朝鮮半島出身者の追悼集会=戦後80年で初開催―広島

在日朝鮮人の被爆者らでつくる広島県朝鮮人被爆者協議会は2日、広島の原爆で亡くなった朝鮮半島出身者の追悼集会を広島市南区で開いた。戦後80年の節目の年を迎え、被爆者の高齢化が進む中、同協議会が今回初めて主催した。
集会には、被爆者や遺族ら約110人が参加し、犠牲者の冥福を祈り黙とうをささげ、献花した。
自身も胎内被爆者という同協議会の金鎮湖会長(79)は参加者に向け、犠牲者の思いを引き継ぎ、若い世代を含めて「歴史を残し、未来につなげていけるよう皆で手を携えていけることを願ってやまない」と語った。 [時事通信社]

マンホールに転落、4人死亡=硫化水素吸い込んだか―陥没事故受け点検中・埼玉

2日午前9時25分ごろ、埼玉県行田市長野で、下水管の点検作業を行っていた男性作業員4人が、マンホール内に転落した。消防などによると、いずれも救出されたが、全員の死亡が確認された。
県警によると、マンホール内には硫化水素が発生していた。県警は、作業員が吸い込んだ可能性もあるとみて、詳しい状況を調べている。
県警などによると、当時、点検作業は7人で行っており、転落した4人はいずれも50代。マンホールは直径約60センチ、深さ約12メートルで、何らかの原因で1人が転落し、救助しようとした3人も転落したという。
行田市によると、点検は同県八潮市の陥没事故を受け、国が全国の自治体に実施を要請している下水道管路の特別重点調査の一環。事故が起きたマンホールがある下水道管路は、1981年度に設置された。行田市から委託を受けた民間企業が作業に当たっており、目視で老朽化などを確認する前の準備を行っていたという。 [時事通信社]

戦中生まれの国会議員6人に減少 記憶継承が永田町でも課題に

7月の参院選を受け、日中戦争や太平洋戦争中に生まれた議員は衆参両院で計6人に減った。昨年の衆院選後に初めて1桁の8人となり、今回は尾辻秀久前参院議長(84)が引退し、山東昭子元参院議長(83)が落選した。国会議員713人(衆院定数465、参院定数248)の99%は戦後生まれが占める。戦後80年を迎え、先の大戦を巡る記憶や体験の継承は永田町でも課題となる。
参院選の当選者で最年長は、自民党から出馬した1948年生まれの鈴木宗男氏(77)。45年8月の終戦の日より前に生まれた人はいなかった。
日中戦争は37年、太平洋戦争は41年に始まった。現職国会議員の最高齢は40年生まれの麻生太郎自民最高顧問(84)だ。衆院で他に戦中生まれは、42年の立憲民主党の小沢一郎氏(83)、44年の額賀福志郎議長(81)、45年4月の森山裕自民幹事長(80)のみとなる。
参院は42年の山崎正昭元議長(83)と43年の野村哲郎元農相(81)の2人。衆参の6人とも戦時中は幼少期で、従軍体験はない。

油井さん、ISS到着=米宇宙船ドッキング、大西さん出迎え

国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在に臨む油井亀美也さん(55)ら4人が搭乗する米宇宙船クルードラゴン11号機が、2日午後3時27分(日本時間)、ISSにドッキングした。
同4時45分すぎに連結部のハッチが開かれ、油井さんがISSに乗り移ると、今年3月から滞在中の大西卓哉さん(49)が出迎えてハイタッチ。抱き合って再会を喜んだ。
その後行われたセレモニーでは、ISS船長の大西さんが英語と日本語、ロシア語で「ようこそ」と歓迎。油井さんは「とても温かい歓迎ありがとう。ここに来られてうれしい。素晴らしいメンバーと仕事をするのが楽しみだ」と英語で話した。
油井さんの飛行は2015年以来2回目で、約半年間滞在する見通し。滞在中は、日本実験棟「きぼう」などで行われるさまざまな宇宙実験を担当するほか、日本の新型宇宙ステーション補給機「HTV―X」1号機をISSで迎える可能性もある。 [時事通信社]

