海岸約900mに渡ってイワシ大量漂着 去年暮れに地元漁業者が発見し役場に連絡…町は撤去方法を検討 北海道松前町

去年12月、北海道南部の松前町の海岸に大量のイワシが打ちあがっているのが見つかりました。町は撤去や処分の方法を検討しています。
浜を埋め尽くす大量のイワシ。
去年12月28日、松前町二越の海岸に大量のイワシが漂着しているのを、地元の漁業者が見つけ漁協を通じて町に連絡しました。
松前町によりますと、イワシは海岸線およそ900メートルに渡って漂着していて、詳しい量や原因などはわかっていません。
6日、町は撤去する方法を検討していますが、開始時期など作業のめどはたっていません。
また撤去する際、重機などを使用すると、砂などが混ざってしまうため焼却処分が難しく、受け入れ先や運搬業者の手配に時間がかかっているということです。
現場周辺は、住宅から離れた場所で、これまでに町に悪臭などの苦情は寄せられていないということです。

路線バスと乗用車が交差点で出合い頭に衝突 小学生を含むバスの乗客3人が首などに痛みを訴え 高松市

6日朝、高松市の瓦町駅近くの交差点で路線バスと乗用車が出合い頭に衝突し、バスの乗客3人がけがをしました。

午前9時20分ごろ瓦町駅近くの信号がない交差点で、ことでんバスと乗用車が衝突しました。
警察によりますとバスには8歳から65歳の9人の客が乗っていて、そのうち小学生の男子児童2人を含む3人が首や足に痛みを訴えているということです。
バスの運転手(70)と乗用車を運転していた女性(39)にけがはありませんでした。

ことでんバスは事故から約50分後に代わりのバスを現場に送ったということです。

「朝食時に景色の良い席に座りたい」先着順でかなわず…従業員殴った中国人観光客を逮捕 北海道

北海道・釧路警察署は1月6日、暴行の疑いで東京都に住む中国籍の男(25)を逮捕したと発表しました。
男は4日午前8時50分ごろ、観光で複数の知人と宿泊していた釧路市阿寒のホテルで、男性従業員(26)の肩を殴った疑いが持たれています。
男は前日、朝食の時に「川が見える景色が良い席に座りたい」とホテル側に頼みましたが、先着順で予約はできないと断られていました。
しかし、朝食の時に願いがかなわなかったことに「何で」などと怒り出し、暴行に及んだということです。
「従業員が殴られた」と通報を受けた警察が駆けつけた時、男はホテルから姿を消していて、翌日に東京に帰ろうとしたところを釧路空港の近くで待っていた捜査員が逮捕しました。
調べに対し男は「押しただけ」と容疑を否認していますが、ホテルの防犯カメラには殴る様子が、はっきりと映っていたということです。
警察は殴った詳しい動機や経緯を追及する方針です。

北朝鮮が弾道ミサイル=極超音速か、昨年11月以来

【ソウル時事】韓国軍によると、北朝鮮は6日正午(日本時間同)ごろ、平壌一帯から日本海に弾道ミサイル1発を発射した。日本の防衛省も北朝鮮内陸部から少なくとも1発の弾道ミサイルが北東方向に発射されたと発表した。日本の排他的経済水域(EEZ)外に落下したとみられ、極超音速ミサイルという見方が出ている。
韓国軍は一時、ミサイルを「中距離級」と発表したものの、飛距離が1100キロ程度で中距離弾道ミサイルの基準に達しなかった。防衛省によれば、ミサイルの最高高度は100キロ程度だった。
北朝鮮による弾道ミサイル発射は、昨年11月5日に短距離弾数発を撃って以来で、今年初めて。同日投開票された米大統領選後、北朝鮮は弾道ミサイルによる挑発を控えていたが、今月20日のトランプ政権発足を前に軍事力を示し、けん制した格好だ。
訪韓したブリンケン米国務長官は6日、趙兌烈外相と会談し、北朝鮮問題などについて議論。ミサイルは会談が行われている最中に撃たれ、北朝鮮がタイミングを合わせた可能性もありそうだ。
また、韓国の尹錫悦大統領が12月3日に「非常戒厳」を宣言して以降、北朝鮮がミサイルを発射するのは初めて。国政が混乱を極める韓国の対応を試す意図もあったとみられる。
日米韓の北朝鮮担当高官は電話で協議し、「地域および国際社会の平和と安全を脅かす」と北朝鮮を非難。3カ国の連携を改めて確認した。防衛省によると、航空機や船舶への被害は確認されていない。日本政府は外交ルートを通じ抗議した。
[時事通信社]

