル教科書の効果検証「3年は必要」が4割…全市区調査
公立小中学校を所管する全国の市と東京23区の教育委員会に読売新聞がデジタル教科書に関するアンケート調査を行ったところ、42%が効果の検証に「3年以上」必要だと答えた。デジタル教科書の使用に懸念を抱く市区は86%に上った。1人1台の端末配備が進む中、公立学校を管理・運営する教委がデジタル教科書の本格導入に慎重な検討を求めている実態が浮かんだ。
アンケートは1~2月、全国815の市区(792市と東京23区)の教育委員会に、インターネットで実施。744市区が回答し、回答率は91・3%だった。
文部科学省は2021年度の1年間、全国的に無償でデジタル教科書を配布する実証事業を行う。効果の検証や必要な制度改正の検討を終え、24年度からの本格導入を目指している。
調査では、効果の検証に必要な期間は「3年」が最多の37%で、「4年」1%、「5年以上」4%だった。「2年」は21%で、「1年」は16%にとどまった。3年と答えた自治体からは「学習の理解や定着度、教員の指導力の評価に最低3年は必要」(青森県つがる市)、「健康面の検証結果は1年では分からない」(静岡市)などの声が聞かれた。
検証すべき効果や影響(複数回答)は、「学習の理解や定着度」(93%)、「教員のICT(情報通信技術)指導力」(74%)の順で多かった。
デジタル教科書の使用への懸念があるとしたのは、「大いに」13%、「少し」73%の計86%で、「ない」は7%だった。懸念があると答えた市区に懸念する点(複数回答)を聞いたところ、「教員のICT指導力」が66%と最多だった。(26日から教育面に詳報を掲載する予定です)
警察官の拳銃強奪未遂疑い、大阪 交番で刃物、高校生逮捕
交番で警察官に刃物を突き付け拳銃を奪おうとしたとして、大阪府警河内署は21日までに強盗殺人未遂と銃刀法違反などの疑いで、府内の男子高校生(18)を逮捕した。「警察官を殺してでも拳銃を奪おうとした」と容疑を認めている。
同署によると、高校生は20日午後、「財布を拾った」と東大阪市若江本町の若江交番を訪問。男性警部補が拾得物の手続きをしている際、突然所持していた小刀を示した。警部補が拳銃を構え制止しようとすると、高校生は小刀を手放した。高校生と警部補にけがはなかった。署は20日、同法違反などの疑いで現行犯逮捕、21日に強盗殺人未遂容疑などで再逮捕した。
<独自>尖閣巡視船、一時航行できず 昭和55年建造…老朽化で故障か
尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で領海警備に当たっていた海上保安庁の尖閣専従巡視船が1月、任務中に故障し、一時、航行不能状態に陥っていたことが21日、海保関係者への取材で分かった。老朽化が原因とみられる。尖閣では中国海警局の船による領海侵入が相次ぎ、中国は2月、海警局の武器使用を認める海警法を施行するなど日本の有効支配を覆す動きを強めており、装備の刷新も含めた対策が急務といえそうだ。
尖閣専従12隻で最も古く
尖閣周辺の領海警備で、任務中の巡視船が航行できなくなる事態は極めて異例。故障が発生したのは那覇海上保安部所属のヘリコプター搭載型巡視船「うるま」で、老朽化が進んでいる。
うるまは那覇海保に2隻、石垣海保に10隻配備された尖閣専従船計12隻の1隻。石垣海保の10隻(1千トン型)は平成26~28年に新造、那覇海保のもう1隻(ヘリコプター搭載型)は12年に建造された。だが、うるまは昭和55年の竣工(しゅんこう)で、12隻の中で最も古い。
海保が保有する約140隻の巡視船の中でも古参に挙げられ、長期の継続使用を可能にするため平成25、26年に改修工事を実施したものの、船齢は既に40年を超えている。
うるまは1月下旬、尖閣諸島周辺で、船内の電力をまかなう発電機の一部が故障し、動作不良になった。発電機を動かしている燃料タンクを確認したところ、大量の海水が混入していることが判明。海水を含んだ燃料をエンジンに使用すれば機関停止につながる恐れもあり、一定時間、エンジンを停止させたままの状態を余儀なくされた。