高知1歳児死亡事故 遺族が署名活動 「ながら運転」厳罰化求める

高知県で車を運転中に靴を履き替えようとして反対車線の車と正面衝突し、1歳の男の子が死亡して男が在宅起訴された事件で、遺族が「ながら運転」の厳罰化を求めて、署名活動をしました。
大阪市の神農諭哉さん(34)は去年9月、高知県の道路で車を運転中、反対車線に飛び出してきた車に衝突され、煌瑛ちゃん(当時1歳)を亡くしました。
運転中に靴を履き替えようとし、ハンドル操作を過ったなどとして、61歳の男が1日、過失運転致死傷の罪で在宅起訴されました。
(神農諭哉さん)「高速道路を走行中にサンダルを履き替える、言語道断だと思っているんです。それを過失(運転致死傷罪)でしか裁けないのであれば、1番重たい(量刑)にしないと」
神農さんは、悪質な「ながら運転」の厳罰化を求めていくとしています。

老舗政党の強固な組織票、高齢化で右肩下がり…新興の勢いに押され公明・共産が参院選惨敗

老舗政党である公明党と共産党が苦境に立たされている。参院選ではいずれも得票が伸びず、惨敗した。強固な組織票を誇ってきたが、支持層の高齢化で活動量が低下し、新興政党の勢いに押されて党勢は右肩下がりにある。(田ノ上達也、田村直広)
公明は7月の参院選で、選挙区選と比例選の計14議席獲得を目標としたが、結果は1964年の結党以来最低となる8議席に沈んだ。斉藤代表は1日の党会合で「極めて厳しい結果となった。捲土(けんど)重来を期して、選挙結果の分析、総括を進めていく」と強調した。
公明は政権復帰以降の2013年参院選から、4回連続で選挙区選に擁立した全候補を当選させてきた。だが、今回は国民民主党や参政党の台頭もあり、改選7議席のうち、埼玉、神奈川、愛知各選挙区で敗北。700万票の獲得を目指した比例選も約521万票にとどまった。比例票は13年参院選の約757万票から200万票以上減っている。
背景にあるのは支持母体・創価学会の会員の高齢化だ。読売新聞社が投開票日にNHK、日本テレビ系列各局と共同実施した出口調査では、公明の支持層は70歳以上が35%、60歳代が22%、50歳代が18%で、50歳以上が7割超を占めた。
動画投稿サイトやSNSの活用などで若年層取り込みを図ったものの、18~29歳は6%、30歳代は7%で、目立った効果は出ていない。党関係者からは「今後は選挙区選より、比例選に組織力を集中した方がいい」との声も上がる。
共産党も「8議席以上獲得、比例得票650万票」を掲げたが、埼玉、京都両選挙区で現職が落選するなどし、改選7議席から3議席に後退した。比例選は約286万票で、前回22年参院選から約2割減った。田村委員長は1日の党会合で「大切な仲間の議席を失ったことは悔しく、残念でならない」と語った。
共産も党員の減少、高齢化に悩む。昨年時点の党員は約25万人で、1990年のピーク時(約50万人)から半減した。党収入の柱である機関紙「しんぶん赤旗」の購読者数も80年の約355万人から昨年は約85万人まで落ち込んでいる。
共産主義を解説した著書を出版する志位和夫議長は7月30日の記者会見で「とりわけ若い方々に読んでいただきたい。世代的な継承は大きな課題だ」と指摘した。政権批判票はリベラルな主張が目立つれいわ新選組などに分散しており、活路は見いだせていない。

マンホールに落下し救助の3人も転落、4人全員死亡…埼玉・行田市で下水道点検に向け清掃中

2日午前9時25分頃、埼玉県行田市長野で下水道管内の清掃をしていた作業員から、「マンホールに作業員が転落した」と119番があった。行田署によると、作業員1人が落下し、助けようとした3人も落ちた。市消防本部によると、同日午後4時過ぎまでに4人とも救助されたが、いずれも心肺停止状態で病院に搬送された。その後、全員の死亡が確認された。現場から硫化水素が検出された。
マンホールは直径60センチで、深さは約6メートル。直径2・6メートルの下水道管につながっているという。市によると、現場では市が発注した下水道の点検作業に向け、排水作業などが行われていた。