特急「ソニック」がドア開けず発車、乗客8人が乗り降りできず…運転士と車掌が開閉状況の確認怠る

5日午前6時20分頃、大分県杵築市のJR日豊線杵築駅で、大分発博多行き特急「ソニック4号」(7両)がドアを開けずに発車した。JR九州大分支社によると、乗れなかった7人が後続の特急に乗車し、降車できなかった1人が宇佐駅で下りの特急に乗り換えた。運転士と車掌(いずれも40歳代)が、ドアの開閉状況を確認していなかったという。

石破首相、米政府に説明要求=USスチール買収阻止で―地方創生「令和の列島改造」・年頭会見

石破茂首相は6日、三重県伊勢市で年頭の記者会見に臨み、バイデン米大統領が日本製鉄による米鉄鋼大手USスチール買収計画の中止を命じたことについて「なぜ安全保障の懸念があるのか、きちんと述べてもらわなければ、先の話にならない」と述べ、米政府に説明を要求した。地方創生を「令和の日本列島改造」と位置付け、強力に推進する方針も掲げた。
首相は、大統領の中止命令に対して「日本の産業界から懸念の声が上がっているのは残念ながら事実だ。重く受け止めざるを得ない」と指摘。「懸念払拭に向けた対応を米政府に強く求めたい。いかに同盟国であろうとも、これから先の関係に非常に重要だ」と強調した。
地方創生に関し、首相は「政府機関の地方移転を推進する」との考えを示した。新たな人の流れを生み出すため、都市と地方の「2拠点活動」が必要だと主張。第一歩として「国の若手職員による2拠点活動を支援する制度を新設する」と打ち出した。
[時事通信社]

国分寺の闇バイト強盗、リクルーター役を再逮捕…「金に困り『ホワイト案件』に応募した」

東京都国分寺市で昨年9月に起きた「闇バイト」を実行役とする強盗事件に関与したとして、警視庁は6日、愛知県知多市日長、職業不詳名倉優也被告(31)(強盗致傷罪などで起訴)を強盗致傷と住居侵入容疑で再逮捕した。X(旧ツイッター)で実行役を勧誘した「リクルーター役」で、警視庁は指示役の特定を急いでいる。
発表によると、名倉被告は実行役の佐藤聖峻(きよたか)被告(25)(同)らと共謀して昨年9月30日午前4時頃、国分寺市西恋ヶ窪の住宅に勝手口のガラスを割って侵入。住人の60歳代女性を縛ってハンマーで殴り、重傷を負わせた上、現金約550万円などを奪った疑い。
調べに、「消費者金融に数百万円の借金があり、金に困っていた。Xの『ホワイト案件』という求人に応募した」と供述。通信アプリ「シグナル」で強盗を指示されて断ったところ「キャンセル料を払うか、代わりの実行役を勧誘しろ」と迫られ、佐藤被告をXで勧誘したという。事件後、3万円の報酬を得ていた。
名倉被告は同10月1日に埼玉県所沢市で起きた強盗事件に関与したとして同11月に逮捕、起訴されていた。