当時、うるまを含め複数の巡視船が中国公船の領海侵入に備えて警戒に当たっていた。うるまは風向きや潮流の状況次第で流されて浅瀬で座礁する恐れもあったという。その後、乗組員らが復旧作業を進め、自力航行が可能になり、別の巡視船と交代して現場を離れた。
海保は尖閣周辺の領海警備で、中国公船1隻に対して巡視船1隻が対応するほか、周辺海域に巡視船を点在配置しているとみられる。海保関係者は「中国側を上回る勢力で対応しているが、巡視船それぞれに役割がある。1隻でも欠ける事態があってはならず、中国側につけ入る隙を与えることにつながってしまう」と危機感を募らせている。
巡視船の46%、耐用年数超え
海上保安庁の巡視船艇は老朽化が進み、382隻のうち、36%の139隻が耐用年数を超えている。海保は尖閣諸島を含む大規模事案に対応するため大型巡視船の新造を進めてきたが、沿岸が活動の中心で、小型の巡視艇で老朽化が目立つ。また、耐用年数を数年後に超過する巡視船艇の中には、不審船・工作船対応など重要任務に就くものもあり、日本周辺海域を網羅的に見渡した計画的な更新が課題となっている。
海保が所有する巡視船艇は令和3年3月末時点で、外洋で活動する比較的大型の「巡視船」が144隻、沿岸や港内で取り締まり、海難救助に当たる「巡視艇」が238隻ある。耐用年数はいずれも20~25年に設定し、大型巡視船では耐用年数経過後に大規模修繕で15年程度の延命を図ることもある。
耐用年数を過ぎた139隻の内訳は巡視船29隻、巡視艇110隻。巡視艇の老朽化が特に顕著で、超過割合は46%に上る。海保は順次、新造して代替更新を進めているが、尖閣対応巡視船の増強などが優先されてきたため、追い付いていないのが現状だ。
昭和に建造された船艇のうち、現役は巡視船14隻。大規模修繕を実施していない巡視船のうち、耐用年数超過の最長は、昭和58年に建造された留萌(るもい)海上保安部所属の中型巡視船「ちとせ」で、年度末に船齢は38年になり耐用年数を13年過ぎる。14隻のうち、1月に尖閣諸島周辺の領海警備中に故障したヘリコプター搭載型巡視船「うるま」など7隻は平成20年代以降、大規模修繕を実施した。
ただ、7隻の中には大規模修繕による延命年数が迫る船もあり、釧路海保のヘリコプター搭載型巡視船「そうや」は令和7年に修繕から15年が経過する。そうやは船齢42年の現役最古参で、オホーツク海での海氷観測などに従事してきた。代替船を新造する場合、北極海を航行するには新たな環境保護要件を満たす必要があり、高コストになる。同規模船の新造には3年程度必要で、海保は活動海域などを見据えた判断に迫られることになる。
「取り返しつかない状況も」
一方で、大型巡視船でも一部は大規模修繕が困難だ。平成13年に九州南西の奄美大島沖で北朝鮮の工作船が巡視船との銃撃戦の末、自爆した事件を契機に整備された「不審船対応ユニット」の一員である大型巡視船「あそ」「でわ」「はくさん」は令和6年から順に耐用年数の20年を迎える。3隻は同型で船体にアルミニウム合金が用いられるなど、構造上、大規模修繕での延命が不可能な見通しだ。
「任務中に故障や不具合が発生すると、取り返しがつかない状況も考えられる。『整備したのに故障した』は言い訳にもならない」。現場の海上保安官からは不安の声も漏れる。
耐用年数を過ぎた巡視船艇は故障が増え、エンジンの出力が落ちて速度が低下。さびなどの腐食で船体に穴が開いて修理が必要になるほか、交換部品が製造中止になっているケースもある。海保は対応が手薄にならないよう、古い船艇が1カ所に集中しないようにするなど配置を工夫し、老朽化に対応している。
首都圏、イベント人数制限も緩和 1万人上限、4月19日に撤廃
政府は21日までに、緊急事態宣言の全面解除に伴い、首都圏1都3県に対してイベント人数制限の緩和方針を示した。宣言発令中は会場の定員の50%か5千人のいずれか少ない方を上限にしていたが、今後は定員の50%以内であれば1万人まで入場可能とする。約1カ月間の経過期間を経て、4月19日からは1万人の上限もなくす。
大阪府など2月末に宣言を解除した地域は4月12日から1万人の上限をなくす。首都圏も含め、観客が大声を出さない催しや映画館などは、条件次第で満員も認める。4月中旬までは歓声による感染リスクが懸念されるプロスポーツの試合などは1万人が上限となる。