野党、関税交渉と消費減税で攻勢 両院で与党少数、初の論戦へ

国会は、石破茂首相が出席する予算委員会集中審議を4日に衆院、5日に参院でそれぞれ開く。衆参両院で少数与党となった石破政権にとって初の国会論戦となる。首相は日米関税交渉の合意を受け、政権を継続し合意の履行に取り組む姿勢を強調、続投に理解を重ねて求める。攻勢を強める野党は、参院選で訴えた消費税減税やガソリン税の暫定税率廃止を求める構えだ。
参院選を受けた臨時国会は1日に召集された。通常、参院選後の国会は正副議長や委員長の選出など手続きが中心だ。ただ少数与党の国会運営は、予算、法案の審議で野党の理解が欠かせず、与党は野党が求める予算委の開催に応じた。
予算委で首相は、交渉経過の説明や、関税措置に伴う経済対策に万全を期す考えを表明する方針だ。ただ、野党側は米国との間で合意文書を交わさなかったことに加え、解釈の違いが生じているなどとして政府の対応を問題視している。
4日に質問に立つ立憲民主党の野田佳彦代表は、暫定税率の廃止を首相に求めると明言。食料品の消費税率0%への引き下げも、改めて要求する。

台風9号は三陸沖を北東へ、伊豆諸島の南海上の熱帯低気圧は今後台風へ…強風や高波に注意

台風9号は2日明け方に千葉県に最接近した後、三陸沖を北東に進んだ。その後も日本から遠ざかっていき、気象庁によると、5日までに温帯低気圧に変わる見通し。
一方、熱帯低気圧が2日、伊豆諸島の南海上を北東に進んだ。今後台風に変わる可能性がある。3日明け方にも伊豆諸島に近づくとみられ、気象庁は強風や高波への注意を呼びかけている。

85歳・上條恒彦さん老衰のため死去「3年B組金八先生」の教師役や「ラ・マンチャの男」などに出演

俳優で歌手の上條恒彦(かみじょう・つねひこ)さんが22日に長野県内の病院で老衰のため死去した。85歳だった。所属事務所が発表した。葬儀・告別式は妻の悦子さんが喪主を務め、親族のみで執り行った。
温かみのある演技とスケールの大きな歌声でミュージカル「ラ・マンチャの男」などに出演した上條さんが天国へと旅立った。昨年6月に最後の舞台となった「六月の雨 ~梅雨は嫌いですか?~」に出演したが、年末に誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。今年1月に登壇予定だった映画「シンペイ~歌こそすべて」(神山征二郎監督)の舞台あいさつを欠席した。最期は家族に見守られて息を引き取った。
長野県で生まれ、高校卒業後の58年に上京すると、4年間で10回以上も転職を繰り返しながら、芸能界への道を模索。新宿の歌声喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えた。
62年に歌手活動を始め、71年に歌手デビューすると、同年の「出発(たびだち)の歌」で第2回世界歌謡祭グランプリを受賞。72年にドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」がヒット。俳優としてはドラマ「3年B組金八先生」の教師役で注目され、「ハイリハイリフレ、ハイリホー」の歌声が印象的な丸大食品のCMでも親しまれた。
87年に長野県の八ヶ岳山麓に移住。ひげがトレードマークで山男のような風貌とは対照的に、内面は繊細だった。下積み時代の苦労と研究熱心さが、上條さんの長いキャリアを支えた。
◆上條 恒彦(かみじょう・つねひこ)1940年3月7日、長野県生まれ。62年から新宿の歌声喫茶「灯」で歌手活動を始め、72年にNHK紅白歌合戦に出場。76年の「ピピン」日本初演をはじめ、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「マイ・フェア・レディ」などミュージカルに多く出演。私生活では65年に最初の結婚をしたが、77年に離婚。83年に元女優の悦子夫人と再婚。5児の父。
武田鉄矢「『3年B組金八先生』で服部先生を演じてくださり、いつも支えていただきました。子供と一緒に泣きながら芝居をしていると、クラスの隅で泣きながら見てくださる先生でした。演じることに対して非常に真面目で、誠実な方で。熱演が終わると『良かったよ』と褒めていただき、励みになりました。心より感謝しております」