石破首相が“安倍派切り”に打って出るのか…裏金問題は年明け国会も継続、「金庫番」招致で与野党攻防

石破自民にとっては、不吉な年明けだ。
24日召集の通常国会に向けて、与野党の攻防が激化。最大のテーマは依然として裏金問題だ。野党が巨額の裏金づくりに手を染めた旧安倍派の“金庫番”の国会招致を求めているのに対し、自民党は消極姿勢。ただ、少数与党下で、自民の思惑通りには進みそうにない。年末年始に東京・紀尾井町のホテルニューオータニに引きこもっていた石破首相は、頭を悩ませていたに違いない。
「野党は衆院予算委員会に、旧安倍派の会計責任者・松本淳一郎氏の参考人招致を要求。招致は全会一致が慣例ですが、与野党で意見集約できない場合、委員長判断による多数決も認められる。委員総数50人のうち野党議員は26人で、委員長は立憲民主党の安住淳氏です。彼は昨年末、『年明けに一定の判断をする』と発言。多数決となり、松本氏招致が決まる可能性が高まっています」(ある野党議員)
予算委の野党議員の中には、与党寄りの国民民主党や日本維新の会に所属する議員もいる。しかし、松本氏招致に反対するメンバーはいないという。「反対すれば裏金自民に手を貸したと受け止められかねない」(同前)からだ。
それどころか、野党議員の間では「松本氏招致を通常国会の予算案審議入りの条件にすべき」との強硬論も浮上。予算案を“人質”に取られれば、与党は大ピンチだ。年度内成立と引き換えに石破首相の退陣が問われかねない。そんな事態を避けるため、「石破官邸は松本氏招致を容認するのでは」(官邸事情通)とみられているのだ。
松本氏にゲロさせれば「みそぎ」になり得る
「松本氏はすでに政治資金規正法違反で有罪が確定。参考人招致が実現した場合、焦点となるのは旧安倍派幹部との証言の食い違いです。ポイントは、パー券収入の還流が一度は中止されたのに、後に継続が決まった経緯。旧安倍派幹部は政治倫理審査会で『知らぬ存ぜぬ』を繰り返しましたが、松本氏は公判で『ある幹部から還流継続を要望された』との趣旨の発言をした。野党議員の追及で、松本氏が継続を望んだ幹部の実名を明かせば一大事ですが、あくまで旧安倍派の問題でしかありません。先の衆院選で大量落選し、還流継続の経緯を証言した現職の元幹部は事務総長経験者の西村康稔、世耕弘成両氏しかいない。彼らが炎上しても石破総理本人は無関係。総理はむしろ、松本氏にゲロさせれば『みそぎ』にすらなり得る、と考えているフシがある」(同前)
石破首相は「安倍派切り」に打って出る可能性があるわけだが、事が簡単に進むかは見通せない。
■森元首相への「飛び火」も
「松本氏は公判で検察側から『(虚偽記入を)派閥幹部にやめようと言ったか』と問われ『今の幹部ではなく、昔の幹部に何度か話したことはある』と証言。参考人招致されれば『昔の幹部とは誰なのか』と問われるに違いない。下手をすれば、派閥会長を務めた森元首相にまで“飛び火”する展開もあり得る。リスクの方が大きいのではないか」(自民党関係者)
もはや、打つ手なしか。新年早々、石破首相は立ち往生必至だ。
◇ ◇ ◇
世界が注目するトランプ米次期大統領の動向。石破首相は結局、就任式の前には会談を行わず、2月以降の訪米で再調整の方向だというが、就任直後のトランプ氏が日本に構っていられるのか。●関連記事『【もっと読む】先が思いやられる石破外交…トランプ大統領就任前には訪米せず、会談先送りの吉凶』で詳報する。

「女子高生コンクリ詰め殺人事件」準主犯格Bの孤独な最期 3年前51歳で自宅トイレで…加害者の“その後”から矯正や社会での処遇を考える

旭川女子高生殺人事件、江別男子大学生集団暴行死事件…北海道では去年、未成年や若者による凶悪事件が相次いだ。少年による刑法犯数が戦後ピークを迎えた1980年代。「史上最悪の少年犯罪」といわれるのが1989年に起きた東京都足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件だ。
事件の加害者のひとりである準主犯格のBが、3年前に孤独死していたことが今回新たに判明した。2000年から加害者や親、関係者に行ってきた独自取材や裁判・捜査資料から、知られざる加害者の「その後」をリポートし、矯正教育や社会での処遇について考える。(HBC報道部 山﨑裕侍 ※3回シリーズの1回目 肩書や年齢は取材当時)
■準主犯格Bの義兄が告白 「Bは死にました」 2024年夏、久しぶりに電話で話したその人物は、会話の最後に思いもよらぬ事実を告げた。私は衝撃のあまり、絶句した。Bは私と同い年の50代。早すぎる死だった。Bは日本中を震撼させたある事件の犯人のひとりだった。
「足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件」 1989年3月、東京都江東区若洲の空き地で、コンクリート詰めにされた女性の遺体が発見された。被害者は埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生だった。
事件に関わったのは主犯格A(18)、準主犯格B(17)、自宅が監禁場所となったC(16)、監視役のD(17)など、当時16歳から18歳の少年たち7人。
通りがかりの見ず知らずの女子高生をAが強姦目的で連れ去り、41日間にわたって足立区綾瀬のCの自宅の一室に監禁した。連日に及ぶ強姦、顔面や体を殴りつける、ライターで皮膚をあぶる、食事を与えない。非道の限りを尽くしたあげく、A・B・C・Dの4人は女子高生を殺害。遺体をドラム缶に入れて捨てたのだった。
私は被害者やBと同い年だ。事件発生当時、「なぜ彼らはこんなに凶悪な事件を起こしたのか?」と疑問を抱いた。11年後の2000年、図らずも取材者という立場で事件に関わることになった。当時、刑事処分を可能とする年齢を16歳から14歳へ引下げる少年法改正案が議論されていた。いわゆる厳罰化である。厳罰化によって「少年の健全な育成」を目的に更生に重きをおく少年法の理念は果たせるのだろうか。
そもそも罪を犯した少年たちは、どんな更生の道を歩んでいるのか。
メディアは事件の「その後の少年たち」を伝えられているのか。
いくつもの疑問がわき上がり、その問いに自分なりに答えを見つけようと取材したのが女子高生コンクリート詰め殺人事件だった。
2000年から2005年にかけて加害者や親など多くの関係者に会い、話を聞いた。冒頭に電話で話した人物は準主犯格Bの義兄だ。 2004年、Bが出所後に再犯(詳報は次回)したときに取材で知り合った。義兄の告白を受け、私は再び関係者を訪ね歩いた。
■懲役5年~10年のB 「私が知っていることはなんでも話します」 約20年ぶりに東京で再会した義兄。物静かでひとつひとつ言葉を選びながら話す様子は、以前と変わらない。義兄は、改めてBと最初に会ったときのことから話し始めた。
記者「第一印象はどうだったか?」 義兄「こんな言い方したら変ですけど、薄気味悪い。嫌な印象しかなかったですね」
1999年8月4日、Bは28歳のとき満期で出所。その2日後、義兄はBと初めて会った。
記者「最初に会ったとき、Bの態度や表情は?」 義兄「俺様という感じで、自分が一番だぞという態度でしたね」
Bは1971年5月11日生まれ。幼いころに父親が愛人をつくり家を出ていった。母親は2人の幼子を養うため働きに出ねばならず、Bは「家族そろって食卓を囲んだ記憶はない」と供述している。小学校では野球、中学校では陸上に打ち込み、大きな問題行動は起こしていない。だがスキーで足首を骨折し、得意のスポーツができなくなってから人生は暗転する。学校の成績は下がり始め、私立高校に進学したものの、身長180センチという目立つ体格からいじめにあい、不登校となって、最後は中退。前後して母親に暴力を振るうようになった。その頃出会ったCの自宅に出入りするようになり、Cの不良仲間だったAと知り合う。「道具のように使われる」として当初はAを避けていたが、Bが暴走族との間に起きたトラブルをAに相談してから、Aと行動を共にするようになり、Bの非行性が増す。
この頃、Aを中心とする不良仲間は、自動車などの窃盗や、見ず知らずの女性を連れ去って強姦することを繰り返していた。Bも何度か加わった。そして1988年11月25日夜、AとCが自転車で帰宅途中の女子高生を襲い、Cの自宅に監禁し、凄惨な事件が始まった。
裁判では4人の少年が実刑判決を受ける。Aは懲役20年と最も重かった。Bは懲役5~10年、Cは懲役5~9年、Dは懲役5~7年のいずれも不定期刑だった(確定判決)。Bは、最終意見陳述で涙ながらにこう述べた。
「被害者の女性がどれだけ熱かったか、どれだけ痛かったか。一生謝っても謝りきれない。僕の一生をかけても償っていきたい」
1999年に出所したBは、弁護団のひとりから紹介されたコンピューター関連の派遣の仕事に就く。2000年12月、中国籍の女性と結婚し、千葉に引っ越す。女性は7歳年下で、歌舞伎町の店で働いていたとき、客として出入りしたBと知り合ったという。だが数年で離婚し、母親が住む埼玉県の実家に戻ると、再びBの人生は大きく狂い始める。仕事先でトラブルになり、退職。未払いの給料を取り戻すため、母親の知り合いを通じて暴力団幹部と付き合うようになる。
当時のBの様子を義兄は次のように証言する。
「会社をやめてからはフラフラするようになって、仕事はしませんでした。母親に金を無心するようになりました」
Bは、高級セダンの国産車を約200万円で購入する。
「出所したあとは、人生一からだからローンもたくさん組めるし、自分のやりたいことはすべてできたようです。高級車をローンで買うなど、やりすぎじゃないかなっていう生活を始めました。自分が一番だぞという態度でした」
2024年秋、私は東京都内の公営住宅で暮らすBの父親を訪ねた。突然の訪問にもかかわらず、居間に招き入れて1時間半も当時のことを話してくれた。父親は家を出てから別の女性と結婚し、新たに2人の子どもをもうけた。Bは出所後、中古の高級セダンに乗って、すでに新たな家庭を築いていた父親の元にも何度か顔を出したという。
父親「車に乗って何度かここにも来た」 記者「なんの用事で来たのか?」 父親「とくに用事はなかったようだ。しかし、妻が言うには子どもに手をあげていたという。俺は見ていないが」
Bは出所後、自分を捨てた父親に何を期待して会いに行ったのだろうか。
東京地裁から心理鑑定を依頼された福島章氏はBを次のように分析した。
Bを心理鑑定した精神科医・福島章氏 「少年時から人の顔色を見る、表裏のある子供だったが、暴力で他の子供を従え、自己中心的に自己の存在を主張する傾向もあった。しかし、父親に愛情を求めたり母親に甘えたり受容を求めたりする欲求が強いにもかかわらず、それが満たされなかったために心の深い層で傷ついており、それらの愛情欲求や自尊感情を自ら断念し、衝動性をもっぱら抑圧・分裂・疎隔化のメカニズムを採用して神経症的性格構造を形成したと思われる。かなり屈折した精神状態にあるといってよい」『精神状態鑑定書』(1990年2月9日付)より
■最期はトイレで頭を… 出所後、一緒に暮らしていた母親は、Bに対して腫れ物に触るように接していた。母親によると、Bが離婚したあと「結婚して子どもでも作って、普通の生活をしたら?」と問いかけると、「事件の子どもって言われるから無理でしょう」と返してきたという。父親も「刑務所の話は絶対にしなかった」という。事件について親子が向き合うことはなかった。
2004年5月、Bは再び罪を犯す。知人に対する逮捕監禁致傷の罪で起訴されたBは、翌年3月東京地裁で懲役4年の実刑判決を受ける。
2009年、府中刑務所を満期で出所したのち、埼玉県のアパートでひとり暮らしを始める。そこは生活保護受給者や元受刑者など、部屋が借りにくい人たちを受け入れているアパートだったという。Bは仕事もせず、生活保護を頼った。ひとり部屋に引きこもる日々。
Bの最期は寂しいものだった。
「母親がいつものように弁当を持っていくと、トイレのなかで倒れた状態で発見されたのです。救急車を呼んだが、息をしていませんでした」
Bの最期の様子を知る人物は少ない。長年母子を支援していた女性は、「あまり報道しないで」と言いながらも、涙を浮かべながらBの様子を語ってくれた。
「事故だったんです。感情を抑える薬を飲んでいて、ふらついてトイレの中で倒れたんです。そうしたら便器とタンクの間に頭がはさまって外れなくなって、嘔吐して死んだんです。最期はかわいそうな死に方でした。本来は明るくて、物静かで、優しい子です」
Bが死亡したのは2022年7月16日。51歳だった。
義兄はインタビュー中、Bに対して哀れみや同情の言葉を一切発しなかった。そして、Bが犯した罪は許されるものでないとして、次のように突き放した。
「人にはそれぞれ生きざまがありますが、あれだけのことをしたわけですから、Bを許せる人はいないと思うんです。51年間生きていたということ自体、私には許せない」
2024年、義兄は離婚した。
■20年ぶりの監禁現場 20年ぶりに監禁現場のCの自宅があった場所を訪ねた。Cの家は事件から数年後に建て直されている。路地や目の前の公園は以前と変わらない。自宅の前に立っている電柱もそのままだった。この電柱をよじ登って少年たちは2階のCの部屋に出入りしていた。曇天の空を仰ぎ見ると、無機質なコンクリートの電柱が墓標のように見えた。
2回目は、Bの再犯に影響を及ぼした妄想について、Bと記者との面会や手紙などを交えて詳報する。

自民・義家弘介氏が政界引退へ 「ヤンキー先生」、文科副大臣など歴任 後任は「落下傘でない人であってほしい」

「ヤンキー先生」として知られる自民党の義家弘介元法務副大臣(53)は6日、3月末で政界を引退すると表明した。所属していた安倍派の裏金事件に関わり、昨年10月の衆院選では神奈川16区から出馬したが党方針で比例重複立候補が認められず、落選していた。
義家氏は今月6日、自身のメールマガジンで「3月31日をもって、政界を引退する決断をさせていただいた」「4月からは一私人として生きていく」などと説明。後任については自身を支援する地元の県議や市議らに対応を一任する考えを示した一方、自身が「落下傘」候補として苦慮したとし、「その言葉に当てはまらない方であってほしい」とつづった。
長野県出身の義家氏は高校2年時に暴力事件を起こし、北海道の北星学園余市高校に編入。明治学院大卒業後、同高の教師になり、「ヤンキー先生」として有名になった。横浜市教育委員や、第1次安倍晋三内閣が設置した教育再生会議の担当室長などを務め、2007年参院選比例で自民から出馬し初当選。12年の衆院選で神奈川16区にくら替えした。当選回数は参院1回、衆院4回で、文部科学副大臣などを歴任